第九十一話 忠犬プリムラ
天気の良い朝に市街の人々が触発されたかのように活気を沸かせていく。
俺が学校に登校する時間ともなれば、仕事場へと向かう人や朝一の買い物に出かける主婦などで街路は賑わっていた。
帝都グラフィールのそんな光景に慣れてきている自分に、なんとなく笑ってしまう。
不思議そうに俺の顔を覗いてくるシルフィードに何でもないと返しつつ、俺は周囲の流れに溶け込むように歩き出した。
俺が泊まっている宿舎から学校までの距離はそう遠くなく、余裕をもって歩いて十分ぐらいだろうか。
それほど近いということもあるが、この世界に来てから規則正しい生活をしてきたおかげで、遅刻の憂き目にはあったことがない。
誰かさんはたまに遅刻して先生からの雷をくらっているようだが。
彼女の名誉の為に名前はあえて言わない。
だが、おいしく朝ごはんを食べていたら遅れました!とふざけた遅刻の理由を堂々と告白したあいつはさすがだと思う。
(……………)
時折、グリエントに通う学生に挨拶のようなものをされながら俺は考え込んでいた。
高速思考を使えば歩きながら考えていても誰かにぶつかる心配もない。
考え事とは第一にロイドのことである。
心底腹が立つことをやってくれたクソヤロウ。今でもその印象は変わらない。
自分がしでかしたことを悪いとも後悔をしてるともいえない顔が思い浮かぶ。
やはり一発ぐらい殴ってやればよかったと思ったが、ロイドはそんなことぐらいじゃ効きもしないだろう。
胸に煮えたぎるような激情を抱えた者にただの暴力なんて意味がない。
(それに同志だと。ふざけるな。あいつと肩を並べたいだなんて到底思えない)
せっかくの良い天気だというのに憂鬱なことばかり考えてしまう。
これでは良くないと思い、頭を振ってどうにかその考えを追い出した。
他にも考えなくてはいけないこともあるのだし、どうせならそっちのことを考えよう。
もう一つの悩み、というか頭が痛くなる話がある。
それは不敗だった烈火の騎士に俺が勝ったことで生じる周りの反応だ。
新人戦の頃から俺は一部の人間に注目されていたらしいが、ここにきて一気にその株が上がってしまった。
自分の力をそこまで固執して隠そうと思っていなかったので、力がばれたことは別にいい。
だがこの学校の気風、いや生徒たちの性格を俺はなめていたのかもしれない。
「ミコトくん!我が深遠なる魔術研究部に是非とも入ってくれないか!」
「お断りします」
わき道から突然現れたイケメン度合いが高い爽やか上級生を、これまた天使の笑顔でばっさりと切り捨てる。
ぐはぁ!?とその上級生は叫び声をあげながら大げさに倒れこんだ。
俺はその横をスタスタと通り過ぎ、何事もなかったかのように歩いていく。
俺の耳にはダメだったか、という小さい声が聞こえていた。
ショックを受けて倒れこんだ上級生のものだ。それも演技だったようで、すでに立ち上がって服についた埃を取り払っている。
心配して手を貸そうとしたら更に畳み込もうと思っていたのだろう。全く油断も隙もない。
「これで七十六人目か。魔研ならいけると思ったんだがなぁ」
「確かに入部するだけでも箔がつくっていわれてる部活だもんな。それをまさか即断とはさすがだ」
「一刀両断する姿も素敵……。それにしてもあの子は誰が射止めるのかしらね」
「と言いつつ狙ってるんでしょ。目がぎらついてるって……」
「あらあらおほほ。そんなこと言って貴方もスカイホークのような目をしているわよ?」
「うふふ。魔物に例えるなんていい根性してるじゃない?」
「「うふふ、おほほ」」
「何コイツラ怖い」
……という一幕が最近頻繁に俺の周りで起こっている。
賭け事にさえなっているようで、一部からは今日も悲鳴が上がっている。
貴族が多く通っているグリエントでなんともまぁ俗な遊びをしているな、と思う。
でもこの学校のトップを考えればその程度のこと、不承不承ながらも納得してしまうのが嫌だ。
『今日も大人気なのですね!ミコト』
嬉しそうにほくほく顔になっているシルフィードの頬を横に思う存分に伸ばしてやりたかった。
周囲の目があるのでそれは出来ないが、後で必ず実行してやる。
実際、シルフィードはからかっているというわけではなく、本心から喜んでいるようだった。
引っ込み思案な子に友だちが出来た時の親の心境とでもいうのだろうか。
……こういう時、シルフィードの心がわかってしまう自分が辛い。遠い目をしたくなるほどには。
(後でいいものやるからな?シルフィード)
『……なんか私にとって良くないこと考えているのですよ?私にはわかるのです!』
(そこで何でドヤ顔できるのか俺にはわからんわ……)
鼻息を荒くしているシルフィードにため息をつきつつ、角を曲がる。
もう少ししたら学校に辿り着く、といったところでぴたりと足を止めた。
騒がしく生徒たちが登校している間の中にぽつりと空いた空間。
そこにダークレッドの髪が所在無さげに揺れていた。
誰かを待ちわびているようにゆらゆらと。校門の端っこから出ては隠れてを繰り返している。
姿は校門の向こう側にあるから見えないが、俺はそれが誰かなんてわかっている。
『相変わらず健気なのですねぇ』
(……これを健気って言うのか?)
果てしない疑問を抱えながら俺は空いた空間に向かって進みだした。
無視するという選択肢はある。あるにはあったが、それを実行したら涙目でうーっ、と子供のように唸りながら後をついてくるのだ。
子供かっ、という突っ込みは心の中に閉まっておく。
彼女を看てもらった先生曰く、精神魔術の影響で心が不安定になっているらしい。
扱いにくいという意味では今の俺にとって最大の悩みの種だった。
「……よう」
「あっ」
校門の裏にいた彼女に声を掛ければ花のような笑顔が返ってくる。
この端整な美貌ならこの笑顔だけでもころりと落ちてしまう男子生徒は腐るほどいるだろう。
そんなことを思いながら、おはようございますですわ!と顔を綻ばせるプリムラに朝の挨拶を返すのだった。
あの決闘の後、プリムラはマリーの回復魔術によって自分をようやく取り戻した。
その後の経過を見る為、今もその道の専門家である医者の元に通っているらしいが経過は良好のようだった。
どうやらその医者に見せるまでもなく、ほぼ完璧に精神魔術の影響はなくなっていたようで、やたらと術者……マリーのことを褒め称えていた。
おまけにプリムラのパートナーであるリラも、マリーのおかげで後遺症なく済んだのもポイントが高かったのだろう。
リラの傷跡を見て医者は唸りながら、これをその歳でここまでとは……、と難しい顔をしていた。
果ては私の元に来ないか、というスカウトにまで発展するぐらいだったのだから相当だ。
当の本人であるマリーは曖昧に返すだけで乗り気ではないようだった。
グリエントの卒業生であり、国が抱え込むほどの人物だったのにいいのか、と俺が問いただしても頷くことはなかった。
マリーの将来のことだ。俺がどうこう言う権利はないが、その顔に影が差していたのだけは気になった。
決闘による傷もそれほど深くなく……熱い戦いを繰り広げた俺たちには健闘を称えるエールが送られた。
だがそれを良しとしなかったのはプリムラだった。
プリムラが何らかの事情があって様子がおかしくなっていたのは誰もが知るところになっていた。
だから迷惑をかけられた人たちも気にしなくていいと言ったようだった。
それは彼女の人柄故だろう。本来のプリムラはそれほどに周りからの信頼を得ていたのだ。
それでもプリムラは何か償いたいと、各方面を周っていたらしい。
(それが周りに周って、最後はこうなった、と……)
にこにこ笑顔で俺の隣を歩き、俺の鞄を胸に抱えているプリムラを見てこっそりとため息をつく。
どうも迷惑をかけたという意味では俺とマリーに最も罪悪感を抱いているようで……。
こうして甲斐甲斐しく?鞄持ちをするようになっていた。周りの視線が非常に痛い。
これはありがた迷惑ではあるが、彼女には勿論感謝もしている。
マリーの噂の払拭がたちまち行われたのも、ロイドだけのせいではない。
プリムラが手を貸して、誠心誠意に説得をして周ったようだ。
心無い噂に惑わないで。彼女は私の親友と私の心を救ってくれた恩人だ、と。
(噂に先導されるような輩だからな……)
真っ向からの真摯な言葉に耐性があるはずもない。
今では噂を口にする者はほとんどおらず、声に出そうとしても逆に周りから睨まれるようになっていた。
全く、こういう人の部分は本当にどうしようもないな……。
噂を容易く信じ、当の本人たちでもないのに卑しく罵り始める。そして流されてはまた流される。
状況が良くなっているのは確かだが、この流れが俺には気に食わなかった。
「どうしたんですの?何か機嫌が悪そうですわ。甘い物でも食べます?疲れたなら足でも揉みます?
あっあっ、それともおぶっていきます??」
『食べるのです!!』
「いや……いらないから。それ全部いらないから。というか何でそんな物もってきてんだよ。あと鞄返して」
何処からともなく取り出したおかしは甘く香ばしい匂いを醸し出していた。
シルフィードの悲しそうな顔を無視して断りを入れ、クッキーをプリムラに押し返す。
残念そうな表情を見せるプリムラだったが、鞄はリリースされない。キャッチアンドリリースの精神を持とうぜ?
目線で訴えてもすまし顔である。
いくら精神が不安定になっているとはいえ、ここは一言何か言った方がいいだろって?
子供にさ、お気に入りの玩具を与えたとするじゃん?
あまりに夢中で遊んでかなり危なっかしいから、それを取り上げようとするじゃん?
子供がヤダヤダまだ遊ぶんだもんって泣き喚くじゃん?
周りの視線がめちゃくちゃ痛くなるじゃん?
それ。それなの。
『おかしぃ……なのです!』
(お前まで幼児退行しても俺は知らんからな)
ぶーぶーと文句を垂れる声を右から左に聞き流しながら、俺は気分絶好調のプリムラの隣を歩いていく。
いつまでこれが続くのか、それはわからないがもうこのまま好きなようにやらせようと思う。
なぁに、少しずつ俺の精神が削られていくだけさ。ははは……はぁ。
「お昼ご飯も作ってきましたの!あーんってして食べさせてあげますわねっ」
「それはやめろ。やめてください。せめてあーんはやめて差し上げて!」
そんなこんなで、人によっては羨ましくて仕方のない状況におかれている俺が、ようやく自分の教室に辿り着く。
校舎の前で俺の教室まで見送りますわという討論が行われたが、さすがにそれは却下した。
鞄をどうにかして奪い取ってようやく解放されたわけではある。
しかし、教室のドアに手をかけた所で中がいやにシーンとしていることに気付いた。
(噂ってのは外野なら楽しくおかしく無責任にいじく回して、そしていつの間にか忘れてしまうが)
噂の本人、そして近しい人たちにとっては何かしらの糸口がないと、いつまでも漂ってしまう。
一呼吸をしてから扉を開ければ視線が俺に一斉に集まった。
入ってきたのが誰かわかると一様にほっとしている。
むかつく。苛々する。こいつらの考えていることに想像がつくから。
このことについて俺が介入していいものかわからない。
だからその苛々はこいつらに向けてのものでもあり、自分に向けたものでもあった。
募りに募った苛立ちはずいぶん前からであり、俺が手を出してもただのお節介だ、と自分に言い訳をして押し殺していた。
人のいい仮面をつけて挨拶を終えた俺は席につく。
いつもなら俺の周りに人だかりが出来ているはずなのに、今日に限っては誰もいない。
表面上は隠せていても雰囲気から出るぴりぴりとしたものは感じ取っているのかもしれない。
それだけに我慢が出来なくなっていた。
だって俺はこうして何事もなく過ごしているのに、ただ巻き込まれていただけのマリーがどうしていつまでも苦しまなければならない。
ロイドのクソが余計なことをしなければ……いや、俺が傍にいなければ……。
そんなたらればを考えても仕方ないと思っていても、考えずにはいられなかった。
『もっとミコトは単純になればいいのですよ。時にはそういった簡単なことが答えだったりするのです』
(……シルフィード?)
俺はそれはどういう意味なのかと問いただそうとした時、教室のドアが開かれた。
そこにはキーラと……おずおずとした様子で教室へと入ってくるマリーの姿があった。




