第八十八話 もう一度
茫然自失としているプリムラと静まり返った観衆たち。
決闘の幕切れとしては何とも寂しい光景だった。
プリムラにすでに戦意はなくなっている。炎の鎧と盾は消え去り、制服姿の彼女がそこにいるだけだった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
俺は全身から噴き出る汗を拭う余裕すらなくなっていた。
辛うじて立っているのが精一杯で、一歩すら体を動かすことが出来ない。
精霊化は自動的に解けてしまった。
おそらく魔力が切れ掛かっているからだろう。
常に動き回っていた疲労も付け加え、ゼロショック一歩手前の今の状態はなかなかにきつい。
そんな俺をシルフィードが心配そうに覗きこんでいた。
俺はそんな小さな精霊に向けて笑いかける。うまく笑えていたかどうかはわからない。
苦笑しているシルフィードを見ると、あまりうまくは出来なかったらしい。
『よく、頑張ったのです……』
そう慈しむように囁きながらシルフィードは小さな手を俺の頬に添えた。
緑色の淡く優しい光がその手に宿る。暖かなその感触を感じながら、思わず俺は瞳を閉じた。
自分の魔力もそれほど残っていないだろうに、シルフィードは回復魔術を俺に唱えた。
回復魔術には疲労を癒す効果もある。呼吸は段々と楽になっていく。
俺にはありがたかったが、素直にそれを喜ぶことは出来なかった。
(精霊にとって魔力がないとかなり辛いだろ)
俺とシルフィードが再会した時も魔力の消耗で倒れこんだ程だ。
精霊にとって魔力は死活問題に繋がる。魔力がなくなってしまえば最悪消えてしまうだろう。
俺からの魔力供給も今は出来ていない。それなのに、とシルフィードに伝えた所で反応すらしてもらえなかった。
どうやら無視を決め込むつもりらしい。
時たま今のようにシルフィードは強情になる時があった。そうなったら梃子でも動かない。
幸い無理をして魔術を唱えているわけでもないみたいだった。
頑張ったのはどっちだよ、と俺は心の中で悪態をつきながらそのままでいることにしたのだった。
「もう降参か?」
シルフィードの魔術でどうにか動ける程度には回復した俺は、抜け殻のように佇んでいるプリムラに声をかける。
機敏な動きで魔剣を振り回していた人物とは思えない程の遅々とした動きでプリムラは顔をあげた。
生気のない顔だった。その瞳には燃えるような感情はなく、あまりに空虚だった。
顔を見せたのも束の間、プリムラは俺を避けるように顔を伏せてこう言った。
「……騎士にとって剣は命そのもの。剣を断たれた時点で私の負け、ですわ……」
プリムラのその言葉に観衆たちが沸く。
近くにいなければ聞き取れないような小さな声だったが、魔術でも使ってその声を拾っているのだろう。
プリムラの相方であるリラも気絶している。戦闘の続行は出来ないと見ていいだろう。
事実上の俺たちの勝利だった。
ちらりと治療しているはずのマリーを見れば、どうやらすでに治療は終えているようだ。
ちょうど担架でリラが運ばれている。
遠目からで詳しくはわからないが、マリーの様子を見るに大丈夫だったようだ。
そんなマリーは俺の顔を見てほっとした笑顔を見せている。
安心している所を悪いんだが、お前にはもうちょっと働いてもらいたい。
ちょいちょいと手招きをする俺にマリーは不思議そうに首を傾げながらも歩いてくる。
「マリー、お前にプリムラを治してもらいたい」
「……?怪我はしていないようだけど」
「そうじゃなくて」
思わず言葉が詰まる。本人を目の前にして言っていいことか迷ったからだ。
しかしプリムラは項垂れたままで微動だにもしない。
その様子を見て、俺は意を決してマリーに事情を説明した。
「精神異常を起こす魔術……それって本当?確かにちょっとおかしいとは思ってたけど、魔術が原因だなんて。
どうやって調べたの?」
「あぁ、俺のスキルでそういうのがあるんだ。間違いない」
魔力の色がわかるとか説明するのもいちいち面倒だったので省いた。
マリーは、ふーんそうなんだ。初めて聞いたよそんなのもってるなんて、と若干不満げな顔をしながらも納得してくれたようだ。
ぶつぶつと文句のようなものを垂れ流しながら、マリーはプリムラの元へと歩いていく。
マリーに好かれているのですね、とシルフィードの声が聞こえたが、あれのどこが好かれているんだ……。
無警戒に近づいていくマリーを俺は見送る。
すでに勝負は決している。危険なことはもうない。
そんなものはプリムラの言葉だけで支えられている、砂上の楼閣のようなものであったのに。
マリーが治療の手をプリムラに伸ばしたその時、強引にその手を胸元に手繰り寄せてはあっという間にマリーを拘束した光景を見て、俺はようやく間違いだったのだと気付いた。
「う……く、苦しい……」
「少し黙っていてもらえません?私はミコトとお話がしたいのですわ」
「……そんな状況で俺と何を話すっていうんだ」
プリムラは負けは認めはしたものの、体力も魔力も俺よりは十分に残っている。
マリーは必死に抵抗しているが、その首に差し込まれた腕が解けることはない。
「そうですわね。私、不思議に思っていることがたくさんありますの」
「……」
「例えばこんなに弱い女が貴方の隣に立っていること。どうせミコトの優しさに付け込んだのでしょうが。
それとも貴方が私を避けていたことにしましょうか。ああ、聞きたい事が山ほどあって困りますわ」
そう言って恍惚とした表情を浮かべる。その瞳の中には淀んだ情熱が漂っていた。
自分の頬に片手を添えながら笑うプリムラ。マリーの拘束は更に強くなり、顔が青くなり始めていた。
早く助けなければ命が危うい。強攻策をとろうにもそんな時間もなく、力も残っていない。
俺に出来るのは言葉を重ねていくことだけだった。
「お前は……今のお前が本当の自分だと思っているのか?」
「変なことを言いますのね。私は私ですわ。プリムラ・ローズブライド。
誇り高き騎士にして貴方の幼馴染。そして感動の再会を果たした幸運な人間ですわ」
口に出してからこれではダメだと悟る。
異常な行動を繰り返しているプリムラだが、これが魔術だけのせいだとは言えない。
精神魔術は根本がなければ効果を発揮しない。つまり、喜びや悲しみ、怒りや憎しみ。
元々その人にあった感情を誘導し、あるいは増幅させて操るのだ。
だから今のプリムラが本当じゃないというのは違う。今のプリムラもプリムラの一部には違いないのだ。
俺は攻める矛先を変える。
「今お前は誇り高い騎士だと言ったな。正道を往こうとする騎士が人質をとるような行いをしてもいいのか?」
「……ミコトを騙そうとしている悪い女ですわ」
「その女を盾にしないと俺とも話せないのか?解放してやれ」
「嫌ですわ。こうしないとミコトは何処かに行ってしまう」
「何処にもいかない。だから……」
「リヒテンの時のように貴方はいなくなるっ!私の前から消えていってしまう!それが怖いのですわっ」
悲痛な叫び声をあげて涙をぽろぽろと零しているその姿を見て、俺は胸を貫かれるような感触を覚えた。
プリムラにこんなにも想われていたと気付いたから、胸に響いたのだろうか。
……違う。これは俺の弱さだ。
「貴方たちがいなくなって、トレスヴュールの人たちも消えて、残されたのは私一人。
夢のように楽しかった日々が一夜にして崩れ去る。冗談だと思いたかったですわ。
……夢のままで終わらせたくなかった。もう一度、取り戻したかった。あの日々を、皆でいた日常を」
その時のことを思い出すように悲しみを深め、そして夢を見ているかのように幸せそうに笑う。
最後に決意を秘めた顔を見せる彼女こそ、俺が昔から知っているプリムラ・ローズブライドという少女だった。
「それから何年も探し続けましたわ。子供の足では満足に探すことは出来なくて、それでも懸命に。
大きくなってからは仮とはいえ騎士団にも入りましたわ。
父に憧れて、という意味も勿論ありましたけど、本当は力をつけたかったのですわ。
実力がつけば魔物が多いといわれる地域にだって足を運べるようになる」
それはやはり俺たちを探す為だったのだろう。
結果として俺は近くにいたのだが、そのような場所に他の誰かがいたとしてもおかしくはない。
「他人の力を借りようとは思わなかったのか……?」
「情報屋を雇ったことは何度かありますわ。それ以外では手を借りたことはありません」
「どうして?お前なら善意で手助けしてくれる人もいるだろう」
「……貴方が迷子の私をスラム街で見つけてくれたように」
まっすぐすぎるその思いが、
「私も貴方を見つけたいと思っていたからですわ」
俺はとても怖いと感じてしまった。
狂気に堕ちていた先ほどのプリムラ以上に、俺は今のプリムラに恐怖を覚える。
心がひん曲がってしまった俺にはプリムラはあまりに眩しすぎた。
無意識に後ずさろうとしていた足を意志の元に捻じ伏せる。
ここから逃げれば楽になるのかもしれない。でもそれじゃ何も変わらない。
ぐっ、と足に力を入れて俺は後ろではなく前へと歩いていく。
シルフィードを受け入れたことのように、俺は前に進むべきなのだ。
他人と触れ合うことはとても怖いことだけれど、触れ合うことで得られるものもある。
大切な人に教えてもらっていたこと。
そんな些細なことを俺は忘れていた。些細でいて、とても大切なことを。
俺はプリムラの目の前までくると、マリーを拘束していた腕を掴んだ。
何をするのか見守っていたプリムラは、それだけで途端に力を抜いて腕を俺に預ける。
マリーは拘束からなんとか抜け出したものの、激しく咳き込んで座り込んでしまった。
悪いとは思いつつも、今、プリムラから目を逸らすことは出来ない。
「……覚えているか、リヒテンにあった噴水場のこと」
「……ええ、覚えていますわ。私にとっても思い出深い所ですもの」
「あの時、俺が言ったことも覚えているか?」
「もちろん!私と友だちになろうと言ってくれましたわ!だからずっと、今もこうして……」
「俺とお前はもう友だちじゃない」
「…………え?」
俺に預けていた腕も強張り、その表情からは全ての色が消えていた。
俺は心苦しさを感じながらも言葉を止めることはしなかった。
精神魔術を解くには回復魔術だけではなく、強いショックを与えることで正気に戻ると聞いたことがある。
だから、というだけではなく、俺は俺の本心をプリムラに伝えようとしていた。
「俺は友だちを簡単に切り捨てようとする奴を友だちだと思いたくない。
俺は相手のことを思いやらず、自分の欲求だけを強いろうとする奴を友だちだと思いたくない。
俺は邪魔者だと決め付けて、俺の周りにいる奴を傷つけようとする奴を友だちだと思いたくない」
「そ、それは……」
うろたえて何か言いそうになったプリムラに俺は言葉を被せた。
「それに俺は変わってしまったんだ。俺は以前の俺とは違う。色んなことがあった。
……本当に、色んなことがありすぎたんだ。こんな場所では語りつくせない程にたくさん、たくさん……。
だから俺とお前は友だちじゃなくなった」
「どうしてそんな悲しいことを言うんですの?私のこと、いじめているんですの?
友だちじゃなくなっただなんて言わないでくださいまし」
「それが本当のことだから」
「……う、うう、うぅぅーー!!」
プリムラは俺の手を振りほどいて、涙目で俺を睨みつける。
子供のような反応。傍目には情緒不安定としか見えないだろう。
だが俺の目にはプリムラの中にある紫色のモヤが激しく揺らいでいるのが見えていた。
「私は!ミコトの友だちですわ!誰が何と言おうと、それは私が認めていますわ!絶対にっ、絶対に!」
「それは終わったんだよ、プリムラ」
「やー!そんなこと聞きたくないっ。ミコトのいじわるっ。いじわるーー!!」
終いにはその場に座り込んでプリムラは泣きじゃくり始める。
俺は屈んでプリムラと視線を合わせつつ、優しく、思い出の中にあるミライのように優しくプリムラの頭を撫でた。
その感触にしゃくりを上げながらプリムラは顔を上げた。
涙に濡れたその顔はなんとも幼くて、あやすように俺は笑いかけた。
「だから最初からやり直そう」
「みこと……?」
「俺もお前から逃げ出していた。昔のことを思い出しそうで嫌だったから。
お前も……ちょっと暴走しちまったな。それはお前のせいだけじゃないけど、周りにたくさん迷惑かけた。
でもどっちも取り返しの付かないことじゃない」
「……うん」
「お互いにごめんなさいして、迷惑かけちまった人たちにもごめんなさいして、それから……」
「それから?」
相変わらず俺には友だちの作り方なんてわからない。自然に友だちを作るなんて出来ない。
だからまた俺はこうして言葉にするんだろう。
「もう一度、友だちになることから始めよう、プリムラ」
「……うん!」
きらきらと涙の粒を零しながらも、その顔は輝かんばかりの笑顔に満ち溢れていた。
邪な精神魔術がその輝きに敵う筈もなく、プリムラの胸の中から消え去っていく。
こうして一連の騒動は幕を閉じた。
魔術学校のナンバーワンと期待の新人と噂されている俺との決闘はかなり注目されていたらしく。
後々になっても壮絶な戦いであったとして、噂の種として欠かせないことになったらしい。
そして事の真相がその噂に含まれることはなかった。
プリムラの名誉の為にもそれは望む所だったのだが、ある人物に貸しを作ることにもなった。
無茶なお願いをされなければいいのだが。
そうして決闘騒ぎもひとまずの落ち着きを取り戻した数日後のこと。
俺の靴箱の中に手紙が入っていた。告白の手紙だとか、勧誘の手紙は腐るほどあった中に埋没していた一枚。
差出人の名前すらなく、俺にアピールするような装飾の一つすらない。
異彩を放っていた手紙に興味を惹かれ、俺はその場で開封することにした。
「……へぇ?」
中身を見た瞬間、知らずに俺の唇の端があがった。
その手紙の内容は、決闘の真実を知っている、と書かれていたから。
プリムラに魔術をかけたクソヤロウが仕掛けてきたか。
俺は直感的にそう感じ、罠だと思いつつも指定された場所と時間に足を赴かせることにしたのだった。