第八十六話 接近戦
プリムラは成り上がった貴族とはいえ、騎士の家系にあたる。
父親は国王に実力を認められた者であり、精鋭たる騎士たちの団長。
帝国一の騎士として噂に名高い。そんな立派な父の娘として、誇りをもっているのだろう。
それでなくとも真剣勝負の最中に手加減をされていい気分になる者はいない。
それでも俺に手を止めたことによる後悔はない。
今の俺が欲しいものは決闘の勝利でも、プリムラを倒すことでもないからだ。
「もうやめよう、プリムラ。これ以上戦う意味がない」
言葉を重ねることが無駄だと知りつつも、俺はそう口に出していた。
案の定、プリムラは強く歯噛みしながら上体を起こして俺を睨みつける。
未だ体力は戻っていないだろうに、気丈に胸を張っていた。
「意味がない?それは私と戦っても絶対に勝てるからさっさと諦めろ。そういうことですの?」
「違う、そうじゃない」
「……対等ではないから私を選ばないのですわね」
俯いて何かを呟くその声は観衆たちの声にかき消された。
そしてプリムラはその瞳に決意の光を宿して顔をあげる。
「本気を出さないというならその力を引き出して見せますわ。それが私を認めることに繋がるのなら!」
「プリムラ、俺の話を聞いてくれ!」
「今更……話なんてものは貴方から拒絶したのですわ!!」
「……ッ」
プリムラは精神魔術によって心をかき乱されていた。
これまでの異常ともいえる行動もそいつのせいだろう。
だがしかし、その時の彼女は魔術に操られたものではなく、本心を告げているように思えた。
きっ、と俺を睨むプリムラの顔には何処にも狂気は現れていない。
そこにいるのは等身大の彼女だった。
俺がプリムラを避けていたのは紛れもない事実だった。何も言い返すことは出来なかった。
これで話は終わりだとでも言うように、プリムラは魔剣を振りかざす。
魔剣から巻き起こった炎は鎧へと移り、破損していた箇所を瞬く間に修復していく。
空いた左手を持ち上げれば顕現する炎の騎士盾。
堂々たる姿でプリムラは完全復活を遂げる。
ど派手なパフォーマンスに観衆は沸き立った。
妖精の羽を持つ俺と烈火の騎士との戦いは佳境を迎えていく。
どちらが勝つのか、どちらが負けるのか。否応なく高まる熱気に人々は魅了されていった。
熱狂の原因である俺たちの間には冷たい空気が漂うままに……。
「…………」
言葉もなくじりじりと詰め寄るプリムラは大きな騎士盾を構えていた。
体の大部分を隠しながら右手に持つ魔剣の太刀筋さえも読めなくさせる。
盾の向こう側の表情にはもはや敵意しか残されていなかった。
『ミコト……』
(わかっている)
これ以上何かを言った所でプリムラの心には届かない。
俺は苦い顔をしながらも無形の風を片手に携える。
剣の形を成した風を手にすると同時、プリムラが距離を詰めてきた。
高速思考はすでに起動している。
だからその初動も正確に捉えていたが、その速度は疲労なんてものは感じさせずより速くなっていた。
盾を前面に押し出して盾ごと体当たりを仕掛けるシールドチャージ。
例え俺に攻撃されようとも一歩も引かないという気概がそこには感じられた。
俺の剣では止めることすら出来ない。そう判断した俺はその場から飛びずさった。
「っち!」
思わず舌打ちをしてしまったのは、プリムラの魔剣による飛翔する斬撃が追撃をかけていたからだった。
魔術による牽制を撃つ余裕すらない。
詠唱の必要がないあの攻撃は魔術よりもワンテンポもツーテンポも早い。
無詠唱といえど魔術には魔力を練り込み、それを術式に注ぎ、制御するという工程がある以上どうしても即効性に欠けてしまう。
これが魔術師が近接職に弱いとされる理由のひとつ。
勝とうとするならば遠距離からの圧倒的な火力で捻じ伏せるしかない。
飛翔する斬撃は四つ。それも一呼吸の間すらなく連なっている。
避けるという選択肢はない。斬撃の後ろからプリムラが迫ってきているからだ。
例え近距離戦に持ち込まれたとしても、アドバンテージをそのままとらせるわけにはいかない。
怒涛の攻めで俺に二重詠唱を使う暇を与えない、というわけか。
(シルフィード!)
『任せるのですよ!』
俺は左手をかざして、魔術の制御をシルフィードに任せた。
魔術に関しては悔しいが、俺よりもシルフィードの方が熟達している。
魔力そのもので出来ている精霊に対抗しようと考えているのが、そもそも馬鹿げているのかもしれないが。
シルフィードは俺が期待していた通り、合計三つもの斬撃を魔術によって逸らすことに成功する。
俺の背後から爆炎が上がり熱波が背中をうつ。
無詠唱による下級魔術では相殺することは出来ないと判断したのか。
最後に迫り来る飛翔する斬撃を目にしながら、俺は舌を巻いていた。
精度といい魔力の練り込みといい次元の違うレベルの高さだ。
俺なら無理やりに魔力を高め、フィーリングブーストによる馬鹿正直な真っ向勝負を挑んでいただろう。
「おらぁ!!」
馬鹿なら馬鹿らしく、残った最後の一つに俺は風の剣を振り下ろした。
触れた直後に爆発して燃え広がろうとする炎を、左手で顔だけをガードして突破する。
めちゃくちゃ熱いが一瞬だけなら我慢もできる。
無茶の代償を支払えば相応の見返りが……とはいかないかっ!
爆炎を潜り抜けた先には更なる試練が待ち受ける。むしろそれこそが本命。
視界もままならないその隙を狙ったかのように、いやらしい角度の袈裟斬りが襲い掛かる。
俺は風の剣の腹をどうにかそれに合わせた。くそ重てぇ!!
凄まじく重い感触と魔剣から発せられる熱に腕があぶられる。
じりじりと汗をかきながら、直近から俺を見下ろすプリムラの端正な顔と対面した。
「っぅ……やるじゃねぇか、プリムラ」
「…………」
右手だけで魔剣の一撃を支えるものの、同じ片手同士だというのに押し返せる気がしない。
ぎりぎりの拮抗状態に持ち込むのが精一杯で、軽口でも叩いて隙を誘おうとしたが無駄のようだった。
よっぽど腹に据えかねているのだろう。今までにない無反応さに本気が窺える。
風の剣と魔剣との競り合いは勝負がつかないままに次へと移っていく。
ふっ、と魔剣からの圧力がなくなったかと思うと、俺は腹に強力な一撃を貰っていた。
その一撃がくるとわかっていても避けられない。女が放ったとは思えない蹴りだった。
「なる……ほど。体術も使えた、わけだ」
剣の重心移動が巧みで体が思わず流されてしまい、結果として避けられない攻撃を貰ってしまった。
痛みによる覚悟はしていたので幾分かマシではある。
骨や内臓はやられていないだろうが、十分に痛い。くそったれっ。
「私に手加減はいらないでしょう?私は貴方の隣に立てますわ。一緒にいられるんですわ」
俺は咳き込みながら顔をあげた。
俺の言葉には無反応だったのに、プリムラは自分に言い聞かせるようにそう呟いていた。
また精神魔術の影響が出てきたのか。焦点の合わない瞳がどうにも危うい。
そんなプリムラの姿を見ているだけで術者に対する怒りが再燃する。そんなことをしている場合ではないとわかっているのに。
プリムラはひとしきり呟いてから再び攻勢に入る。ひたすら前へ前へと攻撃を仕掛けてくる。
余計なことを考えていては足元をすくわれる。
俺は即座に思考を切り替えてブーストをフル稼働させた。
おそらく身体的に比べるのなら俺の方が勝っていることだろう。
精霊化した俺の体とシルフィードの補助がある現状、機動力では確実に上。
しかし数値に表れない技術という面では圧倒的に不利な立場に追いやられている。
これがプリムラの本気か……っ。
「はぁぁぁ!!」
プリムラの攻撃の一つ一つが計算されたかのように無駄がない。
時にはフェイントを織り交ぜ、緩急もつけられてはいくら高速思考で見えているとはいえ、体がついていかない。
本命がどれであるかわからずに翻弄されてしまう。
無論、隙が完全にないわけではない。反撃の機会は訪れるが、あの騎士盾によって簡単に防御されてしまうのだ。
次第に体に刻まれる傷を増やしながら、冷静に思考する。
あの盾を突破しようとするならば……。
俺はプリムラの斬撃を剣で受けつつ、そのまま勢いを殺さずに吹き飛ばされた。
空中を体が舞う。観衆たちからは悲鳴のようなものが上がるが、プリムラは騙されないだろう。
俺が間合いを離す為にしたことだと気付いているはずだ。
プリムラがとる選択肢は二つ。
飛翔する斬撃を使うか、直接自分が追撃をかけるか。
俺は高速思考を使い、僅かな滞空時間の間にプリムラがどう出るのかを見極める。
プリムラは……自分でくるか!
「いくぞ!!」
『はいなのです!』
それはプリムラに向けたものでもあり、シルフィードに向けたものでもあった。
背中の羽を使い空中で体制を整える。浮くことは出来ないが、このぐらいならば造作もない。
足を地に着けた頃には後数歩もすればプリムラの魔剣の間合い、という所まで詰め寄られていた。
俺は左手をかざし、シルフィードが無詠唱の下級魔術を行使する。
プリムラには通用しない。それはわかっている。これは牽制目的でもなく、次の手への布石だった。
しかし、回避されてしまえば意味もなくなる。
それだけは賭けになってしまったが、幸運にもプリムラは炎の騎士盾で受け止めた。
その程度の攻撃ではあの盾を破れるはずもなく、あっさりと下級魔術は消え去った。
(今しかない!)
俺は風の剣を両手に持ち直して突貫する。背中の四枚羽を駆動させ、更なる加速を得た。
このまま激突しても構わない。そんな速度で迫る俺をプリムラは冷静に観察していた。
出鼻を若干くじかれたプリムラは迎撃よりも防御を選んだ。
騎士盾を使い万全なる防御体勢をとる。たやすい攻撃では打ち破ることは叶わない。
風の剣は炎の盾に弾かれ、体勢を崩していた所にプリムラのカウンターが入る。
それはさっきまで繰り返していた光景だった。
プリムラはそうやって俺の体力をじわじわと奪っていくつもりなのだろう。
身体能力を活かして直撃を避け続けているものの、いつかは必ず捉えられる。それは時間の問題だった。
だが、そうはさせない!
俺はぐっ、と力強く風の剣を握りながらプリムラの懐に飛び込んだ。
相手の息遣いさえ感じられる至近距離。
スローモーションのように流れる時の中で束の間、視線と視線が合わさった。
その時に俺は何を感じていたのか、何を思っていたのかわからない。
ただ無心に。俺は風の剣を下から切り上げたのだった。
「!?」
どんな攻撃を繰り返しても不動だったプリムラの防御に初めて亀裂が走る。
炎の盾は風の剣を弾き返すことが出来ず、逆にプリムラの腕ごと跳ね上げたのだった。
プリムラは信じられないとでもいうように目を見開いていた。
「くっ……」
無防備になったプリムラに俺は攻撃をすることが出来ない。いや、出来なかった。
両手に持っていたにも関わらず反動が思った以上に強く、まともに剣が振れなかったからだ。
剣が使えないのであれば魔術なら。
しかしその判断に到るまでが遅すぎた。
時間にして一秒もない迷いだっただろうが、プリムラが平常心を取り戻すには足りたようだ。
盾がなくとも右手にある魔剣は残っている。
不十分な体勢で魔剣を横薙ぎにするプリムラ。そこに威力なんてものはかけらもなかったが、俺を追い払うには十分だった。
「……どんな手品を使いましたの?ミコト」
後退した俺を追いかけることなく、プリムラは訝しげに顔を歪めて俺に訊ねる。
しびれを両手に感じていることをひた隠しながら、俺は不敵に笑った。
「教えるわけないだろ。ばーか」
俺の簡単な挑発にあからさまに不機嫌な顔になる。
思わず打算なく本当に笑ってしまいそうになる。こんな所は変わっていないらしい。
今までにないことが起きたことにプリムラは警戒心を高めている。
俺がプリムラよりも得意とする魔術が使える中距離だというのに距離を詰めてこない。
さすがに二重詠唱を使おうとするなら別だろうが……。
『どうやらうまくいったようなのですね』
シルフィードの明るい声に心の中であぁ、と短く返した。
俺がさっきしたことは別にそれほど特殊なことではない。俺に備わっていた能力を確かめただけのことだ。
Exクラス、連携術士。そのスキルであるコンボ。
それが魔術だけではなく、他の攻撃でも効果を発揮するのかが知りたかった。
結果はご覧の通りだ。
普通の攻撃でもシルフィードの攻撃を事前に挟めば、威力が飛躍的に上がる。
色々とまだ検証しなければいけないことは多いものの、この状態の俺であれば有効に活用できる。
ただうまく使わないと自滅することになるだろう。
感覚が戻ってきた両手を確かめながらそう思う。
二重詠唱をこれと合わせて使うのも危険だ。あまりに不確定要素がありすぎる。
もしものことを考えると使えないだろう。
(魔物相手だったら無双してやるところなんだがな……。全く、厄介なことになった)
落ち着くために大きく息を吸い込んでは吐きながら、風の剣を右手に持ち直す。
左手はスキルのことを考えると自由にしていた方がいい。
シルフィードに魔術の方は任せると声をかければ、頼もしい(本人はそう思っている)声で、はいなのです!と応じた。
本当に頼りにしてるぜ……俺だけじゃプリムラを助けられない。
プリムラを元に戻す方法はわからない。
マリーにでも聞けば回復させる魔術を知っているかもしれない。
そうするにはまず、このお嬢様を大人しくさせないとな。
手のしびれが完全になくなったのを確認するや否や、俺はシルフィードの力を借りて風を切って駆け出した。
機動力で劣るプリムラは無理に対抗することはしない。騎士盾を構えて迎え撃とうとする。
一度、防御を崩されただけではその自信は少しも揺らいでいないのだろう。
(なら鉄壁のガードをその自信ごと、俺が完膚なきまでに打ち砕いてやる!!)