第八十四話 二人の誓い
シルフィードが仕掛けた魔術自体には実の所威力はないに等しい。
相手を真下から吹き飛ばすだけの魔術だからだ。
落下時の衝撃は無視が出来ない手痛いものだが、リラのように魔術が使える相手なら回避の手段はいくらでもある。
しかしまさかプリムラのように強引な手段をとる者は、この学校には一人としていないだろう。
「こんなものお遊びにしかなりませんわよっ」
プリムラは自分の足元に両手で魔剣を突き刺し、人の体が易々と吹き飛ぶ風圧に耐えていた。
炎の盾はいつのまにか消え去っている。
さすがのプリムラも片手では風圧に耐えられないと判断したのだろう。
ラピッドボムは瞬間的に強力な突き上げる風を出すだけであり、その効果時間も短い。
数秒も経たずに効果はなくなってしまう。
事前にこの魔術を見ていたとはいえ、プリムラのその判断と反応速度には舌を巻く。
それに状況は圧倒的にプリムラが有利だった。心理的な油断もないということだ。
「地雷原でも敷いたつもりですの?こっちにはこれがありますの……よっ!」
声をあげながら魔剣を振りかぶる。
確かにプリムラには近距離だけではなく、遠距離から攻撃できる手段も持っている。
しかし。
「これは……!!」
プリムラは驚きの声をあげて思わずその手を止めてしまった。
何故ならプリムラが飛ばした斬撃が主の命令にでも背くように逸れていったからだ。
俺は別に何もしていない。そしてシルフィードもすでに俺の元にいる。新しい魔術を唱えているわけでもない。
簡単な話だ。ラピッドボムは人にだけ反応するわけではなかった。
どうやら術者の定義付けによって条件を変えることが可能らしい。
なるほど、これなら俺たちが無防備な状態になったとしても盾の代わりをしてくれるだろう。
「……うふふ。茨の道、とでも言うべきなのかしら。いいですわ。
ならその道を歩き、血を滴らせてでも貴方の元に辿り着いて見せましょう」
壮絶な笑みを浮かべながらプリムラはトラップがひしめくフィールドを歩き始める。
その様子からして、どうやら他の魔術は使えない、もしくは使わないらしい。
地面には多くのラピッドボムが仕掛けられている。時間稼ぎは十分に出来るだろう。
あえて地雷を無視して上から攻めてこないのは他の魔術を警戒してか。
いや、あの顔からして試練を受けているような面持ちなのかもしれない。
ならばそれはそれでいい。存分に利用させてもらう。
「シルフィード」
除々に迫ってきているプリムラを目にしながら、俺は声を発した。
それは心の声で語るものではなかった。彼女にはわざわざ声に出さなくとも思うだけで伝わる。
なんでだろうな。俺は自分で不思議に思いつつもシルフィードが微笑んでくれたから、どうでもいいと思った。
『ミコト』
俺たちは互いの名前を呼び合う。
目の前に浮かんでいる小さな精霊だけを見詰める。
思えば俺はこの時になってようやく、シルフィードと正しく向き合ったのかもしれない。
その時には懸命にリラを治療しているマリーのことも、観衆たちの視線も気にならなくなっていた。
俺はシルフィードに向かって右手の……銀色の指輪がつけられている手を伸ばした。
俺たちが今からすることは、あの時の再現だ。ミライを失ったあの日、途方もない力を俺は手にした。
魔法を従える圧倒的な力。俺が目指している誰にも負けない力。
それを独力で手にしようとしていたのに、今はこうして自分以外の手を借りようとしている。
そこに俺は浮き立つような感覚を覚えていても、不快感を感じていなかった。
シルフィードはおずおずと小さな手を伸ばす。
少女の胸に抱いているのは不安。本当にそんなことが出来るのかという疑い。
自分から提案してきたというのに、この土壇場になってそんなことを考えている精霊に苦笑する。
あまりに手の進みが遅いものだから、俺からやってやろうかとさえ思った。
だがそれはしない。
これは自分の意思でしなくてはいけないと思っていたから。
そうして胸に不安を抱きつつも、シルフィードの手は一度として止まらなかった。
合わさる手の平。俺は自然と頭の中に浮かび上がった言葉を口に乗せる。
感覚的に俺は理解した。これは魔法なのだと。
『風の大精霊たるシルフィードよ』
あの時と変わらない小さな手の平から優しい風の如き魔力が伝わってくる。
魔力が循環を始めていた。ぴくりと一瞬だけシルフィードの手が震える。
俺の魔力はシルフィードにどう伝わっているのだろうか。
『その身に宿るあまねく力を顕現し……』
頭の中に描かれる言葉をそらんじる。
自分でははっきりと声にしているつもりでも、俺の耳に入る音は歌のようにも聞こえていた。
魔法の有り様は魔術とは全然違う。
魔術には始めから形というものがあり、そこに魔力を流し込むだけでよかった。
それが魔法となればなんと難しいことか。全てを自分でコントロールしなければならなかった。
一瞬でも気を抜けば暴走をしてしまう。たった二節、口にするだけで疲労を感じる。
一体俺はどうやってこんなものを操っていたのかわからない……。
詠唱が途切れそうになる俺を支えるかのように、そっと手の平が押される。
気付いている?貴方は一人じゃないんだよ。
そんな言葉にならない声が聞こえてきた気がした。
いつの間にか閉じていた瞳をあければ、そこには小首を傾げて柔らかに微笑むシルフィードの姿。
あぁ、そうか。そうだな。俺はまた一人で突っ走ろうとしていた。
すまない。お前の力も貸してくれ。シルフィード。
言葉にせずともそれは伝わったのだろう。満面の笑みをもってして小さな精霊は応えた。
『貴方の行く末に立ちはだかる者たちに、立ち向かう為の力を』
シルフィードは自らの言葉で歌を引き継ぐ。
それはミライが紡いだ安らかな祈りの歌とは違う。復讐に取り付かれた怨嗟の歌とも違う。
隣に並び立つ者に力を、勇気を与える歌。
体に流れ込んでいる魔力を俺は自分だけのものだと思わない。屈服させようとも思わない。
故に最後を飾る言葉は二人の言葉となる。
そこに汚泥の如き憎しみは存在せず、悲しみを呼び起こす一方的な契約でもない。
契約はすでに成された。それを変える事は出来ない。
だからこれは誓いだった。俺と小さな精霊との誓い。
手を取り合って戦うと、俺は!!
『『ここに現せ!!』』
「もう少しで貴方に辿り着き……きゃっ!?」
プリムラは可愛らしい声をあげて驚く。俺の……俺たちの魔力をその肌で感じ取ったのか。
本当に後少しという所までプリムラは接近していた。ラピットボムも残り数個という所だ。
飛翔する斬撃を数発打たれていたら危なかった。
彼女は魔力の元を探すように顔をあげ、そうして俺たちに視線を縫い付ける。
呆然としているその顔は俺の背中にある羽のせいだろう。
緑色の淡い燐光を放つ四枚羽。シルフィードの小さな羽をそのまま大きくしたようなそんな羽だった。
これは一か八かの精霊化に成功した証でもある。
観客たちからは、ほぅ……、という感嘆のため息も聞こえてくる。
「きれい……」
ぽつり、と漏れ出た声は近場から。プリムラだった。
彼女も同じようにその羽に魅了されているらしい。良かったな、シルフィード。大人気だぞ。
それは私だけのことではないのですよ、とため息をついてわけのわからないことを言いつつも、満更ではない様子だった。
姿形さえシルフィードは見えなくなっているが、確かに俺の中に彼女は存在している。
どうやら特に不都合もなさそうだった。
そう安心していた俺だったが、それに釘を刺すようにシルフィードの声が頭に響いた。
『うまくいったようなのですが、私の力がまだ戻っていない影響で色々と使えない力もあるのです』
一度自分のステータスをちゃんと見てみるといいのですよ。
そんなシルフィードの声に従って俺はアナライズを自分にかけることにした。
幸いまだプリムラは動けないようだったからちょうどいい。
名前 … ミコト
性別 … 男
種族 … ハーフエルフ
状態 … 精霊化
Exクラス … 連携術士
サブクラス … 大精霊シルフィード
L V … 1
H P … 364 / 404
M P … 2280 / 3380
STR … D+
VIT … D
AGI … C+
INT … E
DEX … B
S L … 高速思考・デュアル△
覚醒・トゥルースサイト
フィーリングブースト
エレメンタルアブソーブ
ミラージュシルエット
風の加護
森羅万象
最初に目に付いたのはスキルの欄だ。
エレメンタルアブソーブ、ミラージュシルエット、風の加護が灰色になっていた。
つまりは使えない、ということだろう。
順に自己MP回復、完全回避、自動防壁となかなかにチートな能力だっただけに使えないのはおしい。
次に以前の記憶が確かなら、ステータスの伸びが少し悪いような気がする。
これもシルフィードが本調子でない影響なのだろうか。それでもINTがG-からEに上がっているのは少し驚いた。
最底辺から一般人レベルに上がっているだけでも大したものだろう。
俺はG-でもスキルのアシストがいくらかあるからいいが、何もない者だとおそらく初歩の下級魔術を使うのにも苦労するはずだ。
後は……俺はクラスを習得していたから、そこもどうなるのか興味はあったが、まさかのサブクラスである。
大図書館の知識を日々吸収している俺でも聞いたことがない。
大精霊という肩書きよりも上にあるExクラスってすげぇと思えばいいのか。
それとも案外大精霊って大したことねーなと思えばいいのか悩む所だ。
(でも、これで戦える……)
『プリムラをやっつけて、正気に戻すのですよ!』
密かに頷きながら拳を握り締める。
あの時のように圧倒的な力は感じない。でもあの時とは違った力も感じている。
「何か見た目だけではなく、何かが変わったように感じますわ……」
「お前にもわかるか?」
「えぇ。とても綺麗で可憐で……その上で力も備わっているなら申し分ないですわ。
貴方に今、何が起こりましたの、ミコト?」
「さぁな。俺もうまく説明できない……が」
綺麗と可憐はいらん。
文句のついでに教えてもよかったのだが、きっとプリムラは理解することはできないだろう。
なら、実際にこの力を見せたほうが手っ取り早い!
光る四枚羽を駆動させ、ブーストを起動する。
以前は軽々と宙をこの羽で舞っていたが、どうやらそこまでの力は取り戻せていない。
だが地を走るだけなら十分だっ。
初動は一瞬。身を前に屈めるや否や爆発的な推進力を得る。
背中を誰かに力強く後押しされたかのような感覚を引き連れて、目にも止まらぬ速さで駆けた。
「速い!?」
「っらぁ!」
プリムラの懐に飛び込むまでには魔法である無形の風を発動させていた。
本来ならどんな形にでも変容する風を凝縮させて武器とする魔法だったが、どうやらこいつも制限を受けているようだ。
今は剣にしか変化させることが出来なかった。それもこの場面だとちょうどいいが、なっ!
がむしゃらに速さだけを乗せた剣に、プリムラは巧みに魔剣をあわせてきた。
それは受身の剣だったが、反応できるだけでも驚くべきことだろう。
風と炎。魔法の剣と魔術の剣がぶつかり合う。
「くぅっ!?」
拮抗したのも僅かの間だけ。弾き飛ばされたのはプリムラだった。
技もなにもない俺の一撃だったが、それを補うほどの加速力がついている。
たたらを踏みながら後退していくプリムラに向けて、俺は犬歯をむき出しの笑みを見せる。
「今のでわかってくれたか」
「……えぇ。存分に堪能させてもらいましたわ」
そう言う割にはプリムラの顔は少しも笑っていなかった。
無言で炎の盾を左手に生成するプリムラの雰囲気が変わっている。
どうやらあっちも本気を出してくる、ということらしい。
いいね、さっきまでのお前よりその姿の方がずっといい。
油断なく構えているプリムラに俺は無形の風を両手に持った。
奇襲に近い形で押し切ることはもう出来ないだろう。無策で突っ込めば盾で弾かれ、右手の魔剣で切り裂かれる。
剣を習っていない俺では打ち合うことも難しい。あぁ全く、厄介な相手だよ、お前は。
それでも勝つことが不可能だと思わない。
だって俺の中にはちっちゃいのにやる気満々の精霊が息巻いているもんでな。
その契約者でいる俺が弱気になるわけにはいかないよな。
(じゃあ、行こうぜ。シルフィード!)
『行くのですよっ。ミコト!』