第八十二話 信じる、ということ
勝ち目が薄いから、二重詠唱が通じないからといって勝負を諦めるわけではない。
むしろあの姿になってからが本番だと思っていた。
燃え盛る戦乙女のような格好は見た目だけではないだろう。
フィーリングブーストで強化し、更に二重詠唱を重ねた俺の魔術は観衆がどよめくほどのものだった。
それを無傷で防いだのだ。
さすがにダメージの一つでも負うかと思っていたのだが。驚嘆すべき防御力だった。
昔語りを終えたプリムラは満足気な笑顔を浮かべる。
俺はとりとめなく相槌を打つだけだった。元々時間稼ぎとしか見ていない。
その間にある提案を持ちかけてきたシルフィードに、俺は心の中で懐疑的な声を投げかけた。
(……それは可能なのか?)
問いに対する返答はなくとも、シルフィードから伝わってくる感情は肯定を示していた。
精霊契約で結ばれた俺と小さな少女の間には嘘というは通じない。
それでもその話を容易く鵜呑みにすることは出来なかった。
「うふふ。こんな話ももう少ししたら思う存分に出来ますのね。
さぁミコト。やりあいましょう?戦いましょう?二人の未来の為にッ」
シルフィードの提案をじっくり考える余地も、その言葉に反論する暇もなく……。
プリムラは一息すらつかない時を使って一気に距離を詰めてきた。
これまでとは訳が違う爆発的な加速力。身体能力も向上しているってわけかよっ。
「はぁぁ!!」
裂帛の気合が込められた斬撃をどうにかかわす。
高速思考のタスクを全て戦闘に向けているというのにぎりぎりだった。
冷や汗を垂らしながら後ろに下がろうとするが、今度は左手に持っていた炎の盾を殴りつける要領で追撃してくる。
どこぞの騎士が持つような見た目でプリムラの半身を隠すほどに大きい盾だ。
魔剣とは違い重さという概念がないのか、軽々と振り回していた。
咄嗟に風の下級魔術をプリムラに向けて放つ。
この程度ではプリムラに効かないのは承知の上。本命は風の力を利用して自分の体を飛ばすことだった。
こういう時に限っては自分の小さな体が役に立った。なんとかプリムラの間合いから離れることに成功する。
「逃がしませんわよ!」
そう思っていたのも束の間、プリムラは剣の届かない間合いだというのに振りかぶる。
いや、違う。これはさっきみたアレだ!
無理やり距離を空けたせいで体勢を崩していた俺は回避は諦め、魔術障壁を展開する。
障壁の範囲は前方百八十度。
強度は俺の体をカバーする範囲だけを出来るだけ厚くし、残った部分は多少薄くても構わない。
あれはぶつかった後でも燃え広がる性質がある。
前だけを重点的に守っても、広がった炎が俺を焦がすことだろう。
高速思考による絶妙な采配をしながら魔力を注ぎこんでいく。
プリムラは虚空に向かって鋭い斬撃を放つ。一度、二度!三度!?
くそ、連続でも撃てるのか!
守りを固めていた俺に向かい、合計三つの炎の斬撃が飛び込んでくる。
あまりに速度が速すぎて即座に切り替えることなんて出来なかった。
ただ障壁を強くすることだけに集中する。
障壁に一発目がぶつかる。重い。地面に足をつけているというのに、それだけで吹っ飛びそうな程だ。
重みに耐え切れず足が一歩、後退した。それと共に炎は燃え広がり、視界を真っ赤に染め上げた。
障壁越しだというのに熱は容赦なく俺にまで伝わってくる。
片目を瞑りながらもどうにか耐え凌ぎ、削れた魔術障壁を修復する間もなく二発目がぶち当たった。
炎が燃え広がっている轟音を耳にしながら、ピシリ、と嫌な音が聞こえてきた。
体を押し流されつつも障壁はまだ健在。しかし、ひび割れた障壁の命はろうそくの灯火よりも儚かった。
最後の一撃は容赦なく命を摘み取る。
「くっ……ぁぁあああああ!!」
三発目に拮抗したのは一瞬だけ。障壁はガラスが割れたような音を響かせて消滅し、炎の斬撃が俺に直撃した。
熱い、熱い、熱い!
頭の中に占めるのはそんな情報ばかり。
それでもなけなしの冷静さで水の魔術を使い、体に広がっていく炎を鎮火させる。
グリエント魔術学校の制服は安全面を考慮し、魔術に耐性が出来る丈夫な布で出来ている。
ちょっとやそっとのことじゃ破れないし、切れない。魔術も低級のものならば打ち消すという高性能な服だ。
それがたった一度。たった一度の攻撃でぼろぼろになっていた。
ぷすぷすと煙があちこちからあがっている。自分の焼ける匂いに吐き気を催す。
特に重症なのは障壁を展開する為に前方にかざしていた両手だ。
手首から肩の部分までの服は燃え落ちて、腕自身も重度の火傷を負っていた。
思わず地面に膝を付いてしまった。まだ戦いは終わっていないというのに。
「ミコト」
呟くような声は頭の上から聞こえてきた。痛みに顔を顰め蹲っていた俺は顔をあげる。
炎の鎧を纏ったプリムラがそこにはいた。
涼しげな顔でそこに俺を心配している様子は欠片もない。
「もう終わりかしら?」
魔剣の切っ先を俺に向けながらプリムラはそう言った。
当然のように、当然の顔をして、自分が上にいるのだと。
それが気に食わない。死ぬほど気に食わない!
強さがあれば何でもしていいのだと、そう思っているのだろう?
お前の態度が物語っている。数々の言葉がそれを証明している。
そんなものに絶対に屈したりしない。理不尽を許したりしない。
「終わりのはずがないじゃないですか」
「そうは言っていますが、その状態でまだ戦える……っ!?」
『やらせないのですよ!』
プリムラの言葉が途切れる。その原因を作ったのはシルフィードだった。
果敢にもシルフィードはエアハンマーを唱え、その手に携えながら特攻したきたのだ。
詠唱すら聞こえない、姿さえ見えない精霊の攻撃をプリムラは直感的にだろうか、すんでの所で回避した。
(避けた?何かしらセンサー的なものでもあるのか。それに避ける必要があるのか?
俺の二重詠唱のウィンドブラストでさえ無傷だったのに。
……あの時は視界が遮られててよく見えなかった。何か重大な点を見落としている気がする)
大事な手がかりをみつけたような気がした。
プリムラは不可解な攻撃を警戒して大きく後ろへと引き下がっていく。
代わりにリラの相手をしていたマリーがいつの間にか俺の元へと駆け寄ってきていた。
「馬鹿野郎。お前たちが一緒に来たら一網打尽にされるだろうが……」
「そんな弱々しい声を出してても説得力ないよ。今は傷を癒すことに専念しよ」
そう言ってマリーは癒しの光りをその手に宿した。
回復している間はシルフィードが俺たちの守りをしてくれるようだが、肝心の相手が攻める姿勢を見せてこない。
「……またあの女」
「プリム、ちょっとやりすぎじゃない?その力は強すぎるから使わないって前に言ってたじゃない。
ほら、模擬戦の相手を傷つけたとか言って、ものすごく後悔してたじゃないあんた」
「……仕方ないですわ。ミコトが思った以上に強くなっていたものですから」
「だとしてもあんな怪我をさせて……」
合流したのはこちらだけではないらしい。
あっちはあっちでどうやらもめているみたいだった。
リラはここまで激しい戦闘になるとは思っていなかったようだ。
おそらく模擬戦と同じような感覚でいたのだろう。所謂、スポーツ感覚というわけだ。
リラはその点に関して苦言を呈しているようだが、プリムラは俺たちの方を睨んでいるだけで見向きもしなかった。
マリーは攻撃魔術が使えない代わりに回復魔術だけはかなり得意なようで、瞬く間に傷が癒えていく。
さすがに一番傷ついている両腕は難航しているようだったが。
一生懸命に俺の傷を癒しているマリーを尻目に、俺はシルフィードへと心の中で会話する。
(さっきの話、本当に出来るんだな、シルフィード)
プリムラたちを警戒しつつも今度は無言ではなく、シルフィードは答える。
『可能、だと思うのですよ』
(そんな不確かなものでどうにかできると思っているのか?)
『でも今はそれに挑むしかないと思うのです。ミコトは他に手段を思いついているのです?』
(それは……)
何か取っ掛かりを見つけたような気がしているだけで、確かな打開策というものは一つもない。
これではシルフィードに文句をつけられなかった。
(試す価値はある、か)
『その前にミコトに一つだけ言っておかなければならないことがあるのです』
シルフィードは強張った声でそんなことを言った。
緊張しているような不安な声で、目の前で俺たちを守っているその背中は小さく震えていた。
『ミコトは……私のことを信じられますか?』
……。
……信じる。
それは俺にとって禁句のようなもので、忌々しくて二度と口にもしたくない言葉だ。
信じなければ裏切られることはなかった。そんなことをいつまでも思っては後悔しているから。
だから俺はシルフィードに言葉を返すことが出来なかった。
『今からすることには私を信じてもらわなければいけないのです。
そうしなければ……いいえ、そんな強制させるようなものではいけないのですね。
何よりそんなことを強いてもミコトを傷つけるだけなのです』
(…………)
『ミコト。私は貴方が契約した精霊なのです。精霊は契約した相手の心がわかる。
その全てがわかるわけではないのです。でも、ミコトは……深く、深く傷ついた。
大切な人を失ってぽっかりと穴があいてしまった。
その気持ちは……ミコトだけではなく、私にもあるのですよ』
シルフィードにとっても彼女の存在はとても大きなものだった。
当たり前の事実に驚いている自分がいる。
いつも無邪気にはしゃいでいるシルフィードのイメージしか俺にはなかったから。
甘い物を買ってきた時には飛び跳ねて喜び、幸せそうに俺の頭の上で寝入ったり、時には楽しそうにいたずらを仕掛けたりしていた。
心の中ではずっとそんな思いを抱いていたのだろうか。
俺はシルフィードの契約者だというのに、そんなことに少しも気付いていなかった。
儚げなその言葉を聞いて胸が締め付けられる。
それは俺の感情だったのか、それともシルフィードから伝わってきたものだったのか。
わからずとも、小さな精霊の告白は続いた。
『とてつもない喪失感にどうしようもなくて、泣いてしまいそうで、どうにかなってしまいそうで……。
私はあの時、初めて心の底から人を憎いと思ったのです。
精霊が持ってはいけない強い感情に支配されて、やってはいけない契約をしてしまった……』
(……後悔しているのか?)
重苦しく訊ねる俺にその時だけはシルフィードは振り返り、清々しい笑顔を見せた。
それが本当の笑顔だと俺は……。
『いいえ、少しも後悔なんてしていないのです。一方的な契約だろうと構わないのです。
私は貴方の力になりたかった。貴方は力を必要とした。それだけで十分なのです』
それはあまりに自分を犠牲とする言葉だった。
献身といえば耳に聞こえがいいだろうか。
黙ってその言葉を聞いていた俺に、マリーのもう少しで治療が終わるからね、という声が聞こえた。
シルフィードは再び前へと顔を戻した。
どんな表情をしているかもわからなくなり、囁く声が再び頭に響いた。
『貴方は今でも力を欲しますか?』
俺は何故だかすぐに欲しいと言えなかった。
それはいつだって俺が渇望しているものだったはずなのに。
切ないシルフィードの声に黙っていることしかできない。
『貴方は……私のことが一欠けらでも……信じられますか?』
そして問いは最初へと戻る。
自分以外の者を信じるということ。
単純なようでいて、誰にでも出来るようなものでいて、果てしなく難しいこと。
俺はシルフィードを、信じる?信じようと思っているのか?
心はいつだって変わっていっている。
それはどんなに些細なことであろうと、変わり続けている。
変わりたくないと思っていた俺の心もそれは同じように……。




