第八十一話 騎士たる所以
濛々と立ち昇る煙に観衆は息を飲む。
これが魔術のせいだと気づいた者は何人いるだろうか。
プリムラの姿は煙の向こう側に消えてしまっていた。その先がどうなっているか、もうわからなくなっていた。
それでも俺の魔術はまだ終わりではない。
煙がまるで切り裂かれたように何度も変形しては、また新しい煙が立ち昇る。
滞空している風の刃はまだ五十以上はあった。その全てを叩き込む。
唖然とした空気の中で俺は魔術の維持に集中しながら、その光景を見詰めていた。
二重詠唱によるウィンドブラストの威力は計り知れない。
一つが標的に辿り着いた次の瞬間には二つの風の刃。
迫り来る刃を目に入れた時には倍の数の刃に取り囲まれている。
隙間の一つさえそこにはない。風の刃を打ち払おうともすぐに次の刃がやってくる。
常人の反応速度では対応の仕切れない風の群れ。無限とも思える連なる刃たち。
「……プリム!」
いち早く正気を取り戻したのは彼女のパートナーであるリラだった。
対峙しているマリーから目を逸らし、相方の安否を気遣う。
その声には感情が篭っていた。よっぽどプリムラとは仲がいいのだろう。
だが、その心配は間違っている。
プリムラが二つ名である烈火の騎士と呼ばれるようになった時期はいつからだろうか。
模擬試合で一度として敗北することなく、勝ち星だけを刻み始めてから?
彼女の家に伝わるオリジナル魔術である魔剣を使い始めてから?
騎士のように清廉潔白な性格をしていたから?
……そのどれもが違う。あまり知られていない話だが、俺は偶然その話を耳に入れることが出来た。
だから俺の二重詠唱のウィンドブラストをくらっても尚、プリムラが傷一つなく立っていたとしても不思議ではなかった。
「……素晴らしいですわ」
耳にそんな声が届いたと同時、視界を妨げていた煙が一蹴される。煙の先から垣間見えたのはプリムラだった。
俺は冷静にその中心へと残りの刃を叩き込む。
二十未満にまで数を減らしていたが、これだけでも普通の魔術師ならば方は付いていただろう。
何故なら全方位に魔術障壁を張るのは難しく、何処かに弱い部分が出てしまう。
そんな脆弱な壁なら俺の魔術なら容易く突き破る。
「素晴らしいですわ!!」
赤が一筋、宙を走る。その一撃で数個の刃が無力化された。
驚くべきは見えない刃に太刀筋を合わせたその技量か、鉄でも切り裂くことが出来る風の刃を容易く打ち消した魔剣の威力か。
しかしそれだけでは俺の魔術は止められない。
スキルがない者には見ることが出来ない風の刃、そして未だ視界がはっきりとしない煙の中ではどうしても死角が出来る。
上空から四つ、地を這うようにして三つ、プリムラの背中側から五つ、風の刃を飛ばした。
「ミコト!貴方が実力では初めてですわ!この私の本気を引き出したのは!!」
プリムラは哄笑しながら踊るように翻り、煙の中でも映える赤い魔剣と……真っ赤に燃え盛る盾を振り回した。
鉄壁の壁がそこにあるかの如く、全ての風の刃が霧散していった。
ウィンドブラストの残弾は……零。
二重詠唱は魔術の効果を飛躍的に伸ばす反面、大量のMPと集中力を必要とする。
すぐにもう一度使うことが出来ないのだ。最も、もう一度同じ魔術を唱えたとしても通用しないだろう。
あの姿になったプリムラに届くとは思えなかった。
(烈火の騎士……なるほど。言い得て妙だな)
喜悦に顔を歪ませながら煙の中から現れたのは火の鎧に身を包んだプリムラだった。
それは軽鎧といっていい身軽さに重点を置いたもので、上半身は胸元と両腕、そして肩。
下半身には足先から太ももの半ばまで赤い防具に身を包んでいた。
それはさながらドレスのようで、あのままの格好で社交場に出たとしても誰も文句はつけないだろう。
「この格好になるのはいつ以来かしら。グリエントに入学してからは最初の模擬戦で試しに一度だけ。
あれからずっと力を出し切る試合なんて一つもありませんでしたわ。
退屈でつまらなくて。もう卒業するまでは本気になることなんてないと思ってましたわ。
それが……まさか貴方だなんて。運命を感じませんこと?ミコト」
プリムラはダークレッドの髪を揺らしながら一歩ずつ、俺の方へと近づいてくる。
いつの間にかその髪には羽の髪飾りがつけられていた。あれも自分の魔術で作り出したのだろう。
それは防具としては何の意味もない。
だが、昔は良い格好しいだったプリムラなら意味がなくともつけていただろう。
やたらと魔術を唱える格好を気をつけていたプリムラの姿が頭に浮かんだ。
「……それが先輩のオリジナル魔術の真髄、ですか?」
「私の、ではありませんけれどね。私の父親が編み出したものですし。
エンチャントライズ。装備した物に魔力を纏わせる魔術。
どうかしら、ミコト。赤の生徒の魔術を真似たように、これもできますかしら?」
それは無理だ。
クロイツが使っていたのは既存のコモン魔術……誰でも扱えるように調整されたものだから盗むことが出来た。
血筋や特定の条件がなければ行使することが出来ないオリジナル魔術とは訳が違う。
「わかってて言ってますよね」
「くす。ごめんなさい。でも少しぐらい意地悪してもいいでしょう。
だって貴方はあの子のことばかりに気にしているのですもの」
そう言ってプリムラはにっこりと笑いながら、右手に持っていた魔剣を掲げた。
何をしているのか。俺との距離はまだ離れている、プリムラの間合いではない。
動向を見定めている俺だったが、彼女が次に向けた視線を追うことで狙いが何のか直感的に悟る。
こいつの狙いは!!
「シルフィード!!」
それはマリーにも注意を促すために掛けた声だった。他の事を気にしている余裕はない。
プリムラは俺が上げた声と同時に魔剣を振り下ろしていた。
普通の剣ならば何もない空間を斬っただけで意味もない。
だが彼女が手にしているのは魔剣、魔力を纏っている剣だ。何もないはずがない。
ぼっ、という何かが燃えたような音が響くと剣の軌跡の後から炎が生まれ出でる。
燃え盛る炎は三日月の形を作りながら、プリムラの鋭い斬撃と同じように高速で飛んでいく。
向かう先は……マリーとシルフィードがいる場所だった。
『っっ!!』
目の前の相手に夢中だったマリーは気付くのが遅れたが、シルフィードはすんでの所で障壁を展開させた。
風の障壁によって逸らされた炎は地面に着弾して燃え広がる。
マリーはその光景を見て顔を青ざめていた。
火の中級魔術、ファイアーボールと威力はさして変わらないほどか。
だが、その射出速度は目を見張るものがある。予めくるとわかっていなければ防御することは難しいだろう。
「こんなことも出来ますのよ。すごいでしょう」
子供のような顔でプリムラは笑った。
俺は彼女がこんなことも出来るとは思っていなかった。それはプリムラにとってのアドバンテージだったはず。
なのにまるで見せびらかすようにプリムラは自分の力をひけらかした。
「ちょっとプリム!危ないじゃない!もう少しでこっちにも当たった所よっ」
「あらごめんなさい。見えてませんでしたわ」
「見えてないってあんた……」
絶句しているリラを前にしても少しもプリムラは悪びれてなかった。
この決闘はタッグ戦と言いつつ一体一を二組ずつしているような戦いになっているが、それでも今のはないだろう。
俺も別に多対多が得意というわけでもないが、マリーに不利にならないように立ち回るつもりだった。
それがわからないプリムラではないだろう。
相手が嫌いだったらまだしも、この二人は学校生活でも親しいという話だった。
それとも親しいからこそのこの態度なのだろうか。
「それとリラ。その子は攻撃魔術が使えませんわ」
「へ?で、でも実際に使っているのを身に染みてわかってるんだけど」
「それは見えない協力者がいるのでしょう。……ねぇ、ミコト?」
プリムラは俺が言った言葉……シルフィードという単語を耳にしてその結論に至ったのか。
舌打ちの一つでもしたくなるが、それは更なる確信を相手に与えるだけだ。
「もっと積極的に攻めなさい。それで糸口は見えてくるはずですわ」
「う、うん。わかったけど……余計な手出しはもういらないからね?」
「はいはい。わかってますわ」
二人が気安い言葉でやり取りしている間、俺もシルフィードと話し合っていた。
プリムラには正体がばれ始めているが、リラの方はまだ半信半疑だろう。
それでも膠着した状態を打破しようと攻め始めるのは間違いない。
出来るだけ時間稼ぎをするように伝え、俺はプリムラへと向き直った。
「さて、私たちも続きを始めましょうか、ミコト」
「……昔とはえらく変わりましたね、先輩」
「!! 嬉しいですわっ!ミコトからその話を向けてくれるなんて!
私もあれから頑張りましたのよ?帝都に移り住んでからは……」
プリムラは異様な程に話に食いついてきた。それこそ決闘なんてどうでもいいかのように話し出す。
あえて俺はプリムラが興味を持つ話題を口にした。
シルフィードと同じく、俺も時間稼ぎをする為だった。
二重詠唱の魔術が通用しない時点で実の所俺がプリムラに勝つ術はない。
それも決闘の前から二重詠唱は通用しないのではないか、と薄々感付いていた。
だが他に取れる手段は限りなく少ない。
森羅万象は……使えない。あの力は俺を俺でなくしてしまう。正気を失った俺がどんなことを仕出かすかわからなかった。
どうにか話を繋ぎつつ、打開策をどうにか思いつこうとしていた俺にシルフィードの声が頭の中に響いた。
その内容は小さな精霊からの驚くべき提案だった。