第八十話 二重詠唱
烈火という二つ名の如くプリムラの攻撃は苛烈で容赦がない。
まるで自分の手足のように魔剣を操り、隙のない連続攻撃を仕掛けてくる。
その手練れの技は一体どうやって習得したのだろうか。
高速思考とブーストの合わせ技を持ってしても、直撃を避けるだけで精一杯だった。
「逃げてばかりではお話にならないですわ!」
圧倒的な余裕からか、そんなことを言っては笑い、そしてプリムラは剣を振るう。
言い返す言葉は溢れるほど浮かんだが、実際に回避に徹しているのだから文句のつけようがない。
歯噛みしながら自分の距離にしようと試みるが少しもうまくいかなかった。
プリムラは間合いの取り方がうまい。
付かず離れずをキープし攻撃の緩急が激しかった。
攻めに転じるなら攻めに、守りなら守りに。
忠実にそれをこなし、かといってお手本どおりにしているわけでもない。
型にはまった戦い方をしているならば、すでに俺の優勢になっていたことだろう。
俺が攻め手に欠けているのは確かなのは言うまでもないが、ただ攻められっぱなしでいたわけでもない。
反撃しようとしてもそこにプリムラがいないのだ。すでに距離を取られている場面が多々あった。
巧みな剣捌きで翻弄し、相手のペースを切り崩す。
伊達に校内ランキング一位ではないということか。
仮とはいえ騎士団にも所属しているという話だ。実戦経験もそれなりにあるということだろう。
こうして戦っている俺が何よりそれを感じていた。
「っ!水よ、貫け!アクアスピア!」
どうにか大振りの斬撃を掻い潜り、距離を離しながら水の魔術を俺は放つ。
火と水では属性の相性で水が勝っているはずだったが、俺の魔術は魔剣の一振りによって瞬時に蒸発させられた。
下級魔術程度では足止めにもならない、か。
あの濃縮された魔力の刀身を見れば予想の範囲内だったが、ウィンドとあまり変わらない結末になっただけに少し落胆する。
厄介なのはプリムラだけではない。あの魔剣もだ。
下級魔術は悉く通用しない。中級魔術ならあるいは、とも思うがそんな暇をプリムラが与えない。
更にその赤い刀身の見た目通り、火の属性を宿しているようで近くにいるだけでも熱を周囲に与えていた。
プリムラの剣が傍を通るだけでも汗がぶわっと湧き出てくる。
おまけにプリムラ本人はその熱を感じないのか、涼しげな表情をしているのが憎たらしい。
一方的な体力の消耗は免れず、それでいて近接戦闘は分が悪い。
プリムラの剣技は単純明白にして鋭く、速い。
魔剣なしで戦ったとしても武器がプリムラにある状態なら、普通に押し負けてしまうだろう。
「魔術を体を動かしながらでも使える……ミコト、素晴らしい魔術師になりましたわね」
我が事のようにプリムラは喜んだ。
その感情に打ち震えているようにその場に留まりながら魔術を打ち消すプリムラ。
こんなことをされたらそんな言葉嫌味にしか聞こえない。
(わかっていたことだが、魔術メインの俺じゃ戦いにくいったらないな)
魔術師が苦手とする近接戦闘をスキルによってある程度カバーできる俺でさえこの有様だった。
高速思考、あるいはブーストのどちらかが欠けていたらすでに勝負は決まっていただろう。
今の所、俺の方は劣勢だったが……マリーはどうだろう。
プリムラから目を離すのは危険と判断し、心の中でシルフィードに確認することにした。
(そっちはどうだ。ちゃんと作戦通りにいっているか?)
『ミコトの目論見通り、膠着状態になってるです。でもこのままだとまずいのですよ。
あの女の子結構素早くて、近づかれたらマリーを守りきれないかもしれないのです』
「え!?あたしボコボコにされちゃうの!?」
「……?何を言っているの、あんた」
俺の声は聞こえないだろうが、シルフィードの声はちゃんと聞こえているマリーが思わず声に出してしまう。
不審な顔をするリラだったが、それ以上のことは気付かなかったようだ。
まぁ当たり前か。まさか精霊がもう一人?もう一匹?こっちについているとは思うまい。
「うふふ。ミコト、やっぱりあちらが気になりますのね?」
「……」
プリムラは目敏く俺の様子に気付いたようだった。
視線すら外してないのにどうやって。女の感というやつだろうか。
「せっかくミコトの望んだ通りにしているのですから、存分にお相手してもらいますわよ?」
……こいつ、どこまで読んでいやがる。ただ感情の赴くままに行動していたわけじゃなかったのか?
微笑を浮かべているプリムラの考えが読めない。
マリーとシルフィードが時間を稼いでいる間に、俺がどちらか一人を倒す。
その目論見さえ看破されているのかもしれない。
事前に二人に話していた作戦はいくつかあるものの、大前提するべき条件はこの一つだけだった。
シルフィードが本気を出せばもっと簡単にいくかもしれないが、それは出来ない。
この前の俺の暴走の際に力を使いすぎたようで、本来の力が出せないらしい。
「ねぇミコト。貴方、言っていましたわよね。彼女は攻撃魔術が使えない、と」
「……さぁ、私、そんなこと言っていましたか?」
「ミコトの言葉を聞き間違う私ではありませんわ。確かにそう言っていました。
おかしいですわね?どうして彼女は今、あんな魔術が使えていますの」
「私が嘘を言ったのかもしれませんよ?」
「ふふ……彼女は攻撃魔術が使えない。私は疑っていませんわ」
それは決闘を交わした際のことだろう。
あの時はまさか二対二の決闘をするとは思っておらず、つい口を滑らせてしまった。
それをプリムラは覚えていたのだろう。
マリーのことは調べればすぐにわかったことだろうが、プリムラに確信を持たせたのは間違いなく俺の言葉だろう。
彼女は俺に対して盲目的になっている節がある。
情緒不安定な部分も俺に関する時だけのものみたいだった。
「どうして、先輩はどうして私にそこまで固執するのですか」
言わなくてもいいことを言ってしまった、と俺は思った。
そんなこと、プリムラとは相容れないと思った瞬間から捨てた言葉だったはずなのに。
いつの間にか口から零れてしまっていた。
「どうして……?」
思い切り不思議そうな顔でプリムラは首を傾げた。
まるで俺が間違ったことを言っているような反応だった。
「そんなの決まっていますわ。私たち、友達でしょう?」
「……ッ」
息を飲む音を自覚する。言葉が出てこなかった。
友達。いつかの少女に向けて俺は友達になろう、と言葉を綴った。
それは大昔のことで、少なくとも俺にとってはとても前の話で……。
大切な記憶、大切だった記憶。今はもう封印してしまった記憶……。
その瞬間だけは彼女の表情はあの時の、昔のプリムラのままだった。
「まぁあの女のことはもういいですわ。どうせ結末は変わりませんもの」
「……」
「あの女がいなくなって、私たちは元通りになるのですわ。それが楽しみで、楽しみで。
今日が待ち遠しくて仕方なかったですわ」
返す言葉が見つからない俺に、プリムラは恍惚とした表情を浮かべる。
一瞬だけ垣間見えた幼き頃の面影に心が揺らいだ。
どんな嫌な人間に成り下がっていても、彼女は俺にとって初めて出来た友達だったから。
それは変えようのない事実だ。
もしもプリムラがあのままの彼女でいたのなら、また俺たちは友達になっていたのだろうか……。
「……ありえない」
「今何か、言いましたミコト?」
「いえ、何でもないです……」
復讐を果たすのに友達なんていらない。
忘れてはならない。俺が今、生きている意味を。
余計な思いを振り切るようにしてプリムラに向かい合う。
相変わらずの純粋そうな子供な笑顔で、俺を見ている。
他人を平気で傷つける癖に、そんな笑顔が出来るのが俺には不思議でたまらない。
能面の男とも、クロイツのようなタイプともプリムラは違っているように見える。
何処か彼女はちぐはぐな印象を受けるのだ。
「そんな顔をしていられるのも今のうちですよ」
「まぁ!何をしてくれるのかしら、ミコトは。わくわくしますわっ」
それは余裕、というよりも本当に楽しそうにプリムラは魔剣を身構えた。
その場から動かないのは、遠距離からの攻撃であろうと対応してみせるという自信の表れなのだろう。
いいだろう。そっちがその気ならこちらも一つの手札を切る。
極限の集中に入るために俺もその場に留まる。
俺がこれから唱える魔術は慣れ親しんだものであり、俺が一番得意な魔術だ。
だが、これからすることを考えると移動しつつ唱えることはできない。
思い浮かべるは幾多の刃。切り裂くは我が敵。
空を駆ける風は凶刃となって襲いかかるだろう。
想像が固まれば魔力が体中から呼び起こされ、魔導デバイスである指輪へと流れ込んでいく。
急激に魔力が吸い込まれる感触に未だに慣れない。
このまま続ければ爆発してしまいそうな予感を覚え、それでもギリギリの所で制御していく。
蓄えられた魔力がデバイスに満ち、後は詠唱さえ唱えれば魔術は行使される。
しかし俺は更にそれから手を加える。
指輪をつけた右手を前に突き出し、その上から左手を絡め、高速思考の深度を高める。
思考の加速だけでは足りない。その一つだけでは物足りない。
その先にあるものへと手を伸ばす!
「「風よ、断ち切れぬ翼となりて」」
思考は更なる領域へと上り詰める。高速思考・デュアル。
新たに変化した俺の思考はまるで頭の中にもう一人の自分がいるように、同時に二つの思考を並行できるようになっていた。
思考が二つになるだけでは何も変わらないように思える。
ただ二倍になっただけだと。だけどそれだけじゃなかった。
おそらく、この世界で俺だけが使うことができる魔術の二重詠唱。
それを可能とすることが出来たのはこのスキルのおかげだった。
アリエスとの最後の試験で不意をついたのが始めであり、それから二重詠唱の鍛錬を欠かさなかった。
最初は下級魔術しか唱えられなかったが、今はこうして中級であろうと詠唱することが出来るようになっていた。
オーバーパワー気味に蓄えられた魔力が放たれる。
俺には過ぎた力であるこの指輪も手助けをしてくれる。
二重詠唱には大量の魔力が必要であり、俺の力だけではどうしても限界があったのだ。
「「数多の同胞を率い狩人となれ。ウィンドブラスト!!」」
その効果は絶大だった。
俺の魔力で出来た魔術の親和性は高く、相乗効果がうまれた。
可視化の出来ない風の刃が爆発的に現れていく。その数、優に百。
もはやその有様は刃の嵐といっても過言ではないだろう。
「ただの中級魔術、というわけではなさそうですわね。……ゾクゾクしますわ」
嵐を前にしてそんなことをのたまうプリムラ。
彼女に風の刃が捉え切れていないのはわかっている。
この現状を目にすれば、そんな言葉も出なくなるのだろうか。
(あるいは、この猛威を瞳に入れたとしても笑っていられるのかもしれない)
この一撃で決闘の行く末は決まる。
そんな魔術を制御しながら、俺は心の中でそう思っていたのだった。




