第七十五話 纏わりつく噂
決闘だとかいうふざけた言葉を吐くプリムラだったが、その目は真剣そのものだった。
眼差しはマリーを貫いてばかりで、激しい感情が瞳に宿っているように見える。
何を馬鹿な、と口を挟む余地がそこにはなかった。
俺からしてみればそんなものは時代錯誤にしか感じない。
それは現代の日本に生きていたからだろう。
低俗に収まる喧嘩はあれど互いの譲れないものをかけて戦うなんて、映画やドラマの中でしか見たことがない。
しかし本来の意味での決闘ではないが、このグリエント魔術学校では本当に実在している。
新人戦が終わった直後に解禁された決闘というシステム。
魔術という大きな力を持つ生徒同士が争うど派手な試合というわけだ。
宣戦布告の仕方はプリムラがマリーにした通り。後はマリーが了承さえすれば成立する。
「決闘ってそんな、あたしは受けるつもりありません」
乱暴に投げつけられたクロユリの記章を、マリーは手の平に乗せて丁寧にプリムラに差し出した。
挑発的な態度を取られたにも関わらず、彼女の反応は冷静そのものだった。
マリーがプリムラと戦う理由なんてないのだから当たり前だ。
これは一方的に突きつけているだけであり、ただの独りよがりだった。
「…………」
プリムラは目の前に差し出された記章を受け取ろうとはしなかった。
気に入らない、とその態度が物語っていた。
もはやその視線は睨みつけているといっても過言ではなく、何がプリムラをそうさせたのだろうか。
(……俺のせいか?)
俺がプリムラに冷たくしていたせいだろうか。
マリーに当たっているのは八つ当たりのようなものだということ?
それが本当だったとしても……俺はもうプリムラの友達になんかなれないんだ。
自分のことを話す事も、ミライのことを話す事も嫌なんだよっ!
言葉にすれば理解してもらえるのだろうか。今のプリムラの状態ではそれも怪しい。
「……貴方、もしかして」
ふとプリムラの表情が何かに気付いたかのように、ふっと怒りが消え去る。
今ならもしかしたら俺の声も届くのかもしれない。
しかし結局の所、俺が声を出すことはなかった。プリムラが口にしたあまりの言葉絶句してしまったから。
「ご家族が帝国の裏切り者と噂されている人なのかしら。私、納得してしまいましたわ。
血筋、というのは案外馬鹿に出来ませんのね。だから私のことを平気で邪魔するのですわ」
「っ……!!」
ひどいことを言っているというのにプリムラはあくまで平然としていて、当然のことのように言い放った。
その言葉はマリーにとって深く傷を抉るものだったのだろう。顔を思わず歪めて、声さえ出せない様子だった。
マリーの噂の正体……それは彼女の身内に帝国の裏切り者がいる、というものだった。
話の信憑性自体はわからない。どんなことをした、だとかいう具体性もない。
だが、マリー自身がそれを否定しなかった。
本当かもしれない、と思われてしまえば噂なんて簡単に尾ひれがついて広まっていく。
それが今の現状である。
新人戦の時にマリーだけチェックの時間が長かった理由も、クラスメイトたちの様子がおかしかったことも……。
クロイツがマリーを指して裏切り者といったこともその噂が原因だった。
どれだけその噂のせいでマリーが傷ついただろうか。
クラスメイトとは誰隔てなく仲良くしていた彼女が今では遠巻きにされている。
何でもないかのようにマリーは笑顔を見せていたが、その笑顔はぎこちなかった。
とても楽しそうに食事をしていたのに、今では淡々と食べるようになっていた。
俺はせめてと思い、マリーとはなるべく一緒にいるようにしていた。
何故なら時折、正面切って彼女に噂のことを確かめようとする輩がいたからだ。
貴族が多く在籍しているせいか、正義面してマリーを責め立てる現場を目撃したことだってあった。
あまりに胸糞悪い話だが、俺が事を荒立てればもっとややこしくなるだけだった。
だから自分自身を防波堤とすることにした。俺が傍にいればよっぽどの馬鹿じゃなければ寄ってこない。
俺がいるせいで新たな噂が立つのは止められないが、それでも時間の問題だ。
いずれ彼女の噂と共に消えていくだろう。そう、願っていた。
(それをまさか……お前が言うのか?)
月日は人を変えるという。
同じ存在であり続けることは果てしなく難しい。俺も日々変わっていっていることだろう。
それでも、プリムラのこれはあんまりじゃないか。
平気な顔で人を傷つける。そんな人になっているとは思いたくなかった。幼き日々に幻想を抱いた俺が……愚かだった。
いずれにしてもやはり、彼女とはもう相容れない。
俺はショックを受けて動けないマリーの手から記章を奪い取った。
驚く彼女をそのままにしておき、プリムラに向かい合う。
そうだ。俺がこうして向き合わなければいけなかった。
「ミコト」
さっきとは打って変わり、花のような笑顔を見せるプリムラ。
俺が見ていることに喜びの表情を浮かべている彼女に、俺は自分の記章を投げつけた。
「……?これはどういう意味ですの?」
意味なんて今したことだけで十分だろう。
だが言葉にしないとわからないというのなら、もう俺は逃げたりしない。
「俺はお前に……プリムラ・ローズブライドに決闘を申し込む」
それが自分なりの決別の仕方だった。
決闘には報酬というものが存在する。何かを賭けて戦わなければ決闘は執り行われない。
決闘の上での約束事ならば遵守されるのだ。例えどんなものであろうと。
二度と会うな、と言えばその通りにしなくてはならない。
それは口約束、ということではなくこの学校でのルールだった。
「どうして私とミコトが決闘しなければなりませんの?意味がわかりませんわ」
「俺はマリーの……いや、マリーに貸しがあるからな。代わりに決闘を受ける」
「……本気ですの?その女の味方をするんですの?」
「そのようなものだ」
「ミコト、あたしの代わりなんかしなくていいよ!それならあたしが受けるから!」
「お前は攻撃魔術使えないだろ」
「うぐ、そ、それは……」
マリーではどうあがいても無理だ。タイマンなんてしようものなら負けることは必至だろう。
相変わらず抜けている。どうせそんなこと思いつく暇もなく声に出したんだろう。
人がいいというかなんというか……思わずマリーを見て苦笑をしている俺にぎりっという歯軋りが聞こえてきた。
音の方に目をやれば、プリムラは俺の記章を握り締め、拳を震わせながら口を結んでいた。
「……いいでしょう。ただし、一対一ではなく二対二を希望しますわ。ミコトともう一人……その女を指名しますわ」
「おい、それは」
「いいです。その条件で受けます」
俺が反対の意見を述べる間もなく、マリーが勝手に返事をしてしまった。
そしてマリーはそっと自分の記章をプリムラに手渡した。
巻き込むつもりはなかったというのに……いや、すでに巻き込んでしまっているか。
それでも決闘までさせるつもりはなかったというのに。
「ミコト、決闘のやり方はご存知かしら」
「知っているから教えてもらわなくても結構だ」
「つれないわね。でも私わかりましたわ。その元凶が誰なのかを……」
そう言ってマリーを感情の篭っていない瞳で見詰める。
恐怖さえ呼び起こしそうな冷たい視線だったが、マリーは懸命に堪えて睨み返していた。
数秒間そうして睨み合っていた二人だったが、プリムラは呆気なく視線を逸らし踵を返して去っていった。
「とんでもないことになったね……」
プリムラがいなくなった後に深いため息をつきながらマリーはそう零した。
お前が勝手にやっちまったんだろうが、と思ったが巻き込んでしまった手前、強くは言いにくい。
気まずい空気になったと察したのか、たはは、と愛想笑いするマリー。
「……まぁ俺もかっとなって言ってしまった部分もあるし、同じようなもんか」
「だよねー!」
「だからって調子にのんな」
「あいた!」
マリーの頭を突っ込みのために軽く小突く。
大して痛みはないだろうに、マリーは大げさに頭を擦りながら抗議の視線を俺に向けていた。
ふん、っとそっぽを向いて無視をする傍から家畜の鳴き声がぶーぶーと聞こえてくる。
ブーイングって異世界でも同じなのか、と思いつつ、
(少しは元気出たか)
そんなことを言葉にせずに心の中で思っていた。気恥ずかしくてそんなこと口に出せない。
プリムラの言葉で傷ついたのは確かだろう。
こんなやりとりで元気が出るのならいくらでも付き合ってやるつもりだった。
「さて、豚の鳴き声を聞くのもいいがこれからのこと考えるか」
「女の子を豚といいました!?」
「たくさん食べるしちょうどいいじゃねぇか」
「そんなこと言うならもっと食べるからねっ!」
「ふとr」
「それから先は言っちゃだめー!!」
口を塞ぎに来るマリーの手をかわしながら、そうして俺たちは校舎に帰っていく。
プリムラとの決闘はこの記章を先生たちに預けた後、ということになる。
決闘自体は学校の催しもののようなもので、学校を通して行わないといけない。
その際に契約書を書かなければならなく、決まり事などをその時に決めるみたいだ。
手間がかかる分、よっぽどのことでなければ決闘は行われない。
聞くところによると、決闘が起きたのは実に数年ぶりという話だったらしい。
だからこそ、この決闘は大掛かりなものになったのだが……それは今の俺たちが知る由のないことである。
「そういえばプリムラ先輩、烈火の騎士って二つ名あるらしいよ。相当強いみたいだし、頑張らなきゃね」
「頑張るの主に俺になりそうなんだが……ってそれはいいとして、なんだその名前」
「言葉通りだよ。ちなみにミコトにもあって……」
「……なんだよ」
「妖精だって。シンプルでいいね」
「いいの、か?」
ともかく、油断のならない相手だというのは間違いなさそうだった。




