第七十一話 彼女と女の子と少女
グリエント魔術学校ではある人物での噂で持ちきりになっていた。
その人物は学校に転入した当初から注目されていた生徒。
誰もが見惚れる程の容姿を持ちながらそれを鼻にかけない性格。成績も優秀で担当の教師が思わず唸るレベルの高さ。
唯一の欠点はこの学校では致命的といえる魔術だった。だがそれも新人戦の目覚しい活躍によって払拭された。
無論、賞賛する言葉ばかり噂にあがるわけではなかったが、それは口さがない一部の人間が流すだけだった。
本人が思っている以上に生徒も含め、学校関係者は彼を……ミコトのことに興味を寄せていた。
クロユリの記章を胸につけた女生徒は、噂の男の子について友達と騒がしく話していた。
授業の合間にある休み時間ではどこもこんな光景が広がっている。
それは成績優秀者だけが入ることが許される黒の教室でも変わりがないようだった。
「ねぇねぇ。リラ、知ってる?エルフの男の子のこと」
「確かミコトくんだっけ?すっごい美形の。遠目で見かけたことあるけど、あれは輝いてるねー」
「近くで見たらもっとすごいよ。もう私なんか思わず目を逸らしちゃったもん。なんか恥ずかしくて」
「あはは。なにそれ。ノーラ、あんたあの子より年上なんだからしっかりしなよ」
その時のことを思い出したノーラは少しだけ顔を赤くしていた。
そんな彼女のことをからかうリラだったが、内心では彼女の気持ちも十分にわかっていた。
実の所、リラもちょっとだけ声を掛けてみようとミコトの傍にまでいったのだが、すぐにでも天使な笑顔を向けられて撃沈させられたのだった。
「いやー、あれは反則だね。かっこいい人は他にもいるけど、彼はちょっと格が違う!」
「格って何よ格って。なんとなくわかるけどさー」
「でしょ!でしょ!何か親衛隊とかできる理由もわかるって言うか……」
「ケッ。くだらねー。何が親衛隊だ」
きゃいきゃいと楽しく二人で話していた所に思いっきり水を差される。
不機嫌なその声は同じ教室のクラスメイトだった。
その男子生徒は声と同じように気に入らないと言わんばかりに顔を歪めていた。
彼女たちがむっ、としたのは当然だろう。あからさまな男子生徒にリラは棘のある口調で食って掛かった。
「くだらないって何よ、マックス」
「くだらないはくだらないだろ。黒の生徒が男の話ばっかりして情けなくねーの?」
「はぁ?それ黒とか関係ある?もしかして黒だからーとか意識高い系の話?」
「そうだよ。だからお前らの話聞いてると苛々するんだよ!」
「ちょ、ちょっと止めなよ……」
ノーラは途端に険悪な雰囲気になる二人を止めようとするが、血が頭に上った彼らに言葉は届かない。
席から立ち上がって睨みあう両者に自然と教室中の視線が集まる。
面白がっている顔もあれば迷惑そうに見ている者、少しは見たがすぐに興味を失う者など様々。
その生徒たちに一貫していたのは、誰もこの喧嘩を止めようとはしないということだけだった。
このようないざこざは競争意欲の高い黒のクラスではよく見る光景だった。
ふとしたきっかけでトラブルが発生することはままある。
それは赤のクラスも似たようなもので、比較的平和なのは青と緑のクラスだけだろう。
「それこそくだらなくない?たかがクラスの色ってだけでしょ」
「お前……黒としての自覚ねぇのかよ?ふざけやがって」
「勘違いしないで欲しいわ。これはスタンスの違いってだけ。あんたがどう思おうが勝手だけど、私はこう思うってだけ。
今こうやって口にしているのはあんたが喧嘩吹っ掛けてきたから。ふざけてるのはあんたよ」
「てめぇ……俺とやろうってのか」
「まさか。やる必要なんてないでしょ。もう勝負ついてるんだし」
一気に畳み掛けるリラの言葉にマックスは危険な光をその瞳に宿し始めた。
一触即発の空気。魔術を扱う彼らにとって詠唱の一つでも呟けば開戦の狼煙となるが、ここではそうもいかない。
学校内での魔術は固く禁じられているからだ。規則を破れば一発で退学もありうる。
だからこそ言葉の応酬で解決するのが一番である。しかし、この場合はそうもいかないだろう。
少なくともマックスの腹の虫は納まらない様子だった。
言葉だけで済まないならどうすればいいのか。唯一、それを解決する手段はあるのだが、どうやらリラは応じる気はないようだ。
口で負かすことによって大分機嫌を直したのだろう。ふふん、と鼻を鳴らしてマックスを見下ろしていたのだが……。
「……ッケ!ミコトだか何だか知らねぇが、どうせあんな奴見た目だけのはったり野郎だろうが!色惚けてんじゃねぇよ!」
その捨て台詞のような一言によって状況は劇的に変わる。
余裕綽々だったリラの顔にぴきり、とひびが入る。
口喧嘩に負けたことに悔しそうにしていたマックスはそれに気付かない。
……ミコトのことをあまり知らない風に装っていたリラだったが、彼女は実の所ミコトの親衛隊の一人であった。
それもナンバー一桁の筋金入り。リラの友人にも秘密の話である。
表立って活動をしない、陰の立役者的なポジションにいるリラの知られざる一面を知っているのは親衛隊のメンバーぐらいだった。
つまるところ、リラはミコトの大ファンのようなもので、そんな彼女が大好きなミコトを悪し様にいってしまえばどうなるか。
ゆらり、と教室の中にいた幾人かの生徒がおもむろに立ち上がる。
リラはそんな生徒たちに即座にアイコンタクトをとった。こくりと皆々がそれぞれに頷く。
その合図の意味なすことは、この愚かなことを口走った男を速やかにデストロイすることである。
黒の教室に親衛隊のメンバーが他にも存在していたのだ。
ミコトの日頃からの猫被りの効果なのではあるが……。
ミコトも愛想を振り撒いて自分をよくみせようとしていただけで、まさかここまで好意の輪が広がるとは思っていなかったとか。
風の噂では先生の中にも親衛隊のメンバーがいるという恐ろしい話もあるという。閑話休題。
それはさておき、剣呑な光りを瞳に込めて退学なんてクソくらえと言わんばかりに魔力を高め始める親衛隊とリラ。
やる気になったと勘違いしたマックスは不敵に口の端をあげる。
待っているのは容赦のない集団リンチだというのに、なかなか可愛そうな人である。
いち早く異常事態になったことに気付いた生徒はそそくさと教室から退場していった。
この中で一番可愛そうなのは板ばさみとなったノーラだろう。
右往左往するばかりで何も出来ずにいたのだから。
(ひーん!だ、誰かたすけてー!!)
ノーラのそんな心の声を聞きつけたというのか、緊迫した空気の中に飛び込んできたのは誰かが開けた扉の音。
救世主の先生が来た!とノーラは思ったが、まだ授業が始まるよりずいぶん早い時間である。
一瞬だけ喜んで一瞬で落ち込むという器用な芸当を見せるノーラだったが、教室に入ってきた人物を見て目を見開く。
流麗に扉を開けた人物とは、果たして燃えるような赤色の髪をした女の子だった。
腰の中腹まで伸びたその特徴的な髪は触れれば火傷をしそうな鮮やかな赤。
きびきびと張り詰めた空気を切り裂くように歩く姿は凛として、動く度に髪が揺れては焔が舞っている様だった。
肢体は鍛えられているのかしなやかでいて女性の柔らかさをしっかりと残し、意志の強い瞳はすぐにでもこの状況を飲み込んだのか、まっすぐに彼らを射抜いていた。
「何か問題かしら?」
彼女は近寄ってきてそんな一言を零した。
別に威圧したわけでもなく普通に声に出しただけ。それなのにマックスは思わず怯んでしまった。
壮大な美しい光景を目にした者はただただ圧倒されるという。
彼女の美貌にもそれに通ずるものがあるのだろう。直視を避けることしかマックスは出来なかった。
「……なんでもねーよ。……ッチ。いつの間に戻ってきたんだ」
「そう?ならいいのだけれど」
マックスの悪態混じりのその言葉を彼女は何事でもなかったかのように余裕の笑顔を返した。
まるで子供と大人のようなやり取りに、彼もこれ以上続ける気がうせたようだ。
今にも爆発しそうな爆弾が唐突に消えたことに嬉しがればいいのか驚けばいいのか。
ノーラは少しだけ迷った挙句、久しぶりに帰ってきた友達の帰還を喜ぶことにした。
「プリム!ひっさしぶりー。いつ帰ってきたの?」
「お久しぶりノーラ。ええ、今朝方戻ってきたの。任務の方が思ったよりはやく終わってね。間に合いそうだったから学校にも来たのよ」
「お父さんのお手伝いだっけ?大変そうだねぇ」
「いえ、これは私が好きでやっていることだから全然苦でもないのよ。今回はちょっとだけ長丁場だったけれどね」
友達との久々の再会に喜ぶ二人だったが、おいてけぼりにされたリラは半眼のままプリムのことを睨んでいた。
この燻りをどうしてくれるのかという抗議を込めたものだったが、プリムは素知らぬ振りを続けていた。
鉄槌を加えようとしていた親衛隊が静かに着席している姿を目の端に捉えながら、リラは一つため息をついてプリムに苦笑する。
「あんたも相変わらずみたいね……」
「あら、何のことかしら?」
「はぁー。まぁいいか。とりあえずお帰り、プリム」
「ただいま、リラ」
そうして三人は会えなかった時を埋めるように話を続けていた所、授業が始まる五分前のベルが鳴った。
あっという間に時間が過ぎたことに不満を覚える三人。しかしこれが終わりというわけでもない。
名残惜しみながらも席についたのだった。
ようやく待望の昼休みが訪れる。
授業の合間の短い休み時間だけではとても足りなかったのだろう。
束の間の開放感に包まれる教室の中から、三人は学食に向かう為に廊下に出たのだった。
「そういえば今朝の……」
道すがらプリムはリラに訊ねる。それは朝に喧嘩しそうになっていたことについてだった。
あの場はプリムが取り成したが、どうしてそんなことになっていたのか気にならなかったわけではない。
リラはどちらかというと感情に任せるタイプではあるが、ぎりぎりの所で自制できるとプリムは知っていた。
そんな彼女が珍しくぶち切れていたから不思議だったのだ。
「あぁ、あれね……」
リラが歯切れ悪くなったのは仕方ないだろう。あの時マックスにあそこまで噛み付く気はなかったからだ。
マックスとリラの相性は元々悪い。ふとしたきっかけで口喧嘩したことなんて数え切れない。
二人のことを表すならば犬猿の仲といった表現が一番正しいだろう。
それに説明するとなれば親衛隊のことも話さなければいけない。それはどうにも自分のイメージ的に具合が悪かった。
そんなことをリラが思っていた為に口が重かったのだが、ノーラはあっけらかんと口を滑らせていく。
「それが聞いてよー!私たちがただ話していたのにマックスが突っ掛かってきたんだよ!」
「マックスが?彼、そんなに短気だったかしら」
「あー。プリムにはあんまり絡んでこないからね。マックス、プリムのこと苦手そうだし」
「まぁそれはショックだわ」
「本当にショック受けてるならもう少し驚いた方がいいと思うな、私」
「それで話していたことは何だったの。私はそこに原因があると思うのだけれど」
「えー?他愛のない話だったよ。ね、リラ」
「そ、そうね」
頼むからこっちに話を振らないでくれとリラは思っていた。
プリムは変な所で勘が鋭いから気付かれてしまう可能性は大いにあるのだから。
冷や汗を背中にかきつつ、親衛隊ナンバー一桁の彼女は早く話題が終わることを祈った。
「噂の男の子のことを話していただけなのに、急にマックスが機嫌悪くなるんだもん」
「それは嫉妬していたんじゃないのかしら?」
「あーあるかも、それ。男の子って目立ちたがり屋だから、自分より有名な子が嫌なのかもね」
リラは話に加わらず、内心でなるほど、と思った。
確かにマックスは自尊心が高いみたいで、成績が同じぐらいの自分とよく張り合ってくる。
今回の場合は年下のミコトが噂になるぐらい目立っているのが嫌なのだろう。
なんて馬鹿らしい……と普段から絡まれているリラは辟易するのだった。
「微笑ましいですわね。男の子って感じですわ」
「そうかなー?私はそう思わないけど……それにその言葉、マックスに言わないようにね?」
「どうしてですの?」
「だってプリム、本当は今の一年生と同じ年代でしょ?私たちだと大体が年上になるからね。年下にそんなこと言われるときついと思うな」
「そうね。プリムは成績が優秀で飛び級したとはいえ、私たちはともかく、他の人はそういう歳のことは気になると思うわ」
リラも始めの頃は少しだけ戸惑っていたことを思い出した。
三年も同じクラスになると慣れたものだったが、それは友達という間柄だからいえることで、クラスメイトという立場ならまた違うだろう。
マックスの心情なんてどうでもよかったが、話が逸れることには大歓迎だったから話にのったリラだった。
そういうものかしら、と首を傾げるプリムは妙に可愛らしい。
こういう魅力があるからリラたちはいつの間にか友達になって、互いがライバル関係と思っている黒のクラスでも受け入れられているのだろう。
実力もさることながらプリムは黒のクラスでも人気のある女の子だった。
そしてリラの目論見はそのまま叶うかと思いきや、ノーラが容易に打ち砕く。
何もしらない能天気さにリラはこの時ばかりは恨まずにいられなかった。
「で、で、噂の男の子なんだけど!プリムは知ってる?知ってる?」
「一ヶ月近く私は学校に通っていなかったら……その間に何かあったのですわね?新人戦あたりかしら」
「鋭い!でもちょっと外れかな。噂は元々あって、その子が転入した時から盛り上がってたんだよ」
「ちょっと興味が湧きますわね。そんなに強い人ですの?」
「強い……というかとっても綺麗?」
「何ですのそれ」
要領の得ないノーラの話にくすくすと笑うプリム。
リラはもうどうにでもなーれ、と遠い目をしていた。
「一年の子なんだけどめちゃくちゃ綺麗なんだよ。むしろ眩しい!新人戦での活躍でかっこよさも増した感じ!」
「私としてはその活躍の方が気になりますわね」
「その子緑のクラスなんだけど、なんと赤のクラスの子と対等に渡り合ったんだよ!
なんだっけ、あれ、相手と同じ魔術を使うやつ?も使ってた。すごいよねー」
「高等技術のスティールですわね。そんな人が緑のクラスにいるなんて」
「違う違う。人じゃないんだよ、彼。耳が尖がってるエルフ。金色の髪がきらきらしてるんだよー」
「……エルフ?」
リラはその時、プリムの様子が変わったことに気付いた。
楽しそうにノーラの話を聞いていたかと思えば、次の瞬間には表情を固まらせてしまっていたからだ。
話に夢中になっていたノーラは気付かない。そのままプリムに目をやることなく話し続けた。
「そうそう。なんか女の子と見間違っちゃうぐらいの美人さん。エルフって皆ああなのかな?」
「……ノーラ。その子って男の子なんですよね?」
「うん。今は何かファンクラブみたいなのも出来てるみたいだね。大人気って感じ」
「……緑のどのクラスなんですか?」
「確かこの真下の一階の教室じゃなかったかな」
「……最後に、その子の名前って……わかりますか?」
「うん?ええっとね…………」
その名前を聞いた瞬間、二人を置いてけぼりにしたまま彼女は唐突にも走り去る。
友人の突然の行動に声を掛けることすら忘れて二人は呆然と見送った。
品行方正と知られていた彼女は優雅に歩く姿しか見せた事がない。
そんな彼女の品性をかなぐり捨てた姿に廊下にいた人々は驚きに足を止めた。
彼女はそんな目など気にもならなかった。今、胸の中に湧き出ている感情に頭の中が一杯だったから。
赤い髪をなびかせて疾走する。一刻も早く会いたい。その一心だけで風を切る。
友達にはプリムの愛称で呼ばれていた彼女。学校では優等生となって一目を置かれている女の子。
そして諦めることを知らず、昔一時だけ過ごした親子のことを探し続けた少女。
それらを一括りにすると出来上がるのは……プリムラ・ローズブライドという存在。
……美しく成長を遂げた彼女は、ずっと長い間探し続けた相手を求めて、思いのままに走り出したのだった。




