第七十話 大図書館の裏側
新人戦の余熱もようやく収まり、いつも通りといえばいつも通りの日常が学校に戻った。
どうやら俺に対する勧誘合戦も一段落したようで、スカウトの類は来る事がなくなった。
風の噂によれば協定やらなんやらがその仲間内で作られたらしいが、あまり関わり合いになりたくないので無視を決め込む。
変わったことがあるといえば、マリーのことだろうか。
あれからちゃんと話したことはなく、同じ教室にいるというのにタイミングが合わない。
どうも避けられているようだった。
それに例の噂もまだ流れているみたいで、マリーに対してクラスメイトの反応がよそよそしい。
マリーに迷惑をかけっぱなしの俺が思うのもなんだが、その空気が苛々して仕方ない。
強引にでも彼女と話す機会を作るべきだろうか。
彼女自身が言っていた裏切り者という言葉がどうしても引っ掛かってしまう。
この件に関してはもう少し調べた方がいいかもしれない。
何も知らずに手を出せばマリーのことを余計に傷つけてしまうだろうから。
「なんて思うのは棚に上げているだけかもな」
『何か言ったのです?』
「……何でもねぇ」
ひょい、と小さな精霊の顔が視界一杯に広がる。
頭の上に乗っていたシルフィードが俺の顔を覗いてきたようだ。
独り言をシルフィードに聞かれたことに若干の恥ずかしさを感じて、俺は顔を背けた。
ついでとばかりにちらり、と背後を見れば放課後の静かな廊下には誰もいなくて、日の光が窓から差し込んでいるだけだった。
ふぅ、とため息をつきながら俺は足を進める。
そんな様子の俺にシルフィードは首を傾げているようだった。
……そういえば、こいつは以前と全然態度が変わらないな。
前よりは俺の傍を離れないようになっただけで、他は何も変わらない。
契約を交わした相手だからこそ、相手の感情はこっちにも伝わってくるので嘘をつけばすぐにわかる。
それがどうにも、何ともいえない気持ちに俺をさせるのだった。
相手をしてくれないことに察したのか、機嫌良く一人でヘタクソな鼻歌を歌い始めるシルフィードを頭の上に乗せながら、俺は目的地へと歩いていく。
ぽんぽんと頭を叩いてリズムをとるこいつが鬱陶しいが、なんとなく邪険にする気持ちになれなかった。
『ほへー。すっごいのです……』
感嘆のため息は頭の上から。
シルフィードが目を丸くして驚いている様子が容易に想像できる。
俺も同じような気持ちになっていたからその気持ちは理解できた。
三百六十度、本で埋め尽くされたこの光景に無感情ではいられない。
俺が今足を踏み入れた場所、それは大図書館と呼ばれる場所だった。
学内のみならず外の世界でも噂の的になっている、グリエント魔術学校が誇る設備の一つだろう。
なるほど、言うだけはあって俺が転生前に通っていた学校の物と比べるまでもない。
見上げるほどの棚の中にはぎっしりと本が詰まっており、そのどれもが普通の本とは違っている。
理解のできない文字で書かれた本であったり、いかにもな金の文字でタイトルが綴られた本であったり。
中には魔力が込められている魔術書のようなものもあった。そんなものが腐るほどに存在していた。
そんな本たちが所狭しと言わず広々とした空間に何百、何千、何万冊とあるのだ。
斜に構えた所がある俺でさえ壮観な気持ちにさせられる。これだけの本を全て読むには人一人の人生ではとても足らないだろう。
大図書館に訪れたのは俺だけではなく、見たところ五十人以上はいるようだった。
中には生徒以外、つまり司書のような人もいるようだ。
手の届かない場所にある本を魔術を使って飛行し、軽々と取っている光景など見られた。
皆、思いに思いに本を開いては読み耽っている。この学校でちょっとした有名人となっている俺に気付いている様子はない。
図書館の空気はこうでなくちゃな。
そんなことを思いながら俺はカウンターがある場所へと移動する。
カウンターの中にいる女の子に俺は声を掛けた。
「こんにちは。ちょっと聞きたい事があるのですが、お時間いいですか」
「こんにちは。貸し出しですか?貸し出しが初めての方は登録を……って、えっ!?ミコトくん!?」
俺の姿を見るや、言葉を途中で区切らせて驚いている女の子。
どうやら俺のことを知っているようだが……うん?そういえば、どこかで見かけたような顔だが……。
あ。
この人、確か俺の親衛隊の人だ。てか、俺の親衛隊とか自分で言うとめちゃくちゃ恥ずかしいな。今更だけど。
それはともかく、あたふたとしている女生徒に営業スマイルを投げておく。
困った時は笑え。これがこの世界で学んだ俺の処世術である。
頭の上で女たらしなのです、とか言っている声が聞こえたような気がしたが気のせいだろう。
女性は落ち着いた……というよりも見惚れた感じでぼーっと俺のことを見ている。
さて、目的をとっとと済ませることにしよう。
俺はおもむろにあの爺から貰ったカードを女生徒に見せるのだった。
場所は少しだけ移動して、大図書館から更に奥に入った所になる。
そびえ立つ本棚の合間を歩く。こうして大きな物に挟まれていると、まるで自分が小さくなったかのような錯覚に陥る。
人気の少なくなった場所を気にせず進んでいると、ようやく目的の場所に辿り着いた。
本の中に埋もれるようにして、そこには古めかしい扉がぽつんと佇んでいるのだった。
『魔力の反応があるのです、この扉』
「わかるのか?」
誰もいないことを知っていた俺は声に出してシルフィードに訊ねた。
こくん、と頷いているのを空気で感じる。俺は意識して目に力を込めた。
俺の目には特殊な力がある。その名はスキル、トゥルースサイト。
パッシブ……常時発動型のスキルではあるが、集中することでその効果を高めることが出来るのだ。
確かに扉全体に淡い魔力光、そして扉付近の床には魔法陣が見えた。
さっきまで魔法陣は見えていなかったから、何かしら細工がされているのだろう。
俺は爺から教わった通りに魔法陣の上に立ち、右手にカードを持ちながら空いた左手で扉に触れる。
「開放」
扉を開くキーワードを唱えれば一瞬だけ扉と魔法陣が光り、そして自動で扉はゆっくりと開いていった。
この先にある物のことを考えれば呆気ないと思うかもしれないが、これでも正規の手段をとらないと相当ひどい目に合うらしい。
どんなことになるのかはお楽しみ、とか音符マークつきで小癪な感じで爺が言っていたが、俺は冷たく見据えるだけにしておいた。
勿論、爺はその視線で喜んだ。俺は最近、変態って万能なんだな、と思い始めてきた。
「くだらないこと考えてないで行くか……」
『なんだかちょっとわくわくしてきたのですよー!』
頭の上ではしゃいでいるシルフィードはそのままにして、俺は禁書区域と呼ばれる場所へと足を踏み入れたのだった。
事は少しだけ遡る。それは俺が爺に真面目に釘を刺された後のことだった。
自分のことやマリーたちのことについて悩んでいる俺に、先ほどまでのシリアスはどこへやら、能天気な声で爺が言ってきたのだ。
新人戦のご褒美あげちゃうぞい。わしの思い、受け取って、とかなんとか。
それで正体不明のカードを貰い、それを大図書館で見せればわかると言われたのだ。
どうやら新人戦での副賞らしい。何でも願いを叶えるとかじゃなかったのか。
突っこみたかったが、突っ込み待ちの顔を爺がしていたからあえてしなかった。放置プレイはぁはぁとかほざく末期患者はそのままくたばれ。
司書の女生徒から教えてもらったこの場所は、一部の者以外立ち入りを禁じる区域らしい。
オープンで何処か穏やかな空気が漂っていた先ほどまでとは違い、ここは閉鎖的で肌寒い冷たい空気が漂っている。
人気というものが全くないのもあるが、ここにある本の存在がそもそも違っていると感じているからだろう。
禁書と聞けば物騒なことを想像するに難くない。
何を思って爺がここに俺を寄越したのかわからないが、俺はカードをポケットに仕舞い込みながら本のタイトルに視線を移した。
「これは、やばいな」
一目で不用意に手を出したら危ない物が呆れる程にひしめいている。
ずらりと並べられている書物のほとんどが、魔力を帯びている物だらけだった。
それも魔術に少しでも携わっていれば、知覚できるぐらいに強い魔力が込められているものばかり。
規模こそ表側の図書館よりは小さいが、その雰囲気は異様でありけして引けをとっていない。
下手に手を出せば手痛いしっぺ返しがあるとわかっていたから、俺はシルフィードにも注意を促しつつ辺りを見回した。
無難なものはないかと探してみる。
シルフィードと一緒に探している内に、一冊だけまともそうな本を見つけた。
近くに放置されていた脚立の上に腰掛けて、その本を読んでみることにした。
『それ、面白いのです?』
「さぁな。でも読んで損することはないだろ」
『ふーん……私は絵とかたくさんついてる本のがいいのですよ?』
催促をするようにチラチラと俺を見ているが、そんなお子様が見るようなものはおそらくここにはないだろう。
表の方ならありそうだけどな、と俺が言ってもシルフィードは俺から離れることはなかった。
頭の上は飽きたのか、肩の方に降りてきて断りもなく座る。
まぁ別にいいけどな……。
俺は早速表紙に目を移した。普通で味気ない文字でクラス大全、とだけ書かれている。
なかなか興味をそそる言葉である。俺が知りたかった情報の一つでもあったから。
この世界ではクラスについているか、いないかで大きく差が出る。
ステータスの補正然り、クラス特有のスキルもあるからだ。
ならばもしもクラス持ちと戦闘になった場合、相手のクラスを知っていることで大きく有利がとれることだろう。
それにExクラスのことも書いてあるかもしれない。
そうして期待を胸にして俺は本のページをめくるのだった。
「これは、やばいな……」
少し前に同じことを言ったと思いつつも、そう独り言を零さずにはいられなかった。
予想に反して、と言うべきか。それとも予想以上だった、と言うべきか。
クラス大全に載っていた情報はあますことなく詳細に書かれていた。
クラスの名前、特性、習得スキル、更にスキルの説明もご丁寧に。
最もそれらは前菜に過ぎない。一番のメインディッシュは……。
「クラスの習得条件が載ってやがる」
どうすればそのクラスになれるのかが書かれていたのだ。
ある程度は傾向というものがわかっているが、世間一般ではクラスとは自然になるというのが常識だ。
明確な線引きというものは存在していなかった。
だがこの本にはその全てが載っている。
一体どれだけのデータを取り続けたのだろうか。
一般的なクラスに至ってはステータスがこの数値まで達成したら、などと事細かに書かれている。
これはとてつもなく危険な情報だといえる。
希少価値だけではなく、実際に力も得られるようになるのだから。
軍にでも転用すれば短い時間で強力な軍隊が出来上がるだろう。世界のパワーバランスなど簡単に崩れてしまう。
「それに何だよこれ。どうやって調べたんだ」
最初の方は剣士とか魔術師とか、そんなRPGでは基本的なクラスしかなかったが、後半になるとどう見ても危ないクラスが増えてくる。
極めつけがアサシン。暗殺者という意味だ。
ゲームをしているなら割とよく聞くクラスだろうが、その習得条件は……。
「同族の十人以上の殺害……。洒落にもなってねぇ」
口をひくつかせながらパタン、と本を閉じる。大体の情報は高速思考を使いながら頭に叩き込んだから覚えたが疲れた。
残念ながらExクラスのことについては詳しく書かれていなかった。
希少なクラスであり、その特異性は抜きん出ている。クラスとの違いは不明。そんなことぐらいだった。
色んな意味で疲労してしまい深いため息をついた所、そういえば妙に静かになったことに気付いた。
耳を済ませてみれば、すーすーと規則正しい寝息がすぐそこから聞こえてきた。
どうやらシルフィードはつまらなくなって寝てしまったみたいだ。
それにしても何も俺の肩の上なんかで寝ないでもいいだろうに。
「このチビ……」
起こさないようにそっとすくう様にあげれば、とても気持ちの良さそうな顔でシルフィードは寝ていた。
ふにゃりとした頬を思わず摘んでしまいたくなるが、なんとか堪えて俺は本を元に戻すことにした。
片手が不自由になったから若干直すのに苦労したが、それはともかくとして今日の所はこれでお開きだろう。
ここはまさに情報の宝庫である。
始めは爺のよからぬ企みに巻き込まれると思い、嫌気と警戒しかなかったがこれはなかなかに素晴らしい。
爺の手の平であるのが気に入らないが、それはそれで精々踊ってやろう。
高速思考を駆使すれば知識は入れたい放題だ。
俺はあくどい顔でほくそ笑む。笑い声でもあげたい気分だった。
実際あげようとしたのだが、俺の手の中でぐっすりと眠っているシルフィードが起きそうになったので止めざる終えなかった。
ていうか、なんで俺はこいつを起こすことをこんなに躊躇ってるんだ。
理不尽な思いに駆られながら、それでも結局俺はシルフィードを起こすことなく帰路についたのだった。