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思考進化の連携術士  作者: 楪(物草コウ)
第二章 少年期 魔術学校編 『繋げる者』
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第六十九話 ただのクロイツ

 新人戦の全日程が終わった後のこと。

水竜亭の豪奢な部屋の中でクロイツ・シュトラウセは閉じ篭っていた。

あれからすでに数日が経過している。

学校も通常通りの授業を再開し始めているにも関わらず、彼は一度として登校していなかった。

 あの試合で奇跡的にもかすり傷程度しか怪我を負っていなかったクロイツだったが、精神方面での傷は深い。

彼の心の拠り所にしていた精霊を失ってしまったから。

 クロイツは表向き高慢な態度をとり、自分が強者であるような振る舞いをしてきた。

だがあの試合でも露見したようにそれは見せ掛けだった。

他人に強く当たることで自分の心を守ろうとしていたのだ。

その行いが良いものではなかったのは確かだが、彼も何も最初からそうなっていたわけではない。

過去の出来事がクロイツを傲慢な人間にしてしまった。

……今となってはその傲慢さもミコトによって粉々に打ち砕かれてしまったわけだが。


 「…………」


 抜け殻のようにぼーっとし、ろくに食事もとらないクロイツの顔は以前とは別人のようだった。

生気のないどんよりと淀んだ瞳は何も映してはいない。

ソファーの上で毛布に包まっている小さな姿を見ても、あのクロイツだとは誰も思わないだろう。

彼はそうやって魔道具の明かりさえ灯さず、暗闇だけを見詰めていた。


 「…………?」


 クロイツがようやく動きを見せたのは小一時間は経った後だろうか。

コンコン、と入り口の扉をノックする音にのっそりと顔を上げる。

規則正しく何度も繰り返すその音にクロイツは僅かに顔を逸らしただけだった。

どうせ宿の従業員が来たに違いないと思っていたから。

何度かこうしてルームサービスの類で来ることはあった。

無視すればいずれ消えるとわかっていたクロイツは、再び自分の殻へと閉じ篭ろうとしていた。

 だがその時だけは様子が違っていた。

カチャリ、と扉の鍵穴に差し込むような音が届いてきたのだ。

すぐにクロイツもそれには気付いて顔を向ける。だがクロイツはそれ以上動こうとはしなかった。

宿代はすでに払った後でトラブルも一切起こしていない。

その上で鍵を使って入ってくるなど異常事態であるはずなのだ。盗人の類ならばそもそもノックなどしないだろう。

明らかにおかしな状況だったが、クロイツはそのまま扉が開くまでじっと待っていたのだった。

 眩しい光が部屋に差し込む。

廊下に設置されている魔道具から放たれた光だろう。

クロイツは久方ぶりの明るさに思わず目の部分に手をかざして影をつくる。

しばらく経てば目も慣れてきただろうが、扉を開けた人物は無遠慮にも部屋の中にすでに入ってきていた。

 クロイツは見える範囲、つまり足元だけをその目に入れた。

高級な黒い革靴に仕立てのいいズボンが見える。貴族社会に慣れているクロイツは、一目でそれが一般で出回るようなものではないと気付いた。

この水竜亭の主も対外の目を気にして服装を整えてはいるが、ここまでの物は用意できないだろう。

つまり貴族以上の階級。そんな人物が何故ここに。

ようやく事の異常さに頭の中が覚醒しようとしていた所に、冷ややかな声が浴びせられる。

それは極寒の氷柱を全身に突き刺されたかのような思いをクロイツに抱かせるのだった。


 「久しぶりだな、クロイツ」

 「……っあ、ああ」


 何故ならその声の主がクロイツの父、マクス・シュトラウセのものであったから。





 明るさを取り戻した室内にクロイツは父であるマクスと二人で取り残されていた。

先ほどまでは鍵でこの部屋を開けた水竜亭の主もいたのだが、マクスが一瞥するとへこへこと頭を下げていなくなってしまった。

 未だクロイツは混乱の最中にある。

体裁を取り繕い、毛布などを片してマクスの真正面に座ってはいるものの、気まずい所の話ではない。

情けない姿をこの父に晒してしまったという点において戦々恐々としていた。

 マクスという人物を一言で言うならば厳格、である。

幼い頃から礼儀や作法などを叩き込まれたクロイツはそれを嫌というほど知っている。

貴族であるならばそのようなものは専門の教育係に任せるのが通例であるのだが、シュトラウセ家だけは違っていた。

忙しい合間を縫って父親が直々に子に教える。

そう聞けば美談に聞こえるかもしれないが、マクスの教育は度が過ぎていた。

少しでも間違ったことをすれば手が飛んでくるなど当たり前で、あまりにうまくいかない日は飲食を禁じられることだってあった。

成長期の子供にはあまりに辛い仕打ち。思わずクロイツが泣けば、叱責と共に平手打ちをされる。

泣くことさえ許されない日々だった。

 マクスの躾が厳しかったのは、偏に優秀な上の子供たちがいたからかもしれない。

クロイツの五つ上の兄、そして二つ上の姉は飲み込みが早かった。対してクロイツは二人に比べるとすぐに習得したとは言い難い。

彼は普通だったのだ。普通だった故に優秀な兄弟の中で悪目立ちしてしまう。そしてそれをマクスはよしとしなかった。

この頃から彼は家族の中で劣等感を抱いていた。


 「……それで父様、何用でこんな所へ?」


 へりくだったその態度は家族、それも実の父親に向けるようなものではなく、まるで恐怖に怯える子羊のようだった。

そんなクロイツをマクスは血も通ってなさそうな冷徹な瞳で見下ろしていた。

子が子ならば親もである。この空間を切り取って誰かに見せたとして、この二人が親子だと思う人が何人いるだろうか。

 視線に晒され、自然と震える体をクロイツは抑えながら父の言葉を待つ。

叱責か、それともまたぶたれるのだろうか。

だがマクスがとったものはそのどちらでもなかった。平坦な声色で一言だけ呟いたのだ。


 「アルトロンを使ったそうだな」

 「っっ!?!?」


 クロイツがぎりぎりの所で叫び声を上げなかったのは、未だマクスの冷たい視線が彼を貫いていたからだろう。

でなければ水竜亭のみならず、外の街路地にまで大きな叫び声が響いたに違いない。

 ……考えても見ればあんな公衆の面前で使ったのだから、いずれ父親にも伝わることだっただろう。

それにしてもマクスがここに来るまでの時間が早すぎた。実家から帝都に移動するだけでも一週間はかかるはずなのに。

疑問を挟むまでもなく、マクスがその先の答えを口にする。


 「私用で近くにまで来ていた所に密偵が知らせてきたのだ」

 「み、密偵?」

 「あの男だけではなかったということだ」


 あの男とはオラフのことだろう。

クロイツも知ってはいた。オラフが毎週のように父親に連絡していたことを。

だからオラフのことを信用できなくなっていた。

例え昔から付き従っていたという事実があったとしても、父親の味方になったというならもう自分の味方ではない、と。

彼はもうオラフのことをアルトロンの入れ物としか思えなくなっていた。

 そうして彼の最後の拠り所は幼い頃に父の魔術工房で見た疑似精霊……アルトロンだけになった。

子供ながらに力強いその姿に憧れた。ヒーローのように魔物を薙ぎ倒す、そんな幻想を頭に描いた。

なればこそ、帝都に住居を移す直前に父からアルトロンを譲り受けた時、飛び上がるほどに喜んだのだ。


 「まさかお前がアルトロンを使うまでに浅はかだったとはな」

 「ち、違うんです父様。仕方のない状況になって……」

 「クロイツ、別に私は怒っていない」

 「え……?」


 クロイツは一瞬だけ呆ける。予想外の言葉だったから。

同時にその言葉に希望を抱いた。そうだ、自分はまだ何も終わってはいない、と。

だが失意のどん底はすぐ傍まできていたのだった。


 「お前に期待することを止めただけだ」

 「……は?え、え?」

 「アルトロンはお前に対する試験だった。出立の前に私はお前に言ったな。不用意に使うことを禁じる、と」

 「………………」

 「この試験は使った時点で不合格となる。お前はそれに落ちた。それだけだ」

 「ちょっと待ってください!!だからそれは危なくなってしょうがなくて」

 「くどい。言い訳はいらん。危機に陥ったというならその前に対処をすればいいだけだ。それも出来ないからお前は出来損ないなのだ」


 昔から口癖のように言われていた出来損ない、という言葉にクロイツは怯んだ。

それでもこの瞬間を逃せば取り返しの付かないことになる、と彼は思った。

クロイツは立ち上がり、マクスの足元へと見っとも無く縋りつく。


 「待って、待ってください!もう一度機会をくださればご期待に応えて見せます!あのエルフだって倒してみせますから!」

 「私に……気安く触るな」

 「あぅ!」


 何の躊躇もなくマクスはクロイツを足蹴にした。

体を強かに床に打ちつけつつも、もう一度マクスに取り合おうとしたクロイツだったが、その前に無慈悲にも最後通告は下される。


 「お前はもうシュトラウセを名乗ることを禁じる。ただのクロイツとして生きるがいい」

 「そん……な……。一度だけ……間違えた、だけ、なのに」

 「一度だけ?違うな。お前も何度も私の期待を裏切った。私の温情を無視し、結果もろくに出せない。

  そんな者はシュトラウセ家には必要ない。」

 「僕は、父様、僕は!」

 「私を父と呼ぶな出来損ないが。いいか、すでに宿は引き払っている。学校の方にはすでに退学届けを出しておいた。

  周囲はまだお前をシュトラウセの者だと思うだろう。我が家に泥を塗らぬよう、潔く何処へとでも去れ」


 それは泊まる所さえなく、日常さえ奪われたということに他ならない。

呆然とするクロイツに、マクスはテーブルの上に小さな袋を放り投げた。

金属の重い音がしたことからそれが手切れ金とでも言うのだろうか。

マクスは用は済んだとばかりに立ち上がり、それっきりいくらクロイツが呼び止めようとも最後まで振り返ることなく、部屋の中から出て行ったのだった。




 マクスが言った通り、その日の内にクロイツは水竜亭から出ることになった。

事情をある程度察したのか、宿の主は客にとる態度とは思えない程のぞんざいな扱いで彼を追い出した。

普段のクロイツならば激怒したであろうが、今の彼はそんな状態ではない。

まさしく魂の抜け殻のように成すがままにされていた。

 今クロイツは路地を歩いていた。手には小さな袋。

ショックでおぼろげになった頭でクロイツはなんともなしに中身を確認する。それなりの金額が入っているようだった。

それでも水竜亭に一泊も泊まれない程の些細なものだったが、当面はどうにかなるだろう。

 問題はその後、である。

まだ子供といえる歳のクロイツがどうやって生計をたてることが出来るのか。

あのマクスがそこに気付いていないとは思えない。彼は認めたくないだろうが、本当に見捨てられてしまったのだ。


 「…………」


 そんなことを考える余地すら今のクロイツにはない。何も考えたくはなかった。

行く宛てもなく彷徨い、周りの景色が知らない場所になったとしても歩き続けた。

夜の帳が落ちてきたとしてもクロイツはとぼとぼと足を動かすことを止めなかった。

止まってしまえば余計なことを考えるとわかっていたから。

 そんな彼はここの住人にとっては格好の獲物に見られていた。

まだクロイツは気付いてはいないが、彼がいる場所は帝都グラフィールの中でも治安がとれていない地区……歓楽街だった。

酒に女に遊ぶことに暇がないこの地区では犯罪発生率が非常に高い。

酒に酔っている者などを狙う輩がたくさんいるからだ。

 その点クロイツは酔ってはいないが挙動不審。おまけにその手には金が入っていると思わしき袋。

これを狙わずしてなんというのか。

必然的に彼はならず者たちに囲まれては金の入った袋を容易に奪われ、その上で暴力を振るわれた。

抵抗をされなかったことに拍子抜けでもしたのだろう。あるいは反応のなさが気に入らなかったか。

クロイツは路地裏にうち捨てられたゴミの山に頭から突っこんでいった。

 下品な笑い声をあげてならず者たちは去っていく。

魔術を使えばあんな奴らなど一蹴できただろうに、それすらもクロイツはしなかった。

どうでもよかった。殴られた頬の痛みさえどうでもいい。

ゴミの中から這いずるように出てきたものの、何も気力が湧いてこない。


 (…………ずっと頑張ってきたのに)


 彼なりに努力をしてきたのにそれは報われなかった。

どんなに汚い手を使っても勝ち続けて、父親に認められたかった。褒めて欲しかった。

結局の所、マクスはただの一度として彼を褒めたことはない。

クロイツに与えたのは寂しさと親の愛に対する飢えだけだった。

 思わずクロイツは涙する。堪えてきたものが決壊したようにそれは止め処ない。

ゴミにまみれたみすぼらしい格好で、未来に展望さえ見えず、父に見捨てられたことにようやく気付いたから。


 「うっ……く、うああ……」


 嗚咽を零して冷たい地面を叩きつける。

感情の捌け口を見つけ出したかのように、何度も、何度も。

血が拳に混ざり始めたとしても止めなかった。

 一体そんなことを何度繰り返しただろうか。

言葉にもならない声をあげて、痛みを通り越して感覚すらなくなった拳に誰かの手が重なった。


 「だれ……?」


 大きなその手は不思議とぬくもりのようなものを彼に感じさせた。

そう、まるでそれは父親の大きな手のようだった。

クロイツが見上げた先には何処かで見かけたような、暖かさを感じる優しい表情の男がいた。

心が冷たく冷え切っていたクロイツにとって、それだけで火が灯るような感触がしたのだった。

……その手を取ったことで、彼の運命はまた大きく変わっていく。

良い方向にも、そして悪い方向にも。

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