第六十七話 力への恐怖
「少女はやがて大人になり、美しくも快活な女性になっていったそうじゃ。
彼女の境遇を考えればそんな信奉されるような力よりも、それこそよっぽどの奇跡じゃ。
ずっと独りぼっちで、自分の中には得体の知れない強大な力がある。
心が未成熟な子供にはあまりに辛いことじゃ。いや、大人だったとしても正気を保っていられるかどうか。
……そんな彼女の運命の歯車が狂いだしたのはいつからじゃろうな。
のう、ミコト。周囲の者が彼女の力に気付いた時からじゃろうか。
あるいは途方もない力を持ってこの世界に産まれ落ちた瞬間からじゃろうか?」
「…………」
「……運命の女神はそれでもなお残酷での。
時が経つにつれ彼女のことを巫女として崇める者が増え、終には両親の傍からも離れ神殿に住むように強制されたのじゃ。
別離に悲しみ涙ぐむ彼女に、実の父と母は満面の笑顔だったそうじゃ。
さすがは我が娘。私たちも鼻が高い、と。すれ違う心は結局、最後まで通い合うことはなかったそうじゃの……悲しいことじゃ」
「その子は……離れたくない、と言わなかったのか?」
「言えなかったそうじゃ。困らせたくはなかった、ただでさえ自分の特殊な力のせいで迷惑をかけていたから、とな。
……あまり他人の親を悪く言うつもりはないのじゃが、彼女の両親も他の者と同じく信奉者となっていたのかもしれんの。
彼女ではなく、彼女の中にある力に魅せられた哀れな狂信者。最初から何を言ったところで無駄だったのかもしれぬ」
その話に俺は宗教の怖さの一端のようなものを思わず感じてしまった。
盲目に、それこそ洗脳でもされたかのように何かを信じきってしまう。
それがいい方向に向かっていれば問題はないだろう。だが一度道を踏み外せば怖ろしい事件に繋がってしまう。
爺が言うように、そんな中に取り残されて普通でいられる可能性は限りなく低いだろう。
「両親の元から離れてからも、その子はずっと独りだったのか?」
孤独の痛みを嫌という程知っていた俺は、いつの間にかそんなことを口走っていた。
彼女の心が耐え切れずに破滅してしまった、そんな話の結末を想像してしまったから。
だが爺はそんな俺の言葉に黙って頭を振った。
「本当の意味でも独りぼっちになった彼女の前に、唐突にある精霊が現れたのじゃ。
姿も見えず何処から訪れたかもしれぬ、気ままな風のような精霊だったのじゃが、声だけは彼女に届いておった。
寂しさに押し潰されそうになっていた彼女は喜んで相手したそうな。
行き所がないという精霊を彼女は歓迎し、精霊もまた彼女のことをいたく気に入ったそうじゃ。
二人がやがて親友という間柄になったのは必然だったのじゃろうな」
その時だけは我が事のように爺は楽しげに話していた。
爺が話す彼女とは知り合いなのだろうか。
相変わらず昔話を俺に話す意図はわからないが、独りぼっちから開放された彼女に何処かで俺はほっとしていた。
「精霊、ね。案外精霊っていう存在は身近なのか?
俺の場合もあるが、クロイツだって偽物とはいえ精霊を従えていたし」
「まさか。本来なら常人に声さえ掛ける事はないぞい。
わしもちゃんとした精霊を見るのは数える程しかないしの。彼女が特別だったということじゃ。
無論、それはミコトにもあてはまるの」
「……俺のことはどうだっていい。それで、その子の話は終わりなのか?」
「気になるのかの?」
「ここまで話しておいて俺に全く無関係な話をする意味がないだろう。先延ばしをするな、爺」
爺は苦笑する様子を見せてから、ようやく俺の方へと振り返りその表情を見せた。
爺の顔に浮かんでいたのは……悲しみ?
「そのままで話が終わればいくらか救いがあったのだがの。
……彼女の力はあまりに強すぎたのじゃ。留まりを知らぬ力は時が経てば経つほど溢れかえる。
力を無理に押さえつけようとした反動は、痛みとして彼女に襲い掛かっておった。
それでも彼女は気丈にも普段通りに過ごしていたそうじゃ。
放っておけば命の危機にも発展するだろう痛みだったにも関わらず、じゃ。
たまに訪れる信者たちの前でも笑顔を振りまき、頼りにしたかったはずの両親の前でも笑っていた。
……どうしてそんな娘の状態に実の親が気付かないのか」
感情を感じさせない声で淡々と爺は言い放った。
やはり幸せな終わりなどなかった。その事実を知っていながらも嫌な気分にさせられる。
もはや胸糞の悪い結末しか想像できない。それでも俺は最後まで爺の話に耳を傾ける。
「そんな彼女の様子に気付いたのは、誰よりも傍にいた精霊一人だけじゃった。
友の前でも無理に笑おうとしていた彼女に、精霊は心底の怒りを覚えたそうじゃ。
同時に彼女をどうにかして救いたいとも思っておった。そしてその為の手段を精霊はもっておったのじゃ」
「精霊契約、か?」
「察しがいいの……。その通りじゃ」
精霊との契約、あるいは何かしらの儀式かとも思っていたが、どうやら前者で当たりのようだった。
話の渦中にいる彼女の力の源、それは魔力に関係するものなのだろう。
精霊との繋がりを持てば魔力の供給ラインが出来上がる。
予想ではあるが、精霊が彼女の魔力を吸い取って安定化を図ったのだろう。
「結果として彼女は精霊との契約によって一命をとりとめた。
だが……彼女が精霊と契約した故に争いが始まってしまった。彼女の種族のほとんどが死に絶えるような争いが、じゃ」
「……何?一体どういうことだ」
精霊契約と種族が絶滅するような争いとの因果関係が全くわからない。
顔を上げて問い詰めるも、爺は一息をつきながら間をとる。
僅かな間であったが俺が焦れるには十分で、しかし、再度食って掛かる前に爺は口を開いた。
予想だにしなかった言葉を添えながら。
「精霊は善意によって彼女を助けようとしておった。そこに打算の一欠けらも存在はしていなかった。
だが精霊は自分という存在の意味を、そして彼女の種族……ハイエルフのことをよく理解していなかった。
精霊の名はシルフィード。風の大精霊であり、ハイエルフにとっては神にも等しい存在であった」
「なっ…………じゃ、じゃあ、その彼女の名前は……?」
「……お主の母親であり、森羅万象の使い手であったミライ。彼女のことじゃよ」
あまりの驚きに空いた口が塞がらなかった。
まさかここでシルフィードとミライのことが話にあがるとは思いもしなかったからだ。
動揺している俺とは裏腹に、爺はあくまでも冷静なままで話し続ける。
「争いの火種は精霊契約をして程なくといったところか。
巫女の傍仕えとして勤めておった女の神官にシルフィードのことを感付かれてしまっての。
そこから話は広がってエルフの里中に知れ渡った。そして神をも従える巫女を手中に収めようとする輩が出始めたのじゃ」
「…………」
「里には二つの勢力が出来上がり、その旗頭になったのは皮肉にもミライの両親たちだったのじゃ」
「そんな話って……」
「母と父の醜い骨肉の争いは、血で血を洗う壮絶なものじゃった。ミライも止めようとはした。
だが聞く耳を持たない両者に届くことはなかった」
「ミライの、その力でどうにか出来なかったのか……?」
「無理じゃろう。契約によってどうにか抑えていたほどのものじゃ。
もしも使おうとして暴走すればもっと悲惨なことになっていたとも限らない。力を使うには……時間が必要じゃった。
そしてその時は待っていてくれなかったのじゃ。後はさっきも言った通りじゃな。生き残りはほぼいなかったそうじゃ」
まさかそんな過去がミライにあったとは少しも考えたことがなかった。
だってあれだけ俺に笑顔を見せてくれて、いつも笑っていたんだ。暗い過去が存在するなんて思わなかった。
顔を俯かせて茫然自失している俺に爺はそっと近寄って肩に手を乗せる。
「ミコト。お主の中には森羅万象という途方もない力が宿っておる。
シルフィードと契約しているお主なら御することも不可能ではないじゃろう」
精霊契約によって森羅万象の力は抑えられる。
ならば、あれ以上の力が俺にはある……?アルトロンを圧倒したあれ以上の力が?
自分の両手を見詰める。そこには小さな子供の手しかなかった。
だけれどその中には他者を圧倒できるだけの、俺が望んだ力があるんだ。
だがその時、肩に置かれている手に力が込められていることに気付いた。
俯いていた顔を上げた先には爺の険しい表情が待っていた。
瞳はまっすぐに俺を射抜き、俺の考えを看破でもしているかのような厳しい声で叱責する。
「使い方を間違えるな。お主が真に暴走すれば、あの試合以上の惨劇が始まると知れ。
己の力の意味を、そしてシルフィードと契約しておる意味も改めて考えるとよい」
背筋が凍る思いがした。俺はその時初めて、自分の力に怖れを抱いたのだった。
今までは強くなりさえすれば後はどうでもよかった。強くなる為の手段なんて何でも良かった。
だが俺の中にあるものは俺自身をも飲み込もうとする。
意識を塗り替え、俺の憎しみの感情を誰それと構わずぶちまけようとしている。
そんなことは俺は望んでいない。クロイツを……マリーを殺そうなんて思ってもいなかったんだ。
指向性のない力がどれだけ怖ろしいものなのか、あの試合を通じてようやく思い知った。
俺はこれから自分との力に向き合わなければならない。そう、ひどいことをしてしまった彼女たちとも。
爺の部屋から出た後はそんなことを考えるばかりで、いつ自分が帰り道についたのかもわからなかった。




