第六十三話 黒槍
逃げてばかりでは話にならないというのに、シルフィードは俺を止めようとはするものの、戦う意志が少しも見当たらなかった。
追いかけてはすぐに魔術によって妨害を受ける。
強力な風圧をプレス機のように上空から押し付けるエアプレッシャーという魔術。
それ共にほぼ同じタイミングで檻の如く風の障壁が四方に現れた。
風の精霊と称するだけはあり、卓越した風魔術の使いこなし。
魔術の発動も速く、高速で動き回っている俺を的確に捉えていた。
「ぐっ、が!」
背中からもろに風圧を受け、地に落ちた俺は床に這い蹲る。体を起こそうとしても風圧によって動けない。
屈辱的な格好に怒りが体中を駆け巡る。憎しみが止め処なく溢れる。
こんなもので俺を屈服させようとでもいうのか。そんな屈辱はもういらねぇんだよ!!
『そんな、まさか魔術も使わずに力技なのです!?それにあの肌に浮かんでいる黒い紋様は……』
憎しみが増すごとに体に力が溢れてくる。全身から燃え上がるような熱が生まれてくる。
ぐぐっ、と力を込めて膝立ちになりながら立ち上がった。
強い風は絶えず圧力をかけ続け、更に出力が増していく。
一歩、一歩。そんな中を俺はゆっくりと歩き続け、風の障壁にまで辿りついた。
「ああああああああああ!!」
そして閉じ込めようとする壁を両手で思い切り引き裂いた。
『無茶苦茶なのです……』
風たちは霧散してようやく自由を取り戻す。睨み上げた先に二人の姿を見つけた。
上空から俺を見下ろしている。自分たちが上であるかとでもいうように。
全ての状況が、全ての事柄が憎しみへと繋がっていく。
「妖精さん!!」
マリーが俺の動きを察知して声を上げた。
俺は地上から四枚羽を羽ばたかせて舞い上がり、まっすぐにあいつらに向けて空を駆ける。
『……っ。少し痛いかもですよ!頭を冷やすのです、ミコト!』
魔術を唱えようとしているシルフィードを前にしても俺は止まらなかった。
何をされても構わない。この身がいくら傷つこうと、この手があいつらに届けばいい。
彼女の細い首を、少女の小さな体をこの手で……。
『小さな風の子は戯れ、愛しき空へと誘うだろう。満ちよ風刃。エアレイド!』
突如として現れた風の刃に俺は構うことなく進む。しかしそれは一つだけではなかった。
気付けば無数の風の刃に取り囲まれていた。
術者の元から風の刃が射出されるウィンドブラストとは違い、この魔術は場所を選ばず対象者の周囲に発生させるようだ。
もとより逃げるつもりなどなかった俺は防御などかなぐり捨てて突貫した。
「ぐあああああ!!」
シルフィードの魔術に体中を切り刻まれる。
鼻から魔術障壁を張ることなんて頭には無い。先ほどの二の舞になるかもしれない。
血で出来た赤い線がいくつもうまれ、叫びを上げながらも風刃の密集空域を進んでいく。
「見てられないよ……ミコトっ、やめて!もうこっちにこないで!妖精さんもそれを止めて!」
『くっ……マリー。それでも止めるわけにはいかないのです。今のミコトに言葉は届かない。だったら実力行使で止めるしかないのです!』
ぽたぽたと体中から血を滴らせる。なます切りにされた姿はさぞ凄惨なのだろう。
痛々しそうにマリーが俺のことを見ていた。厳しい顔をしながらも、シルフィードも何処か悲しそうな瞳をしていた。
血の流しすぎだろうか、頭が朦朧としてくる。
未だに渦巻いている刃を前にして俺は呻いていた。
「う、ぅぅ……」
いたい……いたい……。体がいたい。とても、いたいよ……。
『ミカタ、ミカタ、トウソヲツク。ソシテサイゴニハ、コウシテ、イタミヲアタエテクルネ?』
いたい……いたいよ。
いたくて、さむいよ。俺はいまどこにいるの?ここに本当に俺はいるの?
『ヌクモリナラ、キミノカラダニ、ヒロガッテイルダロウ?』
あついよ。でもさむいんだ。どうして?凍えそうにさむいよ……。
『イカリヲ、チカラニ。ニクシミヲ、チカラニ』
あぁ、いたい。いたいよ……。体がいたいよ……。心が、いたいよ……。
『サァ、コトゴトクヲ、コロソウ?』
コロせば、あったかくなる?
『ソウダヨ?』
本当に?
『モチロンサ?』
じゃあ俺……もう少しだけ頑張るよ。
『くっ……これ以上続けると、本当に危なくなってしまうのです』
「今でも十分に危険だよ!ねぇ妖精さん!ここからあたしを降ろしてっ。ミコトの治療をしなきゃ」
『ダメなのです。あの状態のミコトに近づけば命が危ないのです。
さっきマリーも見たでしょう?ミコトが私たちに襲い掛かってきたのを。今だって』
「っっづぁぁあああああああ!!」
気力を振り絞り、俺は魔術の拘束力が弱まったタイミングを見計らって、闇の力を放出した。
周囲に存在していた風の刃を一つ一つ喰らい始める。だが、なかなかすぐに消滅させるに至らない。
やはり精霊が使う魔術は普通の魔術とは違うようだった。
これが偽りの精霊アルトロンと本物との違いということなのだろう。
どうにか風の刃を消滅させることには成功したが、力を使いすぎた反動か体が思うように動かない。
空中に留まりつつも体が揺らめく。さすがに回復魔術を使おうとするが、何故か魔術自体が発動しない。
『……今ならばもしかしたら、風の障壁で周りを囲んでそのまま拘束できるかもしれないのです』
「本当!?」
『それからどうにかして元に戻すのです!マリー、その時は頼むのですよ』
「わかってる!任せておいて」
ごちゃごちゃとうるせぇ……俺は気が狂ってなんかいない。今のこの状態が普通なんだ。
そう思い、歯軋りをしながら睨んでいた俺の肩に鋭い痛みがはしった。
呻きながら視線を移せば、氷の矢が貫通してその頭を見せていたのだった。
「あはっ。あはは。ざまぁみろ。僕がとどめをさしてやるぞ。あははは」
狂ったような笑い声を上げるのは、手の平を俺に向けて地べたに這っている奴だった。
正気でも失っているのかのように瞳がどんよりと曇っている。
そう、奴もいたんだ。
お前らも、奴も、何処までも!!俺の邪魔ばかりをするッッ。
異物が抜けていく気持ちの悪い感触を我慢しながら矢を引き抜いた。
栓にしていた矢が抜け、だくだくと血が流れる。
「…………いたい」
いたい。いたいいたいいたいいたいいたい!!
クソが。畜生が。くそったれが!!
切り刻まれ、射抜かれ、赤い血を流される。
寒い。どうしようもなく寒い。俺の体から体温がなくなっている。
コロしてやる。コロしてやる!!俺のぬくもりを奪ったお前らをコロしてやる!!
『っっ!!魔力が急激に高まっているのです。まだこんな力が!?マリー、防御壁を更に厚く張るのです。衝撃に備えるのですよ!!』
「う、うん!」
「あははははは!!」
想像する。創造する。あの時のように俺は力を創り上げる。
魔法という神秘に触れた瞬間のことを思い出す。
記憶はぼんやりと靄がかかり、記憶の一ピースを集めるのにも苦労する。
彼女の記憶を思いだそうとした時と同じ感覚。
蠢く闇が体を這っている。浮かんでいた黒い紋様が両の手の平に集まっていく。
形を成していったのはそれからだった。
凝縮された闇は除々に細長くなり、黒い稲光を帯びながら槍の形をとっていく。
黒槍という名に相応しい深遠をその身に潜め、だが稲光は俺自身をも傷つけていく。
不完全な創造だった。やはりつぎはぎだらけの記憶では完全にはなりえない。
だが、例え諸刃の刃だとしてもこの手を離すことはない。
そうして深遠なる黒槍は俺の両の手に握られた。
二本の槍は黒い稲光を絶えず発し続け、傷だらけのこの体ではそう長く持っていられない。
「おおおおおおおお!!」
俺はまず奴に狙いを定め、勢いよく右手に握っていた黒槍を投擲。
行く先を見定めることなく、次に俺は防御壁を張りながら遠ざかろうとしているあいつらに向けて放った。
渾身の力で放った二本の槍が外れるということはない。
俺が創造した力に込めた願いはそんな簡単なものじゃない。
絶対に逃がさない。その体に喰らいつくまでは絶対に。
射出された黒槍は稲光による残像を残しながら空を切り裂く。
俺は力を失って墜落しながらもその姿を目に焼き付けていたのだった。




