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思考進化の連携術士  作者: 楪(物草コウ)
第二章 少年期 魔術学校編 『繋げる者』
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第五十九話 深まる闇

 その声は甘い蜜のようで、劇薬だった。

雷鳴の如く脳髄を駆け巡り、肉体を、血液を、神経を痺れさせる。俺という存在を変容させる。

意識が真っ黒に染まり、余計なことを考える思考は切り離された。

躊躇も戸惑いも、迷いさえもなくなる。歯止めになっていたものは消えていった。

残されたものは……憎しみの炎に焦がれている復讐鬼だけだ。


 「ううう……うわあああああああああああああ!!!」


 その時、俺は原点に回帰した。この憎しみが始まったのはいつか、生まれてしまったのはいつか。

魂の慟哭を……産声のように上げたのはいつだったか。

フラッシュバックする過去の出来事。人を初めて心の底からコロしたいと切に願ったあの夜のことを。

 憎悪の翼が羽ばたく。それは文字通り、背中に四枚羽として花開いた。

俺の心をかたちどった漆黒の翼は喜びの産声を上げる。

産声は衝撃波となり俺の全身を覆っていた闇を吹き飛ばし、氷結晶の嵐を生み出していたダイヤモンドダストさえも呆気なくかき消していった。

晴れた視界の先にはアルトロン。傍にいるのは、この世の終わりでも目撃しているかのような顔をしている奴一人。


 「何が起きているんだ。これは本当に現実なのか?あるとろん、あるとろんはやく、悪夢からはやく僕を目覚めさせて!」


 懇願するその声に応じるように、ついにアルトロンの詠唱は終わりを迎えた。

行使されるは極寒の最上級魔術コキュートス。

大気中に存在する全てのものを瞬間的に凍らせることが出来る大魔術だった。

その攻撃範囲は込める魔力によって変動し、数百人を動員した軍による魔術の行使によって街一つが氷のモニュメントと化してしまった、という例もある。

 アルトロンが唱えたコキュートスは大幅に範囲を狭めたものだ。

的確に俺の周囲だけを狙いすました魔術は確かに効果を発揮した。

最上級魔術に対して個人による魔術障壁など意味をもたない。大人数による結界、もしくは特別なアイテムでもない限り即死は免れない。

俺は何の抵抗も出来ないままに氷づけにされてしまった。


 「やったか!?……やった、よな。本当にもう動かないよな……」


 一縷の望みを託すように奴はアルトロンを見上げるが、アルトロンは微動だにせず俺の方を見ていた。

体中の体温を奪われ、心臓は鼓動を止めて血も凝固して流れることは無くなった。指の一つでさえもはや動かせない。

生命活動は完全に停止していた。出来のいい氷のオブジェがそこに出来上がる。

俺は今この時を持ってして死んでいる。

 …………だから?

それで終わり?

肉体が死んでしまったからもう何も出来ない?


 (まさか)


 その程度で終わるはずが無い。終われるはずがない。

例え肉体が死んでしまったとしても、滅んでしまったとしても心が死んでいるわけじゃない。

それだけで十分だった。今の俺には強い意志さえあれば他になにもいらない。

 滾る黒炎が血を燃やす。血が煮えたぎる熱を持ち、神経もそれと共に活性化した。

氷解していく痛みに歯軋りをもってして応え、解放の時を待ちわびていた心の炎を解き放つ。

ぱりん、とまるでガラスのような音が響き、コキュートスの呪縛は完全に無くなった。

 即座に反応したのはアルトロンだけだった。

あんな大魔術を使った後だというのに油断もしていなかったのは精霊故だろうか。

無詠唱による強力な魔術を三つも同時に発動させ集中砲火を浴びせようとする。

防戦一方にさせる腹積もりなのだろう。隠す気のない意図だろうが、あの攻撃に対抗する手段がなければ隠す必要もない。

 あますことなく地上に降り注いだ暴威に、特殊な製法により魔術抵抗を高めていたはずの床が砕け散っていく。

爆音が耳をつんざき、爆風によって煙があがって視界は零になった。

 もうもうとあがる煙と共に静かな時が流れる。

直撃した魔術の行方を見守ろうというのか、アルトロンは自分の背後に氷の槍をいくつも展開しながら静観していた。

隙を見せない姿勢ではあるが、詠唱の準備をして魔術を唱えない所を見るにあれは魔力の消耗が著しいのだろう。

まさしく奥の手だったというわけだ。


 「ふっ」


 駆動する四枚羽を使い俺は煙の中から文字通り飛び出した。

地を這うように滑空する俺に素早く反応したアルトロンは、控えさせていた槍をいくつも投擲する。

矢継ぎ早に飛び交う槍の合間を縫うようにして駆け抜け、俺とアルトロンの距離は瞬く間に縮まる。

突き刺さる氷槍の音を耳にかすめながら、ついにアルトロンは俺の接近を許してしまった。

 だがそこには罠が待ち構えていた。

アルトロンの周辺には地雷型の魔術トラップが設置されており、俺が近づいたことでそれが発動してしまう。

このような条件を指定する魔術は往々にして威力が高い。同じ等級の魔術と比べて二倍以上も違ってくるという。

アルトロンが使うようなそんな魔術ならば一体どれほどの殺傷能力を秘めているのか。

しかしそれが披露されることはなかった。


 「食い散らせ、陽炎」


 黒い四枚羽から発生した揺らめく透明な炎がトラップを完全に無効化する。

侵食し、食い荒らすことで魔術式を破壊する掟破りの反則技。

繊細な術式から成り立つ魔術だからこそ少しの綻びで簡単に破綻してしまう。

俺が無傷で先ほどの攻撃を切り抜けられたのもこれのおかげだった。


 「――――!!」


 アルトロンは罠が破られたことなど気にもせずに、その大きな体躯を活かして肉弾戦を仕掛けてくる。

青き体を弓の弦のように限界まで引き絞り、溜めに溜めた力を爆発させて解き放った。

抉り込むように拳の弾丸が風を切りながら迫り来る。

 動揺もせず思考の切り替えが早いのはさすがと言うべきだろう。

だが何故俺が接近したのかを考えるべきだったのだ。

 アルトロンと俺による一瞬の交差。

二メートル半はあるだろうアルトロンの一撃をまともにくらえば、おそらく俺の体など粉々に砕かれていただろう。

それだけの力がこの精霊には秘められていた。


 「届きさえすれば、な」

 「――――!?」


 陽炎を纏った右手から青い塊を投げ捨てる。それはアルトロンの右腕だったものだ。

放った直後に霧散して消えていくそれを尻目に、俺はアルトロンに向き直った。

アルトロンはごっそりと欠けてしまった部分を反対の手で抱えながら、同じように俺を見ていた。

表情も何も無い顔のはずなのに、俺は何かの感情が浮かんでいるように思えた。

それは一体なんだろうか。恐れだろうか、怒りだろうか。


 「これ以上抵抗するならその顔に絶望を刻むことになる」

 「…………」


 これが最後の警告だった。もはや容赦などする気は欠片もない。

いや、むしろ、どうして邪魔者を排除することをあれほど躊躇っていたのかがわからない。

俺の邪魔をするのならばシネばいい。命をかけるほどその相手が大事なら、むしろコロすことこそが慈悲だろう。

どうせ奴は俺がコロす。だから地獄でも何処へとでも、仲良く逝けるのだから幸せだろう?


 「――――!!!」

 「それがお前の答えか」


 僅かの間を置いてアルトロンは同時に複数の魔術を展開した。

水の系統の魔術は怜悧に、そして殺気を帯びて俺だけを狙い撃とうとしていた。

 常人の魔術師ならばそれだけで腰を抜かしそうな光景に、俺は嘆息をもってして応える。

わかりきった結末が待っているだけだというのに、抗うことを止めない。

所詮はただの木偶ということか。奴の言いなりになることしか頭にはないのだろう。

 アルトロンによる魔術による弾幕が鮮やかに出来上がり、それが戦いの再開を告げることになった。

一つ一つがまともに当たれば致命傷となる魔術を、俺は逃すことなく悉くを無効化する。

氷の魔術であればパリンと儚げな音を上げては粉微塵となり、水の魔術であれば蒸発でもしたかのように消えていく。

怒涛の魔術の嵐に、俺は無感情な瞳を宿しながら歩みを進めるのだった。




 終わりは俺がアルトロンの四肢を全て吹き飛ばした後だった。

偽りとはいえ精霊という存在であるアルトロンは、例え腕や足を引きちぎった所で魔力があれば再生する。

人間であれば脳や心臓といった弱点がこいつにはなかったのだ。

たがら俺は何度でも、そう何度でも吹き飛ばし、圧殺し、切り飛ばした。

そうして再生さえも出来なくなった頃、ようやく戦いの終わりは訪れたのだった。


 「…………」


 身動きさえとれなくなったアルトロンはただ俺のことを見上げていた。

もはや魔術の一つさえ使えないだろう。起き上がることも出来ない。当たり前だ。その為の腕や足がない。

ただ辛うじてそこに存在しているだけの存在だった。


 『サァ、トドメヲサソウ?』


 内なる声がそう囁く。とても嬉しそうに。

そうするべきなのだろう。こいつが魔力を回復して再び邪魔をしないとも限らない。

陽炎を右腕に纏いながら俺はアルトロンの傍にまで歩み寄った。

哀れな木偶は執行の時を待つしかない。

 右手を掲げる。アルトロンの体を吹き飛ばしたように、この力ならば精霊と似たような性質のこいつには致命的に効くだろう。

後は振り下ろし、右手を突き刺せばコロせる。ようやく、邪魔者を始末できる。


 『…………ミコト?ドウシタノ?ハヤク、コロソウ?』


 なのに俺の右腕が言うことを聞かなかった。何故だろうそれがわからない。

俺にこいつをコロすことに一切の迷いはない。あの男が諸共道連れになろうとどうでもいい。

だけど……何処かで懐かしい音色が聞こえてきている気がするんだ。


 『アーア、マッタク、キョウザメダヨ?モウスコシ、ナノニナァ?』


 俺がアルトロンに止めを刺せない合間を縫って、こちらに近づいてくる足音が耳に届いた。

走り寄ってきたそいつは俺とアルトロンの間に入り、庇う様にしてアルトロンに覆い被さる。

誰であろう、そいつは奴だった。


 「もうやめてくれ!アルトロンをもういじめないで!」


 涙でぐしゃぐしゃになった汚い顔を晒しながら声を張り上げている。

顔を見た瞬間にコロしたくてたまらなくなったが、思いとどまった。

何故なら奴の行動があまりに不可解だったから。

 どうして木偶を庇うような振りをしているのか?それがわからなかった。

ただの操り人形に情を見せる理由がわからない。

狡猾な奴なことだ。それが演技である可能性もあったが、俺には本気で涙を流しているとしか思えない。

なみだ……?涙?奴は能面で……不気味な笑い声で、あれ、それはとてもおかしい……。


 『ミコト、スゴクイイコトヲ、オモイツイタヨ?キット、キミモ、キニイルヨ?』


 何か決定的なことを思い出せそうだったのだが、囁く声のせいで考えが霧散していってしまった。

煩わしい涙声を聞き続けるのも嫌だった俺は、囁く声だけに耳を傾けることにする。

……あぁ、なるほど、それはそれはとても名案だ。

煩くわめく奴にはとても効果的な手段といえるだろう。そうだな、そうしよう。

思わず口角が上がってしまった俺の様子を見て、びくりと体を震わせ泣き止むことを止めた奴だったが、もっと面白いことがこれから起こると知ったら。

俺と同じように笑顔になるに違いなかった。

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