第五十七話 追い縋る過去
右手の人差し指から伝う熱が、体中を伝播しているかのように熱い。
それは頭の芯にまで到達してうまく思考が紡げない。
冷静に考えればおかしい状況なはずなのに、俺に危機感は少しもなかった。
何故なら俺が求めて止まない力が熱と共に溢れるのを感じていたからだ。
『ボクヲ、ウケイレテ?』
(受け入れる……?そもそも君は誰?)
『ボクハキミ。キミノココロガウミダシタ、チカラ。ダカラ、ウケイレテ?』
内なる声の言葉に首を傾げる。
僕は君?俺の心が産み出した力?
この圧倒的な力が俺の中に隠されていた力とでもいうのだろうか。
(どうして今になってそんなものが現れたのか……)
(コロしたくないなら、ナカマにすればいいという……)
(ナカマ……ナカマってどうすればいいんだろう……?)
頭の中が混濁してうまく考えられない。高速思考はちゃんと起動しているのにどうしてだろう。
痛みを感じているわけではないが、どうにもはっきりしない。
「坊っちゃん!!」
頭を振っていた俺の耳に届いたのはそんな声だった。
聞こえた方に顔を向ければ、中年の男が額に汗を垂らしながらこっちを見ている。
俺、というよりはこいつを見たのだろう。
……地べたから俺を恐怖の目で見上げているこいつは誰だったかな?とても憎くて許せないと思っていたのに。
まぁ……名前も、その理由もどうでもいいか。
中年の男が金髪に駆け寄る姿をじっと眺める。俺の視線をさえぎる様にして男は背中をこちらに見せてしゃがみ込んだ。
うん、こいつは別にコロしたくないなぁ。
「大丈夫ですかい。お怪我はないようですが」
「あ、ああ……」
「それにしても派手にやったようですね。遠くにいても聞こえてきましたぜ。
それで慌てて駆けつけた次第なんですが……相手さん、どうなされたんで?微動だにせずこっち見てるだけですが」
そう言いながらいつでも対応出来るようにしているじゃないか。
金髪を気遣って隙だらけのように見せてるのは演技だろ。抜け目がない男だ。
……少しだけ苛々する。別にあの男がこっちを警戒しているからじゃない。
男の態度には金髪を気遣う様子が見られたから。
上辺だけで取り繕っているわけではなく、心から心配しているようだった。それが何故か俺の心をささくれ立たせる。
「!!……オラフ、あれを使え!!」
「坊っちゃん!?正気ですかい!?あれは旦那様にばれたら只事では……それに相手さんも無事ではすまされな……」
「敵を気遣うとか正気か貴様!?それに使ったとしても勝てばいい!負ければ何も残らないんだよっ。
僕の魔力は底をつきかけている。他に手段なんてない!!あれを使えばあの化け物だって倒せるんだっっ!!」
金髪は鼻息荒く唾を飛ばしながら俺を指差した。
化け物……その言葉はどこか懐かしい。懐かしく、忌々しい。
あの日、あの時に仮面の男に俺が吐き捨てた言葉。
……憎い。憎い!奴がどうしようもなく憎い!
大切な人を失って抜け殻となった俺に……生きなければならない目的となった奴が憎いッ!!
体中に走っていた熱がその瞬間、膨張したかのように膨れ上がる。
『ボクヲ、ウケイレテ?』
「オラフ!!これは命令だっ!はやくしろこの愚図!!それとも自分の命がおしいのか!?」
「坊ちゃん……」
中年の男は何か言いたげに金髪を見ていた。
悲しそうに、それでいて痛ましそうに……表情を歪めていた男に金髪は最後まで気付かなかった。
言葉を飲み込んだ男は代わりに、わかりやした、という一言だけを呟いた。
俺は震えながら、全身を焦がす感情を感受してその光景を見る。
男が自身の胸に手をあて、短くない詠唱を唱え始めると肌に感じられるほどの強力な魔力が周囲に迸る。
これがただの人間に扱える魔力なのか。
いや、そもそも体内にあるはずの魔力をここまで開放することに何の意味があるというのか。
金髪はその答えを知っているのだろう。壊れかけの笑みを俺に見せ付けていた。
「いいぞオラフ!奴もお前の魔力に震え上がっている!」
「ぐぅ……ぼ、っちゃん……後の制御は……」
「ハハ、ハハハハ!!今更後悔してももう遅い!その目に最期に焼き付けるのはシュトラウセ家に代々伝わる秘術だっ!!」
「っはぁ、はぁ……ぐ、ぎ……」
耐え難い痛みを堪えているかのように男は胸を掻き毟る。
余裕のない男の態度と違って金髪は上機嫌に語っていた。傍らに苦しんでいる男のことなど目もくれない。
金髪が男を心配する様子は皆無だった。
大量の脂汗を浮かべながら、そうして男は絶叫を上げる。
「ぁ、あぁ、ああああああああ!!」
聞くに堪えない絶叫をあげると同時、男の前方数メートル先の地面に魔法陣が現れる。
複雑な紋様から俺ではどんな魔術なのか解読することすら不可能だった。
一つだけわかることは、あの魔法陣と男の間にはパスのようなもので繋がっているということだけだ。
がっくりと壊れた人形のように項垂れる男。
その続きを受け継ぐように金髪は最後の詠唱を唱える。
「精霊召喚!来いっ、アルトロン!!」
刻まれた魔法陣が光り輝くと、地面から産まれ出でるようにアルトロンと呼ばれたものがその姿を徐々に現しだす。
その圧倒的な存在感は男が溢れさせた魔力の如く、機械的でいて生物的なフォルムはまるで人のよう。
手足はあるものの顔をかたちどるものは存在せず、のっぺりとした平たい頭のようなものがあるだけだ。
体躯はそれほど大きいというわけではない。それでも人よりは余程大きく、二メートル半はあるだろう。
しなやかな体に内包されている魔力は凄まじく、その色は体を染めているものと同じ深海の如き青。
「精霊……」
俺のぽつりと洩らした言葉に金髪は口角を上げる。
またダラダラと何かを言っているようだが、俺は自分の中から聞こえる囁きにまた耳を傾けていた。
『アレハ、ホンモノニチカイ、ニセモノ。ソレデモ、イマノキミデハカナワナイヨ?』
(偽物……人工的に作られたものとでもいうのか?あんなに強大な力を人の手で作れるとは思えない)
『ソウ。キミハ、セイレイヲシッテイル。ナラワカルデショ?アレガ、ドンナニイビツカ。ヨクミテゴラン?』
(…………まさか)
『クスクスクス。ソウダ。アレハ、スベテヲタイカニスル。アノオトコノカオガ、ユカイナコトニナッテイルノハ、ソノセイサ?』
強すぎる力を得ることの対価。それは男の全てを捧げること。
苦しみに喘いでいた男はぴくりとも動かなくなっているが、今もその命を燃やし続けているとでもいうのか。
それをあの金髪は知っているのか。知っていてあんなに楽しそうに笑っているのか?
記憶が、ちらつく。
あの屋敷で行われていた残忍でいて非情な光景が頭をよぎる。どうして今それを思い出す……。
助けてと叫ぶ声が、まだ生きていたいと願う瞳が、哀れにも伸ばされる誰も掴むことがない手が……。
言葉が聞こえなくなる。声さえ出なくなる。命の灯火が消えていく。
どうしようもなくて、俺には何も出来なくて、だから隣で聞こえてくる愉快な嗤い声だけが鮮明に聞こえてきて……。
「ハハハハハハハハ!!!」
そう、あんな顔で、あんな声で、人の命を弄んで……。
『ボクヲ、ウケイレテ?』
仮面の奥で嗤っているんだ。
「いいぞ!この力、この力があれば!絶対に負けない!僕は勝てるんだ!!アハハハハハ!!!」
嗤うな。
「ハハハハッ!!」
嗤うな!!
「ハハッ、さ、最高の気分だ……。おっと済まない。待たせてしまったかな。あまりに楽しくてね、フフフ。
精霊の魔力に怯えて動けなくなっているのも可愛そうだ。そろそろ終わらせてあげよう」
『ボクヲ、ウケイレテ?』
「顔をあげてくれないかなぁ?お前の最期の顔が見られないじゃないか。大丈夫、学校には事故だったと言う事にするよ。
どうやら見られてもいないようだしね。とても都合がいい。今から化け物退治をしてやるよ……ハハハ!!
この学校始まって以来の死者になることを光栄に思って、死ね」
死ぬ?俺が、死ぬ?
「アルトロン!奴を、殺せ!!」
術者に忠実な精霊は躊躇することなく俺に極大の魔術を放った。
人であれば上級の魔術に相当するもの。アルトロンが振りかざした手の平から膨大な魔力が放たれ、無詠唱の魔術が行使される。
気付けば俺の四方八方全てを埋め尽くさんばかりの氷の槍で覆われていた。
その一本、一本がアイスジャベリンを軽く凌駕していることは、魔力の込められている密度で簡単にわかった。
一体どれだけ水属性の魔術を極めればこんな芸当が出来るのだろうか。
そこに逃げ場なんて元よりない。ただ一人に対して使うにはあまりに強力な魔術だった。
そして死刑を執行するようにアルトロンの手が振り下ろされた。
「アハハハハハハハハ!!」
狂ったような哄笑が聞こえる。煩わしい。うるさい、うるさい!!
抗いようの無い死がすぐ傍にまで訪れているというのに、俺はその声が嫌で嫌でたまらなかった。
だって俺は……したくないんだ。
どんなに馬鹿にされても、大切な人を汚されても、ダメだって思う気持ちが残っているのに。
なのに……どうして嗤うの?
肌に伝わる冷気が死の予感を想像させる。すでに槍は雨のように降り注いでいるのだろう。
頭を抱えて耳を防いでいた俺にはそれを見ることが出来なかった。
バンドの魔術障壁など槍の一本すら防げない。
それでも俺は耳を閉ざしていた。ろくに対抗手段をとることなく、足掻くことを忘れたように。
だって聞こえるんだ。声が止まらないんだ。
もう止めてくれ。その声を俺に聞かせないでくれ。
「「ヒヒヒ!!アハハハ!!」」
どんなに願っても嗤い声は止まらなかった。容赦など欠片もなく俺の心を踏みにじる。
心の表層だけに終わらず、深層にまでその足を伸ばしては踏みつけていく。
俺が大切にしていたものを黒く塗りつぶす。やめて、やめて、と子供のように叫んでも誰も止めてはくれなかった。
(また壊される。壊されていく)
不条理に、無情に奪われる。それを俺はまた見ているだけしかできないのか。
そんなのは嫌だ。もうあんな思いはしたくない。無力なままで終わることなんて認められない。
『ミコト、カレノカオ、ヨクミテゴラン?ナニカ、オカシクナイカナ?』
……………………あ?
視界の片隅でたくさんの槍が降り注いでいるのを見ながら、一瞬だけ男の顔を覗くことができた。
その顔は不気味なほどの笑い顔で、とても気持ち悪くて、まるで能面のような……。
そう、まるで奴のようで……。
そのことに気付いた時、俺の中で最後まで守ろうとしていた何かが消えた。
今と過去とが繋がっていく。
人を道具のように扱い、俺の大事なものを奪おうとする、奴とあいつが重なってしまう。
だから俺はどうしようもなく。
『ボクヲ、ウケイレルンダネ?』
どうしようもなく、心の奥底から、奴をコロしたくなった。
「素晴らしい力だ!初めからこうしていればよかった!愚鈍なエルフに更生する機会など与えず、虫のように踏み潰せばよかったんだっ!
ああ、観衆に見せたい!この光景を!この勝利を!!きっと皆が圧倒的な力にひれ伏すだろう。
これなら……そう、これなら父だって僕を認めて……」
「お前は敵か?」
「…………」
問いかけたのは氷の牢獄の中からだった。
あまりの槍の数に壁と化した氷の向こう側から俺が奴に問う。
この声は魔術を使って伝うようにしていたから、聞こえていないはずがない。
「は、はは……ありえない。ただの幻聴だ。そうに決まっている。アルトロンの攻撃を受けて生き残っているはずがない」
顔は見えないがどうやら乾いた笑みを浮かべているらしい。
現実逃避に付き合っている暇はない。俺は即座に行動に移した。
氷の監獄の中で右手を一振りすると、俺の意思に従って力が発現する。
魔導デバイスから生まれたのは闇だ。先が見通せない程の黒き闇を右腕に纏い、横に薙ぐ。
精霊の魔力によって強化された魔術は人の手ではとても対抗できない。
上級魔術相当のものであれば尚更だ。
だが闇はただそれを飲み込み、喰らうだけである。鋼でさえ通さない氷の槍であろうと、それは関係がない。
闇が霧のように広がり、氷に触れた瞬間に消し去っていく。
ぽっかりと大きな穴が空いた先には奴の顔が見えた。はっきりとその顔が見えた。
わらっている……ワラッテイル。
憎悪が首をもたげた。奴をコロさなければならない。大切な人を奪って、なお奪おうとしている奴を。
「お前は、敵だな……俺の敵だ」
「…………ッッ!!??」
魚のように口をぱくぱくさせて後ずさる奴を逃がさんとばかりに追いかけようとしたが、未だ氷が周囲に残っていて邪魔だった。
全身から魔力を放つイメージをする。昔から慣れ親しんだものであるかのように、力はイメージ通りに応えてくれた。
ぶわっと風のように黒い霧が円形状に広がっていく。霧が氷に触れて間も置かずに喰らっていく。
「…………ば、ばかな」
そしてそこに残されたものは俺だけだった。あれほどたくさんの氷がそこにあったというのに今は微塵も見えない。
何も無くなった広場で、ようやく俺と奴だけ……いや、もう一体精霊がいたか。
以前の悪魔やドラゴンゾンビのようなものではなく、今度は精霊を召喚してきたか。
それも人を媒体とするような紛い物である。
その力は確かに侮れないものがあるが、相変わらず吐き気がするようなことを平気でする奴だ。
俺が……コロさなきゃ。あの屋敷の地下の人たちのような犠牲者をこれ以上出さないためにも。
そして奴をコロして復讐を果たすんだ。
『アァ、ミコト。キミノ、イマノココロハ、トテモキモチイイ。ダカラ、イッショニコロソウ?』




