第五十六話 模倣と囁く声
「……」
「……」
「……な、何が起こっているんでしょうか。私には状況がさっぱり読めません。
ミコト選手が必死の抵抗をしている中、クロイツ選手の優勢は傾くことなくこのまま勝負が喫するのかと思われた矢先の事、予想だにしない展開が訪れました!」
「これは驚いたのぅ……」
「これで止めと言わんばかりのクロイツ選手の魔術に、なんとミコト選手は全く同じ魔術をぶつけたのです!
それだけには終わらず、まるで鏡写しのように次々と激突する互いの魔術は同一!!
一体これはどういうことなのでしょうか!?観客は歓声をあげることも出来ず、ただただ呆然としておりますっ」
「小賢しい。下賎なだけではなく賊でもあったとはな!その身を一体どこまで堕とすというのだ?」
「……」
「不気味な眼をするエルフ風情が……いいだろう。所詮は紛い物、本物には勝てないことを教えてやる」
クロイツの魔力が励起する。デバイスに流れていく魔力は洗練されていて淀みない。
その流れを俺は確かに捉えていた。俺の瞳に宿るトゥルースサイトは魔力を視覚で認識することを可能とする。
すでに高速思考は集中力が増すと共に深い領域にまで踏み込んでいる。
例え奴が無詠唱のスキルを使おうとも魔力の流れだけは誤魔化せない。
そして俺にとってその一瞬の時間だけでどんな類の魔術か看破することは難しくなかった。
視覚化した魔力には色がつく。
火に属する魔術を使おうとしているなら赤が混じり、風の魔術を使おうとしているなら緑が混じる。
奴の魔力には青が混じっていた。つまりは水の魔術。
そこから更に魔力を込める量と質、僅かに生じている術者の癖。諸々を含めて計算すればどの魔術を使うかは明白だった。
「「水よ、暴虐なる汝の力は」」
「!?」
クロイツが動揺しているのは空気から感じ取れた。
先ほどまでは下級魔術だけの模倣に留めていた。まさか、という思いが動揺を引き起こしたのだろう。
下級とは違い中級魔術は詠唱の長さも手伝い、難易度は飛躍的に上がる。
一度しか見せていない中級魔術をすぐさまにコピーされるとは思わなかったのだろう。
魔術とはただ単に魔力を込めて詠唱すればいいというものではない。
力と意思のある言葉を紡ぎ、適正な魔力を込めて行使しなければ不完全なものとなってしまう。
詠唱をする前の段階、魔力を引き出す所から始まっていると言っても過言ではないだろう。
だから盗用処置をされていない魔術であろうと、相手の魔術を盗み取ることは至難の技といえた。
「「全てのものを押し流しては消し去っていく……」」
猿真似ならば発動することさえ叶わない。詠唱の言葉をそっくり真似をした所で無駄なのだ。
何百回、何千回と唱えることでようやく魔術をものにすることが可能となるのだから。
だが、俺はそれを自分の世界で試行し続けていた。有限なる時間を引き延ばし、あらゆる観点から奴の魔術を解剖する。
だから……。
(一度見るだけで十分だ)
「「タイダルウェイヴ!!」」
巨大な波が瞬時に互いの前に現れる。
青き壁のようにそそり立ち、巨人たちが行進でもしているかのような音を響かせて迫り行く。
風の魔術に比べれば遅々とした動きながらも、二つの同じ魔術がぶつかり合うのにそう時間はかからなかった。
衝突の瞬間に上がる咆哮の如き轟音。
高い高い飛沫をあげ、波が持つ運動エネルギーを激突させて削り合う。
込められた魔力に相応しいせめぎ合いだった。魔術は未だ制御下を離れておらず動くこともままならない。
それは時間にすれば十秒に満たない争いだっただろう。
激闘の軍配はどちらにも上がらず、結果は相殺に終わる。
結果を知らせるように、魔術が激突した場所を中心に波の残滓である水が広がっていき互いの足元を濡らした。
(まだ魔術の構築が甘かったか……)
思考の中で幾度となくシミュレーションを繰り返したが、やはり実際魔術を使うとなると勝手は違うようだ。
魔力を込めるタイミングにズレを感じた。思い描くイメージにも補正が必要だろう。
動揺していたクロイツの魔術と拮抗していたのがいい証拠だ。完全に自分のものにするにはまだ足りない。
「お、お前……何者だ?ただの緑が僕の魔術をスティールするなんてありえない……」
スティール。魔術用語で相手の魔術を盗み取るって意味だったか。
青白い顔でそう呟くクロイツにはさっきまでの威勢は消え去っていた。
自分の中で自信がある魔術だったのか、戦意さえなくしてしまっているようだ。
まさか、たったこれだけで?そんなことは俺が許さない。
「おま、お前っ、本当は赤か黒なんだろ!?実力を偽って緑に紛れ込んだのか卑怯者っ!」
「まさか。そんなことしませんよ。だから緑の私にもっと知らない魔術を教えてくれませんか?」
「……舐めやがってーー!!」
丁寧にこちらから頼んでいるというのにな。まあわざとだけど。
激昂するクロイツが選んだ魔術は少々具合の悪い魔術だった。
どうも頭に血がのぼって周りが見えていないらしい。
戦意を取り戻してくれたのはいいんだがな、と思いつつ俺も同時に魔術を発動した。
「「――サンダーボルト!!」」
雷撃が雷撃を迎え撃ち、地面に到達することなく打ち消した。
パチパチと細かなスパークが宙で弾けているがうまくいったようだ。
「全く、危ないですね。周りをよく見てくれませんか?あのままにしてたら貴方も感電してましたよ」
俺もクロイツの足元も水浸しだというのに、そんな場所に雷を撃ったらどうなるかなんて結果を見ずともわかるだろうに。
俺は気づいていたから自分だけ避けても良かったんだが、もしかしたらサンダーボルトはブラフだったかもしれんしな。
顔を真っ赤にして何も言い返さない様子を見るに杞憂だったみたいだが。
「……複合魔術も盗られた?馬鹿な……そんな真似、一度見ただけなのに……。
最初から覚えているに決まってる……それか、それか?
そうか!貴様、貴様のそのデバイスのせいだな!」
「……は?」
「どんな小細工をしているかは知らないが、どうせ事前に魔術を仕込んでいたのだろう!?」
「いえ、あのですね……」
「それを僕に寄越せ!僕が粉々に砕いてやるっ。それでようやく僕と貴様を対等扱いにしてやる!」
「…………」
「ひっ!?」
度し難い。思わず試合なんて関係なく縊り××たくなる。
知らない、知らなかったでは済まない侮辱をするのがよっぽど好きなように見える。
感情に歯止めがつけられない……積もりに積もった感情を俺はまた我慢しなければいけないんだろうか?
本当は怒りだけを感じているわけじゃなかった。心の奥底に燻っている感情がずっと俺を揺さぶっていたのだから。
知らず知らずに内なる声が俺に囁く。
『……ソウ?』
「こっちに、こっちに来るなっ!?」
喧しい声をあげてうるさい。今からその口を閉ざしてやるから……。
クロイツの体から立ち昇る魔力の励起を確認。既存パターン、青。
「「――アクアスピア!」」
衝突しては弾け飛ぶ水の槍。一部は俺の魔術が打ち勝ったようで、クロイツに僅かにダメージを与える。
同じ魔術であろうと、高速思考の世界で最適化され続けている俺の魔術はより強くなっている。
「「――エアスラスト!」」
散れよ、そんなつむじ風に意味はない。ろくに集中されていない魔術に負ける道理などない。
恐慌に陥ったクロイツは、自分の魔術が一つも敵わない事実に更なる恐怖を感じているのか、顔の色が真っ白だった。
それでも目の前の脅威に対抗するように顔を歪ませながら魔術を唱える。
パターン青。……へぇ、俺の知らない魔術だ。
「――アイスジャベリン!!」
障壁が大きくたわみ、その威力を教えてくれる。
氷の槍、といった魔術だったがアクアスピアと比べ段違いの威力だった。
精神状態が不安定なクロイツが放ったのにこれである。
間近で全てを観察していた俺は、唇が三日月状になりそうなのを堪えながら魔術を唱えた。
「――アイスジャベリン」
俺の今の感情のように極寒の空気を纏った槍を、意趣返しに奴の顔面目掛けて射出する。
クロイツは魔術を唱え終わったばかりで隙だらけだった。そんな奴に避ける暇があるはずかない。
だが、後数センチといった所で俺の魔術は障壁に弾かれた。
気が急いでしまったのだろう。雑な魔術構築ではそれも当然か。
眼前に死が迫っていたことを遅れながら気付いたクロイツは、尻餅をついてしまう。
別に死にはしてねぇだろうに、驚かなくていいじゃねぇか?ああ、死んじまったら驚くこともできねぇか……。
まあ、次はもっとうまくやるからよ。今度はびっくりすることもないだろうさ。
そうして俺はクロイツに一歩ずつ歩みながら囁く声に耳を傾ける。
途切れていた声が今度ははっきり聞こえた。
『コロソウ?』
(殺そう?……殺したい?)
がくがくと震えている男を前にしてぼんやり考える。
何処か第三者からの視点で見ているかのように俺は冷静に悟った。
そうか、今俺が抱いているものの名前は殺意というものか。
「み、水よ!貫けっ。アクアスピア!!アクアスピアぁぁぁ!!」
下級魔術を性懲りも無く撃ってくるが構うことなく俺はウォーターウィップを発動する。
すでに俺の一部といえる程馴染んだ水の鞭は、目にも止まらぬ速さで男の障壁を削っていく。
ブーストも加えて振るえば、水の鞭の速度は重量もないこともあって残像が残る程だった。
……魔術障壁が限界を超え、装着者を気絶させた後はどうなるんだろう?
やめて、やめてと何処からか声が聞こえるが今は構っている暇はないんだ。
知りたい。もしかしたら俺の望みが叶うかな?
……でも。
『コロソウ?』
(でもコロしちゃいけない気がする)
『ナンデ?コロソウ?』
(……コロしたいけど、コロしたくない)
『ナンデ?コロソウ?ボクラノオカアサン、バカニシタンダヨ?』
(そうだけど、それは許されないことだけど、でも)
『ジャア……ボクタチノナカマニシヨウ?』
(え?)
時は少しだけ遡る。
シェイム・フリードリヒは実況の席にて、心をくすぐられるような感触を楽しみつつ試合を観戦していた。
時には解説の言葉をいれつつ、時にはからかいながら二人の若者の戦いを見守っていた。
将来が有望な彼らの魔術の応酬を見ているだけで心が弾む。
アークウィザードのシェイムからすればまだまだ未熟であるのは確かだ。
それでも未来の可能性を覗かせてくれるこの戦いは十分に見る価値があるというものだった。
たくさんの人々が見ている中、そんな風にシェイムも楽しんでいたわけだが、彼は気づく。
おそらく他の誰一人、異変が起きている本人でさえ気づかない中、彼だけがそれに気付いた。
彼の判断は早かった。気付いた次の瞬間には試合会場の全ての目の機能を停止していた。
「ぐわぁー!大変いい場面だったのに映像がいきなり途切れてしまいましたっ。
なんということでしょう。責任者でてこーい!私とガチファイトじゃ!シュッシュッ!!」
「……今のはトラブルというよりは……」
眼帯の女生徒がそう呟いてちらりとシェイムを見るが、彼は視線さえ向けなかった。
普段の好色爺たる彼を知っている者からすればそれは天変地異の前触れのようなものであり、簡単にいってありえないことであった。
シェイムの目に残るものは先程見た一つの光景だ。
ゆらりと歩を進めながら着実にクロイツとの距離を詰めるミコト。
その少年の銀色のデバイスから立ち昇る黒い陽炎。
ミコトと同じ類のスキルを持っている彼だからこそ見ることができ、長い時を魔術師として生きた彼だからこそその正体にも気づくことができた。
(闇の気配……やはり、お主もそこに辿り着いてしまうか)