第五十話 逆転の策と先生たちの密談
時は少しだけ遡る。新人戦に出ると決めた日の翌日のこと。
俺はとある人物と会う事になっていた。それはグリエントの校長であるシェイム・フリードリヒ、通称エロ爺である。
生理的に受け付けないこの爺に自分から会いに行くのは抵抗があったのだが、致し方の無い事情がある。
そう、新人戦での鍵となる情報を知る為だった。
新人戦を開き、ルールを制定したのは爺であると予測していたのは間違いではなかった。
どうじゃ、なかなか面白い大会じゃろう?とガキみたいに目を輝かせていやがった。
暴走しがちな年頃の少年少女に何でもありなルールで戦わせるのは危険だ、と今更大人ぶるつもりはない。
新人戦の参加が強制でない以上、参加した後の全ては自業自得である。
ひどい目にあったとしても恨むなら爺にすればいいし、後は自分でケリをつければいい。
まぁそんなことよりも、俺が知りたいことは一つ。予選を合格する為に必要な魔道具の仕組みだ。
キーワードを唱えれば誰でも転移させることが出来るのか、転移させる距離はどの程度なのか。
色々と聞き込もうとして、話を九十度は曲げてくる爺との会話に疲労感を覚えつつ、どうにか知りたいことは聞き出せたのだった。
魔道具である球は間に何があろうと空間を転移できる。
転移する為の言葉は無論教えてもらえなかったが、知っていれば誰でも使える。
魔道具が反応する距離は短く、三メートル程度である。
それだけ知れば十分だった。その内の一つを俺は利用することにしたのだった。
話を元に戻そう。
クロイツに球を奪われ、新人戦が終わるまで木に括りつけられていた俺は新たに球を入手することは出来なかった。
であるならば、俺が先ほど言った言葉に意味はない。
何せ何処にも球を持っていないのだから。
そうだな、確かに俺は持っていない。外側には、だが。
簡単な話である。
球が空間を転移するというならば、最高の隠し場所が一つだけある。
それは俺自身。そう、俺は自分の体内に球を飲み込んだのだった。
指輪を埋め込まれていた俺にとって、球を三つぐらい飲み込むことなんてわけがない……というわけでもなかった。
この新人戦が行われた中で一番苦労したのが球を飲み込むことだった、と言っておこう。
(十円玉サイズとはいえ、すっげぇしんどかったなアレ……)
リバースしかけたり、うまく飲み込めなくてもごもごしていたりと、相当情けないことになっていた。
もう一度同じことをやれと言われたら、そいつの喉の中に球をぶちこんでやる。
球の確保については一日目ですでに終えていた。むしろ入れ食いでこんなにいらねぇよ、ってな感じだった。
まぁそれからすぐに体内にインしようとしたわけだが、悪戦苦闘した話はもういいだろう。
ちなみにクロイツたちからリンチを掛けられた時の俺は結構余裕だった。
演技として痛がった振りをしたのが効いたのか、それほど苛烈に攻撃されてはいなかった。
例外としてクロイツだけは本気中の本気だっただろうが、甘い。
感情のままに無茶苦茶に振り回していた鞭はそれなりの痛みが走るが、我慢できないというわけではない。
もっと的確に人体を攻撃できる箇所なんていくらでもある……あぁ、忌々しいことを思い出しちまった。
それは置いておいて、唯一冷や汗をかきそうになったのがクロイツの傍にいたオルフという男の言葉だった。
なかなか鋭いことを言うものだから思わず反応してしまったのだ。
それも勘違いで終わったのは幸いだったが、まぁ隠し場所に気付いたとしてもどうしようもなかっただろう。
キーワードである言葉を知っているか、もしくは……これ以上は猟奇的な話になるな。止めておこう。
さて、そういうわけで爺の手元に見事、球が三つ揃ったというわけである。
しげしげ手元を眺めている爺は不思議そうな顔をしていた。
「馬鹿な!?」
悲鳴じみた声を上げた人物が誰であろうかなんて俺は振り返らずともわかった。
周りの生徒たちの視線が集まる先にいたのはクロイツだった。
驚愕に顔を染めてわなわなと口を震わせていた。色男が台無しだぞ、貴族さんよ。
爺はそれを一瞥だけに留めて、確かに揃っておるの、と一言だけ言葉を洩らした。
「それはきっと偽物だ!そんなことがあるわけがない!!」
抗議の声をあげたのはまたしてもクロイツだった。
それだけに終わらず、人の間を押しのけながら前に出てくる。
いやでも衆目を集める結果となるのだが、今のクロイツにはそのことにさえ気付いていないらしい。
奴は辿り着いた先にいた爺に向かって喧しく騒ぎ始める。
一応このエロ爺はグリエントの頂点にいて、なおかつそれなりの著名人でもある。
シュトラウセという家が爺と同格以上であったとしても、あのような態度をとるのは礼儀しらずと誹られても仕方ないだろう。
結局、爺が球をクロイツに手渡しその後でキーワードを唱え、魔道具がちゃんと機能していることを証明したことで、ようやく本物であると納得したようだ。
感情の面ではとても納得しているようには思えないクロイツは、生徒たちが並んでいる列に戻っていく。
周りの視線が鬱陶しかったのか、凄みながら帰るその姿はなかなか面白い。
俺は一度爺に視線を移し、無言で頷いたその姿を見た後で同じように戻っていく。
その際、クロイツの隣を歩かなければならなかった。
奴は物凄い形相でこちらを睨んでいた。一体どんなズルをしたのかと言わんばかりの顔だった。
笑わせてくれる。まぁ確かに限りなくズルに近いかもしれない。
一度、球を飲み込んでしまえばこのルールならほぼ予選通過は確実なのだから。
(それでも気付かなかったテメェが間抜けなんだよ)
イカサマ師の理論ではないが、つまりはそういうことである。
この新人戦の結果だけでいえば、俺は試合に負けて勝負に勝ったというところか。
全てが思い描いていた通りに進んだわけではないが、目的は達成したので問題はない。
だがそれはさておいても、俺はむかついていた。理由は言わずとも察して欲しい。
いくら仕方なかったとはいえ、クロイツに好き勝手にやられたのは心中で我慢ならない。怒りの一つぐらい生まれてしまうというものだ。
むしろ、こいつを叩きのめしたい理由がまた一つ増えたというべきか。
だから俺は通りすがりにクロイツだけに聞こえるように言葉を残した。まだ何も終わっていないのだと教える為に。
「また、戦えそうですね。次も楽しみにしています」
少しも堪えていない俺の様子と言葉にクロイツは何を感じたのか、歯軋りをもってしてそれに応えた。
それ以上言葉を交わす必要もなく、そうして俺の新人戦の予選は終わりを迎えたのだった。
所は変わり、予選が終わって間もない頃。
校長室に繋がるドアを乱暴に叩く音が廊下に響いていた。
いつもの緊張感のないシェイムの声が聞こえたと同時に扉が勢いよく開かれる。
そうしてシェイムの前に姿を現したのは感情を露にしたクライブだった。
室内にはソファーに腰を落ち着かせていたライラックが先にいて、一瞬だけその姿に驚きを示したものの、クライブはきっと表情を改めるとシェイムに詰め寄る。
その顔に宿る感情は誰にでもわかるような怒りが込められていた。
「校長!!あれは一体なんなんですか!!」
「うるさいのぅ……いくら年寄りとはいえ、そんなに大声出さんでも聞こえとるわい」
「耳を暢気にほじっている場合ではないですっ!それよりもミコトくんのことですよ!!」
ミコトが木に縛られているのを最初に発見したのはクライブである。
しかもミコトに傷は見当たらなかったとはいえ、ボロボロの格好をしていたのだ。何をされたかなど想像に容易いだろう。
生徒に人一倍に思いやりがあるクライブが気にかけないわけがない。
当の本人は何か沈んでいるようであり(本当はうまく騙せた事に心でほくそ笑み、クロイツがどんな顔をするのか想像して楽しんでいた)、心の傷に塩を塗るようなことはしたくなかった。
放置するのは心苦しかったが、あえて何もしないことが正しい時もある。
そう思い、だがクライブは衝動を抑えきれず、こうしてシェイムに抗議を入れようとしていたのだ。
「んー?何かあったのかの」
「惚けないでください!あの様子を見れば、明らかにいきすぎた行為があったとわかるではないですか!」
「制服のことを言っているのかの?そんなもの魔術で戦えば簡単にああなるぞい。ミコトよりひどい姿になった生徒もおったじゃろ」
中には上半身が裸になったり、野生児みたいな格好になっていた生徒もいるにはいた。
どのような戦いがあったのかは興味が尽きない話ではある。
しかし、クライブが言いたいのはそういうことではない。
「縛られていたのはどう説明するのですか!?それにミコトくんがいた場所には中級魔術を使った痕跡もあったらしいじゃないですかっ」
「それはすでに失格処分にしておるの。して、それ以外に何か問題はあるかの?」
「ッッ!!」
埒が明かないシェイムの様子に先にクライブの感情の緒が切れかけた。
すんでの所で思いとどまったクライブは、自分が冷静ではないことに気付く。
シェイムの何も無かったと言い張る態度も問題ではあったが、こんな感情に振り回されている今の自分では的確な判断が出来るとは思えなかった。
これ以上続けたとしても一体自分が何をするかもわからない。
そうしてクライブは握り拳を作りながら、幾分か震えた声で失礼します、という言葉を残して静かに校長室を立ち去っていった。
「……素直すぎるのぅ」
「それが彼の良い所ではあります」
今の今まで口を閉ざしていたライラックが、そんな言葉を零しながら足を組みなおした。
その艶かしい足の曲線美に、鼻の下を延ばしたシェイムがエロ爺としての本領を発揮しようとしていた瞬間、絶対零度の視線が自分を貫いていることに気付く。
視線の主の瞳には一切の感情が抜け落ちていて、さすがのシェイムも視線を逸らすしかなかった。
「ま、まぁ素直さも良し悪しじゃの。クライブ先生がその方向性を見誤ることがないといいがの!」
「何を教員みたいなことを言って誤魔化しているんですか。ぶっ飛ばしますよ」
「平坦な声で言うと怖いのぅ……それにわし、校長じゃから列記とした教職員なんじゃが」
「煩悩を消してからそんな戯言は言うんですね。冗談にしか聞こえませんよ」
どうしてわしに対する女性の態度は冷たいものばかりなんじゃろ、とシェイムは心の中で思っていた。
そんなものは普段の自分の行いを省みれば一目瞭然だったのだが、過去とは振り切るものと豪語するたわけた爺には一生わかることはないだろう。
三秒ぐらいシェイムは悩み、まぁいっか、と断ち切った。恐るべき切り替えの速さである。
「して、ライラック先生はどう見ておるのかの?」
「クライブ先生ですか。心配はないと思います。彼も大人でありますし……」
「そうじゃないわい。わしが言いたいのは……ミコトが大勢の生徒に取り囲まれ、私刑のように叩かれていた事をもみ消した。
その張本人としてミコトをどう見ているのかと聞いたのじゃ」
クロイツの張った結界は確かに生徒たちには効果覿面だった。誰一人として近づくことすら出来なかった。
おそらく金をかけて相当高級な魔道具を使ってのものだったのだろう。
だがライラックには通用しなかった。そもそもが、その結界の中に彼女は潜んでいたのだから。
例え結界の外側にいたとしてもライラックならば破壊することは造作もなかったのだが、その場合は中にいる者たちにもすぐに気付かれていたことだろう。
「……気付いていましたか」
「わしはこう見えても大魔術師なのじゃよ?それに紅蓮と呼ばれたお主がそう簡単に監視の目を外すわけがないじゃろ」
「その名は過去に捨ててきたもの。忘れてください。…………私が黙っていた理由を知りたいので?」
「ほっほっ。それは興味があるの。お主とミコト。両方を気にかけているわしとしてはな」
「そうですか……。まぁ理由なんて簡単なものです。あいつの目が死んでいなかった、それだけです」
「……目?」
ライラックは事の全てをその目で見ていた。
嘲笑う生徒に取り囲まれた中、一方的に嬲られていたミコトの姿を。
彼女としてもその光景は気持ちがいいものではなかった。
戦いに汚いの綺麗もないのは知っているが、それでもライラックは力と力の真っ向勝負を好む性質であったから。
グリエントに所属する先生としても助ける心積もりはあった。生徒を見捨てることなど唾棄すべき行いである。
それでも最後まで彼女が手を出さなかったのは……。
ミコトが一度としても助けを求めず、そしてその目には諦めの感情など一つも感じられなかったから。
「ミコトはどんな仕打ちを受けても、けして目の前の力に屈することはありませんでした。なら私が手を貸す必要なんてないでしょう」
「わしの見る限りでは相当手ひどい目にあったように見えたがの」
「食わせ物ですよあいつは。やられている間はそんな風に装っているみたいでしたけど、とんでもない。
あれはそれ以上のことを経験している目だ……実に、実に面白い。鍛えがいのある逸材だ……」
陶酔するようなその言葉とは裏腹に、ライラックの表情に浮かんでいるのは獰猛な笑みだった。
まるで獲物を前にして舌なめずりをしているような顔に、ちょっぴりシェイムはきゅんとした。
「まぁそんなわけで、ミコトがあの事を自分から言わない限り、私も黙する事を選びました」
「ふむ。そういうことならわしからも何も言う必要はないじゃろう」
「はい。そうして頂けると助かります」
話の終わりが見えたことを見計らい、ライラックはクールにソファーから立ち上がる。
その動きは淀みなく訓練された軍人のようであった。
切り替えの速さならライラックも相当だろう。さっきまでの感情はそこには微塵も見当たらなかった。
早々に立ち去ろうとする彼女の後姿にシェイムは一言だけ投げかける。
「本選が楽しみじゃの」
「えぇ、全く」
薄い笑みを浮かべる女といたずら小僧のようにニヤリと笑う老人。
その時、話の渦中にいた少年の背筋にぞぞっと冷たい感覚が走ったそうである。
ともかく予選はそうして全てが終わりを迎え、新たな戦いの場はそれから一週間後に早くも開かれることになっていた。