第四十九話 三日目、最終日の波乱 後編
円形状に人の輪に囲まれた中、俺とクロイツの戦いは始まっていた。
戦いの場は遮蔽物のない原っぱ。たまに吹く風がいやに生ぬるい。
わざわざここに移動したのは、俺にとって不利になるとあいつがわかっていたからだろう。
純粋な魔術戦になると緑である俺が赤のクロイツに敵うはずがない。
事実その通り、この状況下では魔術を使った戦いならば俺に勝ち目はない。
それでもどうにか戦えているのは実戦経験の差、そしてクロイツにパワーレベリングの弊害がもろに出ているおかげだろう。
奴は確かに高レベルではあるがその力を持て余していた。
十二分に力を引き出していたら、そもそも勝負にすらならなかったかもしれない。
それでも五分、いや、若干俺の方が不利だった。
あるいは逆転の目がこのまま戦えばどこかに生まれるかもしれなかった。
だがそれはあくまでタイマンで戦えばの話だった。
何故ならば、隙を見てクロイツに魔術を当てようとしても、何処からか飛んできた魔術によって打ち消され……。
逆に俺が押し込まれ、引きながら体勢を整えようとしたところを突如として足元にぬかるみが出来て追い込まれ……。
挙句には詠唱中に外野から魔術を叩き込まれて唱えることさえ出来なくなった。
「ほらっ!どうした、貴様の力はそんなものか?これでは歯応えがなさすぎるぞ」
哄笑を上げながら下級でも上位にあたる魔術をクロイツは悠々と唱える。
俺は妨害することもできず、石のつぶてを避けることに必死だった。
無論、それはクロイツが唱えた魔術ではない。
「ぁぐ!!」
今も左腕に親指の爪の大きさぐらいの石が打ちつけられた。
大きさはそれほどではないが射出された速度がけた違いであり、当たったと同時に石が砕け散る程の衝撃だ。
鮮烈な痛みが走り、思わず左腕を庇いながら足を止めてしまう。
そんな俺をせせら笑う声が周りから聞こえた。笑いが斉唱するかのように耳に届く。俺が苦しむ姿をあいつらは楽しんでいる。
抵抗も出来ない奴が虐げられる姿が見たくてたまらないのだ。
知っている。その視線に宿っている感情を。
知っている。その心の中では俺を人としてみていないことを。
ただ残酷に、いっそ無邪気に、俺という玩具で遊んでいるだけなのだ。
そんなものは当に前世で済ませていた事。だからわかる。こいつらは俺が壊れるまで遊ぶことを止めない。
「飛沫をその身として我が手に宿れ。しなやかな青き力として!ウォーターウィップッ」
動くに動けなかった俺とは逆にクロイツは速やかに詠唱を終えた。
その手には水の鞭。下級では珍しい武器にするタイプの魔術で絶えず魔力を一定量注ぎこまなければならず、制御が難しい。
未熟な魔術師ならば鞭の形を保つことさえ出来ないだろう。
易々とクロイツは水の鞭を携えて俺の前に立つ。
嗜虐心に溢れたその顔は見る者によって恐怖や嫌悪を抱くには十分だった。
俺は後ずさるようにして一歩、後ろに下がった。
その距離を埋めるように、唇の端を歪ませながらクロイツはゆっくりと距離を詰めてくる。
「逃げ場はないぞ。あるとすれば、貴様が僕に与えた屈辱を全て精算した時だけだ。もっとも、僕は許すつもりは少しもないが」
「…………」
「知っているか?動物の調教には鞭が最適なことを。痛みを体に刻むのに適しているのさ。さぁ、貴様はどんな声でどんな音を聞かせてくれるのか。
僕に教えてくれよ!ミコトぉ!!」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
荒く響いている声は俺のものではなかった。
感情のままにむやみやたらと鞭を振るい、汗だくになりながらも止めることがなかったクロイツの吐息だった。
水の鞭は重さはほぼないに等しいにも関わらず、こんなになってでも俺を滅多打ちにしたのだ。
ぼろぼろになった俺が地面に転がっているのは必然といえただろう。
制服の端々は切り裂かれ、その間からは血の筋が無数に出来ていた。
痛みのない箇所がない程に全身を打ち付けられ、狂乱していたクロイツに手加減という言葉はない。
弾みで殺してしまいそうなクロイツの雰囲気に、さすがの共犯者である生徒たちも引いている様子だった。
「坊ちゃん、さすがにこれ以上は……」
中年の男の言葉にクロイツは我に返ったかのようにはっとした。
そして俺の姿を見下ろすと、後悔のカケラもないような顔で笑ったのだ。
その笑いに今度は追従するように輩はいなかった。
ある種の独特な雰囲気に興をそがれたのか、クロイツ鼻を鳴らして中年の男に命令を下すとくるりと背を向けた。
「あれをそこの惨めな奴から回収しろ。僕は触りたくも無いんでね。それと回復魔術もかけてやれ」
「よろしいので?」
「証拠を残すわけにもいかんだろう?結界を張っていたから今のを見られていないだろうけどな」
監視である先生が横に入ってこなかったのはそれが理由だったのか。
凄惨ともいえる現場を見て、普通ならば止めに入らない教員はいないだろう。
いくら何でもありのルールとはいえ、暗黙のラインというものは存在しているだろうから。
ボロクズになっていた俺はそんなことを考えていた。
「……よし、これで大丈夫でしょう。後は例の女生徒から受け取った二つ、そして本人の分を貰いますぜ」
「実力がないものが小賢しいことを考える。貴様に本選のチケットはいらんだろう。そのまま地べたから僕の活躍でも見ているがいい」
「待ってくだせぇ坊ちゃん」
立ち去ろうとしていたクロイツはその男は止めた。
胡乱な動きで首だけを振り返ったクロイツは明らかに面倒そうな顔をしていた。
「なんだ、オラフ。この場ではもう僕は手を出す気はないぞ。今後は気分次第だが」
「そういうことではないですぜ。坊ちゃんは甘いですな。回復させたなら相手が動けるようになるってことじゃないですかい」
「……つまり、残り少ない時間で球を集めるかもしれないということか?」
「それもありますが、何処かに球を隠している可能性もありますぜ」
ぴくり、と一瞬だけ俺は体を震わせた。その瞬間をクロイツは見逃さなかった。
またもいやらしい表情を顔に貼り付けると、愉快そうに命令を下した。
「そこの大木にこいつを縛り付けておけ。魔術が唱えられないように口を覆うことも忘れるな」
「へぇへぇ。了解してますぜー」
そうなった後の男の動きは速かった。以前にも縛った経験があるかのような淀みのない動きで、あっという間に俺は大木に括りつけられる。
身動きすら出来ない状態の俺にクロイツは顔を近づけてぼそりと呟いた。
「似合いの格好だな、ミコト」
それで満足したのだろう。クロイツは今度こそ立ち去ろうとした。
しかし、またもや奴を止める言葉がかかったのだった。
声を掛けた人物は周囲を取り囲んでいた生徒の一人だった。
「おい、あんた。これでお仕事は終わりってことでいいのか?」
「あぁそうだ。後で残りの金も支払う……」
「いや、その金はいらねぇよ。俺の目的はここに来る事だったんでな」
「……何?それはどういう……」
「坊ちゃん!!」
言葉が終わるや否や、件の生徒はクロイツに向けて、いや周囲にいた全ての生徒たちに向けて魔術を連続で放ちだした。
これに驚いたのはクロイツだけではない、その他の全員も同じ有様だった。
唯一、蚊帳の外にいた俺だけは劇のワンシーンでも見るかのような気持ちで傍観しているのだった。
「血迷ったか、貴様ぁ!!」
「そんな気はないね。俺は最初からこれが目的だったんだから。そう、予選の内から厄介者を排除する為にな。
都合よく集めてくれたあんたには感謝するよ」
「なっ……」
「だから早く逃げなよ。ここにいるのならあんたも狩るぜ?」
そう大言を吐く生徒の胸にはクロユリ。学校の中ではトップクラスの成績を誇るエリートだった。
黒の生徒に臨戦態勢をとる数名。だが更に横合いから魔術が飛んでくる。
件の生徒と同じ気持ちでいた者が他にもいたのだろう。敵は前だけではなく、何処にでもいるというわけだ。
それからは話す余地のない乱戦へとなっていった。魔術が飛び交う戦いはド派手で、特等席ともいえる場所で俺は見ていた。
たまに来る流れ弾が近くに着弾したり、身動きの取れない今となってはかなり危険な場所だったが。
いつの間にかクロイツと中年の男の姿は消えてしまっていた。
こんな何処から襲われるかわからない場所にこれ以上居座るつもりはなかったのだろう。
醜い争いが続く中、俺は冷えた感情で見続けていた。
少し前までは俺で遊ぶことに夢中になっていた連中が、今はこうして互いを倒そうと躍起になっている。
何とももろい絆だろうか。いや、所詮は金で繋がっていた輩ということだろう。
くだらない人間の汚い部分を見せ付けられ、そうして俺は時間がただ過ぎていくのを待つしかなかったのだ。
予選が終わる時には戦闘禁止が解除された時のような鐘が頭の中に響いた。
俺の身が開放されたのは新人戦の予選が終わって一時間後のことだった。
担任であるクライブ先生が縛られていた俺を見つけ、ようやく自由になったというわけだ。
本来、鐘が鳴ったと同時に監視役の先生によって、ゲートの傍に生徒たちは誘導されるはずだった。
俺の場合は結界のせいだろう。監視から逃れてしまい、見つからず終いとなってしまった。
捜索隊が出るまでの騒動になっていたみたいで、その点だけは思わずひくついた笑みを洩らしてしまった。
ちなみに後からわかったことだが、俺の目の前で繰り広げられていた争いの勝者は結局誰もいなかったと話しておこう。
どうやら結界も完全ではなかったらしく、とある目撃者によって芋づる式にあの場にいた生徒たちは失格となった。
中級魔術を使っていたらしく、現場にはその痕跡がはっきりと残っていたのが決定的だったらしい。
クソ野郎共にはお似合いの結末といえるだろう。
だが、首謀者であるクロイツは捕まらず、予選を何事も無かったかのように通過していた。
皆より遅れて一時間後、ようやくゲートに辿り着いた俺を出迎えたのはそんなクロイツの余裕綽々の顔だった。
他にいたのはゲートから出発した顔ぶれと、何故かエロ爺ことシェイム・フリードリヒもその場にいた。
皆には見えない位置から露骨に嫌な顔を見せている俺に、爺はとても嬉しそうに目を輝かせていた。
「ほっほっ。無事に見つかったようで何よりじゃ」
「……校長先生は何でこんな所にいるんですか?」
「いきなりじゃのう。まぁいいわい。まぁ簡単に言えば予選の合否判定の為にきたわけじゃな。ミコトなら知っておるじゃろう。前に話したしの」
魔道具である球はそれだけで相応の価値がある。
この新人戦用に作られたものとはいえ、中には貴重な部品が組み込まれているからだ。
故に盗用または偽造されることがないように、ある魔術式が刻まれている。
特定のキーワードを呟けば魔道具がそれに反応して、唱えた者の手の中に瞬間転移してくる。
それならば盗もうとしても簡単にチェックでき、偽造されたものならば反応さえしないだろう。
「それは校長先生自らがしないといけないことなんですか?」
「まぁそれは趣味じゃな!」
暇人すぎるだろ……どっかの先生に任せておけよ。
心の中でそう呟く俺だったが、他の人の目があるため強くは出れない。
それを見越してだろう。若干優越感に浸っている顔が無性に腹が立つ。
俺の苛々が頂点に達する前に、隣にいた別の先生が爺に声をかけた。
「校長先生、そろそろ……」
「おっ、そうじゃな。他の皆を待たせても悪いの。して、ミコトよ。お主は予選を合格できる数持ってきておるのかの?」
その時、後ろの方で誰かが噴き出したような音が聞こえた。見なくてもわかる、きっとクロイツだろう。
事の顛末を知っている奴は俺がどう足掻いても球を確保できなかったのは知っているから。
俺は爺に球を見せることは出来ない。
「む?ミコトよ、もしかして一つもないということなのかの?」
怪訝な顔をしている爺を前に俺は両手を差し出した。
無論、そこにはクロイツたちに奪われた球はない。
だから俺は一言声に出すのだった。この絶体絶命の事態をひっくり返す、起死回生の一手を。
「球を転移させる言葉を唱えてください、校長先生」




