第四十八話 三日目、最終日の波乱 前編
俺が地上へと足をつけなくなって一日が経った。
その間、ぽつぽつと魔術戦が起こっている様だ。俺自身は一度も戦っていない。
流れ弾の魔術が俺の方へと飛んで来たときには危うく落ちそうになったが、それぐらいである。
平和すぎて欠伸が出るぐらいだったが、こういう時こそ気を引き締めなければいけない。
現在の時刻は太陽の傾きから見て、八時くらいだろうか。
このまま何も起こらず予選を通過するのか、それとも。
どちらにせよ太陽が真上に昇ってきた時には全ての結果が出ることだろう。
それから数時間。
全くもって静寂を保っていた森の中に人の声が聞こえてきた。
姿勢を正し警戒の度合いを上げる。
新人戦も三日目となると不用意に音を立てる阿呆はいなくなったと思っていたのだが。
いや、罠という可能性もありえるか。
生徒たちもなかなか狡猾な者もいるようで、例えば本当は赤なのにわざと緑の記章に付け替えていた生徒もいた。
記章で実力を判断していることを逆手にとっているわけだ。
相手の油断を誘うという意味でも悪い手ではない。
本当に自分より強い相手に出会わなければ、だが。
「さて、この声の主はどんな意図があるんだろうな。……ん?」
段々とはっきりと聞こえ始めた声に俺は何処か聞き覚えがあることに気付く。
それは話し声というわけではなく、大声を上げているような感じの男の声だった。
無粋なその声に近くの枝に止まっていた小鳥が羽ばたいていく。
「この声は……」
間違いない。あのクロイツ・シュトラウセだ。
この広いフィールドではいくら同じ場所から出発したとはいえ、出会う確率はそう高くない。
それを引き当てようとしているのはあの男の執念か、除々に近づいてきている。
今俺がいる場所だと、下から見ても葉っぱが邪魔をしてそう簡単には見つからないだろう。
スキルで見つかる可能性もあるから油断は出来ない。
逃げるという選択肢は最初から俺の中にはなかった。
隙あらばこの場で決着をつけるのもいいと俺は思っていたから。
まぁ俺が想定していることをあいつがしている場合、戦いにすらならないだろうから逃げさせてもらうが。
そんなことを思っていたら、クロイツの大声がはっきりとわかる程に聞こえるようになっていた。
「緑クラスの底辺エルフ!貴様、何処に隠れている!?その姿を見せろ!!」
おいおい、マジか?こいつ、そんなことを大声で喋りながら練り歩いていたのか。
呆れると共にクロイツの声に妙な違和感を感じた。大きな声を張り上げているには、なんというか響く感じがしない。
そうか、魔術を使っているのかもしれない。確かそんな魔術があったような覚えがある。
確かに何処にいるともわからない相手に長時間、大声を張り上げるのは辛いだろうからな。
まぁ俺が言うことではないが……そんなことに貴重な魔力を使って俺を探しているとは、なかなかに粘着質な男だ。
全く、実に潰しがいがある。
その苛立っている声に応えるかどうかはまだ様子見といった所だった。
明らかに苛々しているその声が耳心地いいから、という意味で放置するわけではない。
俺の頬が緩んでいるのはきっと気のせいだろう。
底意地の悪さを露呈しながら、俺はじっと待つ。
間もなくしてクロイツがその姿を現した。距離は大分離れていてあの位置なら視認によって見つかることはないだろう。
仕立ての良い制服を着ていて汚れが見当たらないあたり、あいつも戦ってきたというわけではないみたいだ。
「くそ!お前、本当にあいつがここにいるんだろうな!?嘘をついているなら承知しないぞ!」
やはり一人ではなかったらしい。傍らには二人の女生徒が付き添っていた。
ゲートから出発した時には数人と一緒だったから当然だろうが。
いや、でもクロイツの言い方は味方に話しているという風ではないな。
苛立ちをぶつけられた女の子は明らかに怯えていた。
強引に連れてきている、という線が濃厚かもしれない。それよりも……。
(あの二人、見覚えがある。一日目、俺と一緒に緑の集団の中にいたな)
握手をしてください、とどこぞの有名人みたいな扱いをされ、応じれば二人してきゃっきゃっと手を取り合って喜んでいたのが印象的で覚えていたのだ。
どうしてそんな二人が怯えながらもクロイツと共にいるのか。
彼女たちはリタイアすると最初から言っていたはずだ。
帰る途中でクロイツに捕まったのかもしれないな。災難なことに。
「は、はい……確かにミコトくんはこの辺りに歩いていってました。途中で見失いましたけど……」
「それに、二日目の朝のことだからもういないんじゃ……」
交互に彼女たちは恐る恐るクロイツにそう言った。
なるほどあの女生徒は二日目の朝、俺の後をつけていたらしい。
俺は緑の集団から抜け出した後、どうにも視線を感じるな、とは思っていた。
しかし上に登るとこさえ見られなければ撒けるだろうと思い、事実そうなっていたので追跡者が誰なのかは気にしていなかった。
まぁこうなったのは、今の今まで隠れる場所を変えていなかった俺のせいでもある。
いや、ここまで見つからないとなると、最後まで見つからないか試してみたい気分になってしまったのだ。
「ッチ!他の緑の愚図共にも吐かせたがろくな情報がない。この程度のことも出来ないとか、お前たちに存在の意味があるのか!?」
「い、痛い!やめてっ。髪を引っ張らないで!」
……相変わらずゲスな態度は崩さないクズだな。
こうして傍観している俺も大概ではあるが、正義の味方気取りであの女生徒を助けるつもりは無い。
所詮、名前も知らない相手だ。マリーであれば借りた恩を返すという意味でも助けにはいくが。
ただ……。
「もうやめて!本当にそれ以上のことは知らないの!!」
「この愚図、愚図がぁっ!僕を苛立たせるあいつと同じだ!なら一度身の程を教えてあげようか!?」
俺のせいで、というのが気に入らない。
例え殺し合いがすぐ傍で起きようと俺は止めようとは思わない。俺に害が及ばないのなら勝手にやってろと思うだけだ。
だけどその理由が自分だというのなら、両方をぶっ殺してでも止めてやる。
湯だった頭で終には魔術を詠唱し始めるクロイツに恐慌する女生徒たち。
俺はそんな三人の前に降り立つ。
怪我では済まない高さからの着地だったが、地面につく直前に風の魔術で衝撃を緩和する。
未だ三人との距離は少し離れているものの、今の魔術を使った音で気付いているだろう。
「み、ミコトくん……本当にいた」
「ようやくお出ましか!今まで何処に隠れていた貴様!僕の手を余計に煩わせるんじゃない!!」
喜びながら怒るという器用なことをするクロイツ。
この三日間、俺のことをずっと探していたのかもしれない。ストーカーかよ。
傍らの女生徒はまさか俺がいるとは思っていなかったのか、目を丸くして驚いていた。
俺は何でもないかのように微笑みながら話しかけた。
「こんにちは。皆でお散歩ですか?」
「白々しいな、僕から逃げていたくせに。戦うといったのは嘘か?臆病者が」
「こんな自然の中にいるんですから深呼吸でもしたらいかがでしょう。頭に上った血が下がって少しは冷静になりますよ」
「貴様ッッ。僕を愚弄するのか!!」
簡単な挑発に乗っちまってまぁ……。
このまま血管がぶち切れるまで試してみたい気持ちもあったが、その前に俺は女生徒たちに目配せをした。
彼女たちを人質にでも利用されたら面倒なことになると思ったからだ。
意図を汲んでくれた二人は、すまなさそうな顔をしてクロイツの背中側の方向へと走り去っていく。
顔を真っ赤にして喚くクロイツは全然気付かなかった。やかましいが、もう少しだけ我慢する。
そうして彼女たちの姿が完全に消えてから、俺は再び口を開いた。
「やっと二人きりになれましたね」
「は?……っあ。き、貴様……謀ったな!!」
「謀るなどと。私たちの話し合いが長引くと思って、彼女たちは帰っただけですよ。
それにこれからのことを考えると、邪魔になるかもしれないでしょう?」
「…………逃げるつもりはないんだな?」
「ええ。いきなりやりますか?それともまだお話でもします?」
「話、な。それもいいかもしれん」
冷静をかいて今にも襲い掛かろうとしていたはずなのに、そんな奇妙な態度に俺は訝しむ。
クロイツは口の端を歪ませながら、格好をつけるようにズボンのポケットに片手を突っこんだ。
そしてそのすぐ後、俺は魔力の波のようなものがクロイツを中心に放たれたのを目視した。
スキルであるトゥルースサイトの効果だ。
その波は小波のようであり、体に触れたとしても特に何も影響はなかった。
どんな効果があったのかはわからないが、まぁなんとなく予想はつくな。
「それで、どんなお話をします?」
「そうだなぁ、さっきの女たちのことでも話そうか。貴様、あの女たちを見てどう思った?」
「質問の意味がよくわかりませんが」
「くくっ。本当にわからんのか、演技なのか。だがどちらにしても僕は愉快だ。
貴様はなぁ、裏切られたんだよ。あの女たちに売られたんだ。そうでなければ僕は貴様とこうしていることも出来なかった」
機嫌よくそう語っていやらしい笑みを見せる。
人の傷つく姿が大好きでたまらないといったサディストの表情だった。
俺は取り澄ました笑顔の裏で、同じように嗤う。
裏切りとは相手を信用することで成り立つ。
あの女生徒たちは俺にとってどうでもいい存在だった。
トラウマのように裏切りには敏感な俺だったが、そういう理由から彼女たちには何の感情も抱いていない。
何かの感情を抱くとすれば、そんな勘違いをしている目の前の男にだ。
「ミコトぉ?友達にも裏切られ、親には文字通り売られ、散々だなぁ?だが、それは僕に逆らった報いなんだよ。
これからも僕に逆らい続けるなら貴様の周りの大切な奴らも壊し続けてやる。これはほんの手始めなんだからな!」
くっだらねぇ、ゴミカスにしかならない言葉を吐き続けやがる。
得意満面のその自信は一体何処からくるというのか。
一対一であればこの腐れたガキにお灸を据えるのなんてわけは無い。
そう、一対一であれば。
「坊ちゃん。ようやく見つけましたぜ」
そんな声が聞こえてきたかと思うと、木の間を縫うようにして一人の男が現れた。
見た目はどうということのない中年の男であるが、その足取りには油断のならないものがある。
クロイツよりはよっぽど警戒に値する男の登場に、しかし、それだけには終わらなかった。
続々と周囲から人が集まりだしてきたのだ。
その数、実に十人以上の制服を着た生徒たち。俺の退路をたつように取り囲み始める。
生徒の制服につけられた記章は最低でも赤のバラ、数名は黒の生徒もいるようである。
記章が偽物でもなければどいつもかなりの実力者といえるだろう。
「遅かったじゃないか!!僕がこうして惹き付けていなければ逃げられるところだっ!!」
「坊ちゃんが広く分かれて探そうって言ったんじゃないですかい……」
「うるさい!何の為にお前らを雇ったと思っている!やった金の分の働きはしろ!!」
やはり黒のクラスに行っていたのは仲間を集めるつもりだったからか。
想定の範囲内の出来事に驚きはなかった。
なんでもありのルール上、そういった事前工作は問題とならない。
予選を勝ち抜く為の手段としては安全牌ともいえるだろう。
俺の場合はそういった連中を信用することも出来ないし、金もなく伝手もないから最初から選択肢になかった。
「どうだミコト。驚いたか?貴様の為に用意してやったのだから喜んでもらわないと僕が困ってしまう」
「……私と貴方で戦うのではなかったんですか?」
「あぁそうとも。僕と貴様が戦うのさ!しかし、ふとした拍子に魔術が飛んでくる可能性はあるかもなぁ?」
くっくっく、とクロイツが笑うと周囲に集まった生徒たちも同じように笑った。
なるほど、こいつら全員クロイツの同類というわけだ。
中には愉快そうに笑っているだけの奴もいるが、明らかに敵意を向けている生徒もいた。
人気者はつらいね。学校で目立ちすぎるデメリットというわけだ。
「卑怯と思うか?違うなぁミコト!貴様がこういう場面に持ち込んでしまったのがそもそもの間違いなのさ!」
圧倒的に自分の立場が上の人間はよく喋るというがまさに典型的だな。
悦に入っているクロイツの口はよく回っていた。
口答えするつもりはなく無言を俺は貫く。
こいつの前に姿を現した時点でこうなることはわかっていた。
仲間を揃えたことも別に卑怯だとは思わない。
周囲を取り囲んでいる奴らに中年の男。それを従えることが出来ているのは間違いなくこいつの力である。
例えそれが金によってだろうと、その金が親の金であろうと関係はない。
こうして目の前にいることこそが重要なのである。
「さぁ戦いを始めようか。もしかして一方的なものになるかもしれないが、それも仕方ないよなぁ?ミコト」
そして残念ながらもう俺の出来ることは一つもない。
クロイツの言う通り、この場面になることを回避しなければいけなかった。
つまりは詰みの状態。あがけばどうにかなる事態はすでに過ぎ去ってしまったのだった。




