第四十五話 七十二時間のサバイバル
クロイツはあれから俺に特にちょっかいをかけることはなく、一度として俺の前に姿を見せることはなかった。
恨みは新人戦の場で晴らす、ということだろうか。
風の噂では何やら黒のクラスに足を運んでいるらしいのだが、何をしているのやら。
端役の小悪党がしそうな小細工をしてないといいんだがな。
まぁそれを知った所で対処のしようなんてないのだから、俺は俺に出来ることをするだけである。
そうして一週間という時はあっという間に過ぎ、新人戦の当日。
ゲートと呼ばれる扉が置かれているという教室に、緑の新入生の生徒が集められていた。
その数、実に二百名以上。教室に入りきらずに廊下にも並んでいる始末である。
話し声も一つだけなら小さいが、こうも人数が集まると一気に騒がしくなる。
何処にこんな生徒がいたのかと思わずにいられない数だ。
俺もあまり把握していなかったので多少驚いていた。
俺のクラスが一の四。クラスに在籍している生徒の数が三十名ほど。
だから簡単に計算して一学年に緑の生徒は百二十名程度はいるのだと思ってはいたのだが。予想以上に多い。
一の四以降のクラスが存在しているのか、もしかしたら夜間クラスでもあるのかもしれない。
大体は少年少女といった者たちばかりなのだが、中には二十代とおぼしき女性や明らかにおっさんだろうという男性もいた。
この年代の大人が子供たちに混ざって授業を受けるのも辛いものがあるし、仕事があって昼間は行けないという人もいるだろう。
ちなみに廊下に待たされて、周りに人がいすぎるのが嫌いな俺はどうしていたかというと……。
「はーい、下がってくださーい。押さない、押さないでー」
「申し訳ないですが半径三メートル以内には入らないでくださーい」
と、声をあげつつどこぞの有名人の警備員みたいな、俺の親衛隊が周りを囲っていた。
これは別に俺が言ってしてもらったわけではなく、勝手にこいつらがやっただけである。
今日になってからいつの間にか現れ、身辺警護は私たちにお任せください、とキリッとしたキメ顔で言ってきたのだ。
俺はぽかんとしてしまったし、たまたま傍にいたマリーは半笑いだった。
断ろうとしても、是非、是非にっ、と強引に迫ってきたので結局押し切られてしまった。
(めちゃくちゃ目立ってる……)
確かに俺の周りにはぽっかりと円状に空間が空いていて誰もいないが、少し離れた場所から親衛隊越しにこちらを見ている視線、視線、視線である。
これなら人込みに紛れていた方がまだマシだったのかもしれない。
今更どうあがいても目立ってしまうので、半分開き直ることにした。
それでも頬は引きつってしまっていただろうが、俺の顔は素材だけはいいので問題はないだろう。
心の中では助けを求めていたのだが、マリーとキーラの二人も見当たらず、孤立無援だった。
それも少しの間であったのが救いだろうか。
「では十名ずつ教室の中に入ってください」
担当の教員である先生が教室の扉から姿を現して、喧騒に負けない大声を出す。
ざわめきはいよいよもってして大きさを増したが、教員は収める気がなかったのかさっさと列を進めてしまう。
収拾がつきそうにないのは確かだし、俺としてもその判断は嬉しい。
先頭から俺の所までそう距離も空いていなかったので、ほどなくして俺は教室の中に入ることが出来たのだった。
教室の中は特別な装置がずらりと並んでいる、というわけでもなく、部屋の真ん中にぽつんと大きな扉があるだけだった。
それは大人が二、三人手を横に伸ばしても余るほどの幅で、上は天井近くまで伸びていた。
特に装飾がしてあるわけでもなく、特徴的なのはその大きさと扉にあたる部分。
薄透明な膜のようなものが張られており、目に痛くない強さでキラキラと光っていた。
これがゲート、か。
「準備が出来た人から飛び込んでください」
などと、教員は何でもないことのように話した。
生徒たちは戸惑って互いの顔を確かめ合う。そんなこといわれても、とその顔には書かれているようだった。
事前にゲートという空間転移させる扉をくぐって、予選会場に移動するとは聞かされてはいたはずだが。
実物を前にして心構えが揺らいでしまった。そんな所か。
まぁ何処に行くかもわからないのだから心配する気持ちはわからなくもない。
そういえば怖気づいている九名の顔に見覚えがない。他のクラスの奴らみたいだ。
先ほど夜間クラスに通っているのかもしれないと思っていた人物も二人混ざっていた。
中年の男性と二十歳ぐらいの女性だ。
あの人たちが先陣でも切ってくれれば他の奴らも釣られて行くと思うんだがな。
二人揃って固まってしまっていた。
埒が明かない状況に俺は一つ嘆息して、ゲートの方へと足を進めていく。
あっ、という誰かの声が背中にかかったような気がした。その頃にはすでにゲートの薄い膜に俺の手はかかっていた。
躊躇なく膜の先へと手を突っこむ。
ゲートの中の感触としては浮遊感や違和感というものは一切なく、強いて言えば手の先だけ違った空気の中にいるような感じだ。
そのまま肘から肩、そして体の全身を溶け込むように浸していく。
さすがに目を開けたままというのは難しく、視界に薄い膜が飛び込もうとした瞬間には閉じてしまっていた。
そうして俺は予選が行われる場所へと長距離の空間転移を果たしたのだった。
空間転移したのは初めてだったが、予想していたような酔いや気分の悪さといったものはなにもなかった。
世界が除々に歪んでいくだとか、ワープっぽい効果音なんてものもない。
本当に呆気なく、次に目を開けた時には別の場所にいただけだった。
視界に広がるのは自然の緑。
とはいっても公園にあるような癒しを与えているようなものとは違う。
そこにあるのは樹齢何年かもわかないほどに高い木々。
周りを取り囲み、人の手が一切入っていないのか蔦や枝といったものが伸び放題だった。
鉄格子にでも囲まれているような閉塞感に思わず視線を上げて出口を探すが、上も似たようなもので枝と葉で覆われて天井が出来ていた。
植物特有の青臭い臭さも鼻につく。まるでジャングルのような所だな。
ここで俺は数日間過ごすことになる。色々と慣れていかなくてはいけないだろう。
今わかるのはその程度のことで、後は手の平が何か温かくて柔らかかった。
「……ん?」
「ほう、ゲートに飛び込んできた一番乗りはお前で、私に挑む勇気のある一番槍もお前か?」
声の方に顔を動かせば凄みのある笑顔をしているライラックがそこにいた。
おそらくここで行われる予選の監視役だろう。
それはいいのだが、いやそんな冷静なことを考えている場合ではなく。
今、俺の手が置かれている場所が問題だった。柔らかい感触を手の平に感じられると思っていたのだが、それはライラックの胸だったのだ。
さーっと血の気が引く。
意外と着やせするんだな、とか頭の隅に思っていたりしたが、視界がものすごい勢いで反転。
気付いた時には体ごと地に伏せられていて、俺はその時になってようやくライラックに投げられたのだと知った。
投げるのがうまい人は硬い地面であろうと相手に痛みを与えない、と聞いたことはあったがまさにそれだった。
優しく寝かせられたように俺は転がっていたのだが、上から投げかけられる言葉で自分の末路を知る。
「お前には一度指導したいと思っていた。ありがとう、ミコト。その機会を与えてくれて」
いいえ、どういたしまして。謝るから許してください。
そんなことを言った所で絶対に許してくれないだろう。
感謝の言葉を述べつつも拒否権など一切ないと言わんばかりの声色に、もしかしたら俺の予選はここで終わってしまうのかもしれない、と達観するしかなかったのだ。
この後めちゃくちゃしぼられた。
ゲートから続々と生徒たちが現れ、合計で四十人もの男女混合、年齢もピンキリの者たちが広場に集まっていた。
全員が全員、自分の所属する色の記章をつけている。
緑が一番多くて二十名、青がその次に十名、赤は七名に最後は黒で三名と少ない。さすがエリートといったところだろうか。
人工的に作ったであろうこの場所はゲートが置かれている以外、特になにもなかった。
周りの様子に驚きを示している者が多数いて、その中に見知った顔がいた。
クロイツだ。
ゲートは予選の為にわざわざ設置されていると聞いた。
一気に送れる人数はシステムの関係上多くできなくて、学校側で複数設置したとのこと。
問題のシステムはランダムに指定したポイントに転送するものらしく、つまりこの出会いは偶然ということになる。
予選に選ばれたこのジャングルのようなフィールドは広大で、もしかしたらクロイツと鉢合わせないまま終わるかもしれない。
そんなことを思っていたのだが、スタート地点から同じとはなかなか面白いことをしてくれる。
「予選のルールを知らない者はいないだろうが、改めてお前たちに教えておく。
後で覚えていませんでしただなんて口が裂けても言うな。もしそんなことになれば、その時は容赦なく指導してやる」
ざわめいていた生徒たちはそのライラックの言葉によって一斉にぴたりと止まる。
いつものライラック節であるが、初めて彼女と会った者はその言いように目を丸くして驚いていた。
そんな新鮮な態度をとっくの昔に過ぎた者は体を震わせて黙ってこくこくと頷く。
俺は予選が始まる前から絶妙に手加減されたダメージを負っていて、遠い目をしていた。
この女、先生になる前は拷問官であったに違いない。
(予選のルールか……改めて自分でも振りかえってみるか)
といってもルールはそこまで複雑ではない。
三日間このフィールドで生徒たちは過ごし、ある物を奪い合ってもらう。
ある物とは小さな魔導具であり、大きさは十円サイズの球体だ。
これを生徒一人につき一つ支給され、予選が終わる時間に三つ揃えていた者だけが合格となり本選へと進める。
予選での勝利条件はそれだけであり、後はデバイス、殺傷能力の高い魔術の使用も不可。
つまり中級魔術はほぼ使えず、下級魔術のみで戦ってくれというわけである。
これは少しでも実力差を埋める為の処置だろう。
(デバイスが使えないとなればこのルールは有難いがな。それよりも……)
一つ、特殊なルールとして最初の二十四時間、一日目だけは戦闘自体が不可となっている。
その時を使って実力のない者はどうにかしろ、と暗に言われているような印象を受ける。
最後の二日間はルールに抵触しない限り、なんでもありなのだから。
リタイアに関しては最初の一日が過ぎた後からになる。緑の連中は結構な人数が途中棄権しそうだ。
後は俺限定の縛りとしてシルフィードの力も借りられない。
あいつは今頃帝都にいることだろう。
エロ爺直々に「その娘連れて行くのはナシね」などと言われたから仕方ない。
精霊の存在に感付いていたことには油断のならなさに舌打ちしたが、元々シルフィードはあてにしてなかったので問題ない。
まぁ俺は問題なかったのだが、一緒にいけないと告げた時からシルフィードの機嫌が急降下したのにはまいった。
最終的に帝都で噂の甘味、フローズンチェリーという果実で手を打って貰ったのだが。
精霊でも食べられるのか、とか、食べ物につられるとかちょろいな、とか思ったりしたのだが、賢明である俺は言葉にすることはなかった。
幸せそうに自分の体の半分以上はある果実を食べている姿はまるで小動物だな、と思ってしまったのも内緒にした方がいいだろう。
「……以上。何か質問がある者がいるならば今から時間をとる。何かあるか?」
余計な考え事をしている間にライラックの説明は終わったみたいだ。
口を挟むことを許さないきびきびとした彼女の喋り方に圧倒されていた生徒たちは、誰一人無駄口を叩くことなく清聴していた。
「あ、あの……」
つっけんどんなライラックの態度にめげず、手をあげたのは中年の男性だった。
あれはゲートの前でまごまごしていた男か。どうやら無事にくぐれたらしい。
「質問を許す」
「あ、はい。ええと、その、先生は予選の間、何をしているんですか」
「お前たちの監督官として見張っている。私以外にも複数の監督官がいるから危険な魔術を使用したら速攻で潰すから覚悟しろ」
潰すって……もはや指導という言葉もつけないのかよ。こわ。
「私も質問があります」
お、あれは中年の男性といた女性だ。この人も来れたのか。
年配組、といったら失礼だがライラックに対して結構肝が据わってるな彼らは。
「見た所この場所は見通しがかなり悪いようですし、見失うこともあるのではないですか」
「確かにその可能性はないとは言えん」
おいおい。いいのか。そんなこと言ったら危険な魔術とやらを使った場面も見落とすことがあるんじゃねぇのか。
そんなことを思ったのは俺だけではないだろう。
「でしたら……」
「だが私たちには魔力感応という特殊な能力をもった者がいる。迷ったとしても魔術を使えばすぐにわかる。
それ以外のことをしても何処までも追いかけてやるから心配することはない。
ちなみにこの場所の外れには強力な結界を張っているから逃げ場もない。どうだ、安心したか?」
マリーのようなスキルを持った人がいるのか、と思ったのはともかく、今の台詞の何処に安心する要素があったんですかね……。
言外に強力な魔術を使ってもすぐにばれるぞ、やったらわかってるな?って脅しているだけだろ、これ。
女性はその言葉を聞いて何を思ったかは知らないが、そのまま引き下がっていった。
「他に何も質問はなければこれで終了とする。各自、健闘を祈る」
と、言ったっきりライラックはゲートの傍に歩いていく。
もうちょっと言い方というか、少しでも優しさを見せればこの先生も怖がられることはないと思うんだがな。
説明が終わればハイ解散、というわけにもいかないのは、動き出さない四十名の生徒たちが物語っている。
何をすればいいかわからない、と皆が口にしなくてもわかっていることだろう。
おそらく他の先生なら多少なりともフォローはしてくれるかもしれない。
ライラックがそんなフォローが出来る人かといえば、残念ながらノーと言うしかない。
一日目から自由行動は約束され、しかも目的も特には示されていないのも原因である。
二日目からは誰しも戦闘に巻き込まれる危険性はあるが、それはそれで行動が起こしやすい。
俺としてはこの一日目こそが肝要だと思っているのだが。
一人でこの集団を抜けるのはかなり目立つし、というか俺だから更に目立つだろうし。
さてどうしたものか……見た所、知り合いがいない。
約一名、こちらを射殺さんばかりに睨みつけている阿呆がいるが、無視を決め込む。どうせ今は何も出来ないんだ、今は。
さっさと抜け出したい所なのだが、うーむ。
「あの……君」
そんなことを考えていたら見覚えのある男に話しかけられた。
その男の後ろにはそわそわと付き添っている連中がたくさんいた。全員緑の連中だな。
男も同じ緑であり、先ほどライラックに勇気ある質問をした中年の男性だった。
苦笑いを浮かべては年齢の感じる皺を寄せ、年下の俺に窺うような低い姿勢を見せていた。
(これが吉と出るか、凶と出るかはわからんが……話を聞いてみるか)
このまま立ち去るのも一つの手だったが俺は男性と話をすべく、いつものスマイルで外面を装うことにした。
相変わらずな反応をされつつ、俺は頭の中でこれから起こすべき行動を一つずつ頭の中で組み立てていくのだった。