第四十一話 調律士
座学の授業も一週間が経ち、生徒の不満もそろそろ爆発しそうになっていた。
これまでの授業とは違い魔術に関するものではあるのだが、皆ははやく直接魔術が使いたい。
座学だけでは逆にエサを眼前にチラつかせられているような状態なのだろう。
私的な魔術の使用を禁止されているこの学校では、個人で練習するにも申請がいるから簡単には出来ない。
それにまだ実技の一回も行っていない生徒に学校側も許可を出すことはないだろう。
緑の生徒の中にもこの学校に来る前から魔術を使えた者がいて、フラストレーションは溜まるばかりだった。
俺はここにきてからそれほどの時間を過ごしていないから、そこまで気にはならなかったが。
魔術だけではなく、体を鍛えることに時間をかけることも出来るのだから問題はない。
強いて不満があるとすれば走り込みぐらいしか出来ないことか。
組み手の相手でもいれば別だろうが、そんな奴が近くにいるはずもなく。
マリーは自分のことで手一杯のようだったし、勉強を頑張って欲しいものである。
そんな今にも抗議にいきそうな空気が蔓延していた頃、担任のクライブ先生が生徒たちへの朗報を持ってきた。
朝のホームルーム、いつもの代わり映えのしない定期報告に今日も何もなしか、とため息を零す者がちらほらと見える中。
ホームルームの終わり際にクライブは生徒を一度見回すようにしながら口を開いた。
「お前たち、来週には魔導デバイスの調律を行うから準備しておけよ。それに伴って魔術も実技をすることになったからな」
その言葉を理解するや否や、教室が歓喜の声に震えた。
待ちに待った魔術の実技がようやく行われることになったからだ。
ちなみに魔導デバイスというのは魔術師にとってはなくてはならない装備品のことだ。
それを手にして魔術を唱えることで、無手の時よりも強力な魔術が使えるようになる。
杖とかロッドとかみたいなものを想像してもらうとわかりやすいだろう。
調律とはその魔導器を術者専用にカスタマイズすることだな。別名としてチューナーとも言うらしい。
術者の魔力の波長を魔導器と同調させることで、魔力を浸透しやすくなり増幅効果がより得られる、とかなんとか。
繊細な作業が必要なようで専門の技師ではないと難しいとのこと。
「お前デバイスはどうする?もう用意してるか?」
「私、入学前から杖にしようって思ってたんだよね!魔術といえばやっぱ杖でしょ!」
「うわー。忘れてた……どうしよう」
「確か帝都市内にマジックショップなかったっけ?そこで探せばいいんじゃね」
……などと生徒たちは浮かれ合っていた。
俺も何回かは話しかけられたが、当たり障りのない会話に留めて置く。
にわかに騒ぎだす教室にクライブも水を差すことは止めたのか、それともこれは無理そうだと諦めてしまったのか。
程ほどにしておけよ、という言葉を残して立ち去ったのだった。
教師の目がなくなった教室はヒートアップするばかりである。
マリーも友達の……名前は確かキーラといったか。そのキーラと楽しそうに話していた。
内容は言わずもがな、デバイスのことやこれからの実技のこと。
盗み聞きをするつもりはなかったので早々に俺はマリーたちから意識を切り離し、さて、俺はどうするか、と考える。
調律までは一週間の猶予があり、いつ調律するかも日程で決まっている。
俺は最後の方に回されたようで、他の生徒よりはいくらか余分に時間はあった。
一日に五、六人の調律をすることからかなり時間がかかる作業とみていいだろう。
とはいえ調律したデバイスがそれで一生物、というわけでもない。
まぁ簡単に何度もほいほいと変えられるものではないのは確かだが……。
(最初から俺は決めている物があるから、悩む必要はあまりないんだがな)
ただそれがあまり適合しなかったりしたらどうするか、と考えてしまうのだ。
何せ物が物だけに何があっても不思議じゃない。
その時の為に予備でも用意しておかなければいけないな、と思いつつも結局答えが出ず。
俺の調律を行う日はあっという間に訪れてしまうのだった。
その日、グリエント魔術学校の三年生、調律技師科に属する女生徒は気だるげに廊下を歩いていた。
ふらふらと右往左往に行ったり来たりしては危うい足取りで、その顔も目の所に濃い隈が出来ていてひどい有様だった。
女生徒は茶色のポニーテールと左目には黒い眼帯を着けているというなかなかに特徴的な女性だった。
こんな状態でなかったら美人であろうぐらいには顔も整っており、高い身長も相まってモデルと見違わんばかりだった。
夕焼けの差す廊下に日差しがまぶしいのか、思いっきりのしかめ面を晒すその姿はとてもそうは見えないが。
彼女も彼女とて何も常にこんな状態でいるわけではない。
昨晩からかかりっきりになっていた魔導デバイスの解析に徹夜で挑み、アドレナリンがどばどばと出ていて絶好調だった夕方頃。
眼帯の女生徒ミスラは自分の私室にて、頭の中で唐突にチリッと言い様のない感触が走るのを感じた。
集中力が途切れると同時に、それは魔術による通信……伝達によるものだと確信する。
せっかくノリに乗っていた時に邪魔をされたのには文句をつけたくなるが、相手が誰かはわかるだけに心の中だけで呟くことにする。
この学校で魔術を授業外で使える者は数える程だ。
生徒の規律を正している執行部、そして先生ぐらいなものだ。
どちらも軽々しく嫌味を言っていい相手ではなく、さりとて邪魔をされたのも許しがたく。
ミスラはぞんざいな口ぶりで自分の気持ちを示すことにした。
(はいはい。なんっすかー。ミスラに何用ですかー?)
(お前……今どこにいる?)
返ってきたのはミスラより更に不機嫌そうな男の声だった。はて、この声は先日に聞いたことがあるような。
ミスラはそう思い、記憶を遡る。確か一週間前に聞いたような……。
そしてようやく彼女は思い出した。この男の正体と、そして何故そんなに怒っているのかを。
(た、たはは。クライブ先生、やだなー!そんな機嫌の悪い声出しちゃって!怖いよー)
(その原因はお前なんだけどな!どうせまだ自分の部屋にいるんだろっ。さっさと学校に来いっ!!)
雷鳴の如き怒声にミスラはぐわんぐわんと頭の中を揺さぶられる。
徹夜をしていた彼女にその声は大変にきついものがあったが、それについて何か言おうものなら数倍の雷が落ちるのはわかっていた。
だからミスラは軍の兵士よろしく、いえっさー!っと了解の言葉を返してそそくさと部屋から飛び出すのだった。
そして今に至るわけだが、
「あ゛ー。勢いで来ちゃったけど、体力の限界だわ……」
睡眠不足とぶっ通して作業をしたことのダブルパンチでミスラの体力はすでにレッドゾーンだった。
不幸中の幸いにして空腹は今の所感じていないが、それもいつ襲い掛かってくるかわからない。
非常に気だるくてはやく家に帰ってベッドにダイブしたいが、それは許されない。
クライブにある生徒の魔導デバイスの面倒を見ると先週約束したからだ。
何故未だに生徒の身分である未熟な自分に白羽の矢が立ったのか、不思議でクライブに尋ねるが言葉を濁らせるばかり。
それでもしつこく粘っていると、不意にクライブが零した言葉は校長先生が……という一言だけだった。
なるほど、あの破天荒な校長からの直々の指名とあらばクライブが教えたくないのもわかる。
絶対に面倒ごとになると相手もわかるからであろう。
しかしミスラに至ってはそうではない。実の所、あの校長のしでかすことがミスラは嫌いではないのだ。
何が起こるかわからない。大いにいいではないか。彼女はとても楽しそうに笑っては了承したのだった。
その返事にクライブは「お前、あの子は優秀な生徒なんだから頼むから変な影響与えないでくれよ……」と小言を洩らすのだった。
面食らったのはミスラだった。クライブはミスラを心配しているわけではなく、その生徒を心配していたのだったから。
とんでもなく失礼な話である。何が何でもやってやろう、とミスラは堅く決意をしたのだった。
堅く決意をしたのだった、が、つい作業に没頭していて忘れていた、というなんともお粗末な話になってしまった。
「でも約束の時間からすでに三時間は過ぎているっていうのに、まだいるんすかねー?」
そう独り言を洩らしながら、ミスラは件の教室に辿り着く。
まぁ誰もいなかったらいなかったでそれはいい。後日、また調律しにくればいいのだから。
怖いのはクライブの雷ぐらいだった。いませんでした、てへ、と報告すればぶち切れるのは間違いない。
だからミスラは祈るような気持ちでドアを開いた。
「…………ぁ」
ミスラの小さな声が自然と漏れる。扉の先にあった光景がその目に飛び込んできた故に。
無意識に出た声はミスラの意識にさえ届かない。
何故なら彼女の視線と意識の全ては窓辺に座っているある生徒に注がれていたから。
その生徒は静かに本を読んでいた。
椅子に座ってはしなやかな指でページをめくり、その傍でカーテンを揺らす風と黄金の束がまるで踊るようにじゃれあっていた。
悪戯をするようにその生徒の顔に髪がかかれば、そっと指で払う。その仕草はなんともいえない色気があった。
夕日に光る金色はまさに幻想的な光景で、きっといつまで見ていたとしても飽きることはないだろう。
髪の隙間から覗くことができるその生徒の顔は、幻想の住人に相応しい美しさ。
もしかしたら現実ではないのかと錯覚するほどに、目の前の人物は浮世離れしていた。
「……?」
ふと、その生徒の顔がミスラの方に向かなければ彼女はずっとその場から動くことはできなかっただろう。
伏せた顔を上げたその生徒の顔を、真正面からミスラは見た。
吸い込まれるような深い緑色の瞳に出迎えられ、またしても彼女は硬直してしまう。
(そういえば……)
意識の片隅でミスラは思い出した。上級生の間でも噂になっているある生徒のことを。
信じられないくらい綺麗なエルフがいる、とまことしやかに囁かれていたのだ。
ミスラは気にもとめていなかった。
エルフの顔がいいのなんて種族的な特徴でしかないし、何より彼らは自分の種族以外をひどく嫌っている。
そんな人物にあったとして嫌味を吐かれるのがせいぜいだろう、と思っていた。
ミスラは鼻にかけた人物は嫌いだ。だから嫌な思いをしたくないから噂にも耳を閉じ、近寄らないようにしていた。
だが目の前の人物はミスラを見るや否や、微笑を浮かべるのだ。
そこに愛しい誰かでもいるように。全てを包み込むような抱擁のある笑い顔で。
その瞬間、ミスラの頭の中は完全にショートしてしまう。
真っ白な頭に茹った顔も赤くなり、何が何だかわからなくなってしまう。
……彼女がそれから元の調子に戻るのは何十分も後のことであった。




