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虎と乞食

 7、虎と乞食


 ある日、動物園の職員が餌を持って虎の檻の前に来ると、中に薄汚い男が座っていて仰天した。


「おい、何で入れたか知らないが早くそこから出ろよ! 虎に食われちまうぞ!」

「いいや、オラこの虎さんから餌もらったから大丈夫だ。それにしてもここはええなぁ。餌はいつももらえて、日がなゴロゴロしてるだけでいい」

「何をバカなことを。そりゃ動物だから当たり前だろ。いいから早く出な」

「ならオラだって動物だ。人間っつう動物だ」

「じゃあ、早く出るんだな。そこは虎っつう動物の檻だ」

「オラ専用の檻は作ってもらえんかの」

「そりゃ、無理だな。乞食っつう動物はそこら辺にゴロゴロいるからな」

「そりゃおかしいだぁよ。乞食はおめぇ、動物園の職員さんと同じで単なる記号でしかねえだ。チンパンジーを挨拶できるかできないかで分けるみたいなもんだ」


 明らかに苛立った調子で職員は叫んだ。


「ともかく、出ろよ! 問答してる暇はねえんだ! 早くしねえとお客さんが入る時間になっちまう!」

「イヤだ。オラはここに住みたい」

「じゃあ、虎にでもなるんだな! なれないんだったらとっとと出やがれ!」

「ならオラはここにいるだ。ここは虎の檻で、ここにはオラしかいねえからオラが虎になるもんな」

「は? いや、なにをい……あれ!?」


 職員は檻に黄色と黒の毛を持つ生き物が存在しないことに気づいた。


「お前、どこにやった!?」

「どこにもやってない。ただ、虎はオラになっただけだぁよ。さぁ、その餌くれよ。献立はなんでもいいだ」

「虎は肉食だから肉しか食わねえよ!」

「そりゃあ贅沢だなぁ。じゃあ、肉をおくれ」

「冗談つき合ってる場合じゃない! 早く探さないと!」


 職員はバケツを置いて、走り出した。


「なぁ、肉は?」

「うるせぇ、そこでジッとしてろジジイ!」


 職員はバタバタと走っていった。


 バケツに入った生肉を物欲しそうに見ながら、乞食は呟いた。


「これでええか?」

「はい、ありがとうございます」


 男のすぐ後ろから、にゅっと虎が現れた。


 乞食は体の向きを変えて、虎を見た。


「いいんだ、オラが久しぶりに飯食えたのはおめぇさんのおかげだからな。それにしてもおめぇさん、変わってる虎だなぁ。オラの背中は栄養不足でちいせえのに隠れられるなんて」


 虎を見渡す。きれいな毛並みを持った虎であった。男と違って汚れてないし、手入れもされてる。


「えぇ、私は虎じゃありませんからね」


 虎は当然のようにしゃべった。


「そうか? どっからどう見ても虎に見えるど?」

「見た目だけで判断してはいけません。私は虎にすごく似てるだけで中身は全然虎じゃありません」

「でも、人は外見で判断するど。たとえば、あの職員さんはオラが虎と名乗っても虎とは認めてもらえなかったし、ついでオラはじじいじゃなくてまだ二十五で無職の若者だど。でも誰も信じてくれないだ」

「この星の人間は愚かですね……無意味な外見ばかり気にして、そのくせ中身が伴ってない」

「だども、それが人間っつうもんさ」

「そのようですね。あなただけですよまともなのは」


 虎は檻の外を一瞥した。


「おめぇさんはもう行くだか?」

「えぇ。そろそろあの人も戻ってくる頃合いでしょう。あなたにはお世話になりました。お礼に一つ何か願い事があれば叶えましょう」

「じゃあ、オラをここで暮らせるようにしてけれ。ここは食べ物が勝手に出てきてゴロゴロ暮らせる天国だ」

「分かりました」虎はジッと乞食を凝視する。「……はい、これで大丈夫です」

「そうだか? オラは何ら変わってるように見えね」


 乞食は自分の体を見渡すが、見えるのは見慣れたボロボロに擦り切れた服と汚らしくクスんだ肌だけだった。


「いいえ。確かに変わりましたよ。あなたの望むようにゴロゴロしてれば勝手に餌が出てきます。では」


 虎に見えていたものは形が崩れ、黄色や黒が混ざりあったゲル状の何かは檻の間から抜け出て、空へと飛び去った。

 乞食は虎だったものを見送り、言われたとおりにゴロリと横に転がって餌が出てくるのを待つことにした。




 ドタドタと騒がしい音がした。先ほどの職員の人と、その上司らしき人も一緒に檻の前へと来た。


「おい、本当か! 虎が逃げ出したっていうのは!」

「はい、見てください! 実際……」


 檻の中を見て、職員は呆然となった。


 上司らしき人は目を細める。


「……おい、どこが逃げ出してるんだ?」

「いや、そんな……確かにそこに乞食のじいさんが……」

「てめぇの節穴に俺をつきあわせるな、こんのアホタレが!」


 拳骨を食らわせて、上司の人は肩をイカらせて帰っていった。


「おかしいなぁ……」


 頭をさすりながら、職員の人は改めて檻の中を見る。


 ちゃんと黄色と黒の毛を持つ生き物はいた。ゴロリと寝転がって、だらしない姿を見せている。


 代わりに、薄汚く見窄らしい乞食の姿はどこにも見えない。


 そこに見えるのは日常の風景だ。


「……なんだろうなぁ。早朝だから、寝ぼけてたんかなぁ? ……まぁ、いいや。餌あげるか……」


 バケツの中に入っている肉を適当に放って、きびすを返す。


 はたと気がつく。


 ……そういえば、さっきの虎はいつもより見窄らしくて、痩せていたような……。


「うほ、本当にゴロゴロしてたら餌をもらえただ」

「――!?」


 後ろから乞食の声がして、目を見開き振り返る。


 しかし、そこにいたのは肉にがっつく虎だけだった。


 ただ気づいた通り、あれだけきれいだった毛並みが軒並み黒ずんでいる。まるで先ほどの乞食のじいさんのようだ。臭いもキツい。


「乞食のじいさん、まさか虎で体を拭いたんじゃないだろうな……まぁ、後で洗えばいいか」


 再びきびすを返す。


「やった久しぶりにシャワーを浴びれるだ」


 バッと振り向く。


 虎はガツガツと肉を食っている。


 虎の方からそんな声が聞こえた気がしたが、檻の中にいるのは虎だけだ。あの薄汚い乞食のじいさんはいない。


「……先輩に頼んで仮眠もらおうかなぁ」


 職員は肩をコキコキ鳴らして、その場から去った。




 見窄らしい虎は肉をぺろりと平らげた後、再びごろりと寝転がった。


 どうやら後でシャワーが浴びれるようだ。しかも無料で。


 シャワーだけではない。餌(しかも肉)も無料。寝るとこも無料。風を遮る檻の中だから風邪をひく心配もないし、浮浪者だからと暴力を振るわれる危険もない。


 檻の中は、快適で安全だ。


「虎様万歳だ」


 そう呟いて、虎は寝た。


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