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空と日記

 6、空と日記


 気がついた時、男は空を飛んでいた。


「ふむ……」


 特に動揺がなかったのは、あまり空を飛んでいる実感がなかったからか。ちょうどテレビで上空から流れるように景色を映すことがあるが、あんな感じだ。こちらはテレビを見ているので安全。飛んでいるのは向こう側だから、こちらが何をしても落ちることは絶対にない。


 ただ、今飛んでいるのは紛れもなく自分自身で、今は上に青い空、下に白い雲海が見渡す限りに広がっているだけ。


「私はどうしていたんだっけ……」


 思い出せない。どうして、自分はこうも空を飛んでいるのか? そういう新技術が開発された記憶もないし、使用した覚えもない。


 何か手がかりになるものはないかと懐を探れば、小さな手帳が出てきた。表紙には「Diary」と書かれている。日記帳のようだ。


 ちょうどいい。昨日何をしたか書いてあるかもしれない。


 ページを最新のにめくると、ひどくどんよりとした文章が出てきた。


『私は会社から切られた。妻も子どもも出ていって、もう希望がない』


 おいおい、辛気なこと書いてるなと他人ごとのように男は思う。


 しかし、日記には追記として続きが書いてあった。


『もしかしたら大金持ち、いやそれ以上になれるかもしれない。しかし、思い返すと阿呆らしいことこの上ないし、それに死ぬ可能性のほうが高い。だから、一応、ここにこうやって遺書代わりに記しておく。これを読んでくれる人がいたら、妻と子どもに伝えてほしい』


 そこには男の名前と妻、子どもの名前、今住んでいる住所が記してあった。


 なんだか、自分のことなのに自分のように思えない。どうしてだろうか?


 けれど、それが日記を読むための好奇心を呼び起こした。


 ほうほう、と男は食い入るように読む。


『私は公園でうなだれていた。お約束通り、ブランコの上でワンカップというセットでだ。これから先の展望がまるで見えず、気分はやけくそで一犯罪犯してから死んでやろうとも思っていた』


 思っていた、ということはやらなかったのか。それを止める何かがあったわけだ。


 続きを読む。


『そこに、怪しい男が現れた。見るからに怪しい。なにせ口元は包帯で巻かれ、顔もフードをすっぽりと被っているため見えない。ボロ切れのようなローブで体を包み、まぁ、臭いもまたキツい。何せ臭いで危機感を抱き、顔を上げて気づいたほどだ。しかも、すごい接近していた。気づけないほど絶望していたのだろうか。

 まぁ、それはともかく、その男はお先真っ暗な自分に取引をかけてきた。曰く、新しい薬が苦労に苦労を重ねて開発された。その薬を一錠飲めば、誰でも全能になれることは理論で証明されているのだが、いかんせんまだ誰も飲んでいないので実験データがない。本当にそうなるのかまだ分からないのだ。研究員が飲めばいいだけの話なのだが、それはもうその薬ができる前から幾度となく繰り返されたため、今では薬を飲める者がもういないらしい。

 そこで、生きているのがどうでもいいと思っていそうな奴に声をかけて、飲まないかと、そういう取引を持ちかけているそうだ。話からすればおちょくってるようにしか思えないが、不思議とこの男は存在感がなかった。影が薄いとかではなく、まるで影がないように思えるのだ。実際、ローブの影しかなかったから、分からなかったが……中身をひんむいたら影なしが出てくると、確信に近い気持ちがある。

 話が逸れた。そこで、俺は当然のように条件を飲んだ。まぁ、あんたから見れば阿呆にしか見えないだろうが、俺は信じたわけだその話を』


「ほんと阿呆だな」


 自分で自分に突っ込む。


『まぁ、今にして思えばって奴だ。ともかく、俺はこれから飲む。成功したらどうなるか分からないが、失敗したらまぁ十中八九死ぬだろう。今こうして公園で飲もうとしてるが――』


「公園で飲もうとしたんかい」


 まぁ、自宅で飲んじゃ発見が遅れるかもしれないから、気持ちは分からなくはないが。


『――震えが止まらない』確かに、男の字は波打っていて読みづらいものがあった。それをスラスラ読めるのは、自分が書いたものだからだろうか。『あぁ、ひどい文字してるなって自分でも思うよ。でも、道はないんだ。覚悟を決めてそろそろ飲む。実は、こうやって経緯を書いてるのも、半分覚悟をし直すためだったんだ。ここまで読んでくれた方にはすまない』


「ほんとだよ」男は苦笑する。


『じゃ、俺はもう行くよ。ここまで読んでくれて、ありがとう』


 日記はそこで終わっていた。


 まぁ、要するに――


「俺は死んだわけね」


 まぁ、雲の上を平然と飛んでいる時点で半ばそうかもしれないとは思っていたが。


 今頃は公園で発見された変死体としてお茶の間のニュースに流れている頃だろうか。いや、もしかしたら遙か昔の出来事で、今はもう誰も存在を覚えていないのかもしれない。


「ま、ともかくこっからどうしようかなぁ」


 不思議と絶望感はなかった。むしろ、これからなにしようという喜びに包まれていた。


「さて、生まれ変わったし、これからどう生きようかな」


 ん? と男は自分で自分の言っていることにツッコミを入れる。


「いやいや、生まれ変わったんじゃなくて死んだんだった。生きるんじゃなくて、どう過ごそうかだな。生まれ変わるとしたら、天国か地獄かに行かなくちゃいけないん、だ、が……」


 言ってて「なに言ってんだこいつ?」感がすごかった。


「え? なになに? 俺、死んでるんじゃないの? どういうこと?」


 自分で自分に訊くのも阿呆らしい話だが、この感覚を生前で例えるならいきなり勝手に口が「あぁ……リストラされた……これからどうしよう」と絶望感をたっぷり含んだ口調で言い出して、コピー機でウィンウィンとコピーを刷ってるようなものだ。今、働いてるやん。なに言ってるの? という気持ちになるだろう。


 何だか妙な気持ちと葛藤していると、後ろから声をかけられた。


「あなた」


 振り返るとびっくり。そこには妻がいたのだ。


 妻は真っ白い布で体を覆う服を着ていた。古代ギリシャ人みたいだ。


「お、おおお前!? どうして!? お前、死んだのか!? なんだ、その格好!?」

「はぁ?」


 ジト目で返された。


「なに言ってるんです? ほら、行きますよ」

「え? 行くってどこに……?」

「祝賀会と歓迎式典ですよ」

「はぁ!? なんで、どうして!?」

「そりゃ、あなたは人類にとって誇らしい一歩を踏み出した人ですもの。……もしかして、記憶にありませんか? あなた、変な人から錠剤もらったでしょ? で、飲んだでしょ?」

「あ、あぁ……そういうことを日記で知ったけど」


 妻は騒ぎ始めた。


「まぁ、大変! じゃあ、第一世代にはそういう副作用もあることを急いで伝えなくちゃ!」

「あ、あの……どういうことなんです?」


 男にはまるで言っていることが分からない。


「えっと……まぁ、こっち来れば分かりますわ、あなた」

「う、うん。分かった」


 そのまま妻は平然とスイーッという感じで空を飛んだ。


 男も見よう見まねでやってみると、案外簡単に空を飛べた。


 しばらく飛んでいると、唐突に妻から話しかけられた。


「あなた、ごめんなさい」

「ん? い、いきなりどうしたんだ?」

「どうしても、言いたかったの。この瞬間まで、私はどれだけ長い間罪に苦しんできたか……だから、懺悔させてください。あの時は人間だったとはいえ、仕事をリストラされた、なんてつまらないことであなたを捨ててしまった。今でも悔いております」

「え、えぇっと……まぁ、しょうがないと思うよ? だって、俺が言うのもなんだけど、食い扶持がなくなればそりゃ別れるだろう」

「いいえ! それが人間の最もダメなところなの! そんなことしてるから、いつまで経っても人間は幸せになることができなかったんですわ!」


 いきなり語気を荒げて、男は目を丸くしていた。


「……ごめんなさい。あなたはまだここに来たばかりだものね。第一世代を飲んだのはあなただけですもの。でも、茂みから覗いた研究員は、あなたの体が光に包まれてゆっくりと浮かび上がっていく光景を見て、薬に大幅な改良を加えることができたんですよ? その時の研究者の喜びようは伝説にもなっているくらい。あなたがいたからこそ、人類はみな幸せになれたんです」


 恍惚な表情で語りだした妻を見て、男はいよいよ慌てた。


「ちょ、ちょちょちょっと待って! いきなり何言ってるの!? ねぇ、お前はそんな風な奴じゃなかったでしょ!? 毎日カタログ見ては『あー、これほしいなぁ』って俺にチラチラ視線を向けるような奴だったよね!?」

「昔の話をしないでください……今でも、反吐が出ます」

「へっ!?」

「さぁ、あなた。着きましたわ。ここが、あなたのおかげでできたものですわ」


 雲海が切れていた。妻は、その雲海の端に浮かび、微笑みをたたえて、夫を見ていた。


 男がおずおずと雲海の端を覗くと……ぱっくりと大口を開けて、唖然となった。


 大勢の人がいた。


 妻と同じような古代ギリシャ人のような服装をした民衆が、歓声を上げて、男を迎えていた。


 そして……その民衆の下。




 紛れもなく――星々が煌めく宇宙が広がっていた。




 上は青空、下は大宇宙。これなーんだ、というなぞなぞが頭の中に思い浮かんだ。


 そして、その答えは……。


「ここは言うなれば神界。人類は、あなたのおかげで『神』となれたのですよ」


 妻は神々しい笑みを浮かべた。民衆の顔も何一つ邪気が感じられない笑顔が浮かんでいた。


 人間らしい阿呆みたいな顔を浮かべているのは、男だけであった。

 

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