アイドルと樹木
4、アイドルと樹木
男は庭師であり、増長した枝を切るのが仕事であった。
しかし、妻と子供からは逃げられ、精神が疲弊しきっていた。ストレスのあまり、枝を切るのにも変な力を込めてしまい、下手な切り方をして、顧客からもクレームがつく。それが誘因となって次の仕事でまたヘマしてしまう……。そんな悪循環に陥っていた。自殺も検討するほど病んでいた。そんな時、男は友人から「どんなに心が疲弊していても、一日で快復してしまうアイドル」の話を聞いた。
「何でも、そのアイドルはテレビに出ることはなく、ただそういった心が病んだ奴を癒すためにいるらしい。ちょうどいいじゃん。お前も行けよ」
ということで、男は友人からもらった電話番号に電話する。セラピーか何かであろうか。アイドルがテレビなどのメディアに全く出ず、人に直接あって癒すなんて聞いたことがない。
「はい、こちら森林浴事務所でございます」
アイドルとあって、仕事の依頼も事務所を経由するようだ。
「あ、すみません。そちらに電話すると、なんでも心を癒せるアイドルと会えると聞いたんですけど……」
「あぁ、はい。会えますよ」
あっさり認められた。
「はぁ、そうですか」
「ところで、何か植物に関する仕事に携わっていたりはしてませんか?」
「え? えぇ……一応、庭師をしてますけど」
訝りながら、一応正直に答えると電話の向こうから「あー……」と間の延びた声が聞こえた。
「それじゃあ、すみません。ご利用はできませんね」
「何でですか!?」
「すみません。うちのアイドルはどうしてもそう言った方とは……」
仕事は向こうで選ぶというのだろうか? 人の不幸につけ込むセラピーのくせに偉そうに!
「ふざけてんじゃねえよ! こちとらギリギリの中電話してんだ! アイドルでも何でもいいから会わせろよ!」
「……そうですか。そこまで仰るのなら、分かりました。場所を指定するので、そちらへ赴いてください。そうすれば、アイドルと会えますよ」
場所を指定し、電話は切れた。
男は苛立ちのあまり、携帯電話を叩きつけた。
「くそがっ! なめきった態度しやがって!」
こうなったら何が何でも会いに行ってやる。そう男は決心した。
癒される気なんてサラサラない態度であった。
指定されたのは郊外にある自然公園であった。
見渡す限りの緑、緑、緑。樹木の数が多く、ちょっとした森になっている。
ただし、全く手入れがされていない。
「仕事がなってねぇなぁ……」
同業者として、呟く。枝は伸び放題、葉は落ち放題。手抜きと言ってもほどがある。
「クッソ。俺のところに依頼すりゃあ、バッサリ切ってやるのによ……」
そう呟いていると、スーツを着た男性が来た。髭とメガネがいやにわざとらしい。
「お待たせしました」
「マネージャーさんか。遅すぎるんじゃねえの? こっちだって時間はないんだからさぁ」
「申し訳ございません。では、こちらとなります」
「ちょっと待てよ」
「はい、何でございましょう?」
「そっち行くのか? その、森の中に?」
「はい、左様でございます」
今から行こうとしている道を見る。考えもなし植林をしたのか、根と根が絡まって歩き辛そうである。さらにひどいのは、背の低い植物が道を狭めていることだ。あれでは満足に進むこともできまい。
「見てて気になっていたんだがな。自然公園つってもここはひどすぎるぜ。俺に仕事頼めば、きれいサッパリ切りそろえてやるのによ」
「……こちらでございます」
(無視かよ、おい)
頭に血が上るが、まぁこっちは癒されにきた客だからな。下手に何か言おうものならプッツン来ることは見越してるのだろう。と、自分で結論づける。
マネージャーは道なき道を進む。男もついていったが、植物が邪魔で進もうにもなかなか進めない。
(あぁ、もう……邪魔だ。切りてぇ)
ハサミを持って来れればな、と男はストレスを貯めながら道を進んだ。
進んでる最中に枝が折れようが、構わなかった。
しばらく歩いていると、拓けた場所に着いた。
そこには誰もいなかった。
「ここが会合場所です。では、ごゆっくり」
「おい、待てよ! 誰もいねえじゃねえか、おい!」
マネージャーは耳を貸すことなく、もと来た道を戻っていった。男は気づかなかったが、マネージャーはなるべく枝葉を散らさぬよう進んでいた。
「ったくよ! ふざけやがって!」
悪態をついて、周囲を見渡す。
幹の太い、樹、樹、樹。ところ狭しと並び、まるで原生林のようだった。樹と樹の間から日の光が漏れて、なんとも幻想的な趣を作り出していたのだが、男はそれを意に介すことはなかった。
「全く、あらゆる疲れきった奴を癒すアイドルとか、とんだデマだったな。さっさと帰ってあいつに文句を言ってやろう」
腹いせに近くの幹に蹴りを入れた時だった。
『おやめなさい』
「あ?」
『おやめなさい』
最初は幻聴かと思った。どこか聞き覚えのある声だなと思った辺り、とうとうそこまでイかれたのかと思った。しかしそうではなかった。
『あなたが蹴っているそれは、とても繊細なものなのです』
森中に女性の声が響いているようであった。樹と樹の間から尾を引いて声が聞こえてくる。拡声器を使えば、こういう風に木霊するだろうか。
「誰だよ。いいからとっとと出てこいや。アイドルとやらに」
『私は始めからあなたの目の前にいるではありませんか』
「なに?」
周囲を見渡すが、他に人影はいない。
「何を言っているんだお前は?」
『始めからあなたの前にいます。そして、あなたは「私」に蹴りを入れました』
「あ?」
蹴りを入れた?
誰に?
というか、何に?
……樹?
「お前、まさか樹がしゃべってるってことはねえよな」
『その通りです。私はここに住んでいる者。そしてあなたが会いたがっていた「アイドル」と呼ばれるものです』
まさかであった。
「――ひゃーひゃっひゃっひゃっひゃ! アイドルって偶像のほうかよ! こりゃ、俺もいよいよヤベエかもなぁ! こんな幻聴が聞こえてくるようじゃよぉ!」
『幻聴ではありません。しっかりと、現実を認めてください』
男はひとしきりに笑った後、その声の主に言った。
「わーったよ。じゃあ、百歩譲ってこの声が樹木の声だとしてだ。それで? 俺をどう癒してくれるわけさ? どんなに心病んだ奴でもたちまち快復するそうじゃねえか。なぁ、アイドルさんよ」
『私にできることは、こうやって会話することと、木漏れ日を浴びせることだけです。大抵の人は、こうやって緑に囲まれ、触れていくうちに自然と治るものですが……』
クックックッと男は低く笑う。
「じゃあ、残念だったなぁ。俺は手入れされてねえ植物を見ると仕事を思い出してイライラするんだ。本音言っちまえば、今すぐにでも仕事を依頼されてバッサリといきたいね!」
『……あなたは、そうやってどれほどの植物たちを傷つけてきたのですか?』
「傷つけたぁ? 別に、俺は仕事としてやってるだけだ。俺は枝を切り、落ち葉を処理し、金をもらう。それだけだ」
『ですが、最近では失敗ばかりしているようですね』
勢いよかった男が、顔を歪め、急に大人しくなる。イヤなことを思い出したのだ。仕事の疲れ。枝木の抵抗感。仕事に失敗して顧客に頭を下げること。次第に疎遠になり、そして男の許から去っていった妻と息子……。
「……おめえに何が分かる。ストレスで胃を痛めている俺の何が」
『分かりません。ですが、変に切られる植物たちが可哀想だとは思わなかったのですか?』
バカバカしいとばかりに笑う。
「っは! 可哀想だと? じゃあ、俺は何なんだよ! 妻、息子に捨てられた俺は可哀想じゃないとでも?」
『それは、あなたに原因があったのでないですか?』
「俺のどこに原因があるんだ! 俺は、俺は一生懸命に仕事してただけだよ! それを……あいつは……!」
ギリリと苦渋に満ちた表情を浮かべる。
『あなたが一生懸命に仕事をしてましたのは分かりました。ですが、それであなたの心にゆとりはあったのですか? 余りにも木を切りすぎていたのではありませんか?』
「木を切るのが仕事だ! お前には関係あるかもしれねえが、俺には関係ねえ!」
『それでも……あなたは昔、木を見て愛でる人ではなかったのですか? あなたが庭師の仕事を選んだのも、木を切るのが好きなのではなく、木をより見栄えよくしたかったからではないのですか?』
「そ、それは……なぜ、お前がそれを知っている?」
男は動揺する。今日初めて会ったばかりの樹なのに、なぜその情報を知っているのか? しゃべれるくらいだから、そういった情報も何かしらの手段で知るのだろうか?
樹の声は語りを止めない。
『あなたは、植物を語り出すと止まらない人だった。ここに来る時にだって、植物の根の張り方や、枝葉を細かく見ていたではありませんか。それは、あなたが植物を心から愛していたからではありませんか? 今だって、樹の声なんてものを信じてるじゃありませんか。小さな頃から、山を登るのが好きだった、植物についてだけは誰にも負けないと豪語していたあなただから、この声も、樹が話しているものだと素直に信じることができたんじゃありませんか?』
「ま、待て! じゃあ、これは樹の声じゃないと言うのか? それに、なぜだ。なぜ、そこまで知っている? その話は俺があいつに……」
男の目が見開かれる。
「ま、まさか……」
「そう、私ですよ。あなた」
ガサリと音がして振り返ると、そこには拡声器を手にした男の妻がいた。息子も、母の手を握って共に立っていた。
「お、お前……」
驚愕の表情を浮かべて、男は口をパクパクさせていた。
「あなた……ようやく、思い出せましたか?」
妻は涙をにじませて、笑いかける。
もう会えないと思っていた妻と息子を目の前にし、「思い出せましたか?」の声がきっかけで、男の頭に次々と記憶が映像を伴って浮かび上がってくる。
「そ、そうだ……俺は、人間の都合に悪いだけの枝を切るばかりで、木の手入れと呼べるような、俺の思った通りの仕事ができなくて、むしゃくしゃしていた……いつからか、木を切るのにいたわることがなくなり、お前には罵声ばかり浴びせてた、ような気がする……それで、お前と息子は、家から……」
ふるふると妻は首を振った。
「それは幻。悪夢です。私とこの子はここにいますよ」
「お前……!」
「パパー」
息子は自分の足にしがみつく。
「息子よ……!」
抱き上げると、嬉しそうな声を上げた。男も自然と笑顔が浮かぶ。
「よかったなぁ、どうやらアイドル効果はあったようで」
後ろから声がしたので振り向くと、そこにはスーツ姿のマネージャーがいた。ただし、そのマネージャーにはメガネと髭はなく、そして見覚えがあった。
アイドルを教えてくれた、あの友人だ。
「お前、俺のためにこんな芝居を……わざわざ庭師であることを確認させて、拒絶するなんて味な真似もして」
「そうすりゃお前は苛立って何が何でも会いに来るだろ? それに、庭師がなぜダメなのかを考えさせて、植物関連のことを頭に占めさせたかったし。まぁ、最初はそこを足がかりに、手つかずの自然を見て懐かしさを思い出してくれればな、と思ったんだけどよ。全く思い出す素振りもせず、むしろ手入れする方向の考えをしてたから内心焦ったよ……でも、なんだかんだでお前の心に偶像が戻ってよかった」
「偶像……?」
「そう、どんな困難でも負けずに支え続ける偶像。昔俺に話してくれたじゃねえか。今なら、そうさな。お前の目に前にあるでっかい樹がそうだな」
男は息子を抱きかかえたまま、大樹を見上げた。
大きく、太く、嵐にだって耐えうる頑強さを持つもの。
柱にしたら、間違いなく大黒柱と呼ばれるべきであるもの。
思い出した。昔はあれに憧れていた。それを、友人に話したことも。
そうだ。樹は根がしっかりしているからこそ、ああやって堂々と立っていられるのだ。自分が目指すべきものは、目の前に立ちはだかるでっかい樹木にあるのだ。
「俺は、今度こそ根を腐らせない、しっかりとした夫になってみせるよ」
「はい」
妻も抱き寄せ、三人で偶像であるその樹を見る。
その偶像を胸に、今後一家は手入れを必要としない幸せを手にするのである。