魔法少女と通路
2、魔法少女と通路
獅子藤さゆりは魔法少女になるらしい。
お約束として、ちっさなファンタジックな生き物と出会い、そうなった。その生き物は幼女受けしそうな大層愛くるしい形をしている。毛がふわふわで、目がくりくりしている。
さゆりがその生き物と出会ったのは中学校の入学式の時であった。つまらない校長先生の話を聞きながら、友達ができるか不安に思っていた。進学したのは私立中学であったから、そこに小学校の頃の友達はいないのである。
(やっぱり部活でかなぁ……でも運動できないからなぁ、私。となると、文化系? うーん、でも文化系は地味だし……)
そんな風に取り留めもない考えをしながら、ぼけーっと前の人の頭を見ていたその時であった。
なんだか日曜の朝にテレビで流れていそうな綿毛のような生き物が目の前を通り過ぎたのだ。入学式でつまらない校長先生の話を聞きながらこれからの行く末を心配していたさゆりは気づくのに数秒を要した。
驚きのあまり大声を出そうとしたけど、その生き物に口を塞がれた。
「嬢ちゃん。今は校長センセーのスピーチの最中やで。邪魔したらあかん」
口調は全然可愛くなかった。というより凄んでいて怖かった。顔に傷を負っていそうな人の声であった。愛くるしい外見とギャップがありすぎてむしろ恐怖を倍増させていた。
(いや……さゆり死にたくない……)
心の中でそう呟いたほどだ。
「いや、ワテは何もせぇへんで?」
しかもなお恐ろしいことに心も読んでくる有様であった。
「わ、わ! 叫ぶな、発狂すんなちゅうねん! 分かった分かった、ワテのこの身なりと中身のギャップが激しいことは認める。嬢ちゃんには何もせえへんから、な?」
ふるふると涙を浮かべてさゆりは首を振った。
このヤクザ紛いのファンタジーな生き物は困ったような顔を浮かべていた。
目線を配らして周囲を見渡せば、みなはこちらの異変に気づくことなくぼけーっとした顔で校長先生のお話を聞いていた。お約束通り、他の人には見えないようである。
(いやだ……こんなヤクザみたいな口調で話しかけてくるファンタジーなんてイヤだ……)
夢がない。目の前に広がるは圧倒的リアル。
「ファンタジーか……そや、嬢ちゃん。魔法少女って知ってるか? 嬢ちゃんくらいの歳なら一度くらい憧れたことあるやろ?」
毛玉は思い出したかのように話し始める。
(まほうしょうじょ……?)
脳裏に浮かぶのはテレビ画面に映るきらきらとした少女たち。
「そや。それや。ワテは自慢じゃあらへんがそーいう魔法少女に変身させる力を持ってるねん。それやるさかい、大声で叫ぶのやめてくれへんやろか?」
(……本当に?)
展開がファンタジックになってきて、ようやく心が落ち着いてきた。一応、口調さえ目をつむれば目の前にいる存在は向こう側のものとして認められる。けども、一応ここはお約束として疑うのは道理だ。そうすれば必要な情報をくれるだろう。戦うべき敵とか、なぜ自分にだけ見えているのかとか。
「まぁ、疑うのも分かる。ワテもテレビよく見るさかい、どれだけあれが嘘っぽいもんに塗り固められてるのか分かる。せやけど大丈夫や。モノホンや。じゃあ、入学式終わったら校舎の四階に来てくれや。実際に変身させたるわ」
けれども毛玉は何も説明することなく、ただそう言ってさゆりの口から手を離し、飛び去ってしまった。
行けば分かるのだろうか?
かくして、さゆりは今四階にへと赴いていた。ピッカピカの制服を揺らしながら、階段を上る。さゆりは駆け足で上っていた。
(はやく上らないとすぐ時間経っちゃうからなぁ……)
五十分のお昼休憩の合間である。五十分後に新しい先生とクラスメイトに自己紹介したり、これからどう過ごしていくかのお話を聞いたりしなければならないのだが、あの綿毛は『入学式が終わったら』という条件を提示したのだからしょうがない。
ぱぱっと変身させてもらって、それからすぐ戻るつもりだった。けれども、お約束としてはいきなり敵が現れて戦うことになるかもしれない。まぁ、でも相場としては五分、十分で事が済むだろうから遅れる心配はないだろう。魔法少女に変身するとしたら何らかのアクセサリーはもらえるだろうから、それ対策にお弁当の袋は持ってきてある。
四階にたどり着く。当然のようにそこには誰もいない。
「お、来たか」
毛玉が飛んでくる。相変わらずギャップが激しくて足がすくみそうになる。
「う、うん……」
「よっしゃ、早速変身させたろか。それじゃあ、嬢ちゃん。そこの壁までちょっと歩いてみ」
「へ? う、うん……」
階段すぐ近くの壁際まで誘導される。なんだろう? 別に変身グッズくれたりするのにそんな壁まで歩く必要ないんじゃないの? と、さゆりは疑問に思った。
壁を背にして立たされる。
ここからアニメみたいにきらきらした魔法でもかけてくれるのかな? それとも向こう側から敵が現れたりするのかしら? そんなことを思った途端、
「走れ!」
と、叫ばれた。
「……へ?」
「はよ走らんかいボケィ!」
「は、はいぃぃぃぃいいいい!」
鬼の形相で叫ばれ、さゆりは言われた通りに走った。原動力は恐怖であった。言われた通りにしないと何をされるか分からない恐怖。追いかけてくるのが気配で分かる恐怖。まるで肉食獣に追われるかのごとく。命の危機すら感じての全力疾走。
恐怖と疾走によって心臓がはちきれんばかりに激しく脈打つ。酸素が欠乏して苦しさと気持ち悪さが一緒に襲ってくる。涙を流し、鼻水も流し、よだれも流した。
「もうええやろ。じゃあ、呪文唱えなはれ」
頭の中に呪文が浮かび上がる。必死にそれをなぞって口にする。
(輝ける星々のごとく煌めく命、我ここに少女の純潔を媒介として魔法少女レオナとならん!)
これが理想。テレビの向こう側にあるきらめくファンタジー。
だがこれが現実。
「が、ががやげるおしぼしのごどぐぎらめぐいのぢ、わえここにしょぅじょのじゅんげつをじょぐばいとしてまほうじょうじょれおなとならんふ!」
顔を歪ませて息絶え絶えになっている少女にまともな呪文が唱えられるはずもなく。
けれども、さゆりの体は光に包まれた。
(せ、成功したの!?)
一瞬の驚きが命取りだった。
さゆりは足がもつれて勢いよく転び、廊下に顔を叩きつけての顔面スライディングをキメた。
遅れて、魔法少女としての服装を身にまとう。
「……あっちゃー」
魔法少女レオナ。ただし服はまるでオレンジ色のペンキを拭いた雑巾のように汚く、獅子のような特徴も薄汚れていて日頃からゴミ箱を漁っている捨て猫のように見える。
「一応変身はできたんやな。まー、盛大にやってもうたが、最初はこんなもんやろ。変身条件は『一定の速度以上で走りながら呪文を唱える』ことさかい、一応満たしたみたいやな。まぁ、呪文が汚すぎたのがちと痛かったが」
「…………」
さゆりは五体倒置のまま動かない。
「なぁに、ちゃーんと走りながらきれいに呪文唱えればピッカピカのコスチュームに変身できる。その点、心配はいらへんで。ちなみに変身解けるまでの時間はたーっぷり一時間あるさかい、計画的に変身してな。ほな」
ぼふんと、無責任に毛玉は消えた。
一時間後。
さゆりは教室の扉を開けた。
「あ、獅子藤さんあなた――!」
入学早々から姿を消したさゆりを叱ろうと、口を開いたところで教師は絶句した。
振り返ったクラスメイトたちも唖然とした面もちで彼女を見ていた。
彼女の顔は中学を入学したばかりの少女とは思えないほど、見るも無惨に腫れ上がっていた。入学式に出席したばかりであるのにも関わらず、ピカピカだった制服は雑巾がけをしたかのように埃にまみれていた。
「……と、とりあえず、あなたの席はそこよ? うん、大丈夫? 保健室に行きましょうか?」
「……へいきでふ」
ポツリと呟いて、彼女は五十音順に並べられたクラスメイトに加わる。
周りの男子がドン引きだった。
けれども、何人かの女子は優しく声をかけてくれた。
優しさがこれほどまでに心にしみたことはなかった。
「し、獅子藤さん。今、部活なにするか話してるんだけど、獅子藤さんは何にするの?」
さゆりはしばらく黙り込んだ。「そ、そうだよね。まだ入学したばかりだから決められないよね。ごめんね、私――」と心優しきクラスメイトがさゆりに気を使って言葉を継いだところで、彼女は呟いた。
「陸上部」
呟きには、えもいわれぬ凄みがあった。
渇いた笑いを女の子たちは浮かべていた。