中二病と秩序
1、中二病と秩序
「もしかして貴君は漆黒の凶刃ではないか?」
「おぉ、そういうそなたは破戒の断罪者ではないか?」
国立聖邪の森海公園にある輝けるものを与える者像前で二人の貴族の男女が厳かに互いに名を呼んだ。一方は真っ黒なローブを足から頭まですっぽりと包んでおり顔も見えない。もう一方は顔に口元が出ているマスクをつけ、肌色が多いタイツに刺々しいアクセサリーを全身に巻き付けて分厚い本を持っていた。
聖邪の森海公園は貴族たちの中でも評判がよい公園で、森の中に並び立つ数々の銅像を見に来る者は多い。森の中に朽ちた銅像という風景が非常に様になっているとのこと。この二人は観光しに来たところで偶然にもばったり会ったというシチュエーションである。
「久しぶりではないか。栄光の扉中学校以来だから、十年振りであるか」
「漆黒の凶刃? そんな遠慮するような仲じゃあないでしょ? そんな貴族の重々しい口振りじゃなくてさ、もっと気軽に話そうよ」
「……それもそうだな。それじゃあ、言葉に甘えるとするか」
貴族としての口調ではなく、普段友人と話すような口調で話し始める。
「にしても、十年か……」
しみじみと懐かしいといった口調で破戒の断罪者は呟いた。
「あの時、私たちは若かったね……私たち、付き合っててさ。校内じゃあ誰にも負けないくらい愛し合っていたつもりだったんだけどね」
「やめろよ。そんな昔のこと。今は昔なじみの友人。それでいいじゃないか」
「うん、そうだね」
マスク越しでも、寂しそうな笑みを浮かべているのが分かる。
気まずくなる前に、漆黒の凶刃は話題を転換した。
「それで、破戒の断罪者は何をやってるんだい?」
「今はもう断罪者家の一員としてお仕事してるよ」
「そうか。俺と同じか。そういや互いに貴族口調だったもんな」
「漆黒一族は名門だから大変でしょ?」
「あぁ。でも親父からいろいろ教えてもらってるからな。それに今はやりがいを感じてるよ」
「そっか……昔とは違うんだね。まぁ、私も人のこと言えないか」破戒の断罪者は気まずそうに切り出した。「ねぇ、漆黒の凶刃。私が名家と結婚しているって聞いたら驚く?」
漆黒の凶刃は驚く。フードに隠れて顔は見えなかったが、素振りで分かった。
「そうだったのか……。いや、でも俺は君を祝福するよ」
貴族において名のある貴族と結婚するのは当たり前のことだ。そして、それは非常に喜ばしいものである。彼女の家は好きでもない相手と結婚させるほど落ちぶれていないことを知っているので、その結婚が彼女の不本意なものでないことは分かる。
それに、相手は中学生の頃とはいえ昔愛した女性だ。
祝福するのは当たり前である。
「でも……嫁いだ先は聖光家よ?」
「あの聖光家か!」思わず大声を上げてしまう。「……いや、それでも言わせてもらおう。おめでとう」
「でも、聖光家はあなたの家と……」
「仲悪いね。昔から両家は争ってばかりだ。でも、いいんだそんなこと。それより、昔俺が大好きだった君が幸せなら、それでいいんだ」
「漆黒の凶刃……ありがとう……私、今幸せだから……大丈夫だよ……」
マスクの上からでも、彼女が涙ぐんでいるのが分かる。ジーンと、漆黒の凶刃の胸に響くものがあった。
「それで、子どもはもういるのかい?」
「ううん。でも、名前は決まってるわ。私が考えたのよ」
「よかったら……聞かせてくれないか?」
名前は最も貴族が誇るものである。名前に画数の多い漢字と語感がよい横文字が組み合わさった名前はそのまま相手の栄誉となる。常に相手を呼ぶ時はフルネームであるのも、その思想からきている。
そして、名前を訊くことは相手の名誉を称え、祝福することと同義である。
「えぇ、喜んで!」
喜色にあふれた表情はマスクで隠すことはできなかった。
(破戒の断罪者が考えた名だ。きっと光に満ちているような名前であるだろう……)
「名前はね、聖光の……なんだと思う?」
期待を満ちた視線を感じる。顔を綻ばせ、漆黒の凶刃の反応を窺っている。彼女の態度からその名前には自信を持っているようだ。
「聖光の断罪者かな?」それが両家の名が含まれてて、一番スタンダードだ。
「ううん!」
首をブンブン振って破戒の断罪者は否定した。その仕草は付き合っていた頃の昔を思い出させ、漆黒の凶刃は自分の顔がにやけているだろうなと思った。
「分からないなぁ」
そう言うと、彼女は待ってましたと言わんばかりに、口を開けた。
破戒の断罪者が考えたもっと『輝かしい』名前かもしれない、と思ったところで、名前は告げられた。
「聖光の火星よ!」
漆黒の凶刃者は動きを止めた。
今、自分の顔はひきつっているだろうなと思った。
確かに、彼女の考えたそれはキラキラした名前に違いなかった。
「どうかな? 漆黒の凶刃? いい名前かな?」
興奮した面もちで破戒の断罪者が訊いてくる。
漆黒の凶刃者の驚きを良い反応として捉えているようだった。
「あり得ない名前」だと思っていることは想像だにしていないようだ。
間違っても、その輝ける名前を笑えない。
「あ、あぁ……うん、とっても、いい名前だと思うヨ? か、火星かぁ……それは斬新だなぁ……」
HAHAHAと苦しげに笑う。
彼女は苦しげであることに気づかない。
「そうよね!? そうだよねっ!? 実はまだこれ旦那様に言ってないんだ。ちょっと心配してたんだけど、漆黒の凶刃のおかげで自信ついたよ! ありがとう!」
「ど、どういたしまして?」
「じゃあ、私そろそろ行くね。今日は本当にありがとうね!」
破戒の断罪者は手を振って、その場を去った。最後まで自分のネーミングに疑いを持っていないようであった。
(俺はとんでもないことをしでかしたんじゃなかろうか……いや、漆黒家としてはいいことをした……のか……?)
何はともあれ、時はすでに遅い。
一人取り残された漆黒の凶刃者は輝けるものを与える者像を見上げて、呟いた。
「……名前って難しいなぁ」