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◆明日もそこそこ幸せであれば◆  作者: ナユタ


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7/9

◇7◇ 旅人

 せっかく張り切ってYouTubeの面白動画をストックしていたけど、少し近くのキャンプサイトに他に利用者がいたこと、兄のお酒とツマミと仕事の話だけで充分楽しかったので、オレのタブレットの出番はこないまま、深夜の十二時を過ぎた頃――。


「じゃあ俺は今日も運転だからもう寝るけど、お前はまぁ……どうせ助手席だし、眠くなったら寝ろ。車の鍵はかけてるけど、何かあったらスマホに電話してきたら起きるから。ランタンも貸しといてやる。散歩はしても良いが、夜遅いから遠くには行くなよ」


「分かった、ありがとう。おやすみ兄ちゃん」


 飲酒をしてすぐ寝たら、体内のアルコールを分解するのが遅くなるとかで、歯磨き後もすぐには眠らず、疲れているはずなのに珈琲を飲んでオレと会話していた兄が、自分の寝床であるエブリィの中に戻っていく。


 ちなみにテントには防犯というものが一切ないので、免許証や保険証の入った財布は兄が車内で預かってくれている。まぁそれでなくてもテントが狭いので、余分なものはほとんど入らないというのも勿論あるけれど。


 とはいえ、タブレットとスマホ、ぬい活依頼をされているクマの人形、夜飲むお茶のペットボトル、小銭入れ、それらを一纏めにしたバッグは持っているので、注意は必要だ。


 エブリィのカーテンが閉められたのを見届け、オレも車に横付けするように設営したテントに潜り込んだ。ぶ厚めのインナーマットと、寒がりなオレ用に結構良いシュラフを用意してもらっているから、外観から思うよりも地面の感触は感じない。むしろ割とふかふかだ。


 足を伸ばすとつま先がテントの端を擦るので、狭いのはどうしようもない。毛布を枕代わりにして腹這いでタブレットをつけ、貸してもらったランタンの明かりを絞って作業をする。


 愛用の安いAndroidタブレットは、いつでも容量が危ない。定期的にもっと性能が良いやつに買い替えようかと思うけど、兄と一緒に使えるキャンピングカーが先。ただでさえ不安定な収入だし、病気でもしたらそれまでだ。


 生きてる間にしか楽しいことはできない。人が聞いたら笑いそうなほんの些細なことでも良いから、二歩で届きそうな目標と楽しみを。今も昔も、それが我が家のスタンスだった。


 海風がテントを揺らす音と、波の音。それ以外はあまり聞こえない夜。暴走族のバイクの排気音がないだけで、ここまで快適に仕事ができるのかと感動しながら、いつもならすぐに休憩してしまうところを黙々と作業に充てる。


 タブレットの画面左上にある時計が三時になった時点で、一旦作業する手を止めた。変な姿勢で酷使した目がシパシパする。


「新規の仕事メールはなし、この案件は依頼者の確認待ち、夕方のぬい撮りのレタッチも完了、今日の分の旅エッセイは書いたし――……散歩行くかぁ~」


 狭いテントから這い出していると、一瞬だけ蛹か何かみたいだ。ボキボキと肩と首を鳴らしてうんと背伸びをしたら、生まれ変わった気分になる。ただ自分の吐息と体温で温かかったテントの外は、五月の海沿いらしく少し肌寒い。


 しかしオレには、あらかじめテントの中に兄が用意してくれた毛布がある。過保護な兄がいれば装備に不足はない。


「波の音って割と響くけど、不思議と不快じゃないんだよねぇ」


 毛布を身体に巻き付け、波の音に誘われてふらふらと高台の第二から、砂浜のある第一へと足が向かう。けれど夕方頃は人が多かった印象の第一は、意外と静かだった。


 こんな時間でも焚火をぼんやり眺めている人が、テントサイトごとに二、三人いるものの、誰も一言も喋らずじっとしている。絵心もないくせに、オレンジ色の炎に照らされるその様子は、少し絵になるなと思った。


 邪魔をしないようにそっと通り抜け、波打ち際に向かう。もっと暗いかとランタンを持ってきたものの、幸いなことに雲一つない夜空には、街では絶対に見られないほど星が溢れ、月の光が落ちた海面には白く長い道が現れる。


 いつだったか、兄が『あれは月の道って言うんだ』と教えてくれた。それ以来、天気さえ良ければ、夜の船旅はこの道を見ることにしている。寄せては引いていく波の音が耳に心地良い。しばらくただ砂浜に立ち尽くして、星で溢れる夜空と月の道を眺めていた。


 そして……結論からいえば毛布を持ってきて正解。あと兄には馬鹿にされたけど、寝間着を薄手の裏起毛のジャージにして良かった。日中はあんなに暑かったのに、夜の砂浜はそれなりに冷える。


 でも、さっさとテントに逃げ帰るには幻想的で良い場所だ。ここは是非ともぬい撮りをしておいてあげたい。そう思い立ってはみたものの、下は砂浜。お孫さんの大事なクマ達を置くには少々難ありだ。


 かといってせっかく月の道がくっきり映った海と、都会では見られない星空が目の前にある。仕方ない。クマ達はハンカチにでも座らせて、オレが砂浜に腹這いになって撮ろう。しっかり砂を払えば兄にもバレないはず。


 そう意気込んで撮影を始めてから――……三十分後。


 最初のランタンの両側に座らせて撮った一枚以降、ひとつもまともに撮れない。むしろ一枚だけでも電球色のランタンのおかげで、ちょっと良い感じに撮れたのが奇跡だった。それ以外は全滅。撮って確認したらすぐ削除。


 タブレットもデジカメも、どちらも夜景撮影に合わせているはずなのに、暗すぎて見えないか、フラッシュで明るくなりすぎて白飛びしている。人形ですらそれなものだから、当然星空や月の道なんて撮れるはずもない。


 もう服が砂まみれになるのも気にせず砂浜に胡座をかいて、左手に人形を二体、右手にデジカメを持って空に向けていた――その時だ。


「兄ちゃんさっきから見てたけど、そんなんで星撮られへんやろ」


「うわっ!?」


「あぁ、ごめんごめん、驚かしてしもたか」


 突然暗がりで声をかけられて飛び退いたものの、相手はそう言いながらオレの背後から近付いてくる。現れたのは六十前後くらいのおじさんだった。父さんもガタイが良い方だけど、おじさんはそれよりさらに良い。


 土方系か兄と同じような仕事の人だろう。手には何か大きな荷物を持ち、頭に巻いているタオルに建設会社っぽいロゴが入っている。しかも言葉の感じ的に、たぶんオレ達と同じところから旅行に来ている人かと思われる。


「さっきから後ろで見てたんやけど、その撮り方やったら手ブレが酷いし、万一撮れても肝心の人形も可愛い顔が白飛びしてしまうやろ」


「え、あぁ……あ、あの、」


「あぁ、誰か分からんオッサンにいきなり夜中に声かけられたら、今時は物騒やから男の子でも怖いか。そらそうやな」


「あの、はい、すみません……」


「かまへん、かまへん。謝るんはこっちや。僕もな、君等が泊まっとる第二のキャンプサイトに泊まっとんねん。二つ隣のサイトにテント張っとる」


 厳つい見た目とは裏腹に気安い話し方だ。あと一人称が意外すぎる。そして言われてから確かに二つ隣のサイトにも、利用者がいたことを思い出す。


「あー……バイカーの。すみません、オレ達飯の時にうるさかったですよね」


「いやいや、何も。楽しそうで、仲ええなぁと思っとったんよ。一緒に飯食うとったんは兄弟か?」


「あ、はい。あっちが兄です。オレは弟で」


「だいぶ年離れとるん?」


「……八歳離れてます」


「そうかそうか、そら兄弟仲良しでえぇこっちゃ。うちは息子らも、僕も、あんまり口きかへんから羨ましいわ。あ、ちゃうか。むしろ息子らは仲が滅茶苦茶悪いんやった」


 知り合ったばかりで割とお家の事情を話してくれるけど、そんな話をされても居た堪れなくなるし、どう相槌を打てばいいのか悩んでしまう。けれど会話を打ち切ってこの場を離れる勇気も持てず……。


 さっき声をかけられた時に、不審者だと思って反射的に握ったスマホを手にして、チラチラとクマの人形を気にかけていたら、その視線に気付いた彼が自分の荷物を砂浜に下ろした。


「おっと、話がそれて堪忍な。若い子と話すん楽しくて忘れるとこやったわ。兄ちゃんスマホ持っとんねんやったら、ちょい貸してみ。少しはマシに撮れるやり方教えたろ思うて声かけてん」


「え……でも、オレのスマホかなり型落ち品で……」


「あれ、そうなんか。てっきり若い子いうたらうちの息子らみたいに、新しいやつ出たらすぐ買い替えるもんやと思うてたわ」


「たぶん、息子さん達が普通かと。新しい方が何かと便利だし。オレは収入もそんなにないし、本来あんまりこういうのに興味がないから」


 口にしてから余計なことまで言ってしまったと思ったものの、彼の家庭環境を聞いてしまった手前、多少の恥は暴露はしても良いかと思い直す。


 けれど彼は「壊れてへんねんやったら、大事に物使う方が偉いやろ」と笑ってから「ほな、僕のやつで撮ったやつ送ったろ」と言って、こちらの答えを待たずに自身の荷物をゴソゴソとやり始めた。


 中から出てきたのは、まさかのカメラ用三脚。それを砂浜に設置し、その尖端にスマホホルダーと新型スマホを取り付けた。


「僕はなぁ、こう見えて若い頃から写真撮るのが好きやねん。バイクで色んなとこ行って、綺麗な景色を撮るんよ」


「それは……素敵な趣味ですね」


「そやろ? カミさんもよぉ褒めてくれたわ」


「えっと、じゃあ、奥さんもバイクに乗ってるんですか?」


「いやぁ、無理無理。うちのカミさんは僕のバイクの後ろに乗ってたわ。運動神経悪かったから。でもそやね……あの頃が一番楽しかったわぁ」


 ――あ、話題を間違えた。そう思って心臓が冷える。けれどこちらが口をつぐんだことに気付いた彼は、スマホを固定して星空に向けながら「ま、ま、気にせんでえぇねん」と笑う。


 こういう時、兄ならきっと上手く言葉を探せる。けれどオレがどうしようかと考えあぐねている間に、準備を終えたらしい彼は「こっちおいで」と手招いてくれた。


「スマホ買い替えへんかったらこのやり方はできんけど、やり方を知っとったら買い替えた時にできるやろ。簡単やから憶えて損はないで」


 そう言いながら、スマホのナイトモードを使った星空の撮影方法を教えてくれる。星空撮影には長時間露出とかいうのが必要だとかで、原理としてはカメラのシャッターを数秒〜十秒間開けたままにして、光を取り込む撮影技法なのだと言う。正直なところ全然分からない。


 けれど彼は本格的なカメラも持っていたので、ピンときていないオレのために、それでも実際にやってみてくれた。三脚に固定して撮影するのは、この長時間露出のために固定する必要があるからで、その場合はカメラやレンズの手ぶれ補正機能はオフにするのだ――とも教えてくれた。


 その作業の中で、こんな時間にぬい撮りをしていた理由を話したら、彼は「お、そら格好ええの撮ったらなアカンなぁ」と言って、また笑う。そうして一つ一つ、丁寧に手順を踏んで最終的に星空を撮る画角の外側から、オレの手が映らないように人形を画面に収めることに成功した。


「こんなもんやな。スマホで撮った割には、なかなかええんとちゃうか?」


「なかなかどころか……凄く綺麗です。オレだけだったら、絶対朝になるまで何も撮れなかった。声をかけてくれて、ありがとうございました」


「そうか、そらお節介焼いて良かったわ。そしたら次は画像送ったらなあかんな。送り終わったらすぐに消すから、アドレス教えてくれるか」


「はい、是非お願いします。それとここまで手伝っていただいたので、朝になったら謝礼を――、」


「いらん、いらん。知らんオッサンが勝手に教えただけやから」


 一瞬わちゃわちゃと謝礼を払いたいオレと、受け取りを拒否する彼の間で攻防戦があったものの、結局は押し切られてしまう。月の道も、星空も、波の音も、海風も、全部が綺麗に閉じ込められた画像は、彼のスマホからオレのタブレットへと送ってもらった。


 約束通り画像の送信が終わると、すぐにアドレスを消そうとし始めた彼を慌てて止める。訝しがる彼にネットで旅行エッセイを書いていること、今夜の出逢いを書きたいことなどを説明したところ、その場で調べてお気に入り登録までしてくれたのだった。

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