第2話:彼は、音楽の棚に立っていた(芹沢)
普通の会社員である俺が、偶然にも何の変哲もない平日に休みを取れることになった。
有給消化。
ただの調整休。
恋人もいない。
平日に遊ぶ約束をできる友人もいない。
何かをしたいわけでも、何かを避けたいわけでもない。
ただ、ぽっかり空いた一日だった。
スマホを開いても通知はない。
SNSのタイムラインには、誰かの愚痴と、誰かの成功と、誰かの幸せ。
文字だけなのに騒音みたいで、息が詰まる。
俺は画面を閉じた。
静かな場所に行きたい。
それだけが、はっきりした欲望だった。
カフェは音が多すぎる。
家にいると、考えすぎる。
図書館なら、誰にも話しかけられず、でも誰かの気配はある。
寂しさが薄まる、あの感じ。
休日の図書館は人が少なかった。
理想通りの静けさだった。
そこで、俺の目が吸い込まれたのはカウンターの女性だった。
首元の名札に「柊 結芽」。
年は俺と同じくらいに見える。
なのに、妙に静かだった。
仕事ができる静けさというより、世界から距離を置いている静けさ。
俺は見てはいけないと思い、スマホを見るふりをして音楽の棚に立った。
本当に、自然に足が向いただけだった。
そこで目に入ったのが『風の譜』だった。
タイトルが、なんだか彼女みたいだった。
借りるためにカウンターへ行くと、彼女が声をかけてきた。
「その本、選ばれる方が少ないんですよね」
正直、驚いた。
でも、嬉しかった。
誰かと話しているのが久しぶりだったのかもしれない。
俺は当たり障りない言葉を選んでしまう。
「……なんとなく、惹かれたんです。今の僕に、必要な気がして」
言った瞬間、薄っぺらいなと思った。
もっと上手い男なら、もっと気の利いた言い方ができるのに。
でも彼女は、小さく目を見開いて——
そのまま、何も言わずに貸出手続きを続けた。
それなのに、その沈黙が嫌じゃなかった。
むしろ、俺の胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。
そこまで女性に飢えているつもりはない。
ただ、彼女の声だけが、妙に残った。
だから一か月後、俺はまた有休を取って、同じ図書館に来ている。
我ながら単純だ。
でも。
あの静けさの中で、あの声だけをもう一度聞きたいと思った。
(静けさは心地いいのか、それとも逃げているだけなのか。あなたは、どっちだと思いますか。)




