空のひとみ
君は空にとても似ていた。
俺は綾雨虹。今は受験の時期で、正直、彼女どころか志望校にいけるかどうかも危うい状況だ。
友人は広く浅くがモットーだが、一人例外がいる。
そいつは遠山時雨といって俺の唯一親友と呼べる人物だ。
「虹、帰んぞ」
「あ、ちょっと待って」
「職員室か?」
時雨は、俺の手にある書類を眺めていった。
うちの学校には部活動は活動内容をはっきりしておかないといけない決まりになっている。
一応、園芸部長として手は抜けない。
「失礼しまーす・・わっ」
職員室に足を踏み入れると、誰かにぶつかった。
「・・・成瀬さん」
彼女は、天体部の部長で時雨の幼なじみでもある。
頭はいいが、けっこう自分のことには鈍感であきらかな虹の想いにも気付いていない。
「虹、こんな奴と話してないで、さっさと顧問に報告して来い」
時雨と成瀬は幼なじみで、その割にはとても仲が悪い(理由はよく分からないが)。
時雨が不平を言うと成瀬も負け地と言い返した。
「時雨って可愛くないわね」
「男が可愛くてどうする」
時雨は、斜に構えて言った。
こんな口喧嘩は日常茶飯事のことなので、虹は一歩後ろでことの成り行きを見守ることにしている。
たいてい、いつも時雨が待っている俺に気づいて終わるパターンだ。
「・・・行くぞ」
時雨が手を差し伸べてきた。どうやら終わりらしい。
「あ、うん」
時雨の手に自分の手を乗せると時雨は成瀬を指差しながら鼻で笑った。
「はっ、やはり虹は俺の味方だ」
「(時雨、子供じゃないんだから)ごめんね、成瀬さん」
「あ、うん。じゃね、虹くん」
ひらひらと手を振る成瀬を名残惜しげに見ながら虹は別れた。
今日もいつも通り午前の授業が行われ、
気づけばもう放課後になっていた。
虹は園芸部に顔を出しに行くと、後輩たちが飛びついてきた。
「虹にいっ、久しぶり~」
一番年下の海が虹に抱きついて甘えた口調で言った。
「久しぶりも何も昨日も会っただろ」
虹はよろけながらも海を受け止めると、呆れた口調で言った。
「そうよ海、虹ちゃん困ってるわ」
海を虹から引っぺがしながら、海を叱った。
「ありがとな千菜」
ぽんぽんと頭を撫でてやると、
千菜は目を瞑って顔を赤らめた。
「・・・んもー」
千菜と海は姉弟で、千菜たちの母親は虹の母親の妹である。
だから自然と一人っ子の虹は弟と妹のように二人を大事にしている。
千菜は虹に撫でられるのは好きだが、
いつまでも子供扱いされたくない気持ちもあって、少しふて腐れた。
「・・・一緒に帰るか?」
「本当に?」
何度これを繰り返したことだろう。
知らず知らずの内に千菜の機嫌を損ねるたびに繰り返していることだ。
千菜の表情にはさっきまでの不機嫌さがない。
断れるはずもなく、今日は時雨に謝んないといけないなぁと
密かに罪悪感を抱いた。
園芸部は基本学校から指定されたものの中でしか栽培出来ないが、
いくつかのプランターは自由に使わせてもらっていて、虹たちは
自分の好きなものを買ってきて育てている。
「虹ちゃん、私たち水入れてくるね」
相変わらず千菜はこういう細かい気遣いをしてくれる。
いつも虹は土の状態を見るのが習慣で、土の変化にはかなり
敏感であるからだ。植物は何時間見ても見飽きない。
人間のように植物にも表情があって、
いろいろな顔を見せてくれるからだ。
最近加わった花たちの様子を眺めていると、
目の前のプランターに影ができた。
「虹くん、何してるの?」
虹の目に成瀬の顔が映る。
「今、花の体調を見てた」
虹の横にしゃがむと成瀬は質問した。
「この花は?」
「ああ、・・・」
季節ごとにプランター分けされた花たちを丁寧に説明した。
クラスメイト達だと興味本位で最初は聞いていても虹の話に
途中で飽きてるが、成瀬は元々人の話は丁寧に聞いてくれる。
花の色も虹のこだわりでグラデーションになっていて
見ているだけで楽しい。
「綺麗ね」
「・・・好きな花とかある?」
虹には植物のことしか、成瀬との共通点を持てない。
「うーん、・・・」
成瀬は一つの花に目が留まった。
それは小さい頃によく行った丘に咲いていた。
5枚の花びらの紫の花は、小さいながらも輝きをもっていて、
大好きな花だった。
「・・・スミレ・・・」
「それね、うちの家の前に咲いてたのなんだ」
「虹くん家の前に?」
「コンクリート突き抜けて」
びっくりした。アスファルトにスミレは咲くが、最近は全然見ない。
まだ、・・・あったんだ。
頑張って咲いている花をみると何だか嬉しくなってくる。
そのことを虹に話すと柔らかな笑みが返ってきた。
「でしょ?だから俺、園芸部入った」
植物たちが一生懸命生きている姿をみると嬉しくなる。
こっちも頑張っていこうと素直に思える。
「・・・詩人みたいで恥ずかしいけど」
「ようは、大好きなんだよね」
恥ずかしそうに笑いながら虹は言った。
「お花たちも幸せだよ。虹くんに大切に育てられてて」
―――・・・・。
しばらく金魚のように口をパクパクしていた虹は我に返ると、
慌てて言った。
「そ、そっかな?」
(いけない、いけない)
自分に言われていると錯覚しそうなほど、
甘い笑みで言われたからだ。
「うん」
大輪の花のように笑う成瀬に為す術もない虹は
ただ顔の火照りを我慢するしかなかった。
しばらく経って復活した虹は、成瀬に質問した。
「成瀬さんは?」
「何が?」
「天体部に入った理由」
「・・・んー、やっぱり星が好きだからかな。
あと宇宙にも興味があるしね」
成瀬は顔の横にぴんっと人差し指をたてて断言した。
「あと、絶景の夜空」
虹は頷きながら近くの裏山を思い出した。
いつか時雨と見に行ったことがある。
確か去年の今頃だったと思う。
秋の空は澄んでいて、星が綺麗だった。
「・・・だから去年あんなに時雨が気持ち悪い顔してたのね」
成瀬は妙に納得した表情だ。
「そうなの?」
「ええ、それはもう。・・・そうだ」
成瀬は、ふとバッグの中から一枚の用紙を取り出した。
「今度天体部で、星空観察会があるの。
自由参加だから良かったらでいいんだけど、参加してみない?
楽しいよ。あんまり人も来ないから、ゆっくり楽しめるし」
「・・・それって、誰でもいいの?」
千菜や海も連れて行ったら喜ぶだろうか。そうだとうれしい。
「ええ、校内の生徒ならだれでもok」
「じゃあ・・・」
虹が口を開きかけた途端、誰かの腕が虹の首を巻いた。
「虹」
「・・・っ、・・・どうしたんだ?」
「もうそろそろ帰る時間だから声かけようと思って」
もうそんな時間だったのか。・・・まさか。
「千菜と、海は・・・?」
辺りを見回すと、少し下がったところに千菜と海は立っていた。
明らかに千菜の目は据わっている。
海はというと、千菜の横でおろおろしているばかりだ。
やっと機嫌を直したばかりなのにこの有様だ。取り返しがつかない。
そんな虹の表情を見かねた成瀬が助け船をだした。
「ねねっ、明後日ヒマかしら」
突然の問いかけに訝りながらも、千菜は丁寧に返した。
「はい。特に用事はありません」
あくまでも他人行儀な千菜に苦笑いしながらも成瀬は続けた。
「明後日、星空観察会があるの。良かったら参加しない?」
「・・・星空」
千菜の視線は、真っ直ぐに虹を見つめている。
成瀬の視線も、虹に真っ直ぐ向けられていた。
しばらくの沈黙のあと、
「・・・俺は参加する」
渋々虹が口を開くと、二人は嬉しそうに明後日の予定を
いそいそと考え始めた。
「虹にぃも行くんですかっ?」
しばらく蚊帳の外だった海が身を乗り出して喜ぶ。
「行くよ。海、星は好きか?」
「はいっ。キラキラしていて素敵だと思います」
一般男子学生に似合わないであろう『キラキラ』『素敵』発言に
苦笑しながらも、虹はそんな海らしい表現の仕方に親しみを感じた。
そんな和やかな雰囲気の中、背後に殺気を感じて振り返ると
時雨が仁王立ちになっていた。
その視線の先には、成瀬を含め
虹の周りに(時雨目線でいうとまとわりついて)いる三人に向けられていた。
そして、その口からは静かだが確実に聞こえる声が発せられた。
「俺も、行くからな」
「・・・八時を回りました。ただ今から星空観察会を始めます」
天体部長成瀬の司会で、星空観察会が始まった。
周りを見渡せば成瀬の言うとおり天体部員ばかりだ。
持参してきた天体望遠鏡を組み立てながら夕方の話について聞いてみた。
「前、ここに来たとき時雨と話したんだけど」
「ああ、去年のことね」
「うん。・・・でさ」
意を決したように虹が口を開いた。
「時雨と毎年星空見に行ってるって本当?」
「ええ、家の風習みたいなもんよ。深い意味はないわ」
思いもしない成瀬の答えに虹は拍子抜けした。
「幼なじみなのも、お姉ちゃんと時雨のお姉ちゃんが
仲良かったからだし」
成瀬が言うには、二人の姉が星空を見に行ったときについていった
(時雨は強制的に)かららしい。そして、二人の姉が大学に行き
あまり見に行かなくなったが、成瀬がどうしてもいきたい
言ったとき、成瀬の姉が『女の子一人じゃ危ない』と叱ったそうだ。
そして、必然的に手っ取り早い時雨を引っ張っていったそうだ。
時雨には悪いがうらやましすぎる。とっても。
「ま、そういうこと」
成瀬は満面の笑みでいうが、少し顔は怖かった。
一瞬でも時雨との関係を疑われたのが心外であったらしい。
「じゃあ、私はこれからみんなのとこ回るから、楽しんでいってね」
成瀬の後姿をしばらく眺めていると、千菜が手元をのぞき込んできた。
「なあに?ソレ」
「ああ、今日星空見るならこれ持ってきたほうがいいかなって」
息を切らして近づいてきた海は目を輝かして聞いた。
「虹にい、あれ何?」
「ああ・・・何だろ」
「あれは、カストルだよ」
「時雨詳しいんだね」
虹が素直に誉めると時雨が気分を良くして続けた。
「そのとなりがポルックスで、ふたご座なんだぜ」
「ぜーんぶ私のうけおりだけどね」
・・・・・・・・・。
しばらくの沈黙のあと、微かに虹の唇が動いた。
「・・・おれだけ・・・」
ようやく合点のいった二人は矢継ぎ早に虹を励ました。
「当たり前よ、時雨は小さいころからだから。
その点、虹くんとは浅いから」
「・・・浅い」
「だから、これから埋めればいいじゃない」
誰からとも言わずに時雨と成瀬は虹の両隣に座った。
「虹、ぶっちゃけ俺はこいつより虹が最優先だし」
虹を安心させるように時雨は優しく微笑んだ。
「うん。ごめん」
少しはにかみながら虹は微笑み返した。
「そうよ、時雨と比べる方がおかしいわ」
少し拗ねたような口調で成瀬が意見する。
「・・・お前。覚えてろよ」
「あーら、どうしたの?」
怒気のこもった時雨の声に対して、明るい調子で成瀬は答えた。
不穏な空気を察した虹が、二人を見上げてできるだけ低音で言った。
「ダメだかんな」
虹の表情とは裏腹に喜色満面で時雨は成瀬と顔を見合わせた。
「・・・今、聞いた?」
「うん、バッチシ。心のメモリーに入れたわ」
時雨と成瀬の表情は、
精一杯の怒気を込めた虹の表情とは対照的だった。
星空観察会も終盤になり、片づけを終えた虹はぼんやりと星空を眺めていた。
昼は見えなかったものが今は見えて、でも星は変わらずそこにあって。
不思議な気持ちになりながらも居心地がよくて虹は眺めていた。
「虹くん、さっきはごめんね。気分悪くしちゃって」
気にしなくていいのに、ずっと気にしていたようだ。
「いいよ、ありがと」
「虹くん・・・」
「・・・・?」
「お詫びに1つ、私の秘密教えてあげる」
そういうと成瀬は虹の耳に口を近づけて囁いた。
しばらく何かを囁くと、耳から口を遠ざけた。
「じゃ、もうそろそろ終わりだからアナウンスしてくるね」
「・・・・」
成瀬が虹から離れたあとも、しばらく虹は放心状態だった。
さっきの成瀬の言葉が頭から離れない。
『私、虹くんのこと前から恋愛対称として好きだったの』
まだ早い、人生初の春の予感がした。