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ぼくの蟲娘

 ビルのエントランスから出てきた芽侑めいの様子を見て、ぼくはかける言葉を失った。

 明らかにだめだったとわかる。『オーディション、どうだった?』なんて聞けるわけもない。そう思ってただガードレールに腰掛けてパンを齧りながら見守るぼくに近づくと、芽侑のほうから報告してきた。


「たぶん……今回もだめだった」

 気丈を装い、ふっと笑う。

「ダンス……あれだけ練習したのに、本番でミスりまくり」


「そっか……」

 ぼくは元気づけようと、なるべく寂しく笑う。

「次があるよ。芽侑なら絶対、アイドルになれるって」


 本心だった。

 芽侑はかわいい。何より性格が天使だ。こんな飛び抜けてる原石を、見る目があるはずの芸能プロダクションが放っとくわけがない。


 芽侑をタンデムシートに乗せると、ぼくはセルモーターを回し、愛車CB400スーパーフォアのエンジンを始動する。ぼくの腰に手を回しながら、フルフェイスヘルメットをきちんとかぶった芽侑が謝るように言う。


「いっつもアキくんに付き合ってもらってるのに……ダメ続きだね」


「いくらでも付き合うよ、受かるまで。すぐだと思うし」


「親しい友達とかいたら、その子に頼むのに……。ごめんね?」


 ぼくは無言でバイクを発進させた。蒸し暑いコンクリートの街から、風の中へと──


 芽侑は引っ込み思案な性格と、それに反する見た目のよさからか、友達がいない。みんな彼女が『容姿のよさを鼻にかけた、いけすかない娘』だと思っているようだ。

 幼馴染みのぼくは知っている。確かに彼女はナルシストなところはある。鏡と向き合ったら三時間ぐらい自分の顔に見とれることがあるのを知っている。

 でも彼女を評価するのに肝心なところはそこじゃない。芽侑は自分が大好きだからこそ、他人にも、自然の植物や動物、地球に対してだって優しい。誰かに嫌なことをされてもけっして復讐なんてしようとしないのは、けっして優柔不断だからじゃなく、すべてを自分の責任として受け入れる自己愛がゆえだとぼくは思っている。


 誰もそんな彼女をわかってない。

 だから芽侑は、ぼくを頼ってくれる。

 ぼくはぼくで、ただの幼馴染みとして彼女をバックアップしながらも、いつか芽侑がぼくの気持ちに気づいてくれることを期待していた。


「いつもありがとうね、アキくん」

 彼女の家まで送り届けると、ヘルメットを脱いでぼくに返しながら芽侑が言う。

「絶対アイドルになって、いつかお礼するから」


「芽侑がアイドルになってくれたら、それがじゅうぶんお礼だよ。『これ、ぼくの幼馴染み』って、知らないやつらに自慢するんだ」


 元気づけるようにぼくがそう言うと、心から嬉しそうに笑って、手を振りながら彼女は家の中へ戻っていった。


 次女である芽侑のことは、両親も放任している。アイドルになることに特に反対もせず、応援もしていないようだ。自慢はT大学生の長女のねいさんと、人気者の末っ子のけいくんのことばっかりで、大人しい次女は何を考えてるかわからない宇宙人みたいに思っているのか、興味もあまりもっていないようだった。


 高校を卒業した去年から、芽侑はアイドルデビューをめざしてオーディションを受けまくっている。

 すべて落とされているが、それは彼女の大人しさと運のなさが原因だ。あと、アイドルを志すにはスタートがちょっとだけ遅かったかもしれない。

 そんな彼女の理解者であり、協力者をやっているのはぼくだけだった。

 大学生で暇を持て余しているし、何より彼女のファン第一号として、デビューを飾るまで全力で応援するつもりだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 芽侑が七回目のオーディションに落ちたのは、彼女の二十歳の誕生日だった。

 合格祝いと誕生日祝いを同時にするつもりだったぼくは、用意していたプレゼントだけを渡し、花束は隠した。


「今回はダンスもうまく踊れたし、自己アピールもハキハキできたのに……」


 そう言ってぽろぽろと涙の粒を落とす彼女に、ぼくは何も言ってあげられなかった。どんな言葉も白々しいように思えて──


「ごめんね……。アキくんは応援してくれてるのに……。あたし、だめなやつで……」


 無言で彼女の肩を叩いた。


 ぽんと軽く叩いて、少し驚いた。


 痩せていた。まるで骨が体の外側にあるみたいに──


 そんなことはもちろん口には出さず、ぼくは言った。


「まだまだ次があるよ。……それにしてもごはん、ろくに食べてないんじゃない? ラーメンでもおごるよ、今から食べに行こう」


「……だめだよ、太っちゃうよ」


「芽侑はスタイルいいよ。でもちょっとだけ痩せすぎだ。もう少し健康的に、お肉つけたほうがいいよ。何より……」

 ぼくはにっこりと彼女の顔を覗き込んだ。

「お腹……ペコペコでしょ?」


 芽侑が恥ずかしそうに、うなずいた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 八回目のオーディションに芽侑が落ちた時、彼女は慣れてしまったのか笑っていた。笑いながら、バイクには乗らず、少し歩きたいと言った。ぼくはバイクを駐車したまま、彼女と並んで街を歩いた。


「あたしって、愛されないんだなぁ〜」

 そんなことを言う芽侑が自暴自棄になっているように見えた。

「お父さんもお母さんも、ねいちゃんとけいばっかり可愛がってるし……。わたしなんか、もう世界から消えちゃったほうがいいかも?」


「嫌だよ、そんなの……。ぼくは芽侑のことが一番好きなんだからさ」

 ぼくは言ったけど、風が強かったし、声がちいさくて届いてなかったかもしれない。


 芽侑が急に立ち止まった。


 ブティックのショーウィンドウを見つめて固まっている。


 中に飾られている服はおばさんっぽくて、芽侑にはとても似合うとは思えなかった。


「どうしたの?」


 ぼくが聞くと、彼女はその場にうずくまり、歩道にキスをする勢いで、土下座をした。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 突然大声で謝りはじめたので、とても心配になった。


「何してんの、芽侑!」

 ぼくは彼女の腕を掴み、引っ張って立たせた。

「恥ずかしいよ。みんなこっち見て──」


「見ないで!」


 激しい勢いで、芽侑がぼくの頬を引っ掻いた。

 呆然としていると、笑いながら彼女が言う。


「見た? 見たよね? ごめん。あたし……今まで自分のこと、人間だとか思ってて……」


「な、何言ってんの?」


 すると再びショーウィンドウのガラスに映る自分と顔を合わせ、芽侑は悲鳴をあげた。


「あたし……蟲だったんだ! 黒っ! 細くて、ギザギザしてる! ぎゃああああっ!」


 ガラスに映る彼女の顔が、恐怖に醜く歪んでいた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 彼女が自分の部屋から出てこなくなってしまった。


 呼び鈴を押すと、彼女のお母さんが出てきた。


「ああ……。アキくん、芽侑が……芽侑がおかしくなってしまって……。元々おかしな子だったけど……」


 どこかから、悪魔的な音楽が聴こえていた。


「芽侑はおかしくなんかないです」


「とにかく……なんとかして?」



 二階の芽侑の部屋に近づくと、悪魔的なヘヴィメタルがはっきりと聴こえてきた。英語のデスボイスが唸るように叫んでいる。誰かを罵っている。

 ドアをノックしても音楽は止まず、返事もない。


「芽侑? 入るよ?」


 ぼくはドアノブを回した。


 デスメタルの充満する中、部屋の隅に隠れるように、黒くて巨大な蟲がいた。六本の細くてギザギザした脚を自信なさげに縮こまらせ、非難されるのを恐れるように触角をオロオロさせて、ちいさな赤い目でぼくを見ていた。


 蟲が言った。

「オマエのせいだ! オマエがいつも側にくっついてるせいで、あたしはアイドルになれないんだ!」

 憎むようにそう言ってから、すぐに謝った。

「ごめんなさい! ごめんなさい! あたしが誰からも必要とされないのは、あたしが蟲だからなのに!」


 さすがにぼくは腰が引けた。


 すぐに部屋を飛び出てドアを勢いよく閉めようとしたのを、自分に言い聞かせ、踏みとどまった。


『おまえはこの娘が好きなんだろ!』


「ごめんなさい、ごめんなさい……。産まれてきて、ごめんなさい!」

 芽侑は黒髪を顔にへばりつかせ、ゲゲゲと笑いながら、ひとりごとのように言った。

「アキくんにも迷惑かけるばっかりで! 誰にも愛されなくて! 誰にもわかられなくて! こんな蟲娘ムシムスメがこの世に存在しててごめんなさい!」

 

 後ろから彼女の家族四人がおそるおそる覗いて見ていた。


「誰もあたしを見てくれない! 嫌! 見ないで!」

 芽侑が大笑いしながら喚きつづける。

「見てよ! 見ないでよ! こんな! 黒い! ギザギザのあたし! 見てよ! これがあたし! 見るな! みんな死んじゃえ! そしたらあたしを見ないで済むでしょ!」


 そして気づいたようだった、芽侑の姿を映すものすべてに。姿見、窓ガラス、スマホ、ぼくの瞳──すべてのものに自分が映っていることに気づき、悲鳴をあげた。


「嫌! 嫌! 嫌! 見たくない!」


 そしてそれを見ているものを殺そうとした。

 真っ黒で光のない自分の目を、その尖った手の先で、潰そうとするのがわかった。


 やわらかいものが硬いものを掴む音が部屋に響いた。

 ぼくの手が、芽侑の外骨格の腕を掴んで止めていた。


 ぼくは芽侑を抱きしめた。

 彼女の黒い背中には、生えかけでヨレヨレの、ハエみたいな羽根があった。それを伸ばすように撫でながら、ぼくは彼女に言った。


「覚えてる? ハサミムシの話──」


 あれは確か小学校低学年の頃だった。

 芽侑と二人で庭で遊んでいた時、岩を退けるとたくさんの蟲が出てきたことがあった。その中に赤黒くて尻尾にハサミをもつ、ハサミムシもいた。


「きもちわるい」と芽侑が言った。


「知ってるか、芽侑?」

 ぼくは得意になって雑学を披露した。

「ハサミムシのお母さんって、卵が孵るまで、ずーっと何も食べずにお世話をするんだぜ? で、卵から孵った赤ちゃんに、自分の体を食べさせるんだ」


「えー!?」


 大袈裟なくらいに驚いてくれる彼女が嬉しかった。


 そして「かわいそう」とか言うのかと思ったら──


「ママがこどものこと、そんなに愛してるんだね? しゅごい! ムシにも愛って、あるんだ! あたしもおおきくなったら、ハサミムシになりたい!」


 そんなことを言った。


 その日からだったように思う。


 ぼくが芽侑のことを、ただの幼馴染みだとして見なくなったのは。


「うん……。覚えてる……」

 ぼくの腕の中で、巨大な蟲がカサリとうなずいた。

「蟲って……美しいんだよね?」

 そして少し離れ、ぼくの顔を覗き込んできた。

「あたし……、きれい?」


 地球の生き物とは思えない、骸骨が体の外側にあるような、赤みを帯びた黒い彼女の顔をまっすぐ見て、ぼくは微笑んだ。そして、うなずいた。


「きれいだ」


 正直に言うととても醜かった。

 でも、ぼくは昔から芽侑のことを知っていた。彼女の心の中まで知っていた。


 彼女の心の中は、この世のどんなものよりもきれいで、ぼくは感動を覚えていた。


「逃げよう、きみのことをわかってくれない、こんな世界から」



 ◆ ◆ ◆ ◆



 洞穴の中で、彼女を飼った。


 岩壁に手をつくように、彼女は今、人間大のさなぎになっている。


 きっと鮮やかな羽根をもったアゲハ蝶のような姿を現すだろう。その日をぼくは、待っている。






筋肉少女帯『ゴーゴー蟲娘』をモチーフにしております

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― 新着の感想 ―
すこ (;∀;*)
 人を愛するには、その心の奥にある醜さをも愛せないといけないとしたら。  人を愛し抜けることは、一種の変態なんでしょうね。  皮肉で最上のほめことば。
 一瞬蜚蠊もの?と思ってしまいました。  悲恋ものだったんですね。  せめてグリーンバナナならば……。  ……いや、やっぱりこっちでもイヤだ……。(笑)
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