第3話
グラスが持ち上げられる。
「えー、では、これからがスタート、ということで、まあ、末長くよろしくお願いしますということで、今日は戦略を考えつつ、楽しんで飲みましょう! 乾杯!」
「「かんぱーい!」」
高橋先輩の音頭で飲み会という名の親睦会が始まる。主にあたしと高橋先輩はマネージャーの佐藤さんとの会話がどうしても多くなってしまうのだが、下っ端の辛いところ。タレントとも交流を深めるべく、飲み物の量が少なくなってきた辺りの隙を狙って滑らかな動きでタレント達の中へ入っていく。
「すみませーん! 中入りますー!」
「藤原さんだー!」
「お疲れ様ですー!」
「お飲み物次何飲まれますか?」
「私カシオレー!」
(よしよし、酔っ払え、酔っ払え。もうね、演者は酔っ払わせた方が素が出て緊張が解けるからこっちの方が楽なんだよ、扱いは!)
「藤原さん、私やってみたい企画があって」
「みんなで話し合ってたんですよ!」
「あ、ぜひ聞かせてもらえますかぁー!?」
みんなが飲む間、あたしは絶対に飲まない。水か烏龍茶を飲むだけ。スマートフォンを常に持ち歩き、みんなの話を聞いていく。
「っていうのをやってみたくて」
(確かに面白そうだけど……もう少し作り込まないと数字取れないかもな。今までもそうだったし……)
「歌の企画とかって何かありませんか? 一応歌い手グループなので」
「はい、それこそ次の企画で歌の企画をやってもらうんですよ」
「えー! そうなんですかぁー!」
「やったー!」
「ボイトレ頑張らなきゃー!」
(よしよし、情報が集まってきたぞ。やっぱりみんな歌がやりたいんだな。歌い手って、目立ちたいからやってるのかと思ってたけど、意外とみんな歌が好きでやってるんだなぁ……)
——ツゥ、今日もカラオケ付き合ってくれない?
「……」
ふと、過去の記憶を思い出したが、今は現実だ。過去には戻れない。あたしは情報をまとめようとメモアプリを起動させると、その画面を覗かれた。
「うわっ」
「すごい。いっぱい書いてある」
いつの間にかあたしの横に座っていた白龍さんが、タッチパネルを差し出した。
「お飲み物どうします?」
「あ、う、烏龍茶で……」
「あれ、飲まないんですか?」
「白龍さんどうします? 飲まれます?」
「烏龍茶ですね」
白龍さんがタッチパネルを操作し、注文した。おお、流石はグループの長。ここはこの心遣いに感謝して、気を遣ってもらおう。
「ありがとうございます」
「いえいえ、ついでだったんで」
「すごいですね。動画。100万再生。見ましたか?」
「はい。見やすかったです。ありがとうございます」
「すごかったんですよ。あの時」
ミツカさんが正面から声をかけてきた。
「藤原さんから切り抜き動画の連絡来た時に、月子がみんなにライブ配信の面白いところ確認して時間と話の内容をまとめてすぐ藤原さんに送るようにって指令みたいな連絡が来て!」
「そうそう!」
「白龍って、いつもそうやってまとめてくれるんですよ」
「でも今回は早かったね! 連絡来て秒速じゃなかった!?」
「うん! 早かった!! まじでAIかと思ったもん!」
「こうでもしないとみんな連絡遅いでしょ」
(流石80万人登録者を持つグループのリーダーだ……)
「お待たせしましたー」
お、注文のドリンクが届いたようだ。
「ウーロンハイ二つですー」
「あ、こっちですー」
(……あれ?)
「はい、藤原さん」
ウーロンハイが、目の前に置かれる。注文を行った白龍さんは、とてもいい笑顔でグラスをあたしに向けている。
「乾杯」
(……みんなお酒飲んでるし、間違う時もある。うん。それに、一杯くらいなら大丈夫でしょ。先輩も飲んでるし)
あたしはありがたくお酒を受け取り、白龍さんのグラスにグラスを当てた。
——五時間後。
「あー! 終電なくなるぅー!」
「えー、五時間も経ってる! はや!」
「ネカフェ行く?」
「さんせーい!」
「月子どうするー?」
(んっ)
「テキトーに帰る」
「了解ー。また明日ねー」
(……ここどこ……?)
ぼうっと瞼を上げると、心地よい枕に頭を乗せて寝ていることを理解した。
(はぁ……久しぶりに睡眠取った気がする……。ねむたぁーい……)
——着信音が鳴り、あたしは我に返った。ビクッ! と体が反応し、スマートフォンを探し出し、耳に当てる。
「はひ! 藤原です!」
『あ、藤原さん? マーケティング課の下野ですー。飲みの時にごめんなんだけど』
「はひ! はいはい!」
『落ち着いた時でいいから数字のデータほしくて。明日朝イチでスプレットシートにまとめて送ってくれる?』
「はいはい! 数字っすね! はい! お任せを! 朝イチで! 爆速で!」
『お願いしますー! 助かりますー!』
「はいはい! では! 失礼しましゅ!」
通話を切り、——思い切り息を吐いた。しんどい。
(明日土曜日じゃねぇかよ、ふざけんなよ……)
「大丈夫ですか?」
「あ、はい、なんとか……」
電子煙草を吸ってた白龍さんを見上げて——あたしの心臓が止まった。あたしの頭が白龍さんの太ももを枕にしていたのだ。
「っ!!!」
慌てて起き上がり、謝ろうと頭を上げると——、陰気臭い空気を漂わせる佐藤さんと高橋先輩がいた。
「まさか……社長が飛ぶなんて……いや、前々から怪しいとは思ってたんですけど……」
「いや、わかりますよ……。全ての面倒を引き受けるのって、結局こっちなんですよね……」
「私はいいんですよ……。ただ……タレント達を思うと……」
「うちの社長もね……無理を言うんですよ……いっつも挟まれるのは中間管理職の辛いところで……僕……カメラマンなのに……」
(うぉおおお……すごいことになってるー……! 空気が……なんか……こう……うぉおおお……!)
「藤原さん」
白龍さんがスマホの画面を見せた。
「終電まだ間に合います?」
「え? 終電……」
あたしは時間を見て——頭が真っ白になった。おっと、なんてこった。なんだこの時間。一体あたしは、いつからタレント様々のお太ももを枕にして寝ていたのだろうか?
(タクシー呼ぶ? ……ボーナスまだ出てないのに……? 目標貯金だってギリギリなのに……!?)
いいえ! 負けない! だってあたし、大人ですから! キリッ!
「あ、大丈夫ですよ。終電は終わってるんですけど、会社に行けば仮眠取る部屋があるので、最悪そこで寝泊まりできるんで、はい、まぁ、なんとか……」
「うち近いんですよ」
白龍さんが電子煙草で窓を差した。
「一晩だけ泊まっていきません?」
「い、いえいえ! それは大丈夫です!」
「いや、っていうのも、なんか飲み直したい気分だなって思ったんですけど、流石に一人だと寂しいじゃないですか」
「あ、だったら四人で……」
振り返ると——佐藤さんと高橋先輩が泣いていた。
「なんで私がこんな目にばかり……」
「いつも挟まれるのは俺なんだ……! 俺は……カメラマンなのにぃ……!」
「……」
「コンビニとかでお酒買って、飲み直しません?」
「……ああ……まぁ、……一晩だけなら……」
「やった。決まり。行きましょう」
「高橋先輩、ちょっと白龍さんの家に行ってきます」
「畜生! 俺だって!」
「お支払いだけお願いしますね。お疲れ様でした」
さっさと荷物を持ち、佐藤さんと高橋先輩を置いて、白龍さんと共に店から出て行った。
(*'ω'*)
コンビニで買ったおつまみとお酒を持って、簡単な話をしていく。
「聞いてもいいですか? 白龍さんは今おいくつなんですか?」
「25」
「あ、そうなんですね。あたしは24歳です。一つ違いですね」
「藤原さんは……いつから東京に?」
「もう5年になりますかね。高校卒業してすぐに出てきて……あ、白龍さんはいつからですか?」
「……6年ですかね? 私も卒業してすぐに東京に来まして」
「いや、歌聞かせてもらったんですけど、すごいお上手ですね。びっくりしました」
「えー、……本当ですか?」
「えー! なんで疑ってるんですか! そういう情報も動画編集者としてすごく大事なので、聞いてますよー!(ちゃんとは聞いてないけど、パッと一瞬だけ。歌い手の割にはプロ並みに上手かったのは覚えてる)」
「……そうですか。ありがとうございます。聞いていただいて。嬉しいです」
(……なんか掴みにくいんだよな。この人。一つしか年変わらないはずなのに)
本当に酔ってる? でも、お酒結構飲んでたよな?
「あ、たい焼き売ってる」
「あ」
——たい焼き、買う?
「甘いもの食べたいですね。ちょっとつまみます?」
「いいですね」
——合わせなくていいって、言ってるよね?
——本当は何味がいいの?
「たい焼きなんて高校以来です」
「……そうなんですか?」
「ええ。帰り道に通る駅の前にキッチンカーが止まってて、よく」
——私、チョコ!
「仲の良い先輩と、買ってたんですよ。はははっ」
「……まとめて買っちゃいます。どれにします?」
「すみません。じゃあ、クリームで」
酔っ払うと、昔の思い出が蘇る。あたしにも、純粋な時はあったのだ。
(……たい焼き、懐かしいな)
歩きながら噛みつく。
——美味しい?
(はい、……美味しいです)
「あれ、白龍さん何味でしたっけ?」
「チョコです」
「あ。……チョコお好きなんですか?」
「いや、たい焼きはチョコって決めてるんですよ」
「美味しそうですねー!」
(さて、……思い出に浸ってる場合じゃない。ここで白龍さんと仲良くなっておかないと。えっと話題、話題……)
次の話題を考えていると、白龍さんの足が止まった。
「あ、着きました」
「え?」
「これです」
「へ?」
あたしは驚愕した。——タワーマンションの入口前を、初めて見た。
(なんだこの扉ーー!? ホテルーー!?)
「どうぞ、入ってください」
(門の中にさらに通路からの建物ー!?)
「あ、どうぞ」
(フロントからの中庭からのエレベーター!?)
白龍さんがボタンを押した。23階。
「これって、最上階24階なんですね。一体どんな人が住んでるんですかね……」
「最上階はゲストルームとかパーティールームなので、実質最上階は23階ですね」
(最上階ーーーーー!? ネットの歌い手ってそんな稼げるの!? すげーじゃーん!!?)
エレベーターから降りると、静かな廊下が広がっていて、数少ない一室のドアを白龍さんが開いた。
「どうぞ」
「あ……お邪魔します……」
そして、あたしは——初めてのタワーマンションに——好奇心がうずき——言われるがままに、部屋の中へと入った。
(……すご……お金持ちの部屋だ……)
巨大な窓に、巨大なリビング。ダイニング。キッチンルーム。これ一人で住んでるの? 絶対誰かと住んだ方がいいやつ。そっか。だから配信者ってペット飼う人多いんだ。これなら飼われる動物幸せだろうなぁ。
「白龍さん、ペットとかは飼ってないんですか?」
「飼ってませんよ」
「えー、もったいない。飼えばいいのに」
「洗面所こっちです」
「ああ、すみません!」
「私、シャワー入るんですけど、藤原さんも入りますか?」
「あ、いや、大丈夫です! 先に飲んでます!」
「テレビとかも好きにつけてください」
「あー、すいません、本当に……!」
先にリビングに戻ってきて、袋から買ってきたお酒を取り出していく。いっぱい買ったけど、こんなに飲める気がしない。ある程度飲んだら素直に寝よう。そうしよう。
(……にしてもすごいなぁ。本物のタワマンじゃん)
——。
(白龍さん、まだ戻ってこないよな?)
ちらっと振り返るが、浴室から出てきた音は聞こえないし、気配もない。
(配信部屋だけ、どんな感じか見たいなぁ!)
だってこんなこと人生においてもう二度とないじゃん! タレント様だよ!? タレント様の部屋に入るなんて、たかが動画編集者のあたしが、もう、絶対ないじゃん!
(戻ってくる前にここにいれば大丈夫!)
ゆっくりとあたしは動き出す。
(ちょこっと見るだけ)
とは言っても、どこが配信部屋なのかわからない。閉じてるドアを片っ端から開けていく。
(うわ、何ここ、客室? うわ、また部屋がある。え? もう一つリビングがある? うわわ、ここは一体なんのための部屋? 待って、バーがあるんだけどどういうこと? ジム室がある!? ん、これはなんだ? ここは? うーん……)
配信部屋と寝室が見つからない。
(……あ、待って。そういえばさっき通った廊下にドアあったかも)
玄関の方へ戻ってみると、二つドアがあった。
(なんだ、玄関に近いんだ。ちょっとだけお邪魔しまーす)
あたしはドアを開いてみた。あ、寝室だ。
(何あのでかいベッド。すご。あれで寝てるんだ。もう大富豪じゃん。家族呼んで一緒に住んであげたらいいのに)
——最後に残されたドア。なるほど。これが配信部屋か。
(機材とかどうなってるんだろ! わぁー! 楽しみだなぁー!)
わくわくしながらようやく見つけたドアノブをひねる。ゆっくりと開いていく。
(白龍さん、お邪魔しまーす!)
その部屋を見て——あたしは首を傾げた。
「……?」
暗い。多分、部屋が広くて奥まで見えないのだ。
(……電気、つけてもいいかな?)
手を壁に伸ばしてみる。スイッチが見当たらない。
(……あ、あった)
カチッと、押してみた。
部屋が点灯された——瞬間——あたしは黙りこんだ。
「……」
パソコンや、モニター、大量の機材がある中……壁一面に、大量の写真が貼られていた。
「……」
そっと近づき、壁の写真を見てみる。
「……?」
女子高生が一人、写っていた。
あたしだ。
「勝手に人の部屋を見るのは」
あたしの肩が、これ以上ないほど、ビクッ!!! と跳ねた。若干悲鳴も出た。
「良くないと思うよ。……まぁ」
ドアが閉められた。
「別にいいんだけど」
その女性が、ゆっくりとあたしに振り返る。
「見られて、困るものないし」
「……ま、ま、まって、くだ……さ……ま……まっ……」
「なんで怖がってるの?」
女性が鼻で笑った。
「恋人の写真貼ってるだけだよ?」
「こ、これ、あ、あたし、あたしの、あたしの写真……」
「うん。そうだね」
「な、なんで、なんで白龍さ、白龍さんが……」
——あたしの横の壁に、女性が叩きつけるように手を置いた。
「ねぇ、教えてくれる?」
あたしの視界がぼやける。
「なんで連絡よこさなかったの?」
女性の顔がはっきりとあたしの目に映る。
「月子」
「……あれ……?」
その顔は、見たことがあった。どうして今まで気づかなかったんだと思ったけど、当然だ。だってあたし、当時は足元しか見てなかった。彼女のそばにいられる自分が嬉しくて、恥ずかしくて、声をかけたら返事が来るだけでむず痒くなって、彼女の顔をはっきりと見ることができなくて。
「……」
あたしは——自分の足と、相手の足を見た。そして——改めて——あたしを睨んでいる、西川リンを見上げた。