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8. ドラッグではなく

 どん、と鈍い音がしてその男の背中が講堂内の硬い壁に打ちつけられる。


 彼の目には恐怖の色が滲んでいる。その弱々しげな様子からすると、かなり下っ端のチンピラのようだ。


「いや、ほんと、俺、そんなの知らないっつの」


 彼は誤摩化すように首を振った。が、五分前くらいにきょろきょろと辺りを見回しながらキャンパス内に入ってきたこのチンピラは、明らかに怪しかった。東城がそいつに話しかけた時点で、彼は何かを察して逃げようとしたのだ。まあ、難なく捕まったけれど。


 東城がその襟元をつかむ手に力を込めると、その下っ端はチャラチャラと銀のアクセサリーを揺らしてその顔にぎこちない笑みを浮かべた。


「あ、あのさあ、だ、大学生が大人に向かってこんなことしていいのかな……」


「年齢なら僕のほうが上だ」

 東城はにこりと気味悪く笑った。


「えっ東城って留年してたの!」


「いちいち口を挟むな。留年はしてない」


「じゃあ何で?」


「その話は後だ」


「教えてくれたっていいじゃない!」


「心得その十五、いいから黙っておけ」


「それ今作ったでしょ!」


 あたしのツッコミを無視して東城はそのチンピラに顔を近づけて低い声で言った。


「この時点でまだ僕から逃げられると思っているなら諦めた方がいい。こっちはお前をどう扱う事もできるってことを頭に入れてあと五秒以内で答えろ。お前のグループのリーダーはどこにいる?」


 東城がスッと片方の手のひらを見せてゆっくりと指を折りながら数え始める。


「5、4……」


 冷たく威圧するような声に、チンピラはゴクリと息を呑む。


「3、2……」


 最後の指が倒れるその一瞬手前、男が観念したように口を開いた。


「え、駅裏の、商店街の脇の地下バーです。“ムーンブラッド”!」


「一花、書いて」


 あれ、フルネームではなくて名前を呼び捨て?とあたしは思いながら、持っていたノートの切れ端にその場所を記した。


「それが奴の潜伏場所だな?」


「そ、そうだ」


 男がこくこくと頷いたので、東城は襟元からぱっと手を離した。そして今度はそいつの胸の前に手のひらを差し出す。


「回収しようか」


「え?」

 やっと解放されたその男は皺の寄った服を直しながらきょとんとした。


「君の、右ポケットに入っている物だ」


 まさかドラッグ?こういう奴らの所持しているものと言えば、と単純に思い込んでいたあたしは男が渋々ポケットから出してきたものに眉を寄せた。


 それは、詮が閉まった細長い小瓶だった。そしてその中には真っ赤な液体が入っている。東城は三本あるその全部を手に取ると、すっと匂いをかぐように息を吸い込んだ。


「確かに見事なブレンドだな。しかも新しい」


 東城が言うと、男ははっと何かに気づいたように目を丸くしてから、突然前よりも表情を緊張させる。


「お、お前も……!」


「その先は禁句だ」と、東城が不適な笑みでその言葉を遮る。


「僕の正体を知りながら馬鹿なことは考えないほうがいい」


 あたしは眉を寄せた。よく話が読めない……東城の正体?


「で?これはどこから入手した?」


 と東城に聞かれた男は、さっきより明らかに素直になっている。


「お、俺も取引先の情報までは……ほ、本当す!俺はいつもただ、待ち合わせ場所に行くだけで、毎週水曜日、渋谷駅近くの高架下で黒いスーツの男といつも会って……」


「それだけじゃないはずだが。うちの大学に何の用で来た?」


 東城が睨みながら凄んだので、チンピラはますます肩をびくつかせる。


「さ、最近は医学部からも調達し始めたんすよ……ここの学生もそいつらと取引をしてて、」


 そこで東城は呆れたように大きくため息をついた。


「全く、名大学も落ちぶれたものだな。差し詰め金と引き換えに、向こうの欲しいものを提供しているんだろう。共同研究もあり得るな」


「お、俺は詳しく知らないっす、俺はほんとに、ただの運び屋で……」


「だろうな。ま、君には運び屋よろしく、これらを運んでもらおう。一花、さっきのツールケースを。これで開くはずだ」


 東城は片手でチンピラ男を押さえながらも、上着の内ポケットから小さなシルバーの鍵を取り出してあたしに渡す。


 まったく、助手なんて名ばかりで、これじゃあただの雑用係か召使いだ。東城はあたしにあれをもってこいとかこれを書けとかそれを開けろとか命令するためにわざわざ大学に呼び出したっていうんだろうか。


 あたしは心の中でため息をつきながらも、さっき東城に頼まれて持ってきた、アルミのアタッシュケースを手にする。


 それは大学の“探偵サークル”なるものの部室に置かれてあり、東城専用の私物らしかった。


 あたしは言われた通りに、渡された鍵をバックル部分にある二つの鍵穴に挿して開ける。開いた内側には小さなポケットが何個かついており、ケースいっぱいに何やら怪しい機器や工具が雑多に詰め込まれていた。


 トランシーバーや、何に使うのかわからない精密機械、サバイバルナイフ、ロープ、軍手、ガムテープにピッキングツール……。


 探偵らしい虫眼鏡や手袋(そんな古典的なものしか浮かばないが)なんかは入っておらず、どう見てもこれから宝石店へ強盗に入るか、誘拐を計画している犯罪者の持ち物だ。


「内側ポケットの右から三番目に盗聴器と、どこかに遠隔起爆装置が入ってるはずだ」


「え、遠隔起爆装置?」

 あたしはその慣れない物騒な単語を口にする。


「緑と赤のコードがついてる小型爆弾装置だ。底の方に入ってないか?」


「ば、爆弾って……」


「大丈夫だ、スイッチは僕が持ってる」


 そういう問題じゃなくて……こんなの、危険物所持で逮捕されるじゃない。本当に東城が合法に探偵をやっているのか疑わしい限りだ。


 あたしは躊躇いながらも内側ポケットに入っていたその小さな盗聴器となにやらコードが絡まった装置を慎重にとり出して彼に渡す。


 すると東城は流れるような手つきでその男に盗聴器を仕掛け、次に起爆装置をそいつの腰のあたりに設置してジャケットで隠した。


「さて、これで自由の身だ。でもうっかりリーダーにこのことを喋らないように。次の瞬間には口なんて聞けない状態になるだろうからな」


 東城はそう言って左手に小型のリモコン式スイッチを掲げて見せた。盗聴器で相手の様子が変わったことがわかれば東城は何の躊躇もなくそれをポチっと押す。そしてこの男の腰に設置された爆弾が爆発————いや、それって殺人じゃない!


「わかったらさっさと行け。それから今回収したものについては、リーダーに失くしたとでも言いわけしておくんだ」


 東城に解放されたその男は身を固まらせながらもぎこちなく歩いて、転げるように講堂を出て行った。あたしはその可哀想な下っ端を見送ってから東城を振り返る。


「ちょっとやりすぎじゃない?探偵っていうより悪のボスって感じ」


「善は急げというだろう?速やかに、無駄なく済ませるのが一番だ」


「でも、なんかもっと紳士的に接するとかできないの?それにあの起爆装置もし使うことになったら本当に……」


「ああ、あれはおもちゃだ」


「へ?」


「爆発なんてしない」


 東城は何てことないように言った。あたしはそれを聞いてふっと肩の力が抜ける。なんだ、そういうことか……。あたしが安心しているのを見たのか、東城は念を押すように言った。


「言っておくが僕は人を殺したことはないからな」


「えっその手前はあるってこと?」

 東城の微妙な言葉のアクセントにあたしは反応する。


「必要に迫られた時だけだ」


 東城はそう言ってあたしの書き記した彼らの居場所を書いた紙を取りあげた。


「さて、これで連中のいる場所はわかったし、あのチンピラは程なくこのムーンブラッドに戻る。リーダーはアジトが割れてることも知らずに呑気にやってるだろうな。後は、僕が医学部でことを済ませている間……」


 東城はそこであたしを見た。


「君が高杉美和子を見張っていればいい」


「え?見張る?」


「高杉美和子が今あのアジトに入ればいろいろややこしくなる。君はそうならないように彼女の学校まで行って彼女を監視しろ」


「えっちょっと待って、何で美和子ちゃんがそのアジトに行くってわかってるのよ。今のチンピラと美和子ちゃんはどう関係あるの?」


 あたしが言うと、東城は少し表情を硬くして言った。


「いいか、高杉美和子がなぜ突然豹変したか、その理由は一つだ。ある連中に声をかけられたんだよ。そいつらは前から彼女のような女子中高生をカモにしているタチの悪い連中で、きっと彼女も上手いように誘って連れ込んだんだろう。さっきのチンピラはその手下だ」


「それって詐欺団体とか?そいつらの目的は何なの?」


「その目的は……」

 東城はそこで口を開きかけてからまた閉じ、かすかに首を振った。


「いや、まだ君に教えるべきじゃないな」


 その意味深な言葉に、あたしは眉を寄せる。どういうこと?東城はその集団の目的を知っているけど、あたしはまだ知らないほうがいいってこと?一体どんな事情があるっていうんだろう。


「とにかく、彼女はそいつらによって人生を狂わされかけている。今はその集団を叩いて計画を中止させることが優先だが、正面から向かって物理的に叩くのではこちらが不利になる。

 それに、あいつらの取引先も先に押さえておきたい。多分、前から僕が追っていた闇ルートだ、先に勘づかれて巻かれても困るからな。僕は医学部を探ってから、準備が整い次第ムーンブラッドに乗り込む。君が高杉美和子を見張っている間にね。了解?」


 東城は早口に計画を説明してから、最後にあたしの方へ向いた。色々と謎だらけだが、あたしには「了解」という答え以外用意されていないことだけは、悲しいかなわかっている。


「はいはい、助手は探偵の命令に従わなくっちゃいけないのよね」


 肩をすくめて仕方なく言うと、東城は珍しがるように「わかってきたな」と呟く。


「でも一つ聞きたいんだけど」とあたしは切り出した。


 状況の読めていないあたしとは反対に、初めから算段がついているかのようにスムーズに行動する東城に、あたしは疑問を抱いていた。さっきも、まるであのチンピラがこのキャンパス内にやってくるのを見越していたかのように東城はあたしを電話で召喚したのだ。


「なんであのチンピラがこの事件に関わってるってわかったの?」


 その問いに、東城はすぐには答えなかった。代わりに、彼は少し視線を外しながら曖昧に言う。


「……鼻が効くんだ」


「鼻が効く?」直感、ということだろうか。


「じゃ、あいつがこのキャンパスに来ることわかってたの?」


「いや、匂いがしただけだ」


 東城はそう短く答えて、あたしが何か言う前に「とにかく」と話を切り替えるように言った。


「今はゆっくりしている場合じゃない。第一中学校の場所はわかるな?」


「…まあ、一応出身校だし」


「そうか。じゃあ難はないな。何かあればこれを使え」


 東城はそう言いながらケースから小型のトランシーバーを取り出してあたしの方へ投げたので、あたしは慌ててそれをキャッチする。


「いいか、ムーンブラッドを叩くのは僕だけで十分だ、君は高杉美和子を守ることに専念しろ。ことが終わったら連絡する」


 東城はそう言ってさっさとツールケースを閉じて、講堂を出て行こうとした。


 まったく、善は急げと言うけど、このぶっきらぼうな態度がもう少し和らげば、助手の仕事も楽しくなるかもしれないのに。と、あたしが心の中で不平をぶつけていると、その背中が講堂を出る一歩前で止まった。


「一花」


「え?」


 あたしは彼に名前で呼ばれることに慣れずに、ちょっとどきりとする。


「やっぱりこれを預かっていてくれないか」


 振り返った彼の手には、さっきあのチンピラから没収した三本の小さな瓶があった。


「思ったより匂いがきつい」

 と、東城は言いながら顔を横に背ける。


さっきから鼻が効くとか、匂いがどうとかいうけど、探偵的な直感が働くという意味ではなかったんだろうか?あたしは不思議に思ってその瓶を嗅いでみる。


 中に入っているのが何の液体かわからないけど、別にこれといってきつい匂いはしない。


 あたしは東城の鼻が良すぎるんだと思いながらも、とりあえずその瓶を三本受け取った。東城はそれを見ると、ふっと体の緊張を解いたように息を吐いてから、さっさと廊下へと姿を消した。


 そしてあたしがその瓶に入った液体が何だったかに気付いたのは、大学を出る直前のことだった。

9. 人生謎だらけ


 東城の計画を遂行するために、母校である第一中学校に向かった一花。しかしそこで、思いもよらない展開に。どうしてこんなことに、と何度も自問する一花だが、

 ......まあ、人生謎だらけってことだ。

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