4. 依頼人がやってきた
「血液探偵事務所?」
思わず声を出して読んだ。そしてくるりとカウンターの〝東城さん〟を振り返る。
「何ですか、これ」
すると彼は少し眉を上げて当然のことのように言った。
「ああ、言わなかったか?ここは、午後1時から7時までは喫茶店、そして8時から10時は探偵事務所として営業している」
「は?」
あたしは呆然と彼を見つめた。探偵事務所?
「あの、そんな話一言も聞いてないんですけど」
「そうか。なら今言った」
彼は飄々として返した。あたしは彼の態度に唖然としながら、思うより先に言葉が口をついて出ていた。
「ちょ、ちょっと待った、いくらなんでも勝手すぎるわよ。そりゃ元はと言えば悪いのはこっちだけど、いきなりそんなこと言われたって、何なの、この......〝血液探偵事務所〟って」
かろうじてそのおかしな言葉を繰り返す。かなり変だ。意味がわからない。でも東城はそんなあたしに面倒くさそうに説明した。
「もう一度言うが、うちはカフェ兼探偵事務所なんだ。カフェは昼の顔、探偵事務所はもう一つの秘密営業だ」
秘密営業の探偵事務所……?
「探偵事務所って、シャーロック・ホームズとか金田一少年とか、江戸川コナンとかそういう探偵?つまりあなたって実は私立探偵なの?」
「まあそうなるな」
「じゃあ事件を解いて人助けしてるの?あなたが?」
「ああ」
彼は洗浄機から取り出した白いマグカップを、汚れがないか検証するように目を細めて眺めた。
……仕草はちょっと渋くて探偵っぽいかもしれない。でも言動からすれば、事件を解き明かす探偵より、謎の犯人、悪の怪盗のほうがずっとお似合いだ。
「私立探偵なんてますます怪しい。それになんで〝血液〟なの?〝血液探偵事務所〟なんてB級ホラー映画みたいなネーミングはどこから?」
彼はあたしの例えに顔をしかめながらも答えた。
「赤十字社の献血に事務所が関わっている」
どうしてまた献血なのよ、とあたしが質問しようとすると、反対に東城が口を開いた。
「いろいろと疑問があるようだが、どちらにしろ君には探偵事務所のほうも手伝ってもらう。つまり探偵の助手、ワトソン博士ってところだ。了解?」
ワトソン博士なら知ってるわよ。でも彼だってこんな探偵の右腕にはなりたくないでしょうね。
「全然了解じゃない」
「往生際が悪いな。働くと言っただろ」
「やらないと串刺しだってまた脅す気?」
「かもしれない」
「警察に行ったっていいのよ」
「そんなことをしたって意味ない」
「あっそ」
あたしはそこで一回相手の顔を伺い、わざとらしくポケットからスマホを取り出すと思い切って言ってみた。
「あたしはそうと決めたら本当にやるわよ?番号はもうかけたから、あとはこの通話ボタンを押すだけ。いい?あたしの知り合いに警察側の人間がいるの、あんた達の御得意の買収も脅しも通用しないわよ」
でも彼はあたしの予想していたものとはまるで違う反応で、その言葉に思いもよらなかったように目を丸くした。
「買収?」
あたしが慎重に頷くと、しばらくたって意味を飲み込んだように、彼は突然笑い出した。
「ああ、そういうことか!つまり僕が暴力団か裏組織の一員だとでも思ったのか?」
そこでまた彼は一笑いしてから「君、発想が面白いな」などと呟く。
……え?
「何よ、じゃあ違うっていうの?」
てっきり裏の組織の人間と警戒していた私は爆笑している彼の顔を見て拍子抜けした。
「残念だけどね。探偵が暴力団なんかとかんでたら話にならないだろ?」
「わかんないわよ、そういうふざけた探偵だっているじゃない。現にこのか弱い女子高生を脅したりして」
「あれは脅しじゃなくて忠告だ。僕だってできれば君を傷つけたくない」
ん?あたしを傷つけたなくない?
「だけどうちの店長はそうもいかなくてね」
彼は面倒くさそうにふっと息を吐く。
「きまぐれで、怒りっぽくてその上頑固だ。やるとなったら徹底的にやるし、それは誰にも止められない。君が昨日バラバラにした壷、あれは店長のお気に入りのコレクションだった。自分の宝物がどこぞの小娘によって葬られたと知れば激怒じゃすまないだろう。彼が君にどんな罰を与えるかなんて想像もつかないが」
東城は言い聞かせるようにあたしに言った。店長は、絶対に怒らせてはならない存在のようだ。あたしの想像力は恐ろしい方向に膨らんでいく。
「だから僕はそうならないように君に忠告してるんだ」
「あたしを守ってくれるってこと?」
「ああ。店長が帰ってきたときに罰の代償として君がちゃんと働いていれば彼の気も紛れる」
「だから探偵事務所の助手もやれって?」
「そうだ。女子高生の探偵助手となれば店長も面白がるし、喜ぶだろう」
「悪趣味ね。というか変態?」
とあたしが眉間に皺を寄せると、彼はすっと人差し指を立てた。
「店長の前でそれを言わないように」
「でも、ますますあなたの正体がわからないわよ。探偵って言ったって実際にどんなことをするの?……金持ちのおばさんが失くした指輪を探すとか、どこかの旦那さんの浮気を尾行調査するとか?」
あたしが少し小馬鹿にしたように言うと、彼はすっと真剣な表情になる。
「そんな仕事は入ってこない。ここは知る人ぞ知る秘密営業の事務所で、余程困っていないと探し当てられない。あとはうちの大学で僕が表向きとしてやっている探偵サークルで軽いものは取り扱っているが」
「えっ大学?あなた学生なの?」
あたしは思わずその意外な言葉を繰り返す。
容姿こそ若いけどこの落ち着きようからして二十代後半だと踏んでいた。何しろこんな怪しげな奴に大学生という平和なご身分は似合わない。
「学生だと何か悪いのか」
東城は学生っぽくない口調でそう言いながら、ポケットから名刺サイズのカードを出してあたしに見せた。
紛れもなく、それはこの近くにある星那学園大学の学生証だった。証明写真の横には文学部二年 東城聖 とある。どうやら本当らしい。それに星那学園と言えば都内でも指折りの結構いい大学として知れているところだ。
「二十歳にしては、いやに落ち着き払ってるわよね。どういうわけ?そんなに若い私立探偵なんて」
あたしが疑うように見つめると、東城はなんとなく話を切り替えるように学生証をしまった。
「まあ僕の歳なんてどうでもいいことだ。とにかく探偵事務所で仕事をするにあたって、君は僕の言うことに全て従ってもらう」
「全て従う……」
本当に大丈夫なのだろうか、こんな探偵の助手なんて。彼が学生証を見せてくれたことにより少しは安心できたけど。まだこの人を根っから全て信じきるわけにはいかない。
「そういえばあなたって家族いるの?」
あたしが手始めに身近な質問をすると、彼は明らかに面倒くさそうな顔をした。
「なぜここでそれを聞くんだ」
「だって、もし本当にそんな仕事するなら、まず助手としてついていく探偵の身分を知っておきたいでしょ?あなたっていろいろ怪しいんだもの」
「いいか、君にとって僕は信用ならないだろうけど、頼むから信用してくれ。店長から君を守る為だ」
「日本語がおかしいわよ。大体その店長って今はどこにいるの?」
「他の用事で出かけてるんだ。君には関係ないだろ」
「大ありよ、その気まぐれで怒ると怖い店長って何歳ぐらいの人?この店を始めた人なの?どうして串刺しにするなんて脅したの?」
「だから要するに父さ……いや店長はこの喫茶店と事務所を法に則って運営してるだけで、暴力団でもマフィアでもない」
「父さん?今父さんって言いかけたわよね?」
彼が一瞬言いかけた言葉を、あたしは見逃さなかった。
「つまり、あなたってここの店長の息子なのね!親子でカフェ経営と探偵事務所?」
畳み掛けるように問うと、東城はそこであきらめたように大きなため息をついた。
「君と話してると疲れるな……ああそう、店長は僕の父さんだ。でもあまり口外しないでくれ」
そういうこと。だから東城は親の怒りが爆発したときのことをよくわかってるし、彼の不在時にもずっと店番してるわけね。少し関係が見えてきた。
「じゃあお母さんや兄弟は?」
あたしが会話の流れで軽く聞くと、東城はすぐに答えを返さず、その存在をまるで今思い出したように独り言をつぶやく。
「母さんか……そういやどうしただろう」
「え?」
「数十年前から母さんは見てないな」
「数十年?」
ってことは彼が幼い時にいなくなったってこと?これはちょっと込み入った事情がありそうだ。
「兄弟はおそらくいない。少なくとも血のつながった兄弟は」
「え?……そ、そうなの、ふーん」
これについては深く聞けない。案外苦労してるんだ、彼も。家族関係がこうもこじれていては彼が無愛想になるのも仕方ないのか……と思ったそのときだった。
「依頼人が来たようだな」
東城がふっと顔を上げて言った。
えっ依頼人?この「血液探偵事務所」に?助手に任命された途端に初仕事ってこと?
突然のことにびっくりして身を固めていると、後ろの喫茶店のドアが開いてちりちりと鐘の鳴る音がした。
ほんとにこんな奴のもとに駆けこんでくる人なんているんだ。もしかして闇のブローカー?スパイ?はたまた大金持ちの未亡人?それに一体どんな事件を持ちこんでくるんだろう……?
あたしはそう思いながらおそるおそるドアのほうを振り返った。
が、そこにはごく平凡な見た目の男子中学生が一人立っていて、急いで走ってきたのか荒い息をついていた。
「あの、け、〝血液探偵事務所〟......」
次回、5. クラスのあの子は最近おかしい
なぜか探偵助手もすることになってしまったあたし。なんと「初めての依頼人」は中学生の男の子。彼の持ち込んだ依頼は何やら不可思議な点が多く—————