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ワケありイケメン探偵にこき使われてます「血液探偵事務所!」  作者: 宇地流ゆう
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32. バスケットボール


「————っ!」


身体中を流れるアドレナリンと共に、あたしの血脈が今までにないほどドクドクと脈打つ。


 嫌だ、怖い、誰か————!


 声にならない声で叫んだのと、何かドカッという鈍い音が聞こえたのはほぼ同時くらいだった。瞬間、なぜか今までびくともしなかった彼の手がフワッと緩む。


 何が起こったのかわからず、あたしは瞑っていた目を恐る恐る開いてみた。


 何となく、間一髪でヒーローが現れたんではないかと期待していたあたしは、(それがまるでヒーローという言葉の似合わない東城聖であれ何であれ)横に転がるバスケットボールを見たときには「ん?」と思わず眉を寄せた。


 そのなんの変哲もないバスケットボールを呆然と見つめていると、更にもうひとつのボールが砲丸のごとく飛んでくる。


 見事なシュート力といったところだろうか、それは振り返って睨もうとした成田君の横顔を見事に殴り飛ばしていて、バランスを失った成田君は「ぐっ」と短い呻き声を漏らしながら、ドサリと横に倒れる。


「え?」


 あたしは自由になった身体を起こし、ボールの飛んできた方を振り返った。


 ————まさかのヒーロー登場だった。


 筋肉質な身体と比べるといささか小さく見えるボールは、彼の屈強な手によってダンッダンッと音を立てて地面を跳ねていた。その低く正確なドリブルは、彼の怒りを体現するかの如く段々と威圧感を増していく。


 続いて彼は素早くバスケットボール、というよりドッジボールのような投げの構えを見せたかと思うと、力いっぱいそれを投げ打つ。


 あのバスケ部エースが、文字通り力いっぱい投げたのだ。その腕力で放たれたボールはさっきよりも凄まじい勢いを帯び、あたしのすぐ上をひゅっと掠めたかと思うと、よろめきながら起きあがろうとしていた成田君の顔面に直撃する。誰が聞いても「痛いだろうな」と感じる鈍い音を立てて、またしても成田君は仰向けにのけぞって倒れ込んでいた。


 今の今まで絶対的な優位に立ちながら余裕の笑みを浮かべていたあの詐欺師のような吸血鬼が、見ているこっちが可哀想とさえ思えるほどに、三つのバスケットボールを喰らって力なく倒れているのだ。


「うわー……」


 そんな成田くんを眺めながらも、素直にその腕力とボールコントロール力に感心してしまう。


 何といったって、人間より力の優れたあの吸血鬼を寸分の狂いもなく、木の杭でも、ニンニクでも、十字架や聖水でもなく、まさかのバスケットボールで物理的にぶっ倒したのだ。さすが吸血鬼ハンターの末裔というべきか……


「言っただろ?タイミングを見計らえと」


 と、本多君の後ろから聞き覚えのある冷静な声がした。


「そうですね。バスケでもタイミングは重要ですし」


 本多君が同意するように呟いたその後ろには、いつものように無表情で腕を組みながら、屋上の入り口の陰に隠れた東城聖がいた。


 開け放たれている扉の奥には、体育館から借りてきたらしいボールのたくさん入ったネットが見える。3発で足りなければ何発でも打つ気だったらしい。一体、いつの間に……?


「す、すごいです。流石です、本多君」


 と感嘆の声を漏らしながら、東城の背中からひょこっと顔を出した三つ編みの少女も、


「ほう……こんな吸血鬼退治の方法があるとは、知らなかったですね。勉強になりました」


 と眼鏡を光らせているせいで表情の見えないおかっぱの少女も、


「いや、これは一種の特例かと思いますが」

 と同じく眼鏡をクイっと上げてそれにツッコむ少年、


「す、す、すごいですね、東城さんの言ったことも本当でした」


 と東城を見上げるひょろっとした男子生徒も、みんな見覚えのある面々だ。


 あたしはそんな彼らを見て、強張っていた身体がふっと緩まるのを感じる。が、そちらに声をかけようとした時、あたしの横で「いてて……」と呻きながら成田君がむっくり起き上がった。


「まったく、酷いよ顔面を狙うなんて!この綺麗な顔に傷がついたらどう責任取ってくれるんだ」


 と、彼はあざとい半泣きを見せながら、頬をさすっている。しかし、普通の人間なら鼻の骨が折れるか、少なくとも鼻血は出ていたであろうあの衝撃を喰らいながらも、彼のその綺麗な顔には一片の傷も見当たらなかった。


「心配するな、そうそう傷つけられるものではない」


 東城の冷めた声が聞こえた。彼は日差しを避けるように、屋上の入り口の上に迫り出した雨よけのコンクリ屋根の下で、壁に寄りかかりながらこちらを見ていた。


「これはこれは、噂に名高いレオン様!」


 成田君————いや、もはや今となってはそれも仮名である可能性が高い彼は、東城を見てわざとらしく眉を上げた。


「それにしても本当に冗談の通じない陰気臭い王子様だね。そんなんじゃモテないよ?」


 ふーっと成田君はため息をついて肩をすくめる。でも成田君は前から東城のことを知っていたのだろうか?知っていて、本多君に吹聴していたのだろうか?でもなんのために?


 まだ解けない謎を頭の中で考え始めたとき、成田君がふと残念そうにあたしを見つめているのに気づいた。


「でも惜しいな……、あとちょっとで一花ちゃんの血をいただけるところだったのに」


 あたしは再び身を固まらせる。この状況では流石に手を出すようなことはしないと思ったが、その余裕な笑みを見るとまだ緊張は解けない。


「お前の蒔いた餌に僕がそのまま誘き寄せられるとでも?」


 東城は成田君を冷ややかに見据える。


「いや、まさか一花ちゃんが君の探偵助手だったなんて僕も知らなかったんだ。全く、絶好のチャンスだったのにな……純吸血鬼のレオン様にとってこの晴天の屋上で僕とやりあうなんて自殺行為でしょ?」


「東城さんはお前よりお前の習性を把握している。ギリギリまで待っていたのはこのためだ」


 と凄みのある厳しい声で制した本多君は、怯えていた頃とは打って変わって、まるで仁王のような気迫がある。


 ……え?ちょっと待って。ギリギリまで待っていた?


「はは、まさか僕が牙を立てる瞬間は獲物に気を取られて周囲が見えなくなるってわかってたんだ?」


「吸血鬼の習性を吸血鬼が把握していないわけがないだろう」


 と、東城が低い声で返すと、その横で反対に高い声が上がった。


「そうか!その手があるんですね。確かに、吸血鬼がもう獲得した獲物を襲う瞬間はそれ以外のことが見えなくなり、一瞬の隙が生まれる———すなわちそれを利用して背後から木の杭を刺すというのはかなり実用性のある手段かもしれません」


 と、丸山さんは興奮したように言いながら、手元のノートにメモしている。


「ちょっと待って。あたしが襲われてるのをみんな陰で黙って見てたってこと!?」


 あたしは先ほど自分の経験した恐怖を思い出しながら言うと、


「結果、功を奏した」


 と東城は飄々と返す。


 あたしは彼の通常運転ぶりに呆れながらも、何となく、そのブレない態度と姿勢に一種の安心感さえも覚えていた。特に、成田君の豹変ぶりを目撃した後では。


「と、と、とにかく、無事でよかったです、真田さん」


 と、細谷会長が少し安心した面持ちで言った。しかし本当に安心するにしては、成田君とあたしの距離と比べて、あたしと東城たちとの距離が離れすぎている。これでは、今からでも強剛手段を取るかもしれない成田君が、あたしを人質に取る可能性はまだ消えていない。


 あたしがそれに気づくやいなや慌てて立ちあがり、東城達のほうへ駆け寄ろうとした時だった。案の定、あたしは成田君に腕を掴まれて、ぐいっと引き戻される。


 咄嗟に目の前にいる東城に助けを求めようとしたが、彼はその陰から動く気配は全く見せず、無言でこちらを眺めている。


 う、嘘でしょ?


 いくら日光が苦手だからと言って、なんて薄情な探偵なんだと思った矢先————それまで東城の隣で仁王立ちしていた本多君が、まさに悪鬼を成敗するかのごとく眩しい日差しの中へ躍り出て、今度はもっと直接的な方法で、成田君をぶっとばした。


 凄まじいアッパーを繰り出した彼の拳は、空に高く突き上げられて勇ましく輝いている。その下顎直撃のダメージに耐えられるはずもなく、フラついて後退りする成田くん。


 ……ヒーローだ。


 その姿に目を見張りながらも、あたしは思わず心の中で呟いた。うん、かなりピッタリの表現だ。


 なおも日陰から冷めた目でこちらを見る東城と、日差しの中で「どんとこい」と言わんばかりに成田君からの反撃を受けて立つような姿勢の、正義感に満ちた眩しい本多君を見比べた。


 これが吸血鬼ハンター、すなわちヒーローの姿であり、対となる吸血鬼、すなわちアンチヒーローの姿なのかもしれない。


 ————しかし、なぜ今回の事件において最大のヴィランとなった成田君が、平気で青空の下にいられるのか、また人間のように食べたり飲んだりできていたのか、その詳しい解明は全てが落ち着いてからになるだろう……



次回、第6章 「避暑地の恋」

33. 還された指輪


 還された指輪、返されたテスト結果。夏本番、果たして真田一花の夏休みは補修まみれと化すのか、それとも鬼上司のせいでバイト三昧と化すのか———?

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