31. 本当のSOS
恐る恐る彼の様子を伺うと、成田君はあたしにドン引きしている様子ではなかった。
その代わり、彼は考え込むように地面の一点を見つめながら、ぶつぶつと低い声で何か呟き、アイスを持った手を微かに上下に揺らしている。
あたしは不審に思いながらも、成田君の呟いている言葉に、必死に耳を傾けた。
「指輪、探偵事務所、オカルト同好会、東城聖、本多……」
微かに聞き取れたのは、そういった言葉の羅列だった。それに対して何か聞こうと、「あのー、成田君?」と口を開きかけた時だった。
成田君が突然「ああ!」と大きな声でいきなり叫んで顔を上げたので、あたしは驚いて飛び上がった。
「そっか、そういうことか!なるほど」
成田君は、何か閃いたように言いながら、今までの短い考察タイムに休止符を打つように納得の顔で何度か頷いた。それから、パッと明るい顔であたしの方を見る。
「と、いうことは」
「え?」
「君、東城聖の新しい探偵助手?」
「え?えっと、な、何でわかって…?」
成田君がいとも簡単にその言葉を口にしたので、あたしは戸惑いを隠せない。
「じゃ、僕ってやっぱり天才かもしれない」
成田君はそう言ってなぜか嬉しそうに自画自賛したので、あたしは眉を寄せる。
「……?」
「だって、君のこと知らずに君に近づいたんだから」
成田君はそこで、今までの爽やかな表情から一転、ニコリと不敵な笑みを浮かべ、食い入るような視線であたしを見つめた。
この表情、この目、確かに見覚えがある。蛇が餌を捕らえる隙を窺うような、不気味な瞳————
「じゃあ、これって絶好の機会だよね?君を使って東城聖を誘き寄せられる」
成田君は企むような笑顔でなおもあたしを見つめる。あたしは状況をはっきり把握できずに、ただ身を固まらせる。
どういうこと?おかしい、成田君が?成田君に限ってそんなことはない。だって、人間の食べ物を普通に食べるし、こんな天気のいい屋上に平気で出られるし、晴れは気持ちいいって……。
『少なくとも、紫苑は吸血鬼じゃない』
本多君の言葉が頭に響いた。そう、成田紫苑は吸血鬼じゃない。あたしが見てきたあらゆる証拠がそれを裏付けている。でもあたしの防衛本能は、確かに警鐘を鳴らしてアドレナリンを流している。
それは理論とか証拠とか、頭の中で考えていることを全部無視して、「逃げろ」と叫んでいるみたいだった。自然と鼓動が早くなるのを感じながら、静止してしまった脳に呆然としている時だった。
あたしはいつの間にか屋上の地面に倒れて、両手首が上から押さえられている。持っていたはずのアイスはあたしの横にボタっと落ちて、照りつける太陽で熱くなった地面の上で、見る見るうちに溶け出していく。
1秒前まで、成田君は向こう側に座って、同じくアイスを手にしていたのに、あたしを組み敷いた彼は嫌な感じの笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
「え……」
思わず小さく声を漏らすと、彼はいかにも悪の吸血鬼っぽい表情を浮かべながら、その半円を描いた口に白い牙を光らせていた。
「いつ君の血をいただけるかずっと伺ってたんだ」
「な、何言って……」
「君の首筋に痕をつけたら、きっと彼怒るだろうね」
ふふ、と不適な笑いをこぼす彼を見つめながら、あたしはようやくこの絶望的な状況を理解した。
ああ、もっと早く気づいてSOSを出すんだった————
東城がSOSを出した時はすぐに駆けつけてあげたけど、今回も彼は絶妙なタイミングで現れてくれるのだろうか?ヒーローが危機一髪でヒロインを救うのはお決まりの展開だが、本当にそんな上手いことが何度も起きるだろうか?
「な、何で…」
この状況に陥ってしまった最大の原因は、彼は人間だと今の今まで信じてしまっていたこと————
「何で僕が吸血鬼なんだって?ま、当然の疑問だよね」
なおも余裕な笑みを浮かべてあたしを見下ろす成田君は面白そうに言った。
「絶対にバレたくなかったんだ。吸血鬼なんて損なことしかないし。僕がどんなに人間になりたかったか、君にはわからないだろうね……だからこの指輪をずっと探してたんだ」
成田君の首から下がった細いチェーンの先に、その金の指輪は揺れていた。目の前で輝くそれを見つめるうちに、パズルのピースがひとつずつはまっていく。
「吸血鬼ハンターの家宝の指輪には、特別な付加価値がある……」
無意識にそう呟くと、彼はふと眉を上げた。
「それって東城聖の推理?まあ、この指輪自体架空の伝説みたいなものだからね、彼が気づけなかったのも無理はないよ」
「……本多君のこと、騙してたってこと?この指輪のために、本多君に近づいたの?」
「まあ、そうなるね。本多には悪いけど」
成田君は何ともない表情でさらっとそう言ってから、「それより」とあたしの方に顔を近づけながら言った。
「東城聖が来る前に君を味見しておかないと」
成田君はあたしの顔のすぐ横で、低く囁いた。
「い、いや……!」
あたしは必死に彼の手を振り払おうとしたが、人間より身体能力の優れる彼らである。その青白い手はびくともしなかった。
と、彼の口元が首筋に近づき、吐息が肌に当たる。それから、何か小さく鋭いものが肌を掠めるのを感じる。
「————っ!」
身体中を流れるアドレナリンと共に、あたしの血脈が今までにないほどドクドクと脈打つ。
嫌だ、怖い、誰か————!
次回、32. バスケットボール
あたしは彼を助けてあげたというのに、この絶体絶命のピンチに、東城はあたしを助けてくれなかった———




