30. インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア
「いいか、歴史は常に勝者と権力者によって綴られているということを忘れるな」
今までどんな歴史の先生からも聞いたことがない、格言のような台詞から勉強会は始まった。そして、そこにはあたしが予期していなかった参加者も数人加わっていた。
「世界史なんて簡単じゃないですか。赤点を取る方が難しいですよ」と言うのがこのオタク集団の共通の認識だったため、もちろん東城の勉強会はあたしのために開かれるものと思っていた。
が、なぜか彼らはちゃっかりノートと教科書を持って、キャッスル・ブランに集まり、私よりもやる気に満ちた姿勢で、目を輝かせながら東城の次の言葉をうかがっている。
まあ、400年生きた吸血鬼が直々に自らの見た歴史を語ってくれるのだ。世界の暗闇に隠された謎とオカルトを何よりも愛する彼らにとって、絶対に見逃すわけにはいかない一世一代のチャンスだ。
「綴られたものが全て真実とは限らない。実際君たちの教科書に記されているものも、事実に比べれば氷山の一角にも過ぎない。例えば、コロンブスがアメリカ大陸を“発見”したと書かれているが、それはあくまで欧州の植民地主義者たち、いわば領土と交易の拡大を目論んだ支配者側の視点にすぎない。アメリカ大陸にはるか昔から住んでいた先住民からすれば、彼らは単なる略奪者だ」
と、東城が今回の範囲の世界史を根本から説明し始めようとした時、熱心に聞いていた桑田さんが興奮したように手を挙げて聞いた。
「あ、あの、その頃レオン様はどこにいらっしゃったんですか?確かレオン様が生誕なさったのは、十七世紀の後期であると専門の研究書で拝読したのですが」
東城はキラキラと目を輝かせて見つめている彼女を一瞥し、冷ややかに言う。
「……僕の歴史を教えるとは一言も言っていないが」
「で、でも、お父様であるヴラド3世がオスマン帝国の侵略からワラキア公国を守ったあとも、東ヨーロッパでは緊張状態は続いていましたよね?西側諸国が植民地を拡大する中、東欧の国々はどうしていたのでしょうか?それから中世ヨーロッパを語る上では外すことのできないペストの流行も……」
桑田さんの口からスラスラと出てくる、世界史の授業で聞いたことのあるようなキーワードの多さに、あたしは感心する。
なるほど、世界史が彼らにとって苦ではないのは、こういうことだったのか。元から記憶力や情報整理能力の高い近藤君、世界の歴史に記録された心霊現象を追う細谷会長も、一旦突き詰めるとなったらどこまでも追求する丸山さんも、例外ではない。
桑田さんのオタク特有の早口で語られるかなり正確そうな中世ヨーロッパ史と「レオン様」への並々ならぬ興味に、流石の東城も何となく気圧されたのか、かなり面倒そうな顔をして答えた。
「まあ、それが君たちのテスト勉強になるというなら簡易的に話してやってもいいが…。あまり公表するものではないし、解ってはいるだろうが、他言は禁止だ」
と、東城は前置きしてから、正体を偽って中世ヨーロッパの諸国を旅して回っていたこと、それから父であるヴラド3世の名で、他国の吸血鬼達やクラン(いわゆる族や組のようなもの)との間で外交官的な役割を担っていたことを大雑把に話してくれた。
あたしはそれまで知らなかった東城の歴史を聞いているうちに、いつの間にか彼の話に夢中になっていることに気づいた。この東城の勉強会(というより特別吸血鬼インタビュー大会————どこかでそんなヴァンパイア映画を見た気がしたが)は、成田君との先日の勉強会とは比べ物にならないほど面白く、あたしの好奇心を刺激する体験となった。
◆
「一花ちゃん!」
と、後ろから聞き覚えのある声があたしの背中にかかった。振り返ると、そこには何となく拗ねたような表情を浮かべた成田君が、廊下の向こうから私に駆け寄ってくるところだった
「全く、この前昼休みに勉強会をしようって言ってたのに、あれから全然君を見かけないからさ。もしかして僕、避けられてる?って思っちゃったよ」
拗ねたような顔をして言う成田くんに、あたしはどう返答していいかわからず、苦笑いをこぼす。
「そ、そんなことないよ」
「本当?一花ちゃんって相変わらず読めないなあ。ま、そんなところが好きだけど」
と恥ずかしげもなく言ってのける彼と、周りで少しざわつき始める女子達の目線に、あたしは早くも居心地が悪くなる。
「で、テストはどうだった?僕が教えてあげなくても、点は取れたのかな?」
視線が定まらないあたしに、成田君は少し身を屈めて優しい声をかけてくる。
「えっと…」
テストが始まる前の金曜日、本多君にはああ約束したけれど、やはりテストが始まってからは、成田君に直接会って確かめるまでの余裕はなくなってしまった。
しかし、文系のテストがひと段落し、あとは得意な理系のテストが残るのみ。向こうから声をかけてくれたことはある意味チャンスかもしれない。
「まあまあかな」
と私は言いながら、ついさっき終了した世界史のテストを思い返す。今回の世界史のテスト勉強にかけた時間と、実際の成果は納得のいく比率ではなかった。
むしろ、東城の話に夢中になりすぎて、テストで問われる年号や固有名詞をほぼ覚えていなかったのは最大の落とし穴。まあ、夢見ていた学年上位入りは残念ながら夢で終わるだろう————
「その顔、あんまりできなかったって感じ?」
成田君はあたしの反応を見て言った。
「まあ、終わったことは終わったことだよね。理数系のテストを頑張るしかないかな」
私が笑って言うと、成田君はどこか心配するような顔になって言った。
「ね、一花ちゃん。最近、心ここに在らずって感じだけど、何かあったの?」
言われたあたしはちょっとびっくりして成田君を見上げる。どうしてあたしの最近の様子の変化を知っているんだろう。
「ど、どうして?まさかずっとあたしのこと見てたとか?」
あたしは冗談めかして言ったのに、成田君は例の王子様スマイルで爽やかに「うん」と答えるのである。
「もちろん、遠目から見てたよ。話す機会がなくても、好きな子を追うのって普通でしょ?」
あたしは次の言葉が続かなくなって、彼を見つめる。
……いや、その爽やかさと、当然のような態度で辛うじてカモフラージュしているが、冷静に考えればただのストーカーだ。
「あっそうだ!テストも前半戦が終わったところだし、ちょっと気分転換しない?大丈夫、こないだみたいなことはしないからさ」
成田君はまた何食わぬ笑顔でそう言う。周囲がまたざわつき始めたので、あたしは生徒達の間で変な誤解が生まれぬよう、できるだけ軽く笑い飛ばした。
「はは、それじゃかなり語弊があるよ。こないだはただの勉強会だったし。とりあえず場所変えて話さない?」
とあたしは精一杯弁明しながら、とりあえずこの場を離れようとしたが、成田君を別の場所に誘うことで更に疑念が深まるということは言ってから気づいた。しかし成田君は相変わらず能天気で、「うん、そうだね」と笑ってあたしに賛同していた。
アイスやお菓子を買って、のんびり屋上で「ミニピクニック」をしよう、と言うのは成田君の提案だった。もちろん彼は購買で全て奢ってくれて、それを持ってあたしたちは学校の屋上に出た。
途端、夏の暑さと湿りを感じる空気が肌を撫でる。ひらけた屋上から入道雲が見え始める晴天を仰ぐのは、気分転換にはもってこいな場所だった。
あたしは微かに通り抜ける風に、束の間の心地よさを感じてふうっと息を吐いた。
———ここ最近はずっと気を張りっぱなしだったし、確かに成田君のこの提案は気の利いたものだった。
「もう夏だね。あっ蝉が鳴いてるよ」
成田君は子供のように嬉しそうに言いながら、同じく夏の風に気持ちよく身を委ねているようだった。まったく、あたしを単純呼ばわりしていた本多君に、あんたの友人の成田君こそ単純なんじゃない?と言い返してやりたい気分だ。
「晴れの日って本当に気持ちいいよね。それから夏のアイスもまた、正義」
成田君はそう言って、先ほど購買で買ったアイスを袋から出し、ニカっと笑いながらあたしに手渡した。
「ほら、溶けないうちに食べよう」
この自然な優しさは、確かにモテる男の成せる技だった。東城もいくらか成田君を見習ってほしいものだ、と心の中で呟く。
「テストが終わったらまたミントローズに遊びにおいでよ。いっぱいご馳走するから」
「はは、成田君といると太りそうだな」
あたしは自然と笑っている自分がいるのに気づいた。成田君はそんなあたしをじっと見つめるようにして、
「一花ちゃんの笑顔のためなら何だってするよ」
と半ば囁くように言う。あたしはまたその熱のこもった真っ直ぐな視線をどう受け取っていいかわからず、ぎこちなく目を逸らした。
「えっと……」
気づくと成田君の手が伸びてきて、あたしは思わず体を固まらせた。デジャブかと思うほど、この状況に覚えがある。
あの時は成田君にキスを迫られて……。あたしが身構えるような姿勢を取ると、成田君はパッとその手を離して、代わりに気まずそうに笑った。
「はあ、駄目だな。よくないってわかってるのに、一花ちゃんに触れたくなっちゃうんだ。さ、座ろ。お菓子もいっぱいあるし」
気を取り直したように言いながら、成田君は屋上の地面に座り込む。と、ちょうど身を屈めた彼の白いシャツの間から、きらりと光る金の指輪が目に入る。
青春映画の一場面のような素敵なシーンから一転、ジェームズボンドのテーマ曲のような音楽が脳裏に流れ始める。
あたしが高校生活を彩る色恋や青春を全て逃して、前途多難な学生生活を送っている理由はこれだ。
ミステリー、怪奇、サスペンス、スリル、アクション。素敵なロマンスより、いつの間にかそっちに気を取られている。
成田君に今度こそ真実を聞き出す絶好のチャンスを逃すまいと、あたしはその隣に座り込んで、棒つきアイスを齧りながらそれとなく口を開いた。
「あのさ、成田君って本多君をいつから知ってるの?いや、指輪をプレゼントするくらいだから結構仲がいいのかなって。まあ、そう言う意味で送ったんじゃないかもだけど」
「また本多の話?他の男の話されると嫉妬するなあ。それに僕と本多はそういう仲じゃないよ。僕は完全にストレートだから」
成田君はチョコレートアイスを齧りながら言った。これ以上本多君の話を出すと余計に怪しまれそうだ。あたしはなんとか違う切り口を探した。
「あの……突然だけど、成田君て、その、オカルトとか好き?」
「え?オカルト?ああ、君の入ってるオカルト同好会のこと?」
「うん、まあ」
「よくわからないけど。一花ちゃんはオカルト同好会でどんなことしてるの?」
成田君がこちらを見つめてさほど興味のなさそうな顔で聞いた。あたしは思い切ってその単語を口にしてみた。
「あ、あたしね、かなり変に思われるかもしれないけど、そのー、『吸血鬼』に興味があって」
成田君はその言葉にピクリと反応したように見えた。が、次の瞬間には、彼はきょとんとした顔でこちらを見つめながら聞き返す。
「え?吸血鬼?」
あたしの手に微かに汗が滲む。成田君はまるでどこから切り込んでも確かな感触が得られない空気のようで、こちらの詮索が通じない相手だった。というか、疑うことすらおかしく思えてくるほどだ。
でも————本多君と金曜日に話した時、確かに本多君は成田君の口から吸血鬼について聞かされていて、彼が東城を疑い始めたのも、もしかしたら成田くんの吹聴かもしれないのだ。
「あの、本多君がオカルト同好会に在籍してた時、吸血鬼について専門的に調べていたらしくて。それで、こう言っちゃなんだけど、つい最近、そんな馬鹿げた迷信も、よもや迷信ではないかもと思うようなことが次々と身の回りで起こったんだよね」
思い切って半ば本当のことを打ち明けてみた。本多君が言っていたことが嘘で、成田君が吸血鬼の存在を知らない普通の男子校生なら、ここでドン引きして、あたしへの好意も失せるところだろう。
でも、あたしが本多くんと話したことを東城に報告すると、彼は思案げに考え込み、「成田紫苑について詳しく調べる必要があるな」と言っていた。
それからというもの東城から音沙汰はなかったが、成田君を警戒するのは十分に合理的な判断だ。
吸血鬼関連と指輪事件に成田君が何かしら関与しているのは間違いない。ただ、彼は何も知らないことを装っているだけなのか、本当に自覚がないのかはわからない……そう思いながらあたしは恐る恐る成田君の様子を伺った————
次回、31. 本当のSOS
そう、これこそ本当の「SOS」だったのである。




