3. 聖くん、今日のオススメは?
「ツボの弁償代を払えこの野郎〜!!!」
「わああああ待ってください、今金継ぎしてますから!!絶対美しく直しますから!」
必死に言い訳しながらツボの破片を集めても、その鬼の形相の「店長」は容赦無く迫ってくる。その恐ろしさに遂にそれを諦めて逃げようとした途端。
突然、耳元でコンコン、と机を叩く音がした。
「ひゃっ!」
思わずびっくりして起き上がり、変な声を出してしまう。
と、そこには鬼の形相の男も、壊れた壺の破片もなく、いつもの教室。周りの生徒はあたしの間抜けな声にクスクスと笑っている。
「昨日と同じことを繰り返したな、真田」
「そ、そのようですね」
「明日も寝ていたら、その時はどうなるかわかっているだろうな?」
「ぺちゃんこにされて、串刺しですか?」
しまった、思わず口をついて出てきちゃった。
「……? 欠席扱いにする。それで単位を失えばまあ刺された気になるだろうな」
先生は顔を顰めながらも、そう言って横を通り過ぎたので、あたしは肩をすくめてシャーペンを取った。全く冗談じゃない。
授業の終わりの鐘が鳴ると、真っ先にあたしの前にとんできたのは、幼馴染の徹也だった。
「ごめん、一花!昨日お前が寝不足なのはこないだの捜査のせいだよな。いつも事件に巻き込んじゃって、ほんと申し訳ない」
まあ今日の寝不足は明らかに昨日の出来事が関わっていると思うけど……
「そんなのいつものことよ。でもお礼なら今日のお弁当もらってあげてもいいけど」
あたしはそう言ってニヤリと笑って見せた。
そう、この倉橋徹也は警視庁で働いている倉橋刑事の息子なのだ。
それで彼は将来の勉強のためといって、このあたりで起きる様々な事件を、父の話を聞きながら勝手に考察している―――とカッコイイんだけど、実はそれにはあたしの協力も結構含まれている。
でも親友のため、事件解決のためにこの町を走り回るのはあたしにとって嫌でもなんでもない。むしろ、そうやって「事件の匂いがする場所に首を突っ込む」のが意外と面白いので、あたしとしては大歓迎ってわけ。
「お弁当、今日一個しか持ってきてねえよ」
徹也は頭を掻いたが、あたしは図々しくも一昨日の報酬をもらおうと、笑みを浮べたまま言う。
「じゃあ、購買のパン。ジャムサンドは?」
「しょうがない、一花には毎回助けてもらってるからフルーツ・オレもつけてやる」
「そうこなくっちゃ」
あたしが手を叩くと、徹也はふう、と息をつく。
「そうそう」
廊下を歩いていると、徹也が思い出したように言った。
「この間さ、暴力団グループの下っ端を、親父が捕まえたって話しただろ?それがさ、ニュースにもなったみたいで、親父もかなりピリピリしてんだよ。何か裏事情持った会社と取引してるらしいけど」
「じゃ、警部が今狙ってるのはその会社と暴力団グループなの?」
「暴力団を捕まえれば会社のことはわかるだろうね」
「ふうん」
あたしが考えを巡らせながら呟くと、徹也が念を押すように言った。
「一花、今回の話はスルーだよ」
「わかってるわよ。徹也だってその事件については閉め出し食らってるんでしょ」
あたしが言うと、徹也は腕を伸ばしながら大きくため息をついた。
「ほんと、もうちょっと大人扱いしてくれてもいいのにさ」
「子供だもの、心配なのよ。お父さんも」
「よく言うよ。一花だって今だにブロッコリー食べられないくせに」
「ブロッコリーは食べられなくてもアルバイト刑事はなんなくやってるでしょ?」
「そうじゃないときもあるけどな」
あたしは肩をすくめた。そうじゃない時っていうのは、勝手に事件調査に走り回っていたあたしが、まさかのあっち側に捕まって事件をますますややこしくさせたことだ。そのときは散々怒られたし、倉橋親子に多大な迷惑をかけたけど、あたしと徹也はこっそり事件を追うのをやめられていない。
「とりあえず、子供はお家でお勉強しなさいってよ」
昼休みの購買の混雑の中で、ジャムサンドとフルーツ・オレをすくい上げた徹也が言った。
そこで、あたしは今日から一日の五時間を喫茶店でのアルバイトに費やされることを思い出した。ああ、あたしの大切なお勉強の時間が———!
「まったく、一花がそんな言いつけ聞くような優等生じゃないことくらいわかってんのに」
お金を購買のおばちゃんに渡した徹也が、あたしの手の中に二つを落とす。
「さすが。警部より徹也の方がわかってる。家で静かに机に向かってたら吐き気がしてくるもん」
◯
その日あたしが何に驚いたかって、そう、その店になんとお客さんが自然な感じで入っていくことだった。
それを見てあたしは目を丸くせずにはいられなかった。昨日はもう商売困難で潰れたと思っていたほどがらんとした店に、なんと前を歩いていた女子大生グループがキャーキャー言いながらそのドアを開けて入っていくのだ。
現代の象徴のような彼女達が、現代か現実かもわからない不気味な喫茶店へ自ら進んでいく。
おかしい。絶対おかしい。
「キャッスル・ブラン」
ふと思い立ち、試しにその名前をスマホで検索してみたが————
どこにも出てこない。公式サイトも、食べログのレビューも、SNSの投稿もゼロ。
今どきありえなないが、自然な感じで客が入って言ってるのは目の前の事実。
怪しさが増しているが、帰るわけにも行かず、女子大生たちに続いておそるおそる中に入る。
そこは間違いなく、昨日雨宿りに入った喫茶店だった。おんぼろ骨董品と協調性のない悪趣味な置物。相変わらず店内は薄暗かったけど、なんとなくその微妙な照明が喫茶店をいい雰囲気にしている。
そして昨日は人一人見当たらなかったカウンターに、さっきの女子大生が早々に陣取っていた。しかも、推しアイドルを前にしたファンのように盛り上がっている。
「いつものでお願いしまーす」
と一人が弾んだ声で言い、他の仲間も「あたしもー」と口を揃える。
「聖クン、今日のオススメは?」
「こちらのケーキセットです」
カウンターの奥にいるらしい店員の、あまり愛想のない声が入った。確かに昨日聞いた声だ。
「じゃあそれで!」
あたしは盛り上がる彼女達を横目に、隠れるようにカウンターに近づいた。
やっぱり。彼女達の熱い視線の中で、クールな顔でコーヒーを煎れているのは、まぎれもなく、昨日あたしを脅した謎の男だ。
そして彼はこちらに気づくと、ぴくりと眉を上げた。
「遅いぞ新人。奥にエプロンがあるからそれをかけろ。アイスラテとそこにあるサンドイッチを二番テーブルだ」
早口にそう言うと、手前のショーケースから今しがた注文を受けたケーキセットのケーキを素早く取り出す。昨日はがらんとしていたそのショーケースには今色とりどりのクッキーやパイ、おいしそうなケーキが並んでいる。
あたしはいきなりの命令に戸惑いながらも、とりあえず言われるとおりにした。
奥にあった黒い前掛けをかけてカウンターに出ると、青年がすぐに無言であたしの前にアイスラテとサンドイッチを置く。席に持っていけという意味だろう。
2番テーブルにそれらを持っていくと、新聞を読んでいた渋めのおじさんがちらりとあたしを見上げて、「なんだ、新人か」と呟いた。
「なんだ、常連さんか」と言いそうになったけれど、それは飲み込んだ。
この店に何人かの常連客がいることは三十分もすればわかった。だけど驚くべき事態はそれだけじゃなかった。
どうやらもう一時間近くあそこにいるのではないかと思われるカウンターの女子大生は、そこで無表情に仕事をこなす彼が目当てのようなのだ。
彼、女子大生の話からようやく掴んだ名前、「聖くん」だ。あたしからすると、警察に行こうか迷ったほど怪しげで警戒すべき謎男だが、彼女達には〝クールミステリアスの聖クン〟というアイドル的存在らしい。
確かに顔はすっきり整ってて身長も高い。黒い前掛けと真っ白なシャツがよく似合っているし、洋風な顔立ちも相俟って、フランスの街角カフェにいるバリスタのようとも言えなくない。昨日はそれどころじゃなかったけど、よくよく観察してみると女子が黄色い声をあげてもおかしくない風貌だ。
でも、ちょっとは微笑んだり口数を増やしてもいいんじゃないかなー、とあたしが「聖くん」を眺めていると、
「しっかり働けと言っただろ。5番テーブルにエスプレッソだ」
と低い声で命令される。残念なことに、命令に従うしかない。なぜこんなに無愛想で意味不明な彼にファンがいるのかは謎だ。
それから午後七時過ぎになると、ぱったりお客が来なくなった。店にいた客は全員ばらばらと出て行き、それから一時間カウンターでお客を待ったけど、人一人来なかった。
女子大生の甲高い声やコーヒーを煎れる音、おじさんの新聞をめくる音も、まるで遠い昔の出来事のように、店内は静けさに包まれている。ちょうど昨日、あたしがここに飛び込んだときと同じような状態だ。
そういえばあたしが昨日ここに来たのはたしか七時過ぎだったけど、昨日も今日と同じ状況だったのだろうか?でもこの喫茶の営業時間は十時までだし、毎日規則的に七時を過ぎると客が来なくなるっていうのはおかしい。それとも偶然?
あたしが横でマグカップや皿を水洗いしている彼を不思議に眺めていると、すかさず「手を動かせ」と命令される。
持っていた布巾でしずしずとカウンターを拭きながら、ずっと聞きたかったことを口にした。
「あの、あなたの名前って〝聖くん〟?」
彼は一瞬あたしを睨んだあと、低い声で返した。
「東城聖。東城だ」
「……わかった、東城さんって呼びます」
「君の名前は」
「えっと、真田一花です」
「真田一花、二番テーブルにこれ置いて」
フルネームで、呼び捨てときたものだ。あたしは慣れない呼び方に違和感を感じながらも言われたとおりにした。「あたしのことは一花ちゃんって呼んでください!」と笑顔でアピールできる雰囲気でもない。
あたしは仕方なく彼から受け取った木のプレートを机の上に置こうとして、そこで変なことに気づいた。その長細い卓上ネームプレートのような木の板には、異様に達筆な漢字でこう書いてあったのだ。
〝血液探偵事務所〟
「血液探偵事務所?」
思わず声を出して読んだ。そしてくるりとカウンターの〝東城さん〟を振り返る。
「何ですか、これ」
次回、4. 依頼人がやってきた
怪しい「探偵事務所」に、思わず東城に詰め寄るが、彼は相変わらず脅し文句を連ねるだけ。耐えかねた一花が「警察に行く」と脅し返すと、なぜか彼は突然笑い出し————