27. 救出劇
学校の午後の授業はもちろんサボり(テスト範囲の授業をもう終えてしまった科目は自習となっているので不幸中の幸いだ)、東城の指定した住所にたどり着くと、案の定あたしの予想していたような豪邸が見えてきた。
東城の言った通り、その少し昭和を思わせる洋風な屋敷はセキュリティに特化しており、そこらじゅうに小さな監視カメラが設置されている。きっと本多君が東城のデータを集めたのも、このカメラからだろう。
本多君彼自身はもちろんまだ学校だろうし、早々に東城を連れ帰れば、彼と鉢合わせする心配もないはず。本多君に事情調査をしようと提案した言い出しっぺのあたしが、結局オカルト同好会のみんなに同行できなかったのは悪いけど、こっちはかなり急を要する事態なのだ。
なんて言ったって、この事件の解決に一番近いであろう腕利き探偵が、証拠は掴んでいるらしいものの、屋敷から出られないのだ。
あたしが彼を救出する間に、オカルト同好会のみんなが勇気を振り絞って今度こそ本多君に事情調査をしておいてくれれば話は早いんだけど......
私はそんなことを考えながら、少し錆びた鉄門の横のインターホンを押した。
東城を連れ帰る、というと一見簡単そうなミッションに聞こえるが、実際あの本多夫人の屋敷においては、すんなり行くかはわからない————
「はい、どちら様でしょうか?」
と、丁寧な男性の声がインターホンから聞こえた。使用人といったところだろうか。
「あ、あの、真田一花といいます。そちらにお邪魔している東城という私立探偵の助手なんんですが」
いたって失礼のないよう、また怪しまれないように笑顔で返した。が、本多君の通っている高校と同じ制服を着ているあたしが、平日の昼過ぎに本多家を「探偵助手」として訪問するのはいささか、いや、かなり怪しくはある。
「ああ、東城さまの……えっと、探偵助手、ですか」
と、案の定向こうは戸惑ったような声で返す。
「…奥様に確認して参ります。少々お待ちください」
声の主がそう言ったあと、しばらく沈黙が続いた。ヒヤヒヤしながら待っていると、ようやくその使用人らしき男が戻ってきて、
「はい、奥様と東城さまとも確認が取れましたので、お通しいたします」
と門を開けてくれた。
自動で開いた門を通り、緊張しながら綺麗に手入れされた中庭を進もうとすると、向こうから先ほどの使用人らしき男性がやってきて、あたしを迎えた。
「あれ、その制服、やはり坊っちゃまと同じ高校の……」と彼があたしを見るなり言いかけたので、慌てて言う。
「あ、あの、探偵助手は秘密でやっているので、本多君にも内緒で……その、色々と気まずいじゃないですか?」
とあたしが苦笑いすると、気遣いのできる使用人らしく、「そ、そうですね。わかりました」と頷いてくれた。
屋敷の目の前まで来ると、彼は装飾があしらわれた年季の入った木製のドアを開け、あたしを中へ通してくれた。
一応そっと触って確認したけれど、やはりあたしにとってはなんの変哲もないドアで、衝撃波で右手が動かなくなるような結果が張られているとは想像しにくかった。
しかし、あの東城がいうんだから間違いないだろう、ここは紛れもなく吸血鬼を生け捕りする罠が仕掛けられた、吸血鬼ハンターの屋敷なのだ。————このことを、本多君は、そして夫人は知っているのだろうか?
屋内も外見に負けず劣らず豪勢で、まるで金持ちの愛憎ミステリーが繰り広げられそうな、昼ドラの舞台みたいなクラシックな屋敷である。
使用人があたしを連れて、客間と見られる部屋のドアをノックすると、中から「はあい」と夫人の声が返ってきた。
「あら、探偵助手さん、いらっしゃい」
扉を開けた先の部屋からこちらを振り返った夫人は、前とは打って変わって上機嫌だった。
夫人は横長のソファにも関わらず、彼の真横にピッタリとくっつくかのような距離で、手には薔薇模様の素敵なティーカップを持ち、それを東城に半ば強制的に飲ませるかのようにしており、東城は笑顔を貼り付けながらっも、どことなく青ざめた顔をしていた。
「ねえ、ちょっと、あなたからも言ってちょうだい。聖さんったら、私の取り寄せた英国王室御用達のお紅茶も、フランスパティシエから直輸入の美味しいお茶菓子も召し上がってくれないんですもの」
なるほど、これはかなり危機的状況だ。と、あたしは東城に同情すら覚えた。
しかし、こういった場面で人間の食べ物が食べれないというのは、私立探偵としていささか不便である。まあ、金持ち夫人の指輪を探す件なんて、元から血液探偵事務所には入ってこないと東城は言っていたけど。
「奥さん、先程も言いましたが、あいにく昼食を食べたばかりで…」
東城がぎこちない笑顔で言い訳をしても、夫人は下がる気配がない。
「あら、ご飯とお菓子は別腹でしょう?それに、お紅茶だってさっき一口飲んだだけ。もっとお飲みになってくださいな」
え?一口飲んだ?吸血鬼は人間の食べ物や飲み物を一口も口にできないはず……とあたしは眉を寄せながらも、東城を救い出すために精一杯の笑顔で言った。
「夫人、すみません、せっかくのご好意ですが、東城探偵はこのところ食欲がなくって、甘いものも普段からあまり好きではないんです。そういえば、今回の指輪の件は何か進展はありました?」
「進展があったのなんのって!」
と夫人はパッと目を輝かせて声を上げた。
「この聖さんが、ついに見つけてくださったのよ!私の指輪を!」
「え!?」
驚きを隠せずに思わず聞き返しながらも東城を見る。
が、彼は「話を合わせろ」と言ったように目で合図している。……指輪が見つかった?でも、じゃあ、あの成田君が首からかけていたものは、やはり夫人の指輪とは別物だったってこと?
「そ、そうなんですね!それはよかったです」
あたしはとりあえず東城の意向にしたがって夫人に同調する。
「そ、聖さんったら、本当に世界一の探偵だわ。やっぱりおたくの事務所に依頼してよかったでざます!」
夫人はふふん、と自慢げに笑みを浮かべたが—————いや、東城のことだ。何かこれについてもいわくありげな表情をしているのに、あたしは気づく。
「ということで、真田くん。君が来たということは、何かあったんだね?」
と東城は笑顔を貼り付けたまま切り出した。早く去るぞという意味である。
「そう、そうなんですよ東城探偵!急を要することなので、今すぐ現場に同行していただかないと」
逆に不自然になっているような気がしたが、今の夫人にとっては、この腕利き探偵を疑うという選択肢はないようだった。
「あら、そうなの聖さん。やっぱり優秀な探偵はお忙しいのざますね!ふふ、もうちょっとお茶をしていただきたかったのだけど…。まあ、また遊びにいらしてね。それから、報酬は必ずあなたの口座に入れておきますから。聖さん……わたくしとのお約束、忘れちゃダメざますよ」
と、彼女はまた謎の恐ろしいウインクを東城にして見せると、使用人を呼んであたし達を送るように言った。東城はそのウインクをかわす術もなく、かなりダメージをくらっているようだ。それに、「お約束」って一体……?
東城とあたしは、お互いに言いたいことがたくさんあるのを感じながら、とりあえずこの屋敷を出るまでは気が抜けないという暗黙の了解で、使用人に案内されるがまま、ぎこちなく中庭を通った。
今日は曇りで日光は強くないのに、彼がいつも完璧なその営業スマイルを引き攣らせているところを見ると、心身ともに衰弱しているのがわかる。あの結界のせいだろうか、それとも本多夫人?どちらにせよ、指輪が見つかったのなら事件解決と喜ぶべきだが、あたしの直感が、これはまだ事件の序盤に過ぎないと知らせていた。
あたし達がようやく無事に本多屋敷の門の外に出て、一般道路につながる私道を渡りきり、ため息をついて緊張を解こうとしたその瞬間だった。
突然、近くの茂みから、まさに薮から棒といった具合で、何か鋭いものがこちらを目がけて飛んでくる。
「えっ」
それが何であるか確認できたのは、ひとえに東城が自分の胸の前でそれを見事に受け止めていたからである。彼はそれを掴むや否や、片手でいとも簡単に木の杭のようなものをへし折る。
「な、何…」
突然のことに戸惑っていると、間髪入れずに、近くの茂みから聞いたこともないような奇怪な雄叫びを上げて一人の見覚えのある少女が顔を出した。
「覚悟おぉぉぉー!レオン・ドゥラクルウゥゥ」
と彼女は叫びながら、その手には自作のパチンコのようなものに二本目の、しかもさっきより威力が強そうな木の杭を装填し、東城に向かって襲いかかってくる。
あたしが状況を整理する間もないまま、茂みからもう一人の少女が顔を出した。そして襲い掛かる彼女に横からタックルするので、次の瞬間には二人とも地面に転がっていた。
「いやああダメですーーーー!レオン様、今のうちにお逃げをーー!私がこいつめを押さえておりますので!い、命だけは!お守りくださいましいい」
と、その三つ編みの少女は必死な様子で、まだ雄叫びを上げているおかっぱの少女を取り押さえている。
その状況のカオスさに、あたしは言葉を失って立ち尽くしてしまった。
恐る恐る東城を伺うと、彼もあたし同様言葉を失ってはいたが、どちらかというとそれは呆れからくるものだった。「なんだこいつらは」と言わんばかりの顔であからさまに苛立った様子で彼らを見下ろしている。
「さ、さささ真田さん、ごごごめんなさい、あの、け、決して、ストーカーしていたわけでは…そ、その、丸山さんと桑田さんが聞かず…」
と、消え入りそうな声で、同じく茂みから顔を出して弁解したのは、細谷会長である。そして、会長の横から、いつものようにパソコンを片手にひょこっと顔を出したのは近藤君。
「まあ、こんなことを黙っていたなんて責任は重いですけどね、真田先輩。僕達にも納得のいく説明をしていただきますよ」
と、彼が眼鏡を光らせて言うと、地面でもみ合いをしていた丸山さんと桑田さんも「そうよそうよ」と口々に彼に同意する。
「なんでレオン様の!あの伝説の「血液探偵事務所」の!伝説の「探偵助手」なんかやってたんですかあああ!真田先輩、この桑田、裏切りの代償として呪いの儀式を決行しますよ……」
と、桑田さんが悔しさと妬みと憧れが混ざったかような混沌とした感情をあたしに向け、その横で丸山さんが責め立てる。
「そうですよ真田さん!私たちは、私たちは、あなたが、この同好会を救う正義の勇者だと信じていたのに!こんな裏切りはオカルト同好会史上最高刑罰に処されますよ!その名も……」
と、丸山さんはいかにも恐ろしげな刑の名を高らかに宣言しようとしたが、それは叶わなかった。
それまで黙っていた東城がおもむろに、地面に転がっていた少女二人を、まるで米俵を担ぐような要領で二人をひょいと両肩に担ぎ、さっさと歩みを進め始めたからだ。
「黙っていてくれないか、監視カメラの死角とはいえ屋敷の近くだ」
と言った東城の声色は、今までに聞いたこともないような低い凄みのあるものだったので、担がれた二人は色んな意味で叫びを上げようとしていたが、それをすんでのところで飲み込んだようだった。
あたしはその時、東城の不機嫌の絶頂は、全てを黙らせるということを学んだと同時に、この後あたしに問われるであろう様々な罪と責任を考えて、半ば絶望しながらも黙って東城のあとについていく。細谷会長と近藤くんも、張り詰めた空気を感じ取ったのか、とりあえずそれに倣う。
全く、何をどうすれば、あたしが一番恐れていた状況が目の前で繰り広げられることになるんだろう。ただでさえ事件のことで混乱しているのに、まさか、あのオカルト同好会が、よりにもよってこのタイミングで東城聖に襲いかかってくるなんて。
日頃からブロッコリーを食べずに、真面目に勉強もしていなかった罰なんだと思うほか、他に理由が見当たらなかった———
次回、28. 残る謎
ついに、オカルト同好会と東城聖の正面対決が、最悪のタイミングで勃発した。なぜ彼らは東城に奇襲を仕掛けることができたのか、夫人の指輪は本当に見つかったのか?残る謎はまだたくさんある—————




