23. 勉強会
「一花、お前知らなかったの」
徹也がミートボールを口に運びながら、些か驚いたように言った。
「だって、名前も知らなかったんだもん」
「同学年の顔と名前ぐらい覚えとけよなー」
まったく一花は、と徹也はお弁当にがっつきながら言う。
「詳しいことはわからないでも、成田と言えば金持ちの御曹司だって、みんなの暗黙の了解だぜ?俺は一年の時同じクラスだったけど、勉強もスポーツもできる王子様だって、まあ女子からの人気はすごかったよな」
徹也は口をもぐもぐさせながらも、成田くんについて教えてくれる。なんだ、みんなの暗黙の了解だったんだ。
「じゃあ本多将良は?」
サンドウィッチをジュースで飲み込みながらさりげなく聞いてみる。
「本多?本多といえばバスケだろ。強いとは聞いてるけど、詳しくは知らないな。そういや一年の終わりに成田もバスケ部に入部したって女子が騒いでたっけ」
「ふうん。徹也って情報通なのね」
「一花が知らなさすぎるんだよ。で、その二人がどうかしたのか?」
徹也に逆に質問されて、あたしは少しぎくりとする。
「え?いや、別に、これから成田君と勉強会するだけ」
あたしが言うと、なぜか徹也は驚いたように聞き返した。
「え、あいつと勉強会?」
「そう。文系得意な成田君と、理数系のあたしで交換条件」
「名前も知らなかったやつと?」
「うーん、まあ、成り行きよね。でも普通にいい人みたいだし」
「二人だけで?だよな」と徹也はなぜか確認するように眉を寄せる。
「うん。どうかした?」
「や、どうもしねーけど……」徹也はなんとなく言葉を濁してお弁当の端に残ったご飯をフォークでつつく。
「あいつ、あんな爽やかな顔して実は女癖悪いって聞いたことあるから、気いつけろよ」
徹也が妙に真剣な顔で声を潜めながら言うので、あたしは思わず笑ってしまった。
「やだなー徹也!成田君があたしを?そんなわけないない」
「わかんねーぞ、たまにはがさつな女子がいい時もあるんじゃねえか、きゃぴきゃぴした取り巻きの女子より」
徹也はさらっとあたしを「がさつな女」扱いしたけど残念な事に20%は当たっているので、あたしは肩をすくめた。
「ま、仮にそうだとしてもあたしは興味ないかな」
「とか言う奴が案外ころっと惚れたりするんだよな」
どうやら徹也はどうしてもあたしと成田君をくっつけたいようだ。学生生活において色気のある話に今までてんで縁のなかったあたしを知っているにも関わらず。
大体あたしは恋バナする女友達よりも、徹也みたいな幼なじみの男友達のほうが多いくらいだ。みんなが女子高生らしいことをする時間……例えば放課後にスタバに寄ってクラスの恋愛関係や何部のどの先輩がかっこいいかという話に花を咲かせるべき時間に、この真田一花は倉橋警部と暴走族の追跡に走り回ったりしていたのだ。
とにかく成田君はイケメンでいい人だけど、あたしにとっては、いや正確に言えば東城にとっては、監視対象の要調査人物である。成田財閥と本多家の関係を知った今では、昨日のようにそう気軽にも話せない————まあ、気軽なフリをしなくちゃいけないんだけど。
「一花?」
徹也が大きめの声であたしに呼びかけたので、今まで自分がぼーっと考え事をしていたことに気づく。
「え、あ、何?」
そんなあたしに、徹也はすっと額に眉を寄せる。
「お前最近おかしいよな。顔色悪いし、何かあったんだろ。そういえばあの探偵、東城聖はどうしてるんだよ?まだ助手としてこき使われてるのか?」
徹也はあたしを心配するような、東城を睨むような口調で言う。本来ならが、ここで良き友達に正直に最近の出来事を打ち明けるのが筋だろう。でもこの場合そうはいかない。
「ううん、そんなことない。彼って本当は優しくていい人なの。だからこき使われてることはないよ」
徹也を安心させるための嘘とはいえ、言っている口がひん曲がりそうになる。実際はその真反対。彼が優しい一面を見せるとすれば、それは猛獣のようなヒステリックおばさんを黙らせる時ぐらいだろう。
「ふうん。一花がそれでいいならいいけど」
徹也は納得しきれないといった表情で微かに口を尖らせた。
———これでいいんだ。東城のことを話したら、きっと徹也は彼のところに乗り込んでいく。でもその正体を知っている身としては、徹也を巻き込みたくないという気持ちが強くなっていた。
徹也は今まで通りの徹也でいてほしいのだ。他の多くの人と同じように、この世に本当に吸血鬼が存在するっていう事実を知らないままで.....
と、そのときクラスの端にいた女子達がわっと盛り上がった。みんな箸を止めて窓の外の廊下を覗いて誰かと話している。数人の女子達に囲まれていたのは、紛れもなく、今徹也と話していた人物、あたしの監視対象であり、同時に勉強会の相手である成田紫苑だった。
「あれ、成田だよな?」
徹也がそちらを見て呟くのと、成田君とあたしの目が合ったのは同時くらいだった。彼は途端ににこっと笑うと、あたしに向かって軽く手招きする。きっともうお昼を食べ終わってあたしを迎えに来たのだろう、あたしは最後のサンドウィッチを口に放り込んでジュースのパックを飲み干してから、とりあえず文系の教科書を集めて席を立った。
「え、一花どこ行くんだよ」
「その勉強会よ」
徹也は教室の窓の向こうからこちらに微笑んでいる成田君とあたしを交互に眺めながら微妙な顔をする。
「ふーん。なんか今回は真面目なんだな。それとも成田だからか?」
「徹也ってば、あたしが色恋より事件解決に走る方が好きなの知ってるでしょ」
言いながら、むしろあたしが何も知らない成田君のファンだったら、監視義務よりかはまだはるかに勉強が捗りそうだと思いながら席を離れる。そして女子たちの疑いの視線を浴びながらも、あたしたちは図書館へと向かった。
○
成田君は確かに勉強ができて容量もよく、しかも教え方もうまかった。監視対象とはいえ、これで彼がもう少し真面目に勉強会をしてくれれば、あたしは今度こそ期末テストでいい点をとったかも、と思ったほどだ。
が、あたしの学業は結局妨げられる運命にあるのだろう。彼の目的がどうやら単なる勉強交換だけではないことは、始まって数十分後にわかったのである。
「ね、一花ちゃんって彼氏いるの?」
「へ?」
練習問題を解いていると、成田君がふと口を開いた。あたしは突然の質問に顔をあげる。
「か、れ、し」
目の前で少し探るような笑みを見せる学校の「王子様」は、その名がつくのも頷けるほど、完璧だった。スポーツも勉強もできて、みんなに優しく、それに財閥の御曹司ときた。
でも、女子たちの望みの的である彼が、これといってずっと付き合っている彼女がいないというのも、考えてみれば確かにおかしい。徹也が言っていた、「女癖が悪い」というのもあながち間違っていないのかもしれない。現に、成田君はさっきまでの爽やかで親切な態度とは少し違った雰囲気で、なんとなく意味ありげな視線であたしを見つめている。
「いないけど、何で?」
あたしがぎこちなく答えると、成田君は意外、と言った感じで眉をあげた。
「そうなんだ。一花ちゃん、モテそうなのにな」
「あたしが?ないない」
「なんで?かわいいし、サバサバしてるし、他の女の子とちょっと違って独特の雰囲気っていうか」
あたしは少しぎくっとした。あたしが影ながらオカルト同行会員であること、もしかしてばれてる?
「そ、そんなことないよ。ふつうふつう、超普通」
「そうかな?」成田君が、今度は熱を込めてあたしを見つめる。
「僕にとっては特別かも」
言いながら、成田君はいきなりノートの上に置いていたあたしの指先にそっと自分の手を絡ませた。心臓がどきっと音を立てる。
……ちょっと待って。最初からそういう目的だったの?
あたしはそこで初めて、成田君にあたしほど真面目に勉強会をしようという意思がないのに気づく。まあ確かに、勉強のできる成田君にとっては、文系だからといって、あたしの助けが必要なほど理数系も壊滅的ではないのだろう。
「一花ちゃん?」
「え?」
彼の声に、ふと我に返る。
こんなに積極的に、しかも仮にも学校の「王子様」とされる完璧男子にアピールされて、例によって優しくされたり熱い視線を投げかけられることに慣れていないあたしは、無意識に体を固まらせていたのだ。
「ね、テストが終わったら僕と遊びに行かない?」
と、成田君はその王子様スマイルでさらっとあたしを誘う。
「えっとー…、どこに?」
「どこでも。一花ちゃんの好きなところ」
行きたいところ……
ここ最近は東城鬼皇帝によってあたしの時間と自由は大体支配されているし、前は暇さえあれば倉橋警部の調査に徹也とついて行ってたし、あたしの行きたいところを聞くような彼氏や友達もいなければ、逆にこれといって行きたいところもない。そう、解決すべき事件があるところ以外は————
「特にないかな」
と、曖昧に笑って見せると、
「へえ、そうなんだ。女の子って、ショッピングとか遊園地とか、インスタ映えするカフェに行きたいって言うけど。やっぱり一花ちゃんは特別だね」
と言ってにこりと笑いかけられるので、あたしは少し慌てて訂正する。
「え、えっと、じゃあカフェかな」
大してインスタ映えを気にしたことはなかったが、「普通の女の子」を演じなければ怪しまれそうだ。
「あ、そうだ、ミントローズでもいいよ。もちろん今度は僕が奢るし」
「えっほんと!」
あたしが純粋に嬉しく思って声を上げると、成田君はそれを見てははっと笑った。
「かわいいね、一花ちゃん」
成田君の綺麗な目で見つめられ、あたしは自然と顔が赤くなっているのに気づく。
やばい、完全に彼にペースをのまれている。これじゃあ東城の命令にも、徹也の警告にも背くことになる—————
と、ぐるぐる考えていた時だった。
成田君が目の前の席から腰を浮かして、ふとこちらに顔を近づけてきた。意味ありげな視線でこちらを見つめながら、そっとあたしの頬に優しく手を添える。
……え?
次回、24. ハニートラップ
勉強会仲間であり、監視対象でもある「学園の王子様」こと成田紫苑はなぜか、一花に興味があるようで、(物理的にも)急に距離を縮めてくる。ハニートラップを仕掛けられているのか、それとも....?




