21. パティスリー・ミントローズ
大通りでは、夕方の買い物に出かける主婦に早上がりで少し嬉しそうなサラリーマン、勉強しようとまっすぐ家に帰る学生達などが、皆それぞれに行き交っていた。
そんな中、あたしは開いたノートを手に、道の真ん中で立ち止まる。
確か前はクリーニング屋さんがあったはずの通りの角に、見慣れないお洒落なケーキ屋さんが見える。目を引く綺麗なミント色で統一された店は、まるでフランスの街角にあるパティスリーのようで、開店祝いの大ぶりの花に囲まれてキラキラと輝いていた。
『パティスリー・ミントローズ』
甘いクリーム色の筆記体で書かれた看板も可愛らしく、ショウウィンドウには宝石のようなスイーツたちが並ぶ。
まるで店自体が「見て、わたし新しく出来たのよ。みんな是非入って!」と笑顔を振りまいているようだ———もしかして、これがあの女子大生が言っていた、「新しく出来た美味しいケーキ屋さん」だろうか。まっさらなガラス窓の向こうにはイートインコーナーと、数人の客がお茶をしているのも見える。
あたしは腕時計を確認した。まるで店自体が「ここがカフェだと思うなら覚悟を決めて入るがいい」と客を睨むようなキャッスル・ブランでのバイトが始まるまで一時間くらいはある。
ここは一つ、視察を兼ねて甘いもので疲れを癒しながらもう一踏ん張り勉強しようと、あたしは思い切ってショップに足を踏み入れた。
店内は混んでいて、持ち帰りが人気なのかショウケースの前には列ができていたけど、あたしはカウンターでレアチーズケーキとアイスティーを頼み、端っこに唯一空いていた席を見つけてそこに座った。
さっきまで暗記していた世界史の年号や出来事が書いてあるページを開きながらチーズケーキを口に入れる。
うん、確かに美味しい。ひんやり冷たくって味も店と同じくスタイリッシュな感じ.....
でも、何か物足りない気がした。そう、東城の作るチーズケーキのほうが、何と言うか味わいがある。チーズの香りが深いし、あのとろけるような食感は誰にも真似できない。
まったく、流行りの店のケーキより、無愛想な吸血鬼の作るケーキのほうがおいしく感じるなんて、一体どうなってるんだろう。
そういえば昨日、東城はカフェの営業が終わると探偵事務所のほうは開かずに「成田夫人の謎を探る」と出かけていった。「一花を連れて行くとまたややこしくなるから今日はここで店番だ」と言われたあたしは「テスト勉強もあるしちょうどよかったです」と言い返して結局誰も来ない店で勉強していた。まあ……二時間は爆睡してたけど。
それにしても、成田夫人は一体何がしたいんだろう?指輪を探して欲しいなら住所くらい教えてくれてもいいのに。
「そんなに面倒くさいおばさんなんて放っておけばいいじゃない。うちは吸血鬼事件だけを扱ってるんでしょ?」とあたしが軽く東城に言うと、東城はできれば放っておきたいと言わんばかりにため息をついていた。
「指輪はどうでもいいとして、夫人がなぜこの事務所を知り得たのかが問題なんだ。もしかしたら吸血鬼が関わっているかもしれない」
「そんなのわかんないじゃない。たまたま見つけただけかもしれないし」
東城はそんなあたしに「いいか」と低い声で忠告するように言った。
「吸血鬼を発見するには念には念を入れるのが基本なんだ」———
「念には念を入れる、ねえ」
あたしは小さく呟きながら世界史のノートを眺めた。カンでここは出ないだろうと勝手に決めつけて飛ばしていたページをもう一度開く。試しに念を入れてみようかな。
赤シートで答えを隠してみたけれど、問題を読んでもわかりそうもない。こんなの、授業でやったっけ?
「えーっと、コロンブスが新大陸を「発見」した年は?」
うーんと頭をひねるが、年号がぱっと湧くわけではなく……
「1667年だよ」
諦めて赤シートをめくるのと、誰かの声が降ってきたのはほぼ同時だった。
1667年。ばっちり合っている。びっくりして顔を上げると、そこにはバスケ部で本多君と一緒にいた、あの成田紫苑がにこっと笑って立っていた。
「あ……成田君!」
「ちょうど通りの窓から見えたから話しかけちゃった。ここ、座ってい?」
と彼は言って小さな丸テーブルの向かいの席を指す。
「も、もちろん」あたしは返答しながら、自然と成田夫人のことを思い出していた。
でも成田なんて名字は探したら一人や二人いそうなものだし、成田君とあの夫人じゃ顔も似つかない......
「ここに来るの、初めて?」
と、彼はあたしの食べかけのチーズケーキを見つめて言った。
あたしが頷くと、成田君は「ここのケーキ、どう?」と試すように続けて質問するので、少し不思議に思いながらも素直な感想を言う。
「うん、爽やかで甘くておいしい。ただあたしの知ってる一番のチーズケーキは、一番のままかな」
「一番のチーズケーキ?」
「そう、とあるカフェの手作りケーキなんだけど」
あたしが言うと、成田君は少し残念そうに息をついた。
「そうかあ、やっぱり上には上がいるんだね。実はね、このケーキショップ、僕の父さんの会社の系列なんだ」
「え、そうなの?」
「そう、だから僕も新しく開店したこの店を応援してるんだけど、お客さんの素直な意見が聞きたくてさ」
成田君はそう言いながら爽やかに笑ってみせた。お父さんが会社を持ってるって……だからリッチな雰囲気なのかな?それに、親の関わる事業に、客の率直な意見が聞きたいなんて、将来はいい経営者になりそうだ。
「世界史の勉強?今回、範囲広くて大変だよね」
成田君が勉強中だったあたしのノートをめくりながら言った。でも、さっき年号をばっちり答えた彼を見ると、成田君にとって世界史は大きな問題でも何でもなさそうだ。
「成田君、世界史得意なの?あたしはもう古典と現代文学と公民で手一杯……」
「はは、理数系なんだね」
「なんで文系ってこう、すっきりした答えがないんだろう。世界史なんてただの覚え作業だし」
苦手な文系について文句を並べると、成田君は閃いたように「そうだ!」と口を開いた。
「一花ちゃんと僕で交換勉強会しない?僕の苦手な理数系を一花ちゃんが教える代わり、僕が世界史始め文系を教える。どう?」
確かにいい交換条件だ。誰か一緒に勉強する人でもいなければ、あたしの頭はきっと事件のことでいっぱいで勉強なんてそっちのけになってしまうだろう。
「まあ確かに、今回ばかりは貴重な夏休みを補修で潰すわけにも行かないし」
「決まり!じゃあ明日の休み時間から始めようか。お昼食べた後に図書室で待ち合わせでいい?」
「う、うん!って、やばいもうこんな時間」
スマホのリマインダーが鳴って、思わず声を漏らすと成田君は首を傾げる。
「何か用事?」
「うん、バイトがあって」
「そうなの?試験前なのに大変だね」
成田君は同情するように眉を下げて言った。そうほんとに。まあ東城の頭にはあたしのスケジュールなんて一ミリも考慮されていないことは前からわかってるんだけど。
あたしはアイスティーを飲み干し、ふと食べきれなかったチーズケーキをどうしようかと一瞬見つめる。と、成田くんが、不意にそれをぱくっと口に入れた。
「うん、そうだね。美味しいけど一番じゃない、わかる気がする」
成田君が少し真面目な顔でそう言ったのであたしは驚きながらも、さっきの意見は率直すぎたかもと慌て始める。
「あ、それは……」
「ううん、これは改善点になるよ。ありがとう一花ちゃん」
成田君は有無を言わせない王子様スマイルであたしにお礼を言った。その気さくな雰囲気と、成田くんの優しさに思わず一瞬ドキッとしそうになって、我に返る。あぶないあぶない、あたしっていつから面食いになったんだろう。
普段丁寧な扱いに慣れていないあたしはぎこちなく「ううん、また明日ね」と笑い、早々にカフェを出ようとした。
が、ここでまた思わぬ遭遇をすると思っていなかったあたしは、彼女達の声に思わずびっくりして一歩下がる。
「あーーー!聖クンとこのバイトの子!」
行く先を塞いでいる三人組の女子大生グループは何度も見たことのある顔だ。しまった、こんなところで出会ってしまうなんて。
「そうよね、聖クンのカフェの子よね?」
「は、はい、まあ」
あたしは頷きながら、上手く抜け切る方法を考えるが、彼女達は持ち前のしつこさで食いつくように話しかけてくる。
「もしかして、うちらの話聞いてここに食べにきたとか?ね、おいしかったでしょ!」
「うん、まあ」
「ねえねえあなたさ」と、女子大生グループのうちの一人が目を輝かせてあたしに言った。
「あなた聖クンと仲いいんでしょ?」
いや、仲がいいというには少し語弊があるけど……とあたしが答えを迷っているうちにも彼女は勝手に決めつけて言葉を重ねていた。
「今度聖君のラインかインスタ教えてよ!」
「は?」
「ラ・イ・ン!インスタはないかもだけど、それは流石に知ってるっしょ?」
「えっと、そういや知りません」
「えっウソでしょ。どうやって連絡取り合ってるのよバイトのとき!」
言われてみると、思えば東城との連絡はいつも一方的であって、向こうが呼び出したいときにあたしの携帯にかけてくるだけで、正式にライン交換さえしていないことに気づいた。着信履歴を見れば番号はわかるだろうけど、そもそも東城とラインでやり取りをしようなんて思った事もなかった……
「東城の連絡先なんて、知りません」
「じゃあ、今度聞いてきてよ。うちらがいくら聞いても絶対教えてくれないんだもん。アンタならいけるかもしんないじゃん?」
彼女は期待の目であたしを見る。あたしは東城に「連絡先教えて」と言った場合のことを考えてみた。
きっと彼は「なぜだ」としかめ面で返すだろう。あたしが「えーっと、緊急の時とかに」と言えば渋々教えてくれるかもしれないが、「もちろんだが他人に口外するこのないよう」と付け加えるだろう。うん、絶対そうだ。我ながら完璧なシュミレーション。
「仮に東城の連絡先を知ったとしても、返信してくれないと思いますけど......」
でも彼女達は東城に冷たくされるのに慣れているのか、あたしの忠告はあまり効果をなしていない。
「そうかもしれないけど、とにかくゲットしたいのよ連絡先を」
一人が言うと、そーそーと隣の派手な化粧をした子がなぜか嬉しそうににやりとする。
「うちらってさ、秒で返信返ってくる男より、逆にあんまり返してくれない人のほうが燃えちゃうんだよねー」
あはは、とそこでみんなが笑う。いや、東城の場合は「あんまり」ではなく「全く」返してくれない保証がある。
「すみません、時間もないので行きますね。では」
あたしがその横を通り過ぎようとすると、「もう聖クンみたいなこと言わないでさー」と、彼女たち特有の間伸びした声がかかる。
「連絡先教えてくれたらさー、ケーキおごってあげるしい。今度会った時は期待してるからねえ」
まったく、東城聖なんて岩石のように心の動かないやつのより、大学のサークルの男子ほうがよっぽど連絡先をゲットしやすそうなのに。
そう思いながらも、あたしはそのかわいらしいケーキショップから去り、彼の営む古い骨董品屋のようなカフェにまっすぐ向かった。
次回、22. “成田”夫人
その夜、成田夫人が再び探偵事務所に訪ねてきた。指輪の在処を問い詰める彼女に、「犯人の目星はついています」と敏腕探偵が一言......




