2. 1日5時間、週4日
「壷の代償、金で返されても意味ないから。体で払えってこと」
青年はカウンター席の外を回って、あたしに近づいてきた。あたしは無意識に箒を前に突き出しながら青年との距離を取る。ちょっとそれは冗談にしてはきつすぎる。
「あの、もし断ったら……?」
おそるおそる聞いてみると、青年のどこか日本人離れした不思議な瞳があたしを捉える。そして彼は脅すようにゆっくりと口を開いた。
「さっき言っただろ、引きずり出されてぺちゃんこにされて煮られて焼かれて————」
「わかった、わかったわ。でも具体的にどういうことなの?実際にあたしを煮てやくなんて大変だと思うけど」
冗談めかしに笑ってみせると、相手の顔が急に恐くなった。
「大変?うちの店長はお前一人どう料理しても五分はかからないだろうな」
あたしの背筋に冷たいものが走った。表情からしてなんとなく冗談を言ってるようには見えない。ということは、この人、もしかしたら暴力団なんかとかんでるのかもしれない……うん、あり得る。脅し文句からしてそんな匂いがする。じゃあ店長って一体何者?こいつのボス?さっきのおじいちゃんも、こいつの仲間?
でも、だからといってこいつの言いなりにはなれない。そこであたしは精いっぱい頭を下げて謝ってみた。
「本当にごめんなさい。壷の責任はちゃんと取ります。あれに似たものを買ってきますから、だからどうか……」
「それじゃ駄目だ」
青年が呆れたように言った。あたしは頭を上げて、思わず首を振る。体で払うなんて死んでも嫌。でもぺちゃんこの串刺しはもっと嫌。
ううん、ちょっと待って。タイミングを見計らってここから脱出して警察に駆け込もう。そうよ、こんなの間違ってる。
あたしが店のドアに視線を走らせたのに気づいたのか、青年がいきなりあたしの手首をつかんだ。
「えっ」
持っていた箒が、からんと音を立てて床に落ちる。やばい……!
「一日5時間、週に4日。飲食まかない付き。交通費自己負担。これでどうだ」
「は?」
「壷の弁償代ならこれぐらい働いて当然だ。何か不満でも?」
「え……」
あたしはきょとんとして相手を見つめた。青年はさっきと同じようにクールな顔。
「期限はこちらで決める。明日夕方五時にここに来てもらおう。そしてしっかり働くんだ」
あたしはようやくそこで理解した。
ああ!体で払うってそういうこと……あたしは安心したと同時に、自分が恥ずかしくなった。そうよね、いくらなんでもひどすぎる。ああ、よかった。あたしは胸をなでおろした。なんだ、それで済むならアルバイトなんて全然平気————
「えっ。週に4日も?」
あたしが聞き返すと、青年は眉を上げた。
「嫌ならいい。ただ、その場合は店長が黙っているとは思えないけどな」
あたしは唇を噛んだ。相手の表情は真剣そのものだ。
「この高貴な壷の値段と比べたら安上がりな労働じゃないか、一日5時間なんて」
高貴な壷、ね。どうみても雑草がからまったみたいな変な模様だったけど。まあでも、もとはと言えば悪いのはこっちだし、残りの選択肢は何だか恐ろしいし、そっくりさんの壷を買ってきてもきっと相手にされないだろうし、ここは素直に従ったほうが身のためだ。
「……わかりました。壷の弁償代はそれで代えさせていただきます」
あたしが言うと、青年はようやくあたしの手首から手を離し、床に落ちた箒と塵取りを手に持った。
「ちょうど人手が欲しかったから助かるよ。明日からはかなり忙しくなるだろうが、精一杯働くように」
彼の言葉にあたしは内心眉をひそめた。それはどうかしら。この店内の静けさを見れば一日一人の接客で終わっちゃいそう。まあカウンターに立ってるだけで罪滅ぼしになるんなら確かに安い労働だわ。
「雨が止んだようだな。今日はもう帰った方がいい」
青年が言うので、あたしは窓の外を見た。確かに通りの雨音がいつの間にか止んでいて、人々も傘を折りたたんでいる。あたしはそれを見て怒りを覚えた。まったく、タイミングのいい雨!おかげで雨宿りに入っただけの喫茶店でただ働きなんて。
「本当にすみませんでした。では」
あたしはぺこりと頭を下げて鞄を抱えて店を出ると、一瞬警察に行こうか迷ってやめた。
こうなったらその店長ってやつを調査してみよう。本当に暴力団と関係をもっているのか、あそこにいたおじいちゃんは何なのか、なぜあの喫茶はあんなに寂れて人気がないのに店じまいしないのか。
それから謎の青年。そうだ、名前も聞いてなかった。
家について、そこが普段と変わりない生活だったのに安心した。お母さんには笑顔を作って新しくバイトを始めると一言言った。
それが、地獄の始まりであるともつゆ知らず————
次回、3. 聖クン、今日のオススメは?
喫茶店のバイト初日。昨日とは全く様子の違う店内に驚きつつも、なんとか働いていると、青年は謎の札を用意し始める。
「血液探偵事務所」
と書かれたそれが意味するものは......