17. 私立探偵の正体は
【 ———フレッドが言った。
『僕は実はヴァンパイアなんだ。でも悲しいかな、君をこんなにも愛してしまっている!』
『ああ、フレッド。あなたがどんなに恐ろしい怪物でもあたしには関係ないわ、だってあたしもアイラブユー!』 】
『ヴァンパイア・ラブ』はまあ、いわゆる中高生向けのラブストーリーで、それを映画化したものがアメリカのティーンの間で大ブレイク、日本でも順次公開されるらしい。図書室で「吸血鬼」をキーワードに調べていた時に見つけたので、なんとなく借りてみたってわけだけど。
その中に出てくるフレッドは豊かな金髪と青い瞳が特徴の麗しのヴァンパイア。……そして東城聖は、黒い髪に深緑の瞳のイケメンではあるが性格に難ありの謎の探偵?
「あなた実は吸血鬼でしょ!」
———— なんてね。そんなこと言ったらオカルト同好会の丸山さんそのものだ。
「一花」
鋭い声に、あたしは思わず身を固まらせて「はい!」と返事した。見ると、彼は不機嫌そうにこちらを睨んでいる。
「今日一日ずっとこちらをじろじろ見ているが、一体何の用だ。そうやってぼーっとしているから何もないところで躓いて転んだりなんかするんだ。用があるならはっきりそう言え」
東城は低く短くそう怒鳴ってから、またコーヒーメーカーの手入れを始める。
あたしは肩に力を入れたまま「はい」と小さく返事して閉店後のカウンターを拭いた。
そう、今日、あたしは仕事中もずっと無意識に東城をじろじろと観察していた。そのおかげで、何もない床で派手に転んでしまった時は自分でもびっくりした —————まあ、そのときマグカップやお皿を持っていなかったのが不幸中の幸いだった。そうじゃなきゃ今頃あたし串刺しになってるかも。
そう、“串刺し”……。
あたしが彼を疑い始めて観察した結果か、疑い上の思い込みかもしれないけど、一つ言えることがある。少なくとも、東城に会ってから、彼が何か飲んだり食べたりしているところをあたしは一度も見たことがない————
「二番テーブルがまだ汚いぞ」
東城はいつもの鬼畜上司さながら命令し、あたしは言われる通りにカウンターから二番テーブルに移った。が、そのときもずっと顔は東城のほうに向いていたから、今度は近くの椅子の脚に躓いて、またもやバランスを失ってよろけた。そして、それがいけなかった。
その上には運悪くあたしの学校鞄が乗っていて、椅子が倒れたと同時に鞄の中身が床にぶちまけられる。サイアク、と思いながらも散らかったものを片付けようとして重大な過ちに気づいたのと、東城が声をかけたのは同時だった。
「何やってるんだ、まったく」
彼はため息をついてこちらに近づいてきて、やばいと思ったときにはもう遅かった。彼の視線が、その散らばった五冊の本に止まる。
『ブラド三世と吸血鬼伝説について』、『ブラム・ストーカー作 ドラキュラ』、『世界の吸血鬼伝説』、『映画に見る吸血鬼たち』、『ヴァンパイアは存在するか』、『ヴァンパイア・ラブ ~ファースト・キス~』……。
あたしは床に倒れたまま身動きもできずに東城の表情を伺った。一見無表情に見えたけど、彼はいつものように冷静に片付けたりせず、しばらくその本を見つめている。
「……《《ふしぎ》》な本の趣味だな」
東城の抑揚のない声がぎこちない沈黙を破った。
———— ふしぎな本の趣味。
確かに常識ある一般人から見ればそうだ。でも、もし、仮にこの本達の題名である怪物がこの世にいるとしたら?
あたしの頭の中にあるのは、二択だった。やっぱりこの世にヴァンパイアなんて存在しない。あたしは今、カフェの店員に本の趣味が怪しいことでちょっと引かれている。もう一つの選択肢は……目の前の彼は実はヴァンパイア。あたしのばら撒いた本どれもに心当たりがあって内心動揺している。
「そう、そうね」
あたしは自分の声じゃないような声で返事をした。二択のうちいたって常識的な前者の方を信じて、本を片付けようとしたとき————
東城がふと身をかがめて『世界の吸血鬼伝説』をあたしの手から取り、無言でぱらぱらと中のページをめくりはじめた。
きっとその中には中国のキョンシーとか、イギリスの貴族風ヴァンパイアとか、口から火を吐くドラゴン風吸血鬼などが、妙なイラストで図解されているはずだ。その何ともいえないシュールさに、あたしは思わず授業中に笑ってしまったほどだ。
と、東城はつまらなさそうにその本をぱたんと閉じると、あたしに目線を戻す。
「それで、吸血鬼について何かわかったか?」
「……え?」
「こんな出鱈目な本を収集しているところを見ると」
東城は本を見て目を細めた。それはどこか、芸能人が自分についてのありもしない噂を並べ立てられた週刊誌に辟易しているようにも見える。
「さしずめ君はサカヅキのアジトで見たあの光景にどうにか説明をつけたくて、高杉美和子から話も聞いたんだろう」
あたしは心中をばっちり当てられて、どぎまぎしながらも反論する。
「えっ、なんで知って.....じゃ、じゃなくて、だ、だってあなたが話そうとしないから」
「僕が高杉さんだけにした話だ」
「じゃあなんで、助手のあたしには教えてくれないのよ?なんでサカヅキ達は……」
その先の言葉を言おうとして一瞬迷う。が、もうこの際だ。言いたいことははっきり言おう。
「なんでサカヅキ達は、《《実はヴァンパイアだ》》ってあたしに教えてくれなかったの」
あたしが大真面目に東城に向かって言うと、東城も真面目な顔で返してきた。
「君が信じないと思ったからだ」
「そ、そりゃ信じないわよ」
東城のあっさりした態度に、あたしはなぜか慌てたように早口になってしまう。
「美和子ちゃんだって信じきれてなかった。誰だって、あいつは吸血鬼だなんて突然面と向かって言われたら、頭イッちゃってるって思うわよ。いい歳してファンタジーの世界で生きてんじゃないわよって」
が、東城はあたしの言葉に気を悪くしたように、眉を寄せる。
「僕はイカれてもないしファンタジーに生きてるつもりもない。真実を言ってるんだ」
「えっ、ちょ、ちょっと待って。じゃああなたとサカヅキ達は本当に吸血鬼だっていうの?冗談抜きで?」
「君が最初にそう言ったんだろう」
「言ったかもしれないけど、でもまさか肯定するとは思わなかった!」
「じゃあ嘘だと言えばよかったのか」
「それじゃああなた吸血鬼じゃないってことになるじゃない」
「君としてはそっちのほうがよかったんだろ?」
「でもあなたが言ったのよ?自分は吸血鬼だって」
「君は信じなかった」
「信じないわよそんなの」
「じゃあなんで吸血鬼伝説なんて本を熱心に読んでるんだ」
「もしかしたらあなたが吸血鬼なんじゃないかと疑ってたからよ」
「なら今答えが出たじゃないか」
「え、答えって、じゃああなた本当に吸血鬼だっていうの?」
「待て一花、会話がおかしいぞ」
珍しく東城につっこまれて、あたしは口をつぐんだ。
でも、そう簡単に受け入れられる話ではない。まじまじと東城を観察してみるけど、彼自身はいつもと何ら変わりなくて、普通の人から見れば、無愛想だが顔立ちのいいカフェのバリスタ。
「一つ確認していい?」なんとか心を落ち着かせてから、言ってみる。
「えっとー……、牙とかこうもりの翼とか黒いマントはないのね」
よくある漫画やイラストのイメージを本人にぶつけてみたけど、東城は鼻で笑った。
「ハロウィンでもないのにそんなものが街で歩いていたら怪しすぎるだろう。僕達は能力が普通の人間より優れているだけで、こうもりには変身できない。それに牙は使うとき以外は出さない、猫の爪が伸びたりするのと同じ原理だ。僕達は人間の姿で人間の生活に溶け込んでる」
そして、人間を襲う……。普段は見えない牙を鋭く尖らせて。そう思うと、少し背筋が冷たくなる。
「それで、サカヅキ達はみんな吸血鬼で、美和子ちゃんは襲われていたってこと?」
「ああ、あのチンピラの下っ端以外、ムーンブラッドにいたのはみんなそうだ。高杉美和子も人間を襲う側になりつつあった」
「って美和子ちゃんに話したのね?」
東城はこともなげにうなずく。そりゃ、ショック大きいわよ!
「もちろんだが」と彼は続けた。
「吸血鬼の存在は人間に知られてはいけない。普通なら被害者の人間には適当に話を作って誤摩化せるが今回はそうはいかなかった」
「注射を打たなくちゃいけなかったからね」
あたしが先を言うと、東城は一瞬不服そうな顔をしながらも答えた。
「ああ、彼女は半分こっちの世界に足を踏み入れていて、言い訳だけじゃ済まなかったからだ」
東城はそう言いながらあたしが床に落とした布巾を拾い上げ、二番テーブルの上に『血液探偵事務所』と書かれたプレートをいつものように置いた。時計は8時を指している。
「君にこのことを話すのは時間の問題だと思っていた。探偵助手として働いてもらう限り、そう上手くいつまでも隠し通せないだろうと」
東城がため息まじりに言ったので、あたしはすかさず言葉を挟む。
「あ、当たり前でしょ。目の前で人間が自分を銃で打ち抜いて蘇生するところを見てどう言い訳するのよ。むしろ隠し通せるなんて思ってたほうがおかしいわよ。どうして先に話してくれなかったの?」
「そのことは完全に計算外だ。当初の計画では君はあの場にいない予定だった。君にはよく驚かされるね」
と、東城は皮肉を言いながら大袈裟に肩をすくめる。
「それはこっちの台詞よ、あたしがこの一連の事件でどれほど驚かされたと思ってるの。今回の事件で失敗しなくとも、この先きっと常識外の怪奇現象に頭を悩ませたと思うわ」
「じゃあ最初から、『やあこんにちは僕は吸血鬼の東城聖ですよろしく』なんて言えばよかったのか?それこそ怪しいだろう」
そりゃそうだ。怪しすぎて近寄る気にもなれない。
「物事にはタイミングというものがあるだろう、君には時期がきたらちゃんと話す気でいたんだ。それがあの馬鹿な新米吸血鬼が不死身の力なんて見せつけるから君が図書室で変な本を借りてくる羽目になったんだ」
「新米吸血鬼?孝さんのこと?」
「ああ、吸血鬼に転生して半世紀に満たない吸血鬼はやたらと自慢したがる。前にサカヅキ達がニューヨークを拠点にしていた時はあんな奴はいなかった」
「ちょっと待って、よく話が見えないんだけど。もう正体はバレてるんだからちゃんと説明してよ。その……サカヅキのこととか」
あたしが言うと、東城はしばらくあたしを見つめた後やれやれといった様子で血液探偵事務所のプレートに手を置き、解説し始めた。
「この探偵事務所は世界中にいる吸血鬼達の起こす事件、その不可解な事件に巻き込まれた人間を助けて解決する、いわば吸血鬼事件専門の対策本部だ」
「え、でもあなただって吸血鬼なんでしょ?」
「いいか、この世にいい人間とそうでない人間がいるように、まともな吸血鬼とそうでない阿呆で野蛮な吸血鬼がいるんだ」
「だって吸血鬼の食料はその……人間の血でしょ?まともな吸血鬼ってどんな吸血鬼なのよ」
「前にも言ったが、僕は人殺しなんてしない。吸血鬼が生きていくにはもちろん人間の血が必要だが『一気飲み』をしない限り人間は一度で死なないんだ」
「……『一気飲み』?」
「人間の体から直接、その体内の血を一度で飲み干すことだ」
東城は無表情で背筋の冷たくなるようなことを言った。冷静に考えてみれば、あたしは今、そんな怪物の目の前にいる。東城聖がお腹を空かせていたら、あたしは簡単に彼の晩ご飯になっちゃうかもしれないのだ—————実感は湧かないけど。
「でもサカヅキ達のように味や香りを楽しんだり、その質にこだわるような奴は一度に飲みきったりしない。高杉美和子のような一番上等なものを捕まえてその血を少しずつ、何度かにわけて飲む」
吸血鬼にもいろいろいるらしい。まあ確かにあたしだっておいしいジュースを「一気飲み」しちゃえば味も何もない気持ちはわかるけど、人間の血の味なんて……
「そういう場合、つまり一度で人間が死ななかった場合に、吸血鬼の毒が体内に蔓延し変身し始める…質の悪い飲み方だ。そして僕はできるだけ人間に害のない飲み方、間接摂取をしている」
あたしはそれを聞いて頭の中で何かがきれいに当てはまったような気がした。
「あっ!だから依頼料が血液なのね?竜之介君から採血したものは、あなたの食糧になるってこと?あ、いやあの、彼を責めないでね、あたしが聞き出したの」
慌てて弁明するように言うと、東城は諦めたようにため息をついた。
「……君の言う通り、赤十字社と事務所を連携させているのもそのためだ。日本にいる他の吸血鬼のためにも、依頼人含めさまざまな人間から採った血液を常時貯蓄している。多くの人間から少量ずつ集めれば、どの人間にも害はない」
「そういうことね。それが、あなたみたいな『まともな吸血鬼』?」
「まあ僕のようなタイプは小数派だ。時間と手間がかかるし人間と上手く交渉しなければならない」
「そう、何だか東城もいろいろ苦労してるのね」
吸血鬼のくせに変に真面目で、人間に気を使う東城をいささか感心しながら見つめていると、彼は怪訝そうにあたしを見つめ返した。
「……怖くないのか?」
「え?」
「僕が、怖くないのか?」
どこか慎重に問う東城を見て、あたしは不思議と彼自体に恐怖を抱いていないのに気づいた。
最初こそその横暴ぶりに警察に行こうか迷ったほどだったけど、結果的に彼はあたしを守ってくれている。無愛想で無茶苦茶ではあるけれど、探偵の心得……例えば、探偵はどんなときも助手を命がけで守るとか……を今のところ破っていないあたり、むしろ理にかなっているかもしれない。
「だって、なんか東城って吸血鬼っぽくないもの。吸血鬼を退治したり、あたしを守ってくれたり」
あたしが笑いながら言うと、東城はかすかに眉を寄せた。
「残念だが僕は紛れもなく人の生き血を吸う不死身の怪物だ」
そう言った東城の声は抑揚こそあまりなかったものの、どことなく虚しさが滲んでいる気がした。
「でもあなたはまともな吸血鬼って言ったじゃない」
「ああ。でもこのさがからは逃げられない」
「え?」
彼はそう言うと、おもむろにカウンターの裏に入って、調理台の棚下から何かを取り出した。店内の淡い光にきらりと照らされたそれは、鋭利に尖った調理用のナイフだ。
一瞬、嫌な予感があたしをよぎったのも束の間、東城はあたしが何か言うよりも先に、何の迷いもなくそれを真っ直ぐ自分の胸に差し入れた。
あたしは思わず悲鳴を上げて彼に駆け寄る。でも東城のほうはいたって無表情で、胸に広がる赤い染みさえ気にかけずに今度はナイフを引き戻した。途端、その刃先から真っ赤な血がシンクにぼとぼとと滴り落ちる。
「ちょ、ちょっと……」
あたしが呆然として固まっているその横で、東城は無表情で呟いた。
「まだ300年少ししか生きていないんだ。あと千年はこのままだろうな」
「そう、千年……」
あたしはその気の遠くなるような年月を実感も湧かずに繰り返しながら、シンクから排水溝に流れていく赤い液体を呆然と眺めた。
……そしていろんな衝撃に耐えられなかったのだろう、頭の奥がぐらっと揺れた気がして、次の瞬間には文字通り目の前が真っ暗になっていた。
次回、18. 拝啓、お父さんお母さんへ
お父さん、お母さん。真田一花は十七歳にして人生最大の発見をしました。
「壺を割ったら人生ひっくり返りました」は比喩じゃなくて、ガチなんですよ—————




