16. 信じるか信じないかは
偶然、道の向こうに竜之介くんを見つけた。
あたしが大きく手を振って竜之介くんを呼ぶと、彼は「あっ」と口を開けて手を振り返してくれた。どうやら下校中のようだ。
今日もあたしは「キャッスル・ブラン」でせっせと働かなければならないけど、まだ出勤時間まで余裕はある。
とりあえず竜之介くんを誘って「キャッスル・ブラン」から少し離れたマックに入る。竜之介くんもあたしに用があったらしく、ポテトとジュースを頼んで席に着いた瞬間、ぺこりと頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました!」
彼は顔いっぱいに嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言った。いきなりのお礼に、あたしは戸惑いながらも何だか恥ずかしくなって首を振った。
「そんな、あたし何もしてないわよ」
「いいえ、東城さんと一花さんのおかげです!彼女、あの、高杉さん、一昨日から学校に来始めました」
「えっほんとに?」
「はい。でもいい意味で、また彼女の様子が違っていました」
竜之介くんはにこりと笑って言った。……また様子が違う?
「もう派手な金髪じゃなくて、黒髪の肩辺りまでのすっきりしたショートカットになってました。それから、前みたいな派手な化粧はもうしてなくて、でもかと言って分厚い眼鏡もかけてないんです。あ、スカートはちょっと規定より短いですけどね。
……でも、何ていうか彼女、本当の自分に戻ったみたいでした。前まで僕はずっと真面目な高杉さんだけを見てきましたけど、それは高杉さんが自分を抑えながら精一杯演じていたのかなって。今は彼女、友達も増えたみたいで、笑顔でいることが多くなりました。それから……」
竜之介くんはそこでふと顔を赤くして言った。
「昨日、久しぶりに高杉さんと学級委員の仕事をやっていて、その時にお礼を言われました。危ないところを助けてくれてありがとうって。実際には僕、何もしてないんですけどね」
竜之介くんは照れ臭そうにへへっと笑う。そんな彼を見て、こっちも自然と笑顔になってしまうのを感じた。
そうか、美和子ちゃん、本当の自分に戻れたんだ。あの時は事件のショックで立ち直れないかと思ったけど、どうやら大丈夫そうだ。美和子ちゃんを唯一心から気にかけていた竜之介くんの想いがあったからだろう。それに、東城が危ないところで美和子ちゃんを救ってくれたから。案外こうやって人を助ける仕事ってやりがいがあるかもしれない。
「それならよかった、一件落着ってとこだね」
あたしが言うと、竜之介くんも笑顔で頷いた。
「それでさ、ちょっと聞きたいんだけど」
と、思い切って続ける。キャッスル・ブランに入る前にわざわざ竜之介君を呼び止めたのは、これを聞くためなのだ。
「依頼料ってもう東城に払った?」
「え、依頼料ですか?」
竜之介くんがどきりとしたようにあたしを見た。
「そう。もし払ったなら教えてほしいの。前に竜之介くんが言ってたけど、依頼料は特別な形で払うんでしょ?それって何?」
「そ、それは言えません」
竜之介くんがぐっと肩に力を込めて言った。
「どうして?」
「東城さんに、口止めされましたから」
「口止め?あたしにも言うなって?」
「特に、一花さんには言うなって」
「何よそれ、余計気になるじゃない。……ね、東城には言わないからここだけの話で教えてくれない?」
あたしがこそっと竜之介くんに言うと、竜之介くんはぶんぶんと首を振った。
「だめですよ、そんなの。わざわざ一花さんには言うなって言われましたし」
「じゃあ、普通のお金じゃないことは確かなのね?」
あたしが言うと、竜之介くんの顔が少しだけ揺らいだ。その時のことを思い出して顔をしかめるようでもある。
「ま、まあ確かに不思議な代償でした。お金のない僕にとっては助かったけど、こんなものでいいのかなって」
「というと?」
「それは言いません」
竜之介くんは慌てたように口を結ぶ。
「だってあたし、東城の助手なのよ?探偵事務所の依頼料ぐらい知っておかなきゃ」
「そ、そうかもしれませんけど……」
「なら、大丈夫!どうせそのうちバレるんだし、今竜之介くんから聞いてもそんなに違いはないって」
あたしが「お願い」と最後のひと押しをすると、竜之介くんは観念したように、肩の緊張をほぐした。それから辺りを見まわしてから、小声で耳打ちをする。
「……血でした」
「えっ?」
「最初僕も変に思ったんですけどね……。依頼料は、お金じゃなくて僕の血でした。なんか赤十字社に輸血用の血として送るって、少し採血されただけで。そこで初めて『血液探偵事務所』の名前の意味がわかりましたけど、なんか……変わってますよね」
竜之介くんはちょっと首を傾げてからストローを加えて炭酸ジュースを飲み込む。
「あ、僕が言ったこと絶対に言わないでくださいね?東城さんって怒るとこわそうだし」
○
確かに、美和子ちゃんは髪を肩辺りまでばっさり切っていて、清楚な雰囲気になっていた。彼女は派手なメイクもしていないのになぜか目力が半端ではなく、不機嫌そうにあたしを見ていた。
「またあたしを引き止めたわね、今度は何?あたしだってそんなに暇じゃないんだから」
彼女はツンとした態度でさらりと髪の毛を払う。あの時は泣きじゃくっていた美和子ちゃんだったが、今では高杉美和子様、完全復活のようだった。
「ごめんね、今度は本当に重大な用事があって来たのよ。今から30分だけ時間くれない?」
美和子ちゃんはふと時計を見てから面倒くさそうに「10分ならいいわよ」と頷いたので、あたしは早速彼女と連れ立って近くの公園のベンチに座る。
「ねえ、あの時東城と何を話してたの?サカヅキのグループが捕まった後」
あたしが言うと、美和子ちゃんは一瞬だけ眉を上げてからふうっと鋭くため息をついた。
「あんた馬鹿?聖サンはあなたにその話を聞かれたくなくて、わざわざ別室に呼んだのよ?それをあたしがあなたに言っちゃったら意味ないじゃない」
「だから知りたいのよ」
中学三年生に馬鹿呼ばわりされないようにはっきり言った。
「東城はいろんなことを隠したがってるけど、あたしには知る必要があるのよ、助手として。わかるでしょ?見るなって言われると逆に見たくなっちゃう映画とかさ」
あたしが言うと、美和子ちゃんは少し考えてから「わからなくはないけど」と頷いた。
「ね?だから教えてくれない?美和子ちゃんにとってもあたしにとっても損な話じゃないでしょ」
「まあ、10分時間とられてますけど」
「あーもう、わかったわよ!今度アイス奢ってあげるから!」
「サーティワン?」
「シングルなら」
「じゃあハーゲンダッツ」
美和子ちゃんはにこりと笑って言った。こういうところは本当にしっかりしてる。あたしは仕方なしにそれで妥協した。まあ、謎を解く鍵として300円払うなら安いほうか。
「その代わり、きっちり教えてよ?」と念を押すと、美和子ちゃんはチラリとあたしを横目で見た。
「いいけど教えたって信じないかもよ?あたしだって信じてないもの」
「……いいわ。何だか覚悟はできてるの」
真剣に言うと、美和子ちゃんはため息をついて一瞬空を仰ぐ。
「まず、聖サンがあたしを部屋に呼んだのは話す為だけじゃなくて、あたしに注射を処置するため」
「え?注射?」
「そう、毒を飽和する特別な注射だってさ。もちろんあたしは聞き返したわよ、一体何の毒があたしの体に入ってるのって。そしたら聖サン、すぐには信じられないかもしれないが、なんて前置きしながら、とんでもないおとぎ話みたいなこと喋りだしたわ」
あたしは半分身を乗り出して聞いていた。美和子ちゃんは呆れたように笑ったが、東城を完全に疑っているわけでもなさそうだった。
「でもそれを聞かされた時、聖サンがイカれてるって思わなかったのには訳がある。だってあたし自身いくつか心当たりがあったのは確かだし、実際彼ってイカれてるようには見えないじゃない?それどころかすごい真面目で誠実だし、イケメンだし優しいし……」
「美和子ちゃん、話がずれてるから。それで、どんな心当たりがあったの?」
なんとか元のレールに話を戻すと、彼女は一瞬つまらなさそうな顔をしてから続けた。
「まず、あたしが異変に気付いたのは三回目にムーンブラッドのバーに行った時」
「うん」
「その時、あたしはちょうど孝さんに告って、オーケーもらって有頂天だった。そんで孝さんに連れられてバーに入ったら、なんか変な匂いがした。
ワインの匂いみたいな、でも錆びた鉄みたいな感じ。見たら、サカヅキさんが毎週仕入れてるって言ってた、あの血液のサンプルが机の上にいっぱい転がっていた。ほとんど空だったわ。サカヅキさんはワイングラスを片手にバーカウンターに腰かけて、いつものようににこやかにあたしに言った。
『やあ、君も飲むかい?』って————それで、ワイングラスを差し出された。普通に、赤ワインだと思ったのよ、だって普通はそう考えるでしょ?でも違った。すごく気味悪い話だけど、そのグラスに入ってたの全部、血だったの」
美和子ちゃんはそれを思い出したように鼻にしわを寄せる。それを実際のこととして想像すると、あたしも顔をしかめずにはいられなかった。
「もちろん、そんなのいらないってあたしは首を振った。そしたらサカヅキさんが、『君もその内こんなのがおいしいと思えるようになる』って。
そこから後はあまり覚えてないわ。バーに行くとあたし、必ずどこかで意識が飛んじゃって、気付くと孝さんに車で送られてるのよ。そんなことが続くと、それまでにバーで起こっていた変な出来事がどうでもよくなってくの。何が記憶で何が夢かわからないし。で、聖サンが言うにはそれ、あたし〝噛まれてた〟らしいの」
「……噛まれてた?」
「そう。吸血鬼に」
美和子ちゃんは真顔でそう言ったあと、突然はじかれたように爆笑しだした。
「あははは!もー、ほんと、何それって感じ!ありえないってば。いくらヴァンパイアムービー流行ってるからって、それは冗談きついでしょ」
あたしは何と言っていいかわからずに、ただ美和子ちゃんの次の言葉を待った。
「聖サンはすっごい真剣な顔だったわよ?孝さんもサカヅキさんもみんな実はヴァンパイアなんだとか」
ひとしきり笑うと、そこから美和子ちゃんは段々と笑いを止めて、少し神妙な顔つきになった。
「でも……なんか笑えなくなっちゃったんだよね。あんただって目の前で見たでしょ?孝さんが撃たれて、再生するところ。
こんなの夢だって思いたいわよ。バカにして笑っちゃいたいけど……自分がその仲間になりかけてたって聞いたとき、すごく怖かった。自分の体の異変はそういうことだったんだって考えたら———
聖サンの話によると、あと二、三度噛まれてたら完全に人間じゃなくなってたって。まだ吸血鬼の毒を飽和する注射が効く段階でよかったって」
あたしは子供達が平和に遊んでいる、いつも通りの夕方の公園を眺めながら、妙な気持ちになっていた。見慣れたはずの公園が、実は公園じゃなくて、全部うそみたいに見える。
「まあ、あたしも未だに半信半疑って感じ」
美和子ちゃんは曖昧な言葉で締めくくり、そこであたしの表情を見たのかふっと笑った。
「変に思われてもしょうがないわよね。でも真実を話せって言ったのはあんたなんだから、信じるか信じないかは別にしてもアイスはちょうだいね」
あたしはしばらく美和子ちゃんを見つめた。
「一つ聞いてもいい?」
「手短にね。そろそろタイムリミットだから」
「東城聖は人間?吸血鬼?」
「そんなの知らないわよ。吸血鬼が吸血鬼を退治なんておかしいけど、普通の人間一人があいつらと戦って全員縛り上げたって考える方が難しいかもね」
美和子ちゃんはそういって時計を見るなり「じゃあね」と公園のベンチを立っていってしまった。
あたしはそこに一人残されてからも、しばらくぼうっとして動けずにいた。ジャングルジムに登って騒いでいる男の子達、ぶらんこを交替に入れ替わって押している女の子達の声も、不思議な泡に包まれて遠のいていくようだった。
次回、17. 私立探偵の正体は
竜之介くん、そして美和子ちゃんから聞かされた衝撃の「事実」?
それが本当に事実なのかは、彼に聞いてみないとわからないのかもしれない———




