13. 君を心から気にかけていたのは
つるつる頭で目のぎょろっとしたおじいちゃんは、「たま爺」というらしかった。本名は杉林玉造で、東城は「たま爺さん」と呼んでいた。
そして、たま爺は目を見開いてあたしに笑いかけた。
「お譲ちゃん、びっくりしたろう。そりゃ、びっくりしたけえねえ。ブラドの若さん、あんまり隠し事したらいげねえから、近いうちに話してやんなよお」
たま爺はそう言って席を立った。
「ほな、わいはこれで帰るとするか。あのサカヅキ達の面倒見ねばいげねえで、いやあほんと。あの会社も取り押さえてぐれて、あや、ヴラドの若様のお手柄じゃ。毎度まいどお疲れさんで」
たま爺はイヒヒヒヒ、と気味の悪い笑い方をしてから、喫茶店のドアを開けて店を出て行った。
チリン、と軽い鈴の音が響き、また店内に気まずい沈黙が帰ってきた。
隣に座っている美和子ちゃんは静かにすすり泣き、東城は無表情でそんな彼女を眺めていた。
「あのー、ヴラド三世って」
どうせ気まずいのならと、あたしは思い切ってずっと気になっていたことを口にしてみる。
「ヴラド三世って誰?東城イコール、ヴラド三世の息子?」
東城がこちらに目を向けて、「ああ」と短く答える。
「……信じられない」
美和子ちゃんがこの席についてから初めて口を開いた。
それまで美和子ちゃんは店の奥の小部屋で東城と話をしていて、あの集団の正体や、自分があのままいけばどうなっていたかも知らされたようだ。
あたしはその間店内に閉め出されていたので、ここで一人でコーヒーを啜っていたのだ。でも、どうして東城はそのことをあたしに教えてくれないんだろう?
今回の事件については、東城のおかげで敵は全員捕獲され、あのグループも解体して全ては解決に終わった————ように見えて、あたしの頭の中の混乱については一つも解決していない。
「やっぱりありえない」
美和子ちゃんは再びそう言って鋭くため息をついた。
一体東城に何を聞かされたんだろう? 美和子ちゃんの赤らんだ頬から涙がつたって、その前に置かれたミルクティーの中にぽとりと落ちた。
「あたし、本当に孝さんのこと好きだったのに」
美和子ちゃんが呟くように言い、あたしはその名前に反応した。あの気味悪い不死身人間。目の前で起こったあの異様な光景は今でも信じられない……
でも同時に、美和子ちゃんに同情してしまう。彼女はどうやら本気で好きだったらしいけど、でも向こうは美和子ちゃんを本気で愛しているようには見えなかった。どちらかというと彼は……
「彼らは君のことを都合のいいエサとしか思っていなかった」
東城が無神経にもそうあっさり言ったので、美和子ちゃんはその言葉にぐっと唇を噛んで、目に涙を溜めた。
ちょ、ちょっと!言い方ってもんが……
あたしは東城を睨みながらも、慌てて美和子ちゃんの背中に手を置きフォローする。
「い、いやほら、孝さんよりいい男なら他にもたくさんいるわよ。美和子ちゃんなら絶対にみんな振り向いちゃうし」
わざわざ傷をえぐるようなことこのタイミングで言うなんて、まったく女心をわかっていない。
美和子ちゃんはしばらく黙ったまますすり泣いていて、あたしはどうすることもできずに目の前の冷めたコーヒーを見つめ、相変わらず鈍い光を反射しながら壁にかかっている銀の鎧を眺めた。
店内を見下ろすように飾られた鎧兜は、今ではなんとなく私たちを見守っているようにも見えるから不思議だ。
「……わたし、親にこの高校に行けって決められていたんです」
ポツリと口を開いた美和子ちゃんの声は、今まで聞いたことのない真面目な声だった。その瞬間、変身前の三つ編み眼鏡の美和子ちゃんが頭に浮かんだほどだ。
「大学まで決められていて、中学も本当は私立に行くはずだったけど落ちちゃって。だから高校は失敗できないと思って。
わたし学校ではすごく真面目な子を演じて、先生にも気に入られようと頑張ったし、テストも毎回一番を取って、内申のためなら何でもしました。
でも授業が終わったら……電車で遠くへ行って、スカートを巻き上げて化粧して、絶対にうちの学校を知らないような他の友達と遊んだんです。
だって親には逆らえないし、そうでもしないと息が詰まりそうだったから。なんていうか、優等生のわたしと、好き放題できるわたしを使い分けてたんです。そんな時でした、孝さんが声をかけてきたのは」
美和子ちゃんがそこで息をつきながら自嘲気味に笑った。
「だって、本当に一目惚れだった。そんな彼が、君かわいいね、でももっとかわいくなるために生まれ変わらない?って言ってきて。生まれ変わったら勉強も努力もしなくていいって聞いて舞い上がった。もうスカートを膝下にして眼鏡をかけて、真面目なふりして先生に媚び売らなくてもいいんだって————だから何も考えずにその誘いに乗ったんです。
もちろん怪しいとは思ったけど、でもそんな警戒心も、ムーンブラッドにいけばすぐに消えちゃった。最初はただ楽しかった。
だってあれだけのイケメンに囲まれてちやほやされて、すごくいい気分だった。自分が生まれ変わっていくのが手に取るようにわかったし、もう学校でも優等生じゃなくて、本当のあたしでいていいんだと思って。孝さんが受験なんてもう意味ないからしなくていいって言ったから」
美和子ちゃんはそこで東城を一瞬見たあと、唇を噛んだ。
「その意味が今やっとわかった。そうよ、あんな怪物に生まれ変わったら受験なんて必要ないわ。だって寿命がないんだもん」
え?寿命がない?あたしがその意味深な言葉に眉を寄せると、東城がすっと訂正した。
「一応寿命はある」
「でもないに等しいでしょ。どっちにしろあたしはそんなの嫌よ。本当にそうならなくてよかった」
東城は静かに「そうだな」と頷いてから言った。
「斉藤竜之介に感謝しておいたほうがいい」
「え?斉藤君?」
美和子ちゃんが驚いたようにその名前を繰り返した。
「今回の事件を最初にうちに相談しにやってきたのは彼だ。彼があと三日遅くやってきていたら君は手遅れだったかもしれない」
「……斉藤君が?」
美和子ちゃんは半開きの口でそう漏らした。それから決まり悪そうに視線を落として顔を赤くする。
「君を心から気にかけていたのは彼だった」
東城がそう言ったところで、美和子ちゃんの目からふと涙がこぼれ、それから彼女は顔を覆って泣いた。その涙は後から後から止まらなかったけど、彼女が小さく呟いたのはあたしにも、そしてきっと東城にも聞こえただろう。
「……ありがとうございました」
次回、第2章「オカルト同好会の危機」
14. 絡み合う魔の網を潜り抜けて貴方に辿り着いた奇跡の布陣
探偵助手としての初事件は解決したと言うのに、一花の疑念と動揺は深まるばかり。そんな折、なぜかクラスのオタク女子に声をかけられた————




