12. 人間ではなく
「残念だったな。僕の助手になったばかりに命拾いする、の間違いだろう」
いつものように冷静な声だった。ああそう、この声だ。あたしに無理やりな命令をして、意味不明なことを喋り出すあいつ。
本人の方からやってきてくれたんなら、ここで呪ってやろう———と思ったが、あたしはまだ死んでいなかった。
声のした方を見ると、一人の青年がカウンター横のドアを後ろ手でかちゃりと閉め、こちらに近づいてくる。
女の子にモテそうなすらっとした背格好に、漆黒の髪。バーの照明が、その端正な顔を照らし出す。そして彼はあたしを見ると、呆れたように言った。
「新人の失敗にしては、また大胆にやらかしたな」
一体どのタイミングでこのアジトに入って来たんだろう———しかも、敵に一切悟られずに。
彼の姿を認めるなり、あたしに銃口を当てていたサカヅキにすっと緊張が走った。
「動くな、東城聖!」
サカヅキは素早く体勢を変えてあたしを人質にするために首元を腕で押さえこむ。そして、威嚇するように銃をこめかみに当て直すので、あたしは再び全身が強張るのを感じた。
が、東城はなぜか焦った様子はなく、余裕の表情であたしとサカヅキを交互に見ながら穏やかに言う。
「お久しぶりですね、サカヅキさん。前会った時は確かニューヨークだ。その時もあなたはこうやって女の子を次々陥れていた。運よく逃げ果せたあなたに、僕は注意したはずですよ。次会う時はただじゃ済まないって」
「私も覚えているよ」
サカヅキは目の前の東城を恐れるような、同時に挑戦するような目で睨んでいた。
「私達の素晴らしい計画が君一人によってめちゃくちゃに崩された日のことをね……」
「覚えていてくれたなんて光栄ですね。ただ、学習する能力はなかったようですが」
東城はにこりと笑って言い、少しこちらに歩み寄った。サカヅキはその動きに反応して銃を握る手に力を込める。
「いいのか?それ以上近寄ると君のかわいい探偵助手が犠牲になるぞ、東城」
そうよ、余裕ぶってる場合じゃないでしょ東城。このかわいい探偵助手がまだ死の淵に立たされているって言うのに。
「かわいい……?まあとにかく、あなたとゆっくり談笑している暇はないんです」
東城の疑問符についてあたしが何かツッコむまでもなく、瞬く間に二つの事が起こった。
まずは数メートル離れたところにいたはずの東城が、サカヅキのすぐ横に移動していて、それに反応したサカヅキが一歩遅れて引き金を引いた。
あたしがやばいと思ったのも束の間、銃口はいつの間にかあたしの頭ではなく床に向けられていて、大きな音とともに床に穴が打ち開けられたみたいだった。銃はそのままサカヅキの手から払い落とされ、床をスライドしていく。
そしてそれを見ている暇もなく、あたしはバーカウンターのほうへ背中を押される。両手を縛られているせいでよろけていると、別の男達がまた押さえ込もうと向かってきた。
何て言ったって、人数が圧倒的に多い。またそいつらに取り押さえられるのかと絶望したとき、誰かが彼らの腕を後ろからまとめてねじ上げる。
さっきまでサカヅキと戦闘していた東城だ。瞬間移動の術でも習得したんだろうか。じゃあサカヅキはどうなったんだろうとふと見ると、彼はたった1秒前まで人質をとって脅していた男とは思えないような間抜けな姿で力なく床にのびている。
......あれ、もしかして東城ってすごく強い?
「たま爺さん、一花をお願いします」
東城は敵二人の腕を片方ずつ掴んだまま、そう誰かに言ったかと思うと、そのまま男二人のみぞおちに的確な蹴りを入れて、なんなく店内の隅に振り飛ばしてしまった。
東城の戦闘能力の高さに感心していたのも束の間、周りにいた男達が東城を覆うようにして一斉にかかっていく。いくら強くても、相手だって負けてない。まさかこの7人同時に相手をするつもり.....!?
焦っていたあたしの背後で、ふと人影が動くのに気づく。何かキラリとひかるナイフのようなものが見えて、一瞬びくりと身体を強張らせると、そのナイフはザクザクと両手を縛っていた縄を切り始めた。
「あやあやあや、お譲ちゃん、大変なことになってもうて」
あやあやあや?前にも聞いたことのある変な声だ。後ろで素早くあたしの両手の縄を解いてくれたのは、あの一番最初に喫茶店で見た、変なつるつる頭のおじいちゃんだった。
「あっおじいちゃん!」
でもどうしてこんなところに?
「ほれ、その美和子ちゃんってえの、助けてあげな」
あたしはおじいちゃんにそう言われて、はっと美和子ちゃんを見た。店内の乱闘は混乱を極め、あちこちでモノが割れたり壊れたりしていたが、店の1番隅の方で、孝さんに押さえられている美和子ちゃんがいた。
あたしは考えるより先に自由になった身体で駆けだし、念のためすぐそばの床に転がっていた銃を拾って孝さんに近づいた。
「……美和子ちゃんを放して」
美和子ちゃんは後ろ手を孝さんに掴まれ、首元をもう一方の腕で押さえつけられているせいで苦しそうに息をしている。
「もう一度言うわよ、今すぐその手を離して」
あたしが声を強めて繰り返しても、孝さんは子犬が吠えているのを眺めるかのように鼻で笑った。あたしは口で言って聞かないならと、後ろで隠していた銃を思い切って彼の前に突き出した。
「美和子ちゃんを返さないと……撃つわよ」
もちろんあたしは銃を撃ったことなんてない。こんなふうに人に向けて構えたのも初めてだ。でもあたしより強い相手には————そして、今この状況では、こうする他ない。手が自然と震えるのを相手に見せないように、必死に握りしめて、彼をまっすぐに睨み付ける。
が、彼の反応は予想とは全く違った。彼は銃を構えたあたしを前にして、いきなり笑い出したのだ。
「撃ってごらんよ、そんなもの僕には効かないけどね」
「———?」
ど、どういうこと?あたしが眉を寄せると、孝さんはすっと美和子ちゃんを放して今度はあたしに近づいてきた。銃口は変わらず孝さんに向いているのに、彼はそんなの気にもしていないかのように、いきなりあたしの手首を掴んだかと思うと、その銃口の先をグッと自分の胸に当てた。
「さあ、撃ってみな。僕らは無敵だってことを教えてあげるよ」
あたしは意味がわからずに、孝さんと、その胸に当てられた銃を見つめた。
違う。この人を撃とうと銃を手にしたんじゃない。単に美和子ちゃんを救うための脅し道具にしようと思っただけ。
彼はこっちが本気じゃないってことをわかってて、あたしを揶揄ってるの……?
冷たい銃を握る自分の手が、自然に震えだす。
「……美和子ちゃん、逃げて」
美和子ちゃんはもう孝さんの手から逃れている。でも、この人が何をするかわからない。あたしは声を絞り出して彼女に言ったが、美和子ちゃんは呆然と立ち尽くしていて、動く気配を見せない。
「美和子ちゃん!!」
あたしがもう一度強く言うのと同時に、孝さんが言葉を重ねた。
「美和子、君もよく見ていたらいいよ。無敵になるっていうのはこういうことなんだ」
不気味な笑みを浮かべるや否や、彼はあたしの手の中から銃を取り上げ、そのまま両手で自分自身の胸に当てる。
「え———」
理解も追いつかないまま、次の瞬間にはもう引き金は引かれていた。
パンッと短く鋭い音が耳を貫き、銃の振動に手が痺れ、孝さんがその衝撃によろける。
―――!
あたしが呆然と彼を見つめていたときだった。ゆっくりとよろけて壁に倒れかかった孝さんの身体に、あり得ないことが起こった。
その身体は壁に倒れることはなく、彼はスッと上体を起こしながら、まるで何事もなかったようにこちらに向き直って、見せつけるようににやりと笑ったのだ。
……え?
確かに白いシャツには穴が空き、胸のあたりからじわじわと赤い染みが広がっている。銃弾が彼を撃ち抜いたのは確かだ。でも、その顔や体は痛みすら感じないと言ったように、その衝撃を完全に無視して平然としている。
あたしはその異様な光景に目を見開いた。
何……?今、何が起こったの?
「どう、驚いた?」
孝さんが静かに口を開く。
「僕は撃たれても切られても殴られても死なないよ。不死身の身体なんだ。どうしてかわかる?僕もずっと前に〝生まれ変わった〟から」
怪しい魔術を披露した手品師のように不気味に笑う彼。
不死身の体?確かに今彼は自分で自分の胸を撃った。錯覚なんかじゃない。目の前で見たんだもの。でもそんな、マンガやSF映画じゃないんだし、いくらなんでも……。
「だから君も、生まれ変わらせてあげるよ」
孝さんはそう言っていきなりあたしの手首を掴みながら引っ張った。抵抗もできずにいると、スッと横から入ってきた影が、孝さんの首元をグッと掴んで締め上げたかと思うと、そのまま勢いよく壁に向かって突き飛ばす。
と、あたしの目の前にはいつの間にか東城の背中がある。
「一花、高杉美和子を連れて外に出ろ!」
その鋭い声で、あたしはふっと我に返った。
とりあえずそばに呆然と突っ立っている美和子ちゃんの手を引いて、何も考えずに全力でバーのドアを目指して駆けだした。
ドアを出ると、目の前に急な階段があって、それを一気に登ると駅裏の路地に出た。今まで暗い店内にいたばかりに、まだ照っている午後の太陽を見たときはまぶしくて目を細めた。美和子ちゃんも一瞬その日差しにくらっとしたけれど、あたしが手を引っ張って通りを走り出すと、なんとかついてきた。
「……あの人たち、やっぱり人間じゃなかったんだ」
走りながら、美和子ちゃんがぼそりと言ったのが聞こえた。あたしは聞き返す余裕もなく、そのまま路地を走り抜けてやっと人通りの多い商店街に出た。
それでもあたしは美和子ちゃんの手をひいたまま足を止めることもできなかった。
—————やっぱり人間じゃなかったんだ。
次回、13. 君を心から気にかけていたのは
命からがら、ムーン・ブラッドを抜け出した美和子と一花。しかし、めでたしめでたしと言うには引っかかるものがありすぎた————




