影のみが黒く
五名の少将が、紫黒の軍服に身を包んで座っている。
「以上が、異能戦争のルールです。なにかご質問はございますか?」
凛太郎は紅茶に口を付け、冷めていることに心の中で文句を言う。
元から冷たい紅茶だったと言われても信じられるほど、紅茶は冷めてしまっている。その事実に対してではない。
冷めるまでのその間、目の前の相手は立ちっぱなしかつ喋りっぱなしだ。なぜそれを誰も指摘しなかったのか。そう思っているのだ。
「そうだな……まず、茶も出さず長時間立たせっぱなしで悪かった。異能戦争については整理する時間がほしい」
目をぱちくりさせる相手を見て、凛太郎は首を傾げる。すぐになにか思い付いたように頷くと、小さく笑う。
「突然の訪問だからと、こんな時間に追い返すと思ったのか? 今頃、護衛から聞いたきみの好きな食べ物を作って……そうか。だから気付かなかったのか」
凛太郎の視線が机に落ちる。そこにはカップがあるが、五つしかない。その視線を追って、三人は気付く。
説明は唐突に始まり、あまり状況が呑み込めないまま聞いていた。だが飲み物が運ばれて来たら、そのタイミングで話が中断されて気付いていたはずだ。
だが飲み物は運ばれて来ていない。考えられる理由はひとつだった。
「西霞城くんだったね。護衛はどうしたのかな?」
客人に出すものは、護衛から聞いたことを参考にする。
例えばアレルギーのあるものを出して、騒がれては面倒になるためだ。文化の違いは大してないが、念を入れて悪いことはない。
それは飲み物一杯でも変わらない。
「おりません。それもあって信用されなかった僕に助力してくださった准尉殿に、大変助けられました。お名前を窺ったのですがお答えいただけなかったので、少将へ改めてお礼を申し上げます」
恭一がした質問の意味に正雄はやっと気付いて、目が見開かれる。
みなの髪や瞳の色は漆黒だ。その中にある赤い瞳は目立つ。東部軍では色を高尚とは言わないが、漆黒がそういった色であるということは認識されている。
霞城は白銀の瞳を伏せた。色での差別を肯定、あるいは容認することを強要された気がしたからだ。
若そうな、漆黒ではない色を持つ、理解力の足りない者。そんな者が少将に就くなど、のっぴきならない事情があるに違いない。それがこの島の常識だ。
不満を抱くしかできない程度には、霞城もその考えに染まっていた。
「――そうか。今日は疲れただろうから、明日以降のことは明日話そう」
人を呼んで霞城を客室に案内するように言う。霞城が部屋を出て行ってしばらくは、無言が続いた。
代表として話していた凛太郎は、なにかを思案している。
この中で唯一スカートを履いている弘美は、面白くなさそうに笑って頬杖をついた。ひとり気付くのが遅れた正雄は、暗い顔をしている。
恭一と晴臣は、微笑んでいる。
「二人して笑って、なにがおかしい。彼が無事に着いたのは結果論。もし着かなかったら東部軍は異能戦争のことを知らなかった」
「だからだよ。面白いことを考えるよね。何者か分からない彼は、ここに着く前に殺される可能性だってあったんだ。事情はどうあれ殺したのは東部軍。西部軍に落ち度がないとは言えないけど、被害者ということにならないかな?」
「参加人数のルールも、よく考えられているね。戦闘パートは最大九名。異能者は内一名以上五名以下……これ幸いと彼を脅しのネタに交渉を持ち掛けたら、異能を持たないことが筒抜けだよ」
正雄以外に表情を変える者はいない。また置いていかれていたことに気付き、思わず唇を噛んだ。すぐにハッとして止めると、居直って動かない。
自身の醜態が晒されないよう、不出来だとバレないよう、正雄には常に心がけていることがある。
可能な限りどこも動かさない。呼吸を一定のペースに保つ。自発的に発言をしない。これを周囲が気付いていることに、気付かないフリを続ける。
「正雄少将の言うことは正しい。抗議の連絡を入れる必要はある。交渉をするならその際にするのが普通だ。交渉しないにしても、連絡が遅くなれば検討していたと思われかねない。完全なブラフであればかまわないが、実際は違うからな」
「交渉に関することを翌朝までに決める必要がある。ってことだね」
「もっと慎重に検討するべきだと、私は思うよ。焦って決めると判断を誤ってしまうからね。これまで蔑ろにしていた東部軍に、そこまで興味を持つかな?」
恭一の言い分に、晴臣は納得する。
他三つの軍は長年に亘って東部軍を軽視している。必要なものの中に軽い罠を仕掛けることはしても、深く勘ぐることはしない可能性の方が高い。
些細な事柄から相手の現状を読み取り、行動を予測する。それは多くの場合、脅威に備えるためにする行為。しかし東部軍は脅威だと思われていない。
「私は彼自身のことが気になるよ。彼への命令は、ルール説明だけなのかな? 彼自身に目的がないとも限らない」
三人はドキリとした後、渋面を作った。家に捨てられた憐れな少年と決めつけていたからだ。
晴臣はドキリとした後、微笑んだ。
いつ何時も恭一は、人を信じすぎず、疑いすぎない。それを無関心だと言う者は少なくないが、晴臣はそう思わない。
無関心であったなら、霞城を疑うことはない。そう考えているのだ。
「そうだな。落ち着いたら孤児院に送ろうと思っていたが、彼自身のことが多少掴めるまで軍の監視下にあった方がいいか。だが部屋に閉じ込めるのも……」
「従軍させて私の部下にするよ」
「……どういう意味だ?」
「そのままだよ。閉じ込めるのは可哀想という意味で言ったんだろうけど、それが違うんだよ。閉じ込めて分かることは、ただのひとつだってない。言葉を交わし、刺激を与えて観察しないとね」
にこりと笑った恭一に、凛太郎は頬をひくつかせた。会話の流れをコントロールされていたことに気付いて後悔したが、もう遅い。
雑な理論武装をし、笑顔で暴走し始めた恭一を止められる者はこの場にいない。
***
翌朝、霞城は紫黒の軍服を渡される。少し戸惑った様子を見せたが、典雅な礼をすると感謝の言葉を口にした。
霞城が戸惑ったのは、最終的には殺されるものと思っていたからだ。異能戦争の開始か、あるいは終結までの命だと。それまでは不測の事態に備えて牢へ。それが最も不利益を生まない方法だ。
帰らせるつもりのない者の死で因縁をつけるほど、軍は暇ではない。
少将らがそのことに気付いたのは、落ち着いて冷静になってだからだった。交渉はしないことに決まった。
「うん、賢い子だね。そんな純血の……西部軍は高尚だったかな、の色の者がなぜ捨てられたのかな?」
「大将がメイドに作らせてしまった子供です。快く思われなかったのは仕方のないことだと思います」
「……東部軍も喜んで歓迎できるわけではない。ひょっとすると、死んでおいた方がよかったと思うことがないとも限らない。一度した選択は変えられないぞ」
その言葉は、重々しく告げられる。だが心配そうな雰囲気を隠せてはいない。それを隣で聞く晴臣は思う。
成人前の少年に一生の決断をさせるのが酷だということは、分かっている。自分で選んだことだからと、余計に逃げ道がなくなることも。それでも決めさせなければならない。
殺されるか、なにもかもが不確定な未来か。
「……着替えてきます」
「選択の理由を教えてくれるかな?」
決定的なことを口にする勇気がないことを、責めたくなかった。どっしりと受け止めてやりたかった。
霞城が幼いからではない。重要な選択に尻込みするのは、当たり前だからだ。
それでも聞かなければならない。選択の理由によっては今後の対応を変える必要がある。西霞城という人物を掴むきっかけになるかもしれない。
「死んだら後悔もできないからです。自分でなにかを決められる環境が、僕にはありませんでした。だからせめて後悔のできる、僕だけの人生が欲しい。そう思ったんです」
「後悔や絶望すらも希望……か」
そんな言葉を零したのは、晴臣だった。自身の質問に答えたのが少年だと、信じたくなかった。
暗い表情をする晴臣とは対照的に、恭一は軽く頷きつつ微笑む。
「いいんじゃないかな。でも理不尽があったら必ず、私に報告すること。全てを積極的に解決することはないけど、私の玩具に手を出したらどうなるのか最初に教えてげないとね」
「……――はい」
こうして霞城は、東部軍に従軍することとなった。
紫黒の軍服をぎゅっと抱きしめる。微笑んだ四人の少将は、各々声をかけて部屋を出る。そして外で待機していた自身の護衛を連れ、執務室へと向かった。
恭一と部屋に残された霞城は、少しだけ居心地悪く思っていた。自身の世話を見るという人物が、なんとなく不気味なのだ。
他の四人からは心配や同情といった感情が読み取れたが、恭一からはなにも感じられない。押し付けられたという雰囲気でもない。
「さて行こうか、霞城中尉。仕事が山積みなんだ」
霞城の心境を察していながら、敢えてなにも言わない。そう察した霞城は、安心した。
言葉を尽くす者は、嘘吐き。態度で語ろうとする者は、大嘘吐き。
それが霞城の認識だからだ。
「はい!」
読んでいただきありがとうございます。東部軍のお話しでした。
他軍と異なる点が沢山あるのですが、そもそも状況が違いすぎてあまり伝えられていない気もします。兎も角、東部軍早くもピンチです。
髪や瞳の色についての補足です。
東部軍では色が高尚、高貴、高潔という考え方はありません。それなのに純血という単語がすらりと口にされているのは、純血の元々の意味が“髪と瞳の色が同じこと”で、転じていったためです。
この島にある色は、序章で登場した色のみです。各軍の“良い色”が漆黒、白銀、金、青。その他には紫、赤、黄、茶、灰があります。
次話から本編が始まります。




