金色の悪魔
赤胴の軍服を着た中将は、少将から受け取った書類に目も通さず捺印した。十名の顔写真の下に、氏名や階級が書かれた書類だ。
なにか言おうとした少将を手で制し、小さく息を吐く。
「決まったことだ、変わらんよ。責任者が必要なだけだ。……勝てそうか?」
「個人の戦闘能力に問題はありません。ただご覧になった際、心配なさるのではと危惧しておりました」
含みのある物言いを聞いて、やっと書類に目を落とす。
島の南部を統治するこの南部軍は制度上、准尉がもっとも動かしやすい階級となっている。そのため下流分家の者は特別な任がない限り、准尉である。
五名いる准尉の中には、中将が耳にするほどの働きをしている者もいる。少将の言う通り、戦闘に関する能力は問題ないと判断した。
しかし問題は、権力がアンバランスなことだ。
大佐は戦略パートの真人のみ。強く意見ができそうな者は二名。
信次は真人と同じく本家かつ純血だ。しかし中佐であるため、その意見がどうなるかは不明。
瑞人は同腹だが、純血ではないうえに若い少佐。意見を通すのは難しいだろうと中将は考える。
静と志保は、楠と和南津という上流分家であるにも関わらず少尉。立場がよくないことは明白だった。
中将は唇を引き結ぶ。
「本家の二名には、少なくとも中盤までは生き延びてもらわなければ。そうでないと大敗の可能性もある。なぜこのような戦闘能力だけを重視した選び方をした」
「ご指摘はごもっともですが、それなりの理由はございます。会っていただければご理解いただけるはずです」
「……分かった。すぐこの十名を呼べ」
異能戦争について聞かされた十名の表情は、分かりやすく暗い。そして周囲の反応を窺っている。
無言の重い空気に耐えかねた瑞人が、笑顔を作って黄色の瞳を向ける。相手は隣にいる静だ。その際に“高貴な色”である金色の髪が、ふわりと揺れた。
「この機会に、ボクからパーソナ――」
「お断りします。いい加減もう諦めて下さい」
発言の際も、静が持つ金の瞳は瑞人に向けられないままだ。姿勢は直立不動を貫いており、黄色い髪は揺れない。
通常であれば上官、ましてや本家の者の言葉を遮るなど考えられない。無礼だと怒りを買い、なにが起こるか分からない。そんな愚行だ。
しかし瑞人は拗ねたような表情を作り、静を見ているのみである。気にする気配が全くないどころか、気にするべきとも思っていないような態度でいる。
「中将の前だぞ」
そう言って瑞人をたしなめたのは、信次に小突かれた真人だ。視線は瑞人に向いておらず、この中で唯一紫の髪を持つ響を見ている。
そのことに気付いた友己が、あろうことか金の瞳を鋭くして威嚇する。真人は怒るどころか、少し気不味そうに中将へ向き直る。それを確認した友己が満足そうに荒い鼻息を吐くと、灰色の髪が揺れた。
当の響は素知らぬ顔で、その金の瞳をちらりとも向けない。
「……考え直すべきだな。とても協力できるようには見えない」
「ご心配には及びません。今目に見えたものだけがわたしたちの関係というわけではございません。それに独りで勝てるなどとは誰も考えていないでしょう」
「意味を分かって言っているのか? 信次中佐自身が戦闘パートから外れる可能性もある」
「はい。不要の烙印を押されるのは、わたしどもだけで十分です」
微笑んで言われた信次の言葉を聞いて、康生は思った。やはり、と。
悪い意味も含めて有名人ばかりが選ばれている。体よく処分するか、英雄に仕立て上げてがんじがらめにするつもりだろう。
選出基準が分かっていれば、次の候補を絞ることは可能。
俺たちは脅されている。お前が行かなければ、行くのは“あいつ”だと。それを言わずとも理解し、従う者を選んでいる。
「わたしは信次中佐に賛成です。妹も選ばれなくてよかったですよ。中は空になるのでしょうが、やはり墓は立ててほしいですから」
軽く肩をすくめる康生の動きに合わせて、金の髪が揺れる。笑っている口元に反して黄色の瞳は冷ややかだ。
志保と司が金の瞳で見合って頷くと、赤と茶の髪が揺れた。中将をしっかりと見て、賛成の意を言葉で表する。
「考え直すと仰るのなら、それでもいいと思います。けれどわたしは行きます。おそらく全員がそう言うでしょう。自分の代わりに選ばれる心当たりのある、その者を一時でも守るために」
「――そうか」
その続きは、立場上言わない。言えない。それを斟酌した涼真は、紫の瞳を伏せると小さく首を振る。その動きに合わせて金の髪が揺れた。
続いて瑞人、静、友己、そして真人も賛成の意を言葉で表する。残る響に視線が集まるが、答える気配はない。
「響准尉はどうだ?」
急に頭が前へ動き、口から勢いよく空気が押し出される。くしゃみだ。
「失礼しました。非番に急な呼び出しでしたので、薬がまだ効いていないのです」
「……ああ、そんな季節か。それで、質問の答えは?」
「行きます」
嫌味を無視されたことに一切の反応をせず言われた、その答えに頷く。そして改めて、異能戦場へ赴く任が告げられる。
ルールの詳細が書かれている書類を渡すと、部屋を出て行くように言う。
扉が完全に閉まってきっかり一分後、中将はゆっくりと口を開いた。
「中将に嫌味やそれに近いことを言う下流分家」
書類の束から三枚抜き出すと、机に並べる。そこに書かれた名前は、南坂康生、丹南涼真、小南響。
「大佐を威嚇する南坂。その威嚇に怯み、中佐に肘で小突かれる大佐。本家の者からのパーソナルネーム授与を何度も断っているのだろう楠」
言いながら同じように並べていき、残った二枚を眺める。
「二人は目立った言動こそなかったが、初めの内に意思表示をした。意見を言えない者らではないのだろう」
肯定の言葉を口にする少将を見ず、小さくため息を吐く。
「それにしても人質がいたとはな。彼らは私を、恨むだろうか」
「まさか。我々軍人こそが奴隷なのだと、彼らは分かっています。たとえ突き放したとしても戻りますよ。それが奴隷の性です」
微笑みを残し、少将も部屋を出る。自身の執務室に向かう足取りは、苛立たし気だ。
彼ら十名はもちろんのこと、中将も知らない。
涼真が言うところの“心当たりのある者”の代わりに、彼らが選ばれたという事実を。その十名に少なからず罪悪感を与えるために、代役を立てることを選ばせたのだということを。
足音がピタリと止まった。執務室の前に司がいるからだ。
「お疲れのようでしたので、紅茶をお持ちしました」
「……お前がいなくて、一部の丹南はどうするつもりなんだろうな」
「甘い評価をありがとうございます」
肩をすくめて笑ってから部屋に招き入れる。扉が閉まると、唇を重ねた。
***
異能戦争八日目。この日のフィールドは渓流だった。昴が放った銃弾が、赤胴の軍服を着た茶の髪を持つ男の足を負傷させる。
途端、男は顔色を変えて背を向けた。隠れることもせず、水に濡れることもかまわず、一直線に逃げる。
それを追うのは昴ではない。赤胴の軍服を着た、純血と見間違う別の男だ。
「まだ……まだ戦えますから、だから殺さないで……!」
「でもボク、走って追いかけたわけじゃないよ? だから――もう戦えないよ」
嫌だと喚いて逃げようとするが、押さえつけられていてそれは叶わない。
なにが起こっているのか、昴には分からなかった。仲間割れなどという生易しい雰囲気ではない、その光景をただ見ていた。
「ねぇそこの人さ。邪魔、しないでね」
目が合った。それくらいの正確さで、昴のいる位置を振り返った。
邪魔さえされなければそれでいいのだろう。隠れたまま動けない昴に、それ以上なにか言うことはなかった。
逃げようと試み続ける相手を、冷たい眼差しで見下ろす。
「これから最高の快楽があるのに、なにが不満なの」
「違う……嫌だ……」
「そっか! せっかくだから何度も味わいたいよね!」
声も漏れないほど戸惑った。それをどう捉えたのか、嬉しそうにしてナイフを腕に突き立てる。
動かす度に聞こえる絶叫は無視だ。聞こえてもいないのだろう。
「やっぱり人骨を切るのって難しいね。腕とかは死んでからでも十分使えるし、先に内蔵やっちゃうね。はーい、お腹切るよー」
やがて絶叫に明確な言葉が混じりだす。初めは憎しみや恨みだったが、次第にとある懇願へと変わった。
それが途絶えたことに気付く様子はなく、同じ調子で声をかけている。
しばらく作業を続けた後、満足したようにひとつ息を吐いて名前を呼ぶ。返事はない。そうなって、ようやく気付く。
「もー、死ぬなら言ってよ。感想聞きたかったのに。でもお人形の材料が沢山手に入ったし別にいっか。心臓なんてとっても新鮮で……あはははははハハハあーあ。ねぇ、覗き見って楽しいの?」
それまでずっと動けないでいた昴が、ビクリと肩を震わせた。
「あ、分かった! 順番待ちなんだね。嬉しい!」
満面の笑みで駆け寄ろうと一歩踏み出した瞬間、戦闘終了の合図が鳴る。それを聞いて、昴は安堵のため息を吐いた。
だがすぐ、苦し気に目を伏せる。
敵軍を助けてやることはできないが、殺すことはできる。せめてすぐに殺してやることはできたのでは。そう思っているのだ。
「またねー!」
血まみれで手を振る姿に、身を震わせた。
昴には、目的のない行動にしか見えなかった。それが恐ろしかった。自身の快楽のためだと言われた方が、まだ恐怖心を抱かなかったかもしれなかった。
「あいつは悪魔だ……」
そう言われたことを知らない瑞人は、かつて司だった赤黒い塊を大事そうに抱えていた。
読んでいただきありがとうございます。
南部軍からの異能戦争への参加者は、北部軍のように紹介という感じではありませんでした。なので、名前と色の組み合わせが少し分かりにくかったかもしれません。
北部軍となにが違って、それがどう表面に現れたのか。考えていただけたら嬉しいです。
今回登場した少将は異能戦争終結後、本格的に登場します。
この島の軍人は、軍人という人間なのか、軍人であり人なのか、それとも奴隷なのか。全体を通して大切な問いになります。
十六世紀頃、貴族の間で流行った遊びがあるそうです。それは奴隷に拷問して早くとある言葉を言わせた方の勝ち、というものです。
司が絶叫の合間に言った懇願とは、なんだったのでしょうか?