第十二話 嘘吐き②
――私はいつでも冷静だよ。
恭一の言葉も、見え透いた嘘だった。だからなのか、美波の分かりやすい嘘に再度の追求をしなかった。
休むようにと亮太と翔也に命じ、霞城と美波をどこかへ連れて行く。
「大丈夫でしょうか……」
「そんなわけないだろ。でもだから他の少将と一緒に話を聞くんだ。ひとりで先に聞いたら二度手間だっていうのもあるだろうけどな」
「やはり、島全体が大きく動き出すの――」
自身の唇に人差し指を当てる。翔也が続きを言わないことを確認すると、背中を向けて歩き出す。
亮太は自身が中佐に昇進できない理由を、分かっていた。
無暗に首を突っ込まないことは、生き残るうえで重要なことだ。
だがそれだけでは、上に行くことはできない。時には危険を冒して成果を上げる必要がある。安全圏の仕事を沢山こなしているだけでは、高い評価を得られない。
昇進のチャンスだと思っていた今回もそうだ。本格的に巻き込まれる前に、手を引くことを選んだ。
きつく拳を握った亮太は、心の中で言葉を並べる。
今までは清之助准尉を、サイクロプスを言い訳にしていた。
片目の視力がなく役立たずと言われていた下流分家の彼を、どこかへ連れて行きたかった。俺と一緒に、どこかへ行ってほしかった。
そのためには力が必要だった。だが目立ち過ぎても駄目だ。だから……でも本当は怖かっただけだ。上に行けば行くほど、闇が深くなる。
サイクロプスと一緒に歩けない今、俺にはもう、歩く理由がない。この暗くて怖い、だだっ広い世界を歩く必要なんてない。
だけど自分で上がった舞台。引き返すことはできない。
会いたい。
笑顔が見たい。
声が聞きたい。
名前を呼んだら返事をしてほしい。
名前を呼んでほしい。
恋しい。
本当はどんなときだって、サイクロプスと呼びたかった。清之助准尉なんて呼び方は嫌だった。だってその名前は、父親が思い付いたまま名付けただけだ。
ろくに顔を合わせようともしない癖に、そうやって縛っていた。そんなもの必要ないと思っていた。
ずっと一緒にいて見てきた俺が、考えた名前がある。
でもそのどちらを呼んでも、もう……
「それなら、引き返せないなら、どうするか」
独り言ちた亮太は、階段を上っている。
着いた先の扉を開けると、風が漆黒の髪をなびかせた。見張りが声をかけるが、反応を示さない。足を運び続ける。
柵との距離が近くなる。
柵に手をかける。
柵を上る。
「簡単だ。降りればいい」
***
恭一の執務室から戻った翔也はまず、ベッドに寝転んだ。だがすぐに起き上がると、共有の執務室へと向かう。
言われた通り休むつもりだったが落ち着かず、なにかしようと思ったのだ。
今回のことで翔也は改めて、自分が持っていないものを見せつけられた。それが落ち着かない理由だ。
「あら、おかえりなさい。早かったんですね」
そうやって親し気に声をかける者はいる。だがその誰もが、待ち人や一緒にいる相手がいる。
仲良く話す者の中で、翔也が悩みや苦悩を知っている者はいない。翔也だけが知っていることはなく、誰の一番でもない。
だがそれは翔也も同じだった。翔也のそういった悩みを知る者はいない。一番を欲しながら、一番をつくらない。
「ねえ真紀大尉、どうして自分がパーソナルネームを与えられたんだと思う?」
「急になによ」
「どうしてだと思う?」
「……私を独り占めしたいって思わせたの。独り占めしたかったから、そう思ってもらうように努力した。具体的な内容は秘密よ」
秘密、という言葉に俯く。翔也は誰の秘密も知らない。
「どう努力すればよかったのかな。正解が分からない。僕が死んでも、深く傷付く者はいない。涙を流す者もいるかどうか」
「初めて自分のことを話したと思ったら、暗い話題ね。なにがあってそう思ったのかは知らないけど、私は泣くわよ」
訝し気な視線を向けられても、気分を害した様子はない。むしろ微笑む。
「疑うなら、試してみたら?」
耳元のその声に頷きかけて、抵抗する。だがもう一度囁くように言われると、抵抗する力を失ったように小さく頷く。
頷いたが最後、腰にある銃へと手が伸びる。
「まだダメよ。いつ死ぬか分かってたら心の準備ができちゃうもの。でも私もいつなにがあるとも知れないわ。だからそうね……一週間以内にしましょ」
微笑みを浮かべると、手を振って執務室を出た。翌々日、ひとり食堂で夕食を食べていると、その知らせは届いた。
難航していた調査でいい結果を出したことは、知っている者が多い。食堂は瞬く間にざわめきで埋め尽くされる。
「うまくやったようだね」
声の主は、背中合わせで座っている者だった。
「ええ。でも案内役の曹長が町に残ったのは想定外だわ。約束の手前、簡単に手出しはできない。手を考える必要があるわね」
「それに関することで接触した。トレイターズの一員と疑われている可能性が高いため、そのままにしておくそうだ」
「了解」
小声でやり取りを済ませ、口元を押さえる。ざわめきが収まるのと反比例するように、少しずつ反応を大きくしていく。
周囲はこう思う。気を取られて気付かなかっただけで、最初からそういう反応をしていた。
「あら、真紀伍長。顔色が悪いわよ。大丈夫? ……そういえば、仲が良かったものね」
「はい……私は大丈夫です。でもどうしてそんな……」
「自分のことを話さないタイプだったもの。あまり気にし過ぎることはないわ」
「ありがとうございます」
受取口では大盛りの申請が次々となされる。調理員はそれを嬉しそうに聞き入れると、こんもり盛り付けた。
列に割り込んだ。自分の席だ。そういった小競り合いが始まる。
いつも通りの風景がそこにはあった。
「死にはもう慣れてしまったけれど、こういう反応を見ると悲しいわね」
「……はい。やっぱり気分が優れないので、失礼します」
「お大事に」
真紀が食堂を出るまで、視線を外さない。出て行った後も出入口をじっと見ていたが、三分ほど経つと手を合わせた。
黙々と食べ進める。周囲に人がいないのはいつものことで、その理由はシンプルなものだ。
恭一の婚約者だから。それだけだ。
下流分家かつ、少尉から昇進していない。にも関わらず多くの者が手に入れられなかったその座を手に入れたのだ。自然、よくない噂が立つ。
「あの子、本当は翔也大尉のことそんなに好きではないのね」
私室の扉を閉めて、独り言ちる。
本来であれば少尉に個室はないのだが、少将の婚約者ということで特別に用意されている。そんな部屋で独り言ちた、と思っていた。
扉を閉めたばかりの、部屋の中から声が聞こえるまでは。
「あの子というのは誰のことかな?」
「……真紀伍長です。あまり気分がよくないことを言ったのですが、反応らしい反応がありませんでした」
「どうしてそんなことをしたのかな?」
「ずっと気になっていたのです。一番を欲していた翔也大尉が、多くの者が最も仲が良いと思う相手にパーソナルネームを与えようとしない理由……」
目を閉じ、笑顔で頷いた。
こういうとき恭一は、不快感を抱いている。笑顔であることから、多くの者は勘違いをする。
「申し訳ございません。しかし未熟な考えではありますが、わたくしなりに考えたうえでの接触です」
「利害が一致しなくなれば、婚約を解消すると言ってるはずだよ」
「……申し訳ございません」
深く頭を下げた双葉に声をかけることなく、恭一は出て行こうとした。恐る恐る呼び止める。
「用件をお伺いしておりません」
「気分がよかったからね、約束したことをしに来たんだ。でももう気分がよくないから戻るよ。おやすみ」
約束というのは、夜のことである。最低でも月に一度。妊娠が分かってから結婚で、それまでに相手ができれば婚約解消で構わない。
それが双葉側からの提案のひとつだ。
見合いは毎度、嫌々だった。相手もそのはずだが、偽物の愛を振り回しながらすり寄らない者はひとりとしていなかった。
双葉との見合いは、そのことにも見合いにも辟易としていた頃だった。
そして条件には、面白いものがあった。それで双葉に決めたのだ。
「……当然だったのかしら。自分だけを見てくれる方がやっぱり、好きになれるものね。八方美人も、溺愛する部下がいる者も、できたら願い下げだわ」
恭一とうまくいかない理由を、美波に押し付けていることは分かっていた。己の醜さにため息を吐き、ベッドに身を投げる。
しばらく改善案を考えていたが、なにも浮かばない。思考を止め、ゆっくりと夢の中へ落ちていった。
読んでいただきありがとうございます。
真紀が関係しているシーンに疑問を感じた方は、第八話を読み返してみてください。