番外編 雪之丞と三つの出会い①
つい十分ほど前まで、誰かの誕生会がこの部屋で開催されていた。そのために用意したはずの料理を片付ける手を止め、雪之丞はため息を吐いた。
部屋の扉が開く音を聞いて先輩が来たのだと思い、慌てて作業を再開する。
「お腹が空いたから、なにか作ってくれない?」
雪之丞にそう声をかけたのは、若い少佐だった。加えて、漆黒の純血。本家の者だと考えないはずがなかった。
「はい、すぐ料理長に伝えます。ご希望の料理や、使う食材はございますか?」
「料理長じゃなくて……これを盛りつけた者に、野菜スープを作ってほしいな」
テーブルを覗いた若い少佐が指したのは、雪之丞が盛りつけたパンだった。単体として食べるには少し味気ない、見た目も普通のパンだ。
不思議に思いながらも自分だと告げると、若い少佐は微笑んだ。
「じゃあ今すぐキッチンへ行こう」
歩き出したその背中を追いかけ、雪之丞も仕方なく歩き出す。
若い少佐は速度を落として横に並んだが、なにを話すわけでもない。機嫌が良さそうな笑みを浮かべているものの、どこか作り物めいていると感じた。
「護衛はどうされたのですか?」
にこりと微笑んだだけで、なにも言わない。撒いたのだと解釈し、同情した。あまり多いと評価が落ちる、と聞いたことがあったためだ。
ほとんど一瞬で自由気ままという印象を与えたこの少佐だから、何度もやっているだろうし、これからもやるだろう。そう思った。
「もうひとつ、質問をいいですか?」
「塩と砂糖を間違えてたよ」
夕食の時間からそれほど経っていないが、なにか不満があったのか。そう聞こうとしており、それの答えだった。
苗字持ちに出す料理は必ず、毒見をすることになっている。仮にそんな間違いがあっても毒見係が気付かないはずがない。つまりこれが意味するのは。
それほど不味かった。
「大変申し訳ございません」
「私がそれだけの者ということだよ。それに悪くない結果になったからね」
微笑んで言われたその言葉の真意に悩んでいる間に、目的地へ着いた。
苗字持ちが自分で料理をするために、と用意されたキッチンだ。しかし実際はあまり使われておらず、経年劣化だけしていく。
置いてある野菜に変わったものはなく、調理できそうだと胸を撫で下ろす。
若い少佐は、端に置いた小さな丸椅子に座った。見守られながら調理。やがて完成。
「あとは盛りつけだけですので、お部屋でお待ちください」
「ここで一緒に食べよう。まかないみたいで、いいと思わない?」
戸惑っていると、危ない手つきで盛りつけようとする。慌てて止めて了承するとにこりと微笑んだ。
嵌められたと思いつつ、笑みがこぼれる。
「どうして料理人になろうと思ったの?」
唐突な質問に、スープを運ぶ手が自然と止まる。その夢は笑われてばかりだったため、正直に告げるか迷った。
だがふと思った。もうこんな風に会うことはないだろうと。
本家の者がどんな反応をするのか見たい、という興味が勝った。笑いたければ笑えばいい。
ただなんとなく、本当になんとなく。根拠などありはしないが、目の前の少佐は笑わないという予感はあった。
「食育のためです。なにをするにも身体が資本。現在はある程度、効率的な生産技術が確立されています。次は腹を満たすことだけではなく、美味しく楽しく栄養を摂ることを考えるべき、というのが自分の考えです」
少し呆けた表情をした後、微笑む。
「覚えておくよ」
その少し真剣な声音が、雪之丞には妙に印象に残った。
読んでいただきありがとうございます。明日も短編を更新します。