変化した距離感②
負傷した護衛の代理で、大尉の護衛として第四搭本塔へ行く。
弓弦の役割は、それだけのはずだった。だが訪れてみれば、約二年ぶりの第四搭本塔はひどく騒がしい。
襲撃があったと聞かされずとも、それが分かるほどだった。
弓弦と雑談中の曹長は話しを中断すると、対面している建物を顎で指す。
「今回はあの少将を狙ったものらしい。いい迷惑だ。しかも自分は身だしなみを整えてやがる」
「大変だな、」
「なに他人事みたいに言ってんだ。今は当事者だろ、しっかり働け」
軽い返事をして、その場を離れる。
以前訪れた際に出会った少将の姿があることに、動揺した。なにも考えず言いかけた言葉が、まるで庇っているようだ、と気付いて途中で言葉を切った。
それで変な返しになってしまったのだ。
大変だな、注目されるっていうのは。
話していた曹長の身だしなみも、朝はしっかりしていたはずだ。血や土を触った分だけ汚れているだけで、その汚れも晩には落とされる。
体か頭のどちらを働かせるか。それだけの問題で嫌味を言う者には慣れたつもりだったが、対象が興味のない者だからだ。そう結論付けた。
傷付いた少将の表情が、またフラッシュバックした。
「こんな大ごとになって、あの少将は大丈夫なのか?」
「おい! どういう意味だ」
突然の大声にビクリと振り返ると、驚いた表情の少将がいた。護衛が発言したとすぐに分かったのは、このためだ。
少将は困惑しながらも、突然どうした、と護衛に声をかける。
「聞いていなかったのですか。今この曹長が――」
「君はあのときの……」
「違います」
――そうか、人違いか、すまない。しかしよく似ている。
佐治が来るまでよく護衛をしていたこの護衛は、知っている。ここまでが、人の顔と名前を覚えられないこの少将の、決まり文句だ。
もし会ったことがあれば適当に合わせるが、やはり限界がある。露呈しそうな場合や長くなりそうな場合は、護衛が適当を言って話しを切るのだ。
またか、と思い言葉の準備をする。
「だから手当しますよ」
「ああ、頼む」
本心から嬉しそうな笑顔も、手当を嫌がらない姿も、この護衛は一度も見たことがなかった。
またぽっと出の曹長に取られる。そう思って、手が出た。
床に転がされただけでなく、少将は特段心配そうにしない。歩いて行く二人の背中を見ていることしかできなかった。
腰を落ち着けると少将は、名前を聞いた。
過去、聞かないまま士官学校へ入学させようとしていたのだ。また聞かれないかもしれないと思っていた。
そんなことは言わず、ついでに従軍の経緯まで話してしまう。
「そうか、申し訳ないことをした」
「親しい者以外は顔も名前も思い出せませんし、もういいんです。後でこうなると面倒なので、言っておこうってだけですから。じゃあ少将もどうぞ」
「ああ……東凛太郎だ。あとはなにを言えばいいか分からないな。みな自分のないこんな俺のことを、守って傷付く。どうしてだ?」
弓弦は立ち上がると凛太郎の隣でしゃがみ、目線を合わせる。そしてそっと手を取って微笑んだ。
北園満弦として生活していく中で、弓弦は兄の弱い面を知った。自分に絶対の自信がある者などいない、と知ったのだ。
いつまでも兄に向き合える気がしないということもあって、凛太郎と名乗ったこの少将に向き合おうと思った。
「周囲の態度が自身の価値に見合わないと思うなら、差を埋めましょう。自分にとっての自分の価値を上げるか、相手にとっての自分の価値を下げるか。どっちを選んでも、お手伝いしますよ」
「まずは前者を頑張ってみることにする。……それにしても不思議だ。似た言葉を以前にも聞いた気がするが、そのときはなんとも思わなかった。だからというのも変だが、一度だけ言わせてくれ」
居直った凛太郎が、不安そうに目を伏せた。弓弦が手を握る力を少し強めると、それに応えて握り返す。
顔を上げて弓弦の目を見つめる凛太郎の表情は、真剣なものだ。
「弓弦曹長、俺からのパーソナルネームを受け取ってくれないか?」
「はい」
「本当か……?」
「はい。できるだけ平凡に生きたい、とは今も思ってます。でもそれより、凛太郎少将、あなたを支えたいんです」
「ありがとう。これからよろしく頼む」
それからパーソナルネームが与えられるまで、時間はかからなかった。難色を示したのは、表面的なことしか見ていない中将のみだったためだ。
凛太郎の護衛には就かず、北部防衛線第一地区の第三戦隊所属となった。戦闘軍人の慢性的な人手不足への対策をしつつ、指揮を学ばせるため。
それは建前で、これで弓弦の“平凡に生きたい”という望みも、ある程度は叶えることができる。
ただしひと月半の内、一週間は本部へ行くこととした。長い間、顔を見ないことを凛太郎はよしとしなかったのだ。
これが、霞城が本部に着くまでそう苦労しなかった理由でもある。運良く、弓弦が本部へ向かう時期と重なったのだ。
そして約三ヶ月後、弓弦の本部滞在期間中に、異能戦争参加者が決められた。
パーソナルネームを与えられてから、異能戦争開戦までの約半年。凛太郎が変わっていくのを、弓弦は感じていた。
自信という言葉が独り歩きしてしまって、本来の凛太郎を置いて行った。その距離を縮めようとすると、弓弦と凛太郎に距離ができた。
なにかを怖がる凛太郎に手を差し出すことが、怖くなっていた。また距離が開いてしまったら。そう思ったからだ。
適切な距離感の分からなくなった二人が、よそよそしくなるのは当然だった。
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第二章:「十二日目 北部軍戦闘④」「本当のこと」